2018年8月26日日曜日

夏が過ぎ、麦わら帽子...

井上陽水「少年時代」
...♪夏が過ぎ風あざみ、誰のあこがれにさまよう〜♪
吉田拓郎「夏休み」
...♪麦わら帽子は、もう消えた〜♪

筆者が夏の終わりに想起する2大楽曲と言うより、2大シンガーはこの二人なんであった。
この二人のフォークソング界の巨匠は筆者の高校時代の想い出と重なって、今もなお心の奥であの時のほろ苦い記憶が蘇るのだった。
※但し、大人になってからの「夏の終わりソング」ベスト1はもちろん山下達郎の「さよなら夏の日」である。

高校三年生の学園祭で出店した喫茶店「アリス」
筆者が企画しクラスの大馬鹿野郎ども仲間と数人で出した、学校の教室に作った喫茶店だった。山形南高校、公立のバリバリの生粋の野郎だらけの男子校である。学園祭で女子校からの来客を期待して俺たち馬鹿野郎どもはめっちゃ張り切ったのだった。「アリス」と言う店名は、当時筆者は文化放送の深夜の「セイ!ヤング」に夢中で、水曜担当の谷村新司のアリスから持ってきた名前だった。山形では谷村新司もアリスもほとんど誰も知らない時代だった。(全国的にもさほどメジャーではなかった)筆者の記憶が確かならば、高校時代に山形県民ホールにコンサートに来たアリスの三人、前座は某大学(慶應だったかな。慶應が前座だったかも)のオーケストラで、客席はガラガラだったように思う。田舎の高校生が一人でコンサートに行って、そのあと楽屋から出て来た谷村新司にサインをもらった。家じゅうを探せば今でもどこかに色紙が埋もれていると思う。「くずれパンダ、谷村新司」

高校三年の学園祭のその晩、筆者と出店仲間数人で知らないスナックで打ち上げで飲んだのだった。売り上げから原価を引いた純益で。ほとんど酒の味などまだ知らない子供だった。俺たちはこれでもかと言うほど「背伸び」したかったのだろうと今では思う。今筆者がジャニーズのタレントならば、昔といえどこんなカミングアウトすれば速攻で芸能界から干されるはずだけれど、今は昔、昭和の大昔であってご笑納、許されたし。(昔のブログにも書いたはず)

仲間の一人はKAWASAKIのナナハンライダーだった。一人だけずっとジュースを飲んでいたが途中からヤツは誰かのビールを飲み干した空いたグラスにジュースを注いで飲んだ。しかし、こともあろうに帰宅途中のバイパスで警察の酒気帯び検問に引っかかってしまったのだった....。
翌朝学校の職員室に呼び出された俺たちは、一列に並ばされて柔道部顧問の体育教師から一人ひとり殴られた。平手で、思いきり。当時はそれが当たり前で悪いことをしたら叩かれるのは普通であった。今なら親やPTAや教育委員会がこぞって大騒ぎするだろうけれど。反骨精神旺盛なガキンチョだったので、なにクソと思ったのだったが、その後大人になって思うに、俺たちは顔が痛かったが、教師はそれ以上に心が痛かったのだろうと思うに至った。
「歯を食いしばれ、いくぞ」声を荒らげながらそう言う先生は目に涙を溜めながら殴っていた。申し訳ないことをしたと猛省したのだった。数年後自分が人の親になってみてその気持ちを一層理解することになる。親になって子に向き合う時、あの時の先生の心の痛みと、親になって子を叱る自分が重なることを知ったのだった。

現代なら停学あたりだろうか。しかし大らかな昭和の昔である。全員一週間の自宅謹慎になった。懲りない面々はその期間中もこっそりバイクでうちにやって来ては、タバコを吸って1,2時間くらい喋って帰っていくのだった。仲の良かった馬鹿野郎仲間の一人が何度目かにうちに来た時に言った。「どーせ暇だろうから、これ聴いてみな」と言ってカシャリと投げてよこしたプラスチックのケースがあった。
それが初めて出会った陽水と拓郎の音楽カセットテープだった。

8月も下旬。フレンズの勢いは止まらない。
もうすぐ終わりの夏。私の耳には陽水や拓郎の歌が聴こえてきそうな頃だけれど、フレンズの夏はまだ終わらないのだった。
本日の秋季決勝T初戦のブログはまたいずれ。
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