2017年4月25日火曜日

負けて学ばなければ負ける価値がない

昨日日曜のジャビットカップVSヤングホークス戦は、昨日のブログに書いたとおり、「長いヤングフレンズの歴史の中でも、後世に語り継がれるべき伝説の試合」となったのである。または「江夏の21球のようにこの試合を一冊の本にして、国会図書館で収蔵されるべき一戦」でもある。更には「この日のスコアブックをタイムカプセルに詰めて、鷺沼公園の桜の樹の下に埋蔵し、30年後現6年生が42歳になった時、両チームオジサンオバサンになって再会しそれを掘り起こすに値するゲーム」なんである。ついでに...もう本題に入ろう。

初回裏ヤングの攻撃は1安打のあと簡単に二死となり走者は三塁。一個の失策からYの5,6,7番に連打を浴びて悪夢の4失点を喫することに。途中から遅れて来た筆者はこのへんの事情は観ていない。2回から登板したのは主将Shohma。


2回Fの攻撃では相手四球や失策にからんでなんとか1点を返すにとどまる。その後はYのエースAsanoくんの快投の前に無安打の打席が続き、沈静が沈黙に変わりしまいに沈没してしまいそうなF打線。対するYも2回以降は一本が出るものの、後が続かない。
ヤングと言えば数多くのQueens戦士を輩出していることでQには多大な貢献をしているんである。Kurosu監督のひとつのご自慢でもある。
Ayakaが三塁まで到達、打席はYuriko。


3回から6回まで互いにゼロ行進の息詰る(?)、或いは閉塞感の漂う展開。

最終の7回表、スコアは4:1のままFは先頭Gakuが出塁するものの、続く打者は連続三振でツーアウト。あと一人でゲームセットだった。両チームの誰もが数分後主審の「集合!」の声を予想していたに違いない。しかし、なんであった。集合!のコールを聞くことになるのはまだ数十分後なのだった。
1番に戻って打席はShohma。一矢報いる痛烈なセンターへの三塁打を放ち1点を返す。

続くShohも出塁するとにわかにF軍団が息を吹き返した。ベンチ後方も湧いている。
ここで頼れる3番、4年生で捕手の頼れる男、Hideakiがまたセンターへのタイムリー二塁打でついに同点。臥薪嘗胆、生々流転、起死回生、輪廻転生、蘇る金狼なのだった。



4番Takashiは四球を選び、続く5番Kunji。昨年から比べて大きく成長した選手の一人である。彼もレフト線のタイムリー二塁打を放ち、とうとう逆転まで成し遂げてしまった。最終回に4:5と大逆転劇を演じたのだった。



しかしこれが野球の面白さであり怖さでもある。その歓喜の沸き立つ渦はあっと言う間に沈んでしまうことになる。まるで吹きこぼれそうになる鍋に冷水を注入した瞬間みたいに。
最終回裏、Yは1番からの好打順。TakashiroくんTamuraくんの1,2番コンビが外野への安打を連発し三塁二塁とすると、一死後4番Katsumeくんが振り抜いたバットは、白球をレフト後方の富士の樹海までワンバウンドで運び、一気に走者二者生還。その瞬間ヤングの劇的なサヨナラが決まったのだった。

悔しいので勢い余ってQの姫たちのサービスカット。
フレンズコーチだけれど、同時にQueensと連盟広報なんであるからして、これで良いのだ。負けた悔しさが少し和らいでしまうから不思議なものである。


前回も書いたけれど、フレンズの最後の粘りは結果は負けたけれど「最後まで諦めない気持ち」が心と体にしっかりと根付いたはずだ。もしそうでなければ、この負けはどこにでも転がっている「惜敗」のひとつに成り下がってしまうはずだ。
「負けて学ぶことはいつでも出来る」から負けてる場合じゃない、とはフレンズ前監督Satohくんの名言であるが、「負けて学ばなければ負ける価値がない」とは今思いついた筆者の迷言なんである。断っておくけれどフィリップ・マーロウの言葉を引用改ざんしたわけではない。

対してヤングには心からおめでとうとエールを送りたい。こちらも「諦めない気持ち」の強さがこの劇的な結果を呼び込んだのだった。サヨナラヒットのあと興奮する選手たちをKurosu監督やIshikuraコーチが冷静に諫(いさ)めていたが、子らの気持ちはよく分かる。
試合後舌も滑らかに笑顔でKurosu節が炸裂したのは言うまでもない。
筆者はフレンズ関係者としては実に惜しい勝ちを逃したという思いもある一方で、同時に連盟広報的なニュートラルな立場から振り返れば、両チームとも本当に素晴らしいゲームだったと思うのだった。誤解を怖れず達観したような言い方が許されるならば、負けてもどこか清々しさを覚えるような、そんな気分であった。相手が盟友ヤングだったことも幸いしたのだろうけれど、YもFも子どもたちの中に、目に見えない財産を築いたような記憶に残る一戦となった。

「この日のスコアブックをタイムカプセルに詰めて、鷺沼公園の桜の樹の下に埋蔵し、30年後現6年生が42歳になった時、両チームオジサンオバサンになって再会しそれを掘り起こすに値するゲーム」
ではあるけれど、30年後が無理ならば、
「5年後現6年生が17歳になった時に、この少年野球「晴耕雨読」BLOGの2017年の履歴をさかのぼり、あのときそんな名勝負があったっけなあ」と、懐かしんでみてほしい。
言っとくが30年後は無理だ。なぜならこのブログは閉鎖されて、またそれ以前に書き手がこの世から消滅しているに違いないから。
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2017年4月24日月曜日

心をフラットに

本来ならば今日日曜のジャビットカップVSヤング戦は、筆者がスコアラーをやる予定だったんである。今年は何かと土日が忙しくなかなかスコアラー業務を遂行出来ていないので、わずかなスキマを見つけてスコアラーやらねばと思い、午前中だけなら第一公園へ行けると画策していたんであった。

しかし、土曜の晩23時になっても仕事が終わらず、ついにフレンズスコアラーLINEに「明日やっぱ無理っ、スマン、替わってちょんまげ」的なメッセージを送り、急遽Inoueスコアラーに替わってもらったんであった。日曜も仕事なんである。それでもなんとか試合は後半だけ観戦に行き、午後は帰宅し夜まで仕事だったんである。春うららの絶好の少年野球日和の4月の午後に、窓外の輝く新緑の樹々を脇目に部屋にこもって仕事をすることほど辛いものはないわけで。

フレンズVSヤング。フレンズの惜敗と同時にヤングの感動の勝利。
筆者、試合後ヤングIshikuraコーチに言った。
「いやあ、長いヤングフレンズの歴史の中でも、後世に語り継がれる歴史的な試合でしたね」と。もちろん「晴耕雨読」的なジョークも含めた言い回しなんであるが、ヤングにとっては本当に感動的なゲームであったろうと思う。フレンズは粘りきれずに負けたけれど、そこに至るまでの最終回の逆転劇は価値があったと思うんである。フレンズナインは下を向く必要はないし、ヤングナインは自信をもって更に上を目指せ。

試合後は次のカード、フォルコンズVSグリーンズの模様を少し観戦し球場をあとにしたんであった。ヤングもフォルコンズもQueens戦士を中心にレンズを向けたことは言うまでもない。いまだに先日のライオンズ杯優勝の余韻が残っているんであった。

帰りしなレフト方向のバイクが置いてある駐輪場に向かう斜面でふと、気がついた。
昔から知っているのに改めて気づくことってある。
遥か縄文時代から何度も往復しているこの斜面。樹木の根っこが地表からむき出しになって、更に隣の樹同士で根っこが「ひっからまって」いるんであった。雨の日は思いのほか滑るから気をつけねばならない。宮前関係者なら誰しも知っているあそこである。
じっと見ていると、もし日射しがなくて薄暗ければまるで富士の樹海の奥地みたいではないか。
更にその根から連想するのは、沖縄で生まれ育った老練の漁師の、手の甲に浮かぶ太い血管のようだった。
或いは、環境汚染に怒りを覚えた地球の脳に増殖する毛細血管のようだ。

いつも簡単に見過ごしている光景も、こうして心をフラットにして見ると、不思議な生命の息使いを感じられて楽しいものだ。

試合の模様は仕事の案配をみて、後日なんである。
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2017年4月21日金曜日

Q2017ライオンズ杯「後編」(完結編)

「奇跡」の「軌跡」、その後編なんであった。
(※初めて読む読者さまにおかれましては、何卒前回ブログ「前編」を通読し、しかるのちにこの「後編」を読まれることをお勧めしたい。尚、写真は前回を凌駕する40枚近くになる予定であるからして、ココロされたしなんである)

決戦の金曜日ではなく日曜の午後、所は麻生区の本拠地片平ドームへ戻り雌雄を決することになった。いや待てよ、「雌雄を決する」といってもどっちに転んでも雌に違いないのだが。相手は麻生シスターフレンズ。三多摩で友好関係にもあるKatsukawa監督率いる強豪なんである。監督は往年の「ロッテ歌のアルバム玉置宏」を彷彿とさせる、いつもにこやかな表情の人物なんであった。
集合前の両チーム...。
あれれ、いつの間にかカメラの撮影モードダイヤルがエフェクトになっていた。おもちゃの兵隊じゃない、おもちゃのお姫様たちが整列しちゃっているではないか。


監督代行Satohコーチの判断はAyakaの残り投球回数2イニングを温存し、先発にはQの主砲でありバーズでも男子顔負けの声を張り上げる元気娘、Hinataを登板させることに。今年のQの強みは投手は4枚まで切れることに加えて、キャッチャーも幾人か出来ることなんである。(※Murata代表談)女子チームで捕手の替えが利くというのはなかなか難しいことだが、出来ちゃうのが今シーズンのQなんであった。捕手はAkaneが先発オーダーに入った。Hinata,Akaneは打撃では大陸間弾道ミサイル級の長距離砲コンビでもある。

初回からQのエンジンは試合前のニュートラルから初回裏ローに入り一気にトップギアに駆け上がる。と言っても打撃が勝っていたわけではなく、相手失策や四球などに乗じて3点を先制したんであった。
相手ピッチャーは大柄な選手で豪速球を投げ込む。簡単に打てるような球ではない。捕手もなかなか捕球が難しそうで逆にそれが功を奏した感があった。
スタメン(スタウィーメン?)以外のベンチメンバーも元気いっぱいだ。一瞬を切り取ったら小さい子たち、まるでEXILEのチューチュートレインの振り付けをやってるみたい。

2回にも安打はAyakaの一本のみだったが、塁上を走者が駆け回り更に3得点、6:0とかなり有利な展開に持ち込んだ。

Hinata本塁突入の場面。頭から突っ込み名古屋城のシャチホコ式ヘッドスライディングでエビ反るポーズに。後ろのベンチの姫たちは思わず悲鳴をあげている。これぞ男子顔負けの闘志、Hinataの真骨頂。
因にHinataはこの試合全ての打席が四球で出塁するも、全て本塁へ生還して3得点なんであった。

カモシカの疾走と本塁生還のSachikoのシーン。たまたまこの時筆者の隣では父のJeffが真剣な眼差しで観戦していた。

ネット裏でQの守備時に煙草休憩。まるでプロ野球観戦よろしく、ひいきの自軍の守備の時に、トイレに行ったりたこ焼きを買いに売店に行ったりするのと同じ感覚なんである。
その時に談笑しながら筆者は言った。
「6:0。何があるか分からないから、点差は大きければ大きいほど良い。6点差は浅い回を考慮すればまだまだセーフティーリードじゃない。たぶん麻生は実力をまだ出し切ってないはず」的なことを言ったんであった。
見事に的中したのが4回表の麻生の攻撃。先頭を四球で歩かせてしまうと続いて3連打を加えて打者一巡されてしまい、一挙5失点、6:5と肉迫されてしまったんである。麻生は大変な盛り上がりであった。逆の立場なら同じように湧いたに違いない。暗雲を振り払うようにそれでもなんとか1点差で終わらせたことは幸運だった。同点或いは逆転を許していたら、流れは完全に麻生に傾き、この試合どうなっていたかは分からない。二死から満を持してエースAyakaを投入し火消しに奔走したベンチなんであった。
采配を振るうのは監督代行のSatohコーチと28Kurashigeコーチ。沖縄では「ハイサイおじさん」が有名だが、Qではこの二人が「サイハイおじさん」となった。おじさんではないが、ベンチ入りしたRyohtaコーチも終始大声でグランドに指示と檄を飛ばしていた。


その後Qは更に1点加点し7:5と突き放す。どうにか最終回までこぎつけた。最後の打者をPゴロに仕留めてAyakaが一塁手Akaneへ軽く送球。その球を受ける前にすでにAkaneは勝利を確信したかのような表情。審判のコールが聞こえる。
「アウト!」...「集合!」
Queens4年ぶりの歓喜の瞬間であった。
すでに感極まったSachikoなどはもう号泣していた。

戦い終わってQ戦士たちのこの素敵な笑顔。

親やオトナたちも何人も目を赤くしていた。むしろ子どもよりも親たちが感激していたようだった。フレンズや連合で歴戦の戦場カメラマンとして数々の現場を踏んできたブロガー筆者。この感動の混沌とした場を活写するのは慣れているはずだけれど、しかし望遠レンズだったためなかなかピントが合わずシャッターチャンスをいくつも逃した。でも数枚だけモノにしたカットがこれ。目を赤くしてHinataを強く抱きしめるChihiro母なんであった。その向こうにはオヤジの笑顔。チーム全体がこんな感じだった。

さて、閉会式なんである。
夜も更けてきたので、写真でさっくり行きたい。男子では宮前からは白幡台イーグルスも参戦。


表彰状、優勝カップ、トロフィー、各自の首へ金メダル授与。
最後にQueens6年の4人が笑顔のピースサイン。Ayaka,Sachiko,Akane,Hinata。



すでに以前アップしたけれど再度アップしちゃう写真である。
帽子投げは優勝したチームだけに許される特権なんである。負けてあのシーンを目の当たりに見せられるのは、非常に辛く忸怩たる思いがあるのだけれど、(何度か辛い経験がある)それでも勝者だけに与えられた権利なのだから是非やりたい。敗者に敬意を持ちつつもやるべきなんである。
だって、それだけ頑張ったご褒美なんだから。
チーム関係者全員が笑顔になってひとつになる瞬間だった。

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