2011年10月4日火曜日

「サスケ」

昨日に引き続きTVネタで申し訳なし。
TBSの人気番組「サスケ」を仕事しながら久しぶりに観た。おかげで1時間で終わる仕事が3時間かかってしまった。
サスケのヒーロー「世界中で一番有名な漁師」長野誠さんを見ていたら、むっくり昔の記憶が頭をもたげてきちゃったからもう止まらないわけで。

5年ほど前、筆者は千駄ヶ谷のとある店舗設計施工のS社に勤務していた。ヴィトンやシャネルなどのスーパーブランドの店舗を請け負う大変優秀な会社である。ある日飲食店舗設計のエキスパートとして筆者の出番となったんである。

宮崎県のある漁業会社からオファーがあった。鹿児島のビル一棟まるごと飲食店舗とビジネスホテルに新装したいとの依頼。
自分にとってもこれほど大きな仕事は初めて。1フロア700平米×7フロアのチーフデザイナー兼、2階の和食店舗の設計者として参画。
朝6時まで自宅へ持ち帰ったプレゼンの仕事をし、そのまま羽田へ直行、昼前に鹿児島入り、午後からクライアントへのプレゼン、打合は深夜にまで及び、お客さんのベンツ(※Ishizakiさん所有。お客さんはみな自分のクルマに名前をつけていて、そのベンツはジェニファーという名だった)でホテルへ送ってもらい、荷物をベッドに放り投げるやいなや、そのままきびすを返し、S社企画室の若きホープT君と夜の鹿児島へ飲みに繰り出し、ホテルへ戻ったのはAM3:00、翌朝リムジンに飛び乗り、飛行機にもギリで飛び乗り羽田へ、午後からは東京の会社で夜まで図面を描き、帰宅はメーターを気にしながら深夜タクシー....。これはピークの時の想い出だけれど、実際こんなのが半年以上続いたのである。週イチでの鹿児島出張だった。
しかし面白かった。
クライアントの宮崎のTakasu社長が年下ではあったけれども、メチャクチャ素晴らしい人物であった。少年のような遊び心と芯がブレない経営者としての資質を兼ね備え、一刀両断で歯に衣着せぬ物言いと、非常に細やかな気配りと思いやりも持った傑出した人であった。打ち合わせの席上で社長と筆者のダジャレ合戦で打合にならず、仕事そっちのけで爆笑2時間の会議をやったりとか。筆者の「もう一度逢いたい人ベスト3」にランクインする人物である。

ある日の鹿児島出張打合。
打合が終わったのは確か夕方。そのまま日帰りで東京へ帰る予定だった。台風が来ていたように思う。21時ころ空港へ行ってみたら我々の便から欠航。メンバー一同5,6名は市内へ戻り雨が降りそぼる鹿児島の街を、ホテル探しに奔走。「コンコンコン、部屋ありますか?」うなだれてズブ濡れで舗道へ戻ること数回。T君が決断。「メシ喰ってから、Takasu社長に電話して泊めてもらいましょう!」

現場へ戻る。T社長以下、深夜急遽招集されたIshizakiさんはじめ数名のスタッフとともにみんな、柔和な笑顔で迎えてくれた。
「なんば、やっとうね。最初からここへ泊っちょけばヨカね」(九州弁が正確かどうかは定かではない)
またまた現場で酒盛り、深夜まで。
そうこうしてるうちに社長の携帯に連絡が入る。こんぴら丸の船長「長野誠」さんがここへ来るらしい。すでにサスケで有名人になっていた彼。ほどなく漁船組員数名とやって来た。実際に見る長野さんはやはりイイ男だった。社長がふざけて筆者の似顔絵を描いたのがプロはだしの出来映えで、これを見た長野さん、「すげえ〜Teshimaさんにそっくり、似てますね!」と笑う顔にこぼれた白い歯。非常に謙虚で誠実な印象だった。
社長から聞かされた「長野誠武勇伝」はここでは書けない。放送コードにひっかかる話が多いから(^^)コンプライアンス的に控えよう。
ただひとつ、これだけ。
その当時、長野さんはその肉体の実績と持ち前のキャラと甘いマスクで、東京へ来て「マッスルミュージアム」に入らないかとスカウトされたのだそうだ。
彼は悩んだ。ガキの頃から可愛がってもらっていたT社長に相談した。
「おまえは宮崎を全部捨てて東京に行ってごらん。タレントに転身したら絶対失敗するから。今の「漁師」という肩書きがあるからそのギャップがいいんだよ。それを忘れるな」
今日のTVを観ていたら、いまだに「漁師」をやってるみたいだ。
なんだかホッとした。
こうして「世界で一番有名で最強の漁師」が今もなお、中年の星として幸せな暮らしをしているんである。(奥さんキレイだったなあ)

鹿児島でのエピソードを語ったら枚挙にいとまがない。
100個くらいあるだろうか。でもやっぱり、このブログで書けるのはその10%くらいなんである。気が向いたらまた書きたいと思う(^^)
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