2022年2月5日土曜日

嬉し恥ずかし親子野球

 今日はQueens親子野球であった。過日に行われた卒団式で予定されていたのだったが、コロナ禍を配慮し急遽変更延期となっていたんである。第一公園ドームへ向かう途中カブにガスを補給し、途中自宅近くの公園から望む富士山。抜けるような紺碧の空には程遠いなれど、思いのほか大きなその威容が垣間見えた。iPhoneではなくバイクのエンジンを止めてNikonで撮った。

親子野球なんである。第一公園名物と言っても過言ではない、今年も我が物顔で砂塵が舞っていた。映画ハムナプトラの砂漠のように。

親子でキャッチボール。ウォーミングアップからのチーム、攻守決めでワイガヤの話し合い。Q姫たちはここからが実に長いんである。これがフレンズで筆者が40代現役だった頃のコーチなら「いつまでダラダラやってんだ、日が暮れちまうゾッ!」と怒鳴っていたに違いない。しかしここはQueens女子チームなんである。年齢もあるしQに肌が慣れてきたせいもある。「集合写真撮るぞ」と号令をかけてからシャッターを切るまでの長さにも、もう慣れてきた。

ここからは投手とバッター互いに親子対決の写真を粛々と掲載。

※投手写真は逆光で露出過多、白っぽい写真にて失礼。

※一部親子対決ではない組み合わせもあり。

※何人かは打席に立ってない子もいるかも。

※終盤筆者、大人同士で立ち話しちゃって撮ってない場面もあるかも。

※母の場合最大限美人さんに撮りたいのだが、如何せん打撃の瞬間などはオモシロイ表情になっちゃっていることもあり、筆者には不可抗力にてご勘弁の程を(^-^)

気は優しくて力持ち。Rana父は仕事の合間に参戦。ガテン系のちょいワルオヤジ系イイ男。「カッケエ〜」決してデビュー前のバイト時代のEXILEメンバーではない。或いは「アラジンと魔法のランプ」のジーニーか? 二塁打で出塁するとセカンドKaedeが例によって大人イジリ。Rana父のぽんぽこ腹をポンポコ叩いていた。さぞかし良いリズムが奏でられたに違いない。

続いてRana母登場。昨年はQのムードメーカーだった。「デッドボール当てんなよ」とは前フリだったか、本当に左腕に当たってしまった。ダチョウの熱湯風呂「押すなよ押すなよ」的な。母はバットを振りまわし笑いながらRanaを追い回す展開に。実に楽しい光景である。

母のち娘、時々父。大谷翔平顔負けの打撃フォームの父たち。フレンズ親子野球でも何度も見てきた光景である。昔筆者も有馬小のフレンズで何度か打席に立ち、ホームランを打ったこともあるけれど、以後は視力が落ち、体にガタが来てからはボールの芯を食う打席とは無縁の不遇の時代を過ごしてきた。今打てば及び腰でぎっくり腰のビックリ腰になっちゃうだろう。しかしノックはまだそこそこ出来る気がするんである(気がするだけかもだが)

久々の「写真枚数多数掲載執筆」である。今回掲載62枚だが全部撮った枚数はこの3倍ほど。2月中旬以降、川少連から試合など解禁されればNikonの出番も増えるはず。子供への顕著な感染が喧伝される中、オミクロン情勢次第ではあるが。

概(おおむ)ね母たちの投球は、七色の変化球が多彩である。そのほとんどは打者の1m手前で鋭く落ちるワンバウンドのフォークボールか、打者を幻惑する山なりの超スローボールが主流なんであった。

+++++++試合後。

軟式女子野球神奈川アイリスなんである。フレンズOGのRikoと母が来てくれた。筆者と再会した時のRikoの満面の笑みは、小学生時のあの時のまま健在であった。残念ながら父は仕事で来れなかった。あの野太い声が聞きたくて会いたかったのだけれど。昨年のブログで書いたようにRikoは男子顔負けの野球大好き少女。昨年は有馬中学部活野球の主将、神奈川代表ヤマユリで全国大会出場、そして神奈川アイリス。その全てに所属していたRikoである。アイリスは中学軟式女子野球の受け皿として存在するチームである。こー言っては語弊があるが、勝つことよりもまずは、女子に長く楽しく野球を楽しんでもらうことに重きを置く。Queensにも通底するコンセプトがあるわけで。近年女子野球の裾野が広がっていることを実感する。中学部活(一部のみ)、軟式野球、オール京急などの硬式野球、女子でも入れる軟式宮前ドリームス、etc。

Rikoが自らチラシを持って勧誘に来てくれたのだった。早速興味を示して体験会に行きたいと言う母娘も。昨今女子プロ野球が暗礁に乗り上げ頓挫している中、少しでも女子たちの刺激になって野球を続けられる環境が整うことを願いたい。


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2022年2月4日金曜日

断腸の断捨離の想い

 
先日の小欄にて予告した「断捨離」なんである。筆者は物持ちが良い方で、特に本やレコードなどは捨てる気がしない。勢い、深夜に降り積もる雪のように、しんしんと溜まっていくのであった。本もレコードもずいぶん昔に一部断捨離したのであったが、その後またいつの間にか降り積り、本棚の棚板は本の重みで笑っちゃうほど湾曲し、レコードジャケットは黄変しちゃて大変なことになっていた。見て見ぬふりをして過ごした数十年の己を叱責し、一念発起の断捨離大会となった。

本は数えてないが数百冊はあろうか。その中からどーしても捨てきれない、手元に置いておきたい作家の小説などは除いて、他は断腸の思いで段ボールに詰める。捨てないのは村上春樹、浅田次郎などの全作ほか、十数人の好きな作家は好きな本だけ残しあとは段ボールに移設作業。筆者のこのブログの文体や文章形成の礎(いしずえ)となっているであろう、多くの作家の活字に感謝しつつ。「晴耕雨読」的「なんである体」の文体は椎名誠的「昭和軽薄体」(当時実際そう呼ばれていた)が屋台骨となっていると思うが、もう一つあったんである。流行作家ではないけれど、劇作家・戯曲家の別役実である。氏の「道具づくし」という本は最強に面白い。二十代の頃別役実の理不尽な世界の演劇を下北沢の芝居小屋で何度か観たこともある。「道具づくし」は今読んでも奥が深く「真面目に笑える」本である。当然これは手元に保存する。他に「魚づくし」や「虫づくし」などもある。それ以外はブックオフへ送るためせっせと段ボールへ。

好きな小説だったけれど、天童荒太の「永遠の仔」単行本は段ボールへ。ふわりと記憶が蘇る。会社員だった頃か?夕方仕事を終えて直帰コースで乗り換えた登戸駅前で、古本のワゴンセールで見つけて上下巻を格安で購入。その後寝る間も惜しんで読み耽ったことを覚えている。これですらダンボール行きとした。このレベルを保存にしちゃうと結局ほとんど断捨離出来ないからである。青臭い年代に衝動に突き動かされて買うも最後まで読破できなかった本や、ブックオフで購入し逆輸入的小説本もダンボール行き。洋書外国の本も多数あれど、断腸の断捨離。ケンフォレットの「針の目」を残したかったが、全く見当たらず。映画も検索したがすでに廃盤のようだった。おそらく前回の断捨離で放出したであろうことを悔やむ。

漫画コミックである。これもゴッソリある。そのほとんどは息子が小学生の頃一緒に夢中になって読んだものである。Dr.スランプ、ドラゴンボールやH2やタッチ、ドカベン、ワンピース、鉄腕アトムetcはほぼ全巻保存するも、他は手放す。ブックオフで買い取れない査定不能の、変色した本やカビちゃったものも含めてダンボール行き。

これらを6個の段ボールに収納し黒猫ちゃんに来てもらいネットのブックオフセンターへ。ネットで手続きしヤマトのお兄ちゃんが来てくれた。コロナ禍でエッセンシャルワーカーでもあるのに重い荷物で申し訳なし。自宅に残った本たちはまだそれなりの多くの冊数になった。これらは筆者が他界したときに、息子たちが処分してくれるだろう。これからもう一度再読する本は少ないはずだが、どーしても捨てきれない本だけが残った。

++++++

この後今日までの数日間、今度はレコードだった。ネットで探し大手の買取サイトではなく、金沢の店舗に託すことにした。これまた断捨離地獄である。これは残したい、これは捨てちゃおー、これはどーしよー?のせめぎ合いで、全130枚のなか、買取査定が100枚、手元保存30枚になった。中古レコード界ではとんでもない高値がつくことがあるようだ。新品同様で帯も揃って全て完璧なビートルズなどは買取価格は数十万らしい。しかしビートルズは手放す気になれないし、ましてやジャケットはボロボロで変色もあり、数百円にしかならないかもだし。お金が欲しくて買取サイトに委ねるわけでは無いので、大事なレコードは手元に置こう。これらも息子たちが後々処分してくれるだろう。ビートルズ関連は全部手元に置いた。Let it beやアビーロードは高額取引だけれど、音楽もさることながらそのジャケットに青春の哀愁と思い出が詰まっている。Queenのアルバム「オペラ座の夜」やオリビアニュートンジョンなんかも残す。エルトンジョンは今でもヘビーローテだが、CD時代にハマったのでほとんどはパソコンのiTunesに収まっている。中三の時に「グッバイイエローブリックロード」のシングル盤を持っていたのだが、どこを探しても見当たらなかったのが寂しい。もう一回探してみようと思う。

竹内まりやのLPを2枚購入していた。その後ダンナの山下達郎にどハマりしたのだが、レコードからCDに移行した最後の時代。タツローのCDはたくさんあるもレコードはない。タツローのデビュー盤はやはり数十万するらしい。竹内まりやの一枚だけダンボールへ。他にも洋楽多数。ジョンコルトレーン、アルグリーン、MJQ、ジョージベンソン、ジョーサンプル、アースウィンド&ファイヤー、などのジャズ&ブラックコンテンポラリーミュージック系も、選別して残すものは残し、他はやむなくダンボールへ。イギリスバンド10CCを知ってる人は稀有だろう。「愛ゆえに」が代表作。筆者が20歳の頃デザイン学校の友人に誘われて行った10CCコンサートに感銘を受け、社会人になってから買い漁ったLP盤多数。これらも数枚残すのみとした。

最後はシングル盤であった。数は多くないが、そのほとんどは中学から20代前半までに購入したもの。中でも中学生で初めて自分の小遣いで買ったレコードはカーペンターズのトップオブザワールド。「二人の日曜日」の天地真理もあった。当時中学生、筆者が初恋の思いを寄せる子がいて「虹の向こうは晴れなのかしら〜、あなたを思って歩くのよ〜」なんちゃって、今でも歌詞をそらんじることが出来ちゃう。残念ながら思春期の少年の淡い初恋は実らず、儚い淡雪のように消えてしまったのだが、少年はひとつ大人への階段を登ったのだった....なーんちゃって、なんである。

中学高校で受験勉強の深夜放送でハマった文化放送セイヤング、谷村新司の「アリス」。彼らのデビューシングル「愛の光」があった。ミシェルポルナレフの「愛の休日」、アルバートハモンドの「カリフォルニアの青い空」とかも。当時はやたら「愛のナニガシ〜」が流行っていたらしい。ベタな昭和なタイトルなんである。洋楽ショートホープのシングル盤は異色のレコード。東京で学生だった20歳の頃、新宿のバンド演奏付きのイギリス系パブレストランでバイトしていた。ここに出演していたのがショートホープというイギリス系バンド。演奏が終わるとカウンターに来て陽気にビールを飲むのが連中のセオリーだった。筆者は1年目は厨房で皿洗いとステーキを焼き、2年目はホールに出てウェイターをし、時折ここでバーテンダーもしていたのだった。英会話しながらつい気前よく「店からの奢りだぜ」と言ってビールを振る舞ったのだった。連中は満面の笑みで「ワオ、サンキュー」を連発して「若い小僧なのにオメエは良い奴だな」と筆者に言いながら、美味そうに生ビールを喉に流し込んでいた。筆者その日の閉店後(終電間際に)、店長に呼ばれてこっぴどく叱られたのだった。陽気な彼らが日本でレコードを出していると知って購入したのがあった。当時なぜショートホープというバンド名にしたのかを尋ねたのだった。筆者もショートホープを吸っていた頃だったから。彼ら曰く「日本に来て一番美味いタバコがショートホープだったんよ。しかも「短い希望」というネーミングが最高に面白かったからだぜ。日本人はクレイジーな英語を作るぜ」と爆笑しながらバンド名の由来を語ってくれた。確かに外国人からすれば「ロングホープの短いバージョン」ではなく「短い希望」と直訳するのも無理はない。

彼らがイギリスへ帰国後(?)、程なくしてバンド解散したらしいと風の便りに聞いた。まさに「短い希望」だったわけであった。(ここまでのクダリ、大昔このブログで書いたように思う)

これらシングル盤レコードはそんな想いが詰まっていて、シングル盤十数枚はほとんど手元に保存することになった。もっとも聴きたくても、十数年前にレコードプレーヤーも不用品回収に出して、レコードを聴く術もなくなってしまっているわけだが、それでもやはり手放せないものは貴重な想い出と共に手元に置いておきたいものである。

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