2018年8月26日日曜日

ユニフォームの泥は勲章だ

盟友ヤングとの秋季大会決勝トーナメント戦なんであった。フレンズ勝利のブログは同時に盟友の敗戦の記録でもある。如何ともしがたい二律背反。ヤングには許されたし。

秋季大会決勝Tおよびオープン戦に、浜銀カップ出場のイーグルスの戦況。それと同時進行しながら水面下では「タラレバ」的単独連合の結果次第での、組織構成の話が進んでいるのであった。しかしながら各チームにおいては目の前の試合に「勝つ」ことに集中している時期である。
ヤングはIshikura監督始めベンチの端部では総監督Kurosuさんの目が光る。バックにはヤング美人妻軍団が控えている。

ヤングにはQueens主将Yurikoがいる。フレンズには昨年入部の超新星Riko。二人は幼稚園時代に一緒で、今は大のカープファンとしても同じ。奇跡のカープ女子のツーショットなんであった。

Q繋がりでいえばヤングのKuuはレフト。ちっちゃい頃から知っているのでヤングのレフトを堅守する姿には、実に感慨深いモノがある。あの可愛いKuuが6年生で頑張っている姿を見ると、思わずQの入部時の姿が蘇り感慨深いものである。

2回終了時まで互いに拮抗したスタートで互いに無得点。その時は3回表Fの攻撃時に突然やってきた。二死走者Tsukasaを一塁に置いて打席はHideaki。初球をぶんっと振ったバットは白球をグシャリと見事に捉え、天高く舞い上がり左翼手Kuu後方のネットフェンスを超えたのだった。鮮やかな先制ツーランホームランであった。第一公園では今年2本目の本塁打。他の球場も含めた合計ホームランは今年8本になる。第四では二打席連続もあった。今更ながらのスーパー5年生であった。

その裏さすがの名門ヤング。Takashiroくんの安打やFの守備の乱れに乗じて1点を返す。まだまだ気を抜けない展開である。

更にヤングの攻撃が畳み掛けるかというライト前への飛球であった。ファースト後方、ライト前への凡飛、誰もがインフィールドへ着地するかと思われた瞬間、ライトのRikoが猛然とダイビングキャッチ。見事なスーパープレイでチェンジとなった。ユニフォームの泥はイコール少年野球の勲章である。拍手喝采のフレンズ応援団。監督Itohとハイタッチ。筆者はカメラを放り出してハグしたかったが、Adachiオヤジを忖度して思いとどまったのであった。ヤングの流れを止めた貴重なプレーだった。


第一公園丘の上の「峠の茶屋」付近では報道陣のカメラの放列が林立していた。あたかも金足農業が秋田空港に凱旋した時の報道陣カメラのように。NHK+民放各社、共同通信からJスポーツ、CATV、CNNまで盛りだくさんなんであった。写真では数本だが実際は10本近い三脚が設置されていたんである。


5回二死後、ツーベースヒットのHideakiをHarutoの安打で三進し三塁に、ここでまたまた俊足Rikoが果敢なヘッドスライディングで内野安打、打点を記録し出塁、加点する。ツーアウト後からでも加点しチームに勢いをもたらすプレーであった。
もう一度言う。「ユニフォームの泥はイコール少年野球の勲章である。」

その後イケメンIchiyaの打席。ここまで二打席連続の空振り三振。その忸怩たる思いを払拭するような痛烈なタイムリー三塁打でRikoを返した。3点追加し5:1とする。畳み掛けるような見事な攻撃だった。

名門ヤングもたまらず監督Ishikuraさんがタイムを要求。

結果はそのまま最終回を終えてFが初戦突破となった。昨年秋季の覇者のDNAを受け継いだヤングの6年の夏は終わった。悔しかったに違いない。その思いはフレンズや他のどんなチームでもなんども経験していることだ。今年はその明暗を分けただけで、Fとて人ごとではない。今のフレンズはこの初戦突破に浮かれることなく、むしろ兜の緒を締めて...。いや逆にいけいけドンドンでこの勢いで前を向いて走り続けるのも良しとしよう。

二試合目はモンタVSブルアロ戦。筆者はF帽子から連盟帽子にかぶり直しシャッターを切る。途中第四のQueensへ向かうまでである。
初回1打席目にいきなりブルアロにランニングホームランが飛び出した。ランニングホームランか相手敵失かは、守備連携中にエラーがあるかどうか、またあった場合はどのタイミングであったかによって大きく変わってくる。純粋なランニングホームランか、ワンヒットワンエラーか、スリーベースヒット+三塁への中継ミスか、などで判断される。筆者は打者走者をファインダーで追っていてモンタの守備は見ていなかったが、この打席はランニングホームランと認定されたようだった。主将の強打俊足が功を奏したのだった。
その後結果は連盟連絡網からブルアロ勝利とのこと。


終わらぬ夏と去りゆく夏。
今年もまた宮前の少年野球は終盤へ向かって大きくうねり始めたのだった。
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夏が過ぎ、麦わら帽子...

井上陽水「少年時代」
...♪夏が過ぎ風あざみ、誰のあこがれにさまよう〜♪
吉田拓郎「夏休み」
...♪麦わら帽子は、もう消えた〜♪

筆者が夏の終わりに想起する2大楽曲と言うより、2大シンガーはこの二人なんであった。
この二人のフォークソング界の巨匠は筆者の高校時代の想い出と重なって、今もなお心の奥であの時のほろ苦い記憶が蘇るのだった。
※但し、大人になってからの「夏の終わりソング」ベスト1はもちろん山下達郎の「さよなら夏の日」である。

高校三年生の学園祭で出店した喫茶店「アリス」
筆者が企画しクラスの大馬鹿野郎ども仲間と数人で出した、学校の教室に作った喫茶店だった。山形南高校、公立のバリバリの生粋の野郎だらけの男子校である。学園祭で女子校からの来客を期待して俺たち馬鹿野郎どもはめっちゃ張り切ったのだった。「アリス」と言う店名は、当時筆者は文化放送の深夜の「セイ!ヤング」に夢中で、水曜担当の谷村新司のアリスから持ってきた名前だった。山形では谷村新司もアリスもほとんど誰も知らない時代だった。(全国的にもさほどメジャーではなかった)筆者の記憶が確かならば、高校時代に山形県民ホールにコンサートに来たアリスの三人、前座は某大学(慶應だったかな。慶應が前座だったかも)のオーケストラで、客席はガラガラだったように思う。田舎の高校生が一人でコンサートに行って、そのあと楽屋から出て来た谷村新司にサインをもらった。家じゅうを探せば今でもどこかに色紙が埋もれていると思う。「くずれパンダ、谷村新司」

高校三年の学園祭のその晩、筆者と出店仲間数人で知らないスナックで打ち上げで飲んだのだった。売り上げから原価を引いた純益で。ほとんど酒の味などまだ知らない子供だった。俺たちはこれでもかと言うほど「背伸び」したかったのだろうと今では思う。今筆者がジャニーズのタレントならば、昔といえどこんなカミングアウトすれば速攻で芸能界から干されるはずだけれど、今は昔、昭和の大昔であってご笑納、許されたし。(昔のブログにも書いたはず)

仲間の一人はKAWASAKIのナナハンライダーだった。一人だけずっとジュースを飲んでいたが途中からヤツは誰かのビールを飲み干した空いたグラスにジュースを注いで飲んだ。しかし、こともあろうに帰宅途中のバイパスで警察の酒気帯び検問に引っかかってしまったのだった....。
翌朝学校の職員室に呼び出された俺たちは、一列に並ばされて柔道部顧問の体育教師から一人ひとり殴られた。平手で、思いきり。当時はそれが当たり前で悪いことをしたら叩かれるのは普通であった。今なら親やPTAや教育委員会がこぞって大騒ぎするだろうけれど。反骨精神旺盛なガキンチョだったので、なにクソと思ったのだったが、その後大人になって思うに、俺たちは顔が痛かったが、教師はそれ以上に心が痛かったのだろうと思うに至った。
「歯を食いしばれ、いくぞ」声を荒らげながらそう言う先生は目に涙を溜めながら殴っていた。申し訳ないことをしたと猛省したのだった。数年後自分が人の親になってみてその気持ちを一層理解することになる。親になって子に向き合う時、あの時の先生の心の痛みと、親になって子を叱る自分が重なることを知ったのだった。

現代なら停学あたりだろうか。しかし大らかな昭和の昔である。全員一週間の自宅謹慎になった。懲りない面々はその期間中もこっそりバイクでうちにやって来ては、タバコを吸って1,2時間くらい喋って帰っていくのだった。仲の良かった馬鹿野郎仲間の一人が何度目かにうちに来た時に言った。「どーせ暇だろうから、これ聴いてみな」と言ってカシャリと投げてよこしたプラスチックのケースがあった。
それが初めて出会った陽水と拓郎の音楽カセットテープだった。

8月も下旬。フレンズの勢いは止まらない。
もうすぐ終わりの夏。私の耳には陽水や拓郎の歌が聴こえてきそうな頃だけれど、フレンズの夏はまだ終わらないのだった。
本日の秋季決勝T初戦のブログはまたいずれ。
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2018年8月21日火曜日

極私的甲子園応援判定基準

希少価値の公立高校。
ナイン全員が地元中学出身。
日本の台所を支える農業の高校。
冬はまともな野球が困難な東北の雪国。
全て一人で投げ抜いている先発完投投手。
地方大会から全て同じ9人のメンバー。
劇的ツーランスクイズの間に母校で生まれた9匹の子ブタちゃん。
今年で学校創立90周年。
...。

ハイ、もうお分かりですね。
連日の金足農業高校フィーバー(死語)なんであった。
あえて劇的な試合内容や野球に関する話は割愛した。

筆者は昔のブログで何度か書いたけれど、「甲子園」応援の贔屓(ひいき)はまず、出身の山形の母校または山形代表校。残念ながら山形は毎年すぐに消えちゃうので、次に応援するのは雪国で冬の間練習が困難な東北、北海道などの高校。更に野球王国化している私立ではなく、お金のない設備で頑張っている公立の学校。...と言うのが応援の基準なんである。更にこれらの厳しい判定基準の枠外でも、選手個々に魅力を感じればその子を応援したくなると言う寸法。マニアックな高校野球ファンからしてみれば、筆者なんぞは甲子園の風上にも置けないほど軟弱なものである。それでも毎年劇的で感動的、笑顔と涙、栄光と挫折の数々のドラマがある甲子園ではあるけれど、今年のこの金足農業カナノウは筆者の「甲子園応援判定基準」に見事に合致したチームなんであった。おまけのエピソードの子ブタ9匹は実に微笑ましいものであった。

話はそれるけれど、横浜や日大三高の選手らの(いやいや他の地方のチームも)、イケメンのなんと多いことか。出てくる選手、出てくる選手が皆イケメンである。昔は高校球児といえばまだ「子供こども」していて少年と青年の間(はざま)の、あどけない子が多かったけれど、現代っ子は実にスマートで手足が長く顔もシュッとしていている。その骨頂が岩手の大谷翔平だった。いわゆる日本人離れしたプロポーションは衝撃的であった。今でも大リーグエンゼルスの「ワ〜オ、イッツショウタイム!ビッグフライ〜!グッバイベースボール!オタニサ〜ン!」をTVやスマホで見るたびに、本当に日本人なのかと思っちゃうのだった。マジで10頭身くらいあるんではないだろうか。日大三高の先発投手なんて、まるでバリバリ仕事をしている一流商社マン、「リア充」で独身貴族を謳歌している27歳の俺...的なくらいにイケメンであった。

イケメンは金足農業吉田選手も同じ。すっごいモテるんだろうな。あの異様に白すぎる歯が気になってネットで調べたら、高校2年の時に歯を食いしばりすぎて、歯が欠けてしまい、以後マウスピースを愛用しているのだそうだ。甲子園では白一色との規定があるが、普段の練習ではピンクや紫色のマウスピースがお気に入りらしい。試合中はとても力が入りすこぶる調子がいいとのこと。他にも同じ選手が何人かいる。どうりで白いわけだ。

筆者の歯は生来ボロボロで半分近くは義歯でなので、この真っ白なマウスピースは一瞬良いなと思ったのだが、これを付けたらまるで頭にヅラを被っているみたいで、やはり頭髪同様に素のままの自分でいようと思ったのだった(^-^)

東北勢では真紅の優勝旗を持ち帰ったことがないという歴史がある。かつてフレンズOBの宮田くんがいた東北高校が決勝まで行った時も、大いに期待されたのだったが夢は叶わず。
個人的ではあるけれど、今日吉田投手が宣言してるようにぜひ東北に「真紅の優勝旗」を持って東北、秋田へ凱旋して欲しいものだ。
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2018年8月19日日曜日

秋を前に感慨深し

「時の過ぎゆくままに」沢田研二的心境の2018年の過渡期。あれよあれよと言う間にもう8月も半ばを過ぎ、いよいよ秋季大会も予選リーグが全行程終了、決勝トーナメントが今週末から開幕なんである。単独にせよ連合にせよ、選手もチームもワクドキの季節なんである。

今年の宮前の2強と言っても過言ではないイーグルスとウルフ。新生イーグルスは真の神奈川県イチを競う浜銀カップに選出されて晴れて出場決定。ウルフ過日の日ハム杯大会では多摩区のチームに7:0の完封負け。あの名門強豪ウルフをして無得点で勝てなかったチームって、いったいどういう相手だったのだろうかと逆に思う。

フレンズ的には秋季BLを一位通過し、決勝トーナメント初戦は盟友鷺沼ヤングホークスに決まった。Kurosu総監督、Ishikura監督率いるこれまた名門なんである。以前にも書いたけれどフレンズは1試合ごとに少しずつ成長し、今年の足元おぼつかない春頃に比べれば格段に実力をつけてきたように思う。年間通じて子らの成長に目を細めるのは、各チーム監督コーチ共通の最大の喜びと言っても過言ではない。今日グランドではレギュラーではないNaoyaが開眼したのか今までの姿を払拭し、とんでもない長打連発で周囲を驚かせていた。その長打の打球の質が良い。鋭く、速く、遠くへ。これからが実に楽しみである。

さてそんな中オレンジボール練習も始動。とにかくメンバーを集めなきゃ話にならないわけで、情熱家Nakamuraオヤジを中心に東奔西走し、どうにかギリギリ規定人数を集めての参戦である。勝っても負けてもオレンジはオレンジ。なんとか参加して子供達に野球の楽しさに気づいてもらえたら素晴らしいこと。
監督はフレンズOBのShohta。Shohtaが入部した小学生当時を知っている筆者はこれも感慨深いわけで。小学生だったあの子が今の小学生の監督に。それだけ自分もずんずん歳をとった証拠である。

入部した時はどうなるかと思ったKohnoshinも、オレンジでは今や先輩。小さな子にちゃんと捕球の仕方を教えているではないか。ここまで成長したのは監督コーチ、父母たち、特にOhmoriオヤジの功績は大である。父母たちの多くは子の卒業と同時にチームから離れてゆくものだけれど、しかしそんないろんな世代の子らの姿を見る楽しみ(それと同等の苦しみもある)は、畏れ多くもYanagisawa代表やKaneda顧問に準じる筆者にも、長年OBコーチとしてフレンズに身を置く者としての特権である。

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