2015年6月14日日曜日

20年前の涙の味は

「テッシー。スコア俺やろうか?」

いよいよ決勝戦に臨む前にベンチへと急ぐ私に向かって、顧問のKanedaさんから声をかけられた。スコアラーをやれば決勝ブログの写真が撮れないだろうから、気を遣っていただいたのだった。
「いや、大丈夫です。むしろ、やりたいんで」
にっかりと笑ってグランドに一礼しベンチに腰を下ろした。
素晴らしい天気だった。第35回高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会神奈川県大会の決勝がいよいよ始まる。ふっと、抜けるような青空を見上げていると。
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「カキーーーーン」
低めのインコースをすくいあげるようなスィングで叩き返すと、白球は高々と舞い上がり大師球場のレフトフェンスを越え、その向こうで大きくバウンドした。1塁側応援スタンドは耳をつんざくほどの絶叫の嵐。7番Junnosukeがこの日3番Tatsuyaとともにアベックホームランを放ったのだった。
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決勝は白熱の大接戦だった。回も押し迫ったフレンズの守備。2アウト走者3塁。ライト線に大きなファウルフライが飛ぶ。ライトJunnosukeはファウルグランドで必至に追いつき、左手のグラブを余裕で差し出した。誰もがチェンジと思ったその時、彼はグラブを引っ込めてボールに触れずに敢えてファウルにした。唖然とするベンチ。アウトカウントを1アウトと間違え、タッチアップされて相手チームに得点されることが頭によぎったらしい。魔が差すとはこのことだ。

全学童全国大会まであと1勝の神奈川決勝戦はシーソーゲームの同点のまま7回を終え、そのまま特別延長に入る。試合は9回までもつれ込んだ。その結果....。
藤沢のチームに涙涙の惜敗。全国の水戸への切符は目の前でちぎれて消えて、準優勝で終わったのだった。
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2015年の話ではない。約20年近く前の遠い昔の記憶。Junnosukeとは私の息子で、5年生の冬にフレンズへ入部、ほぼ1年しか在籍していなかったことになる。何年もやってきた他の選手に比べれば決して野球がうまいほうではなかったけれど、この年の記憶は親子ともども今でも鮮烈である。当時のチームメイトには現フレンズコーチとなったShinyaがいる。監督は現代表のYanagisawaさん。「子どもたちはよく頑張った。あの決勝は俺の采配ミスで負けた」と今でも語り草である。
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ベンチで空を見ていたらそんな記憶が瞬時に脳裏に浮かんだのだった。

今日はあの日の悔しい思いをした自分自身へのリベンジなのだ。苦い記憶を払拭せんがため、あの日まだ30代だった俺に向けてのリベンジである。
絶対勝って全国行くぞ。人知れずベンチで念じたのだった。応援席やカメラを構えているよりも、グランドの土の匂いのする現場で、その瞬間を迎えたかったから敢えてスコアラーを決勝に志願したのだった。

「テメエの感慨なんかどうでもええわい。序章が長過ぎる!いい加減今年の決勝はどーなんだ?おい」と、お怒りの貴兄、お待たせなんである。ここからは「晴耕雨読」的文体「...なんである体」に戻り「私」ではなく「筆者」になってさらりと行くんである。もちろん写真はない。

先のブログでも推察出来るように先発はエースではなくKyouh。規定により5回までは投げられる。体の線は細いが制球力が持ち味の選手だ。決勝の相手は座間フェニックス。19年ぶりに不死鳥のごとく蘇りたいのは筆者のほうだ。座間Fの先発はImaiくんだ。
初回Kyohの真価が発揮され全て内野ゴロに打ち取り三者で切ってとる。
その裏有馬Fは主将でエースのRuiが峻烈なセンターオーバーのヒットで出るとすかさずスチール、2番Shohgoが送りバント、Yuiのセカンドゴロの間に1点先制。長距離打線がとかく目立ちがちだが、地味に手堅く行く時は行くんである。幸先よいスタートだった。

二番手である普段大人しいKyohは素晴らしい出来だった。飄々と投げているように見えて実はその心の内側はどうだったのだろう。決勝先発の重責はもちろんあったはずだ。しかし、3回まで相手打線を三者凡退、最少9人で4回を迎えるナイスピッチなんであった。

2回裏有馬Fは相手失策から犠打、2本の内野安打、右中間のクリーンタイムリーヒット、犠牲フライなどで3点加点す。4:0。

4回表にKyohが捕まった。二死まで難なく打者を打ち取ったが、座間Fのクリーンナップの3連続安打で1失点。4:1。今の有馬Fなら全く問題ない数字である。

その裏にはShohgoが大舞台でめざましい成長を証明するようにセンターオーバーの適時打で1点加点。5:1。

終盤の6回二死後有馬Fは2塁に走者を置き、打席に立つは3番Yui。
筆者はココロの中でつぶやいた「ダメ押し、行っちゃうてか?」
ワンスリーからの4球目を叩いたバットが火を噴いた。筆者の眼にはその瞬間確かに炎がみえたんである。思わずスコアラー用のテーブルを蹴飛ばし身を乗り出しライト方向へ眼をやった。
白球は猛烈な球速でライトスタンドへ叩き込まれた。勝利に花を添える弾丸ライナー的ツーランホームランであった。

最終回、勝利の瞬間、自分が何を叫んだかは覚えていない。真っ先に監督Satohと握手しハグし、ベンチスタッフと固い握手をしたのは覚えている。
ドラえもんに頼んで天からカメラを手に入れる。整列を横から撮った瞬間筆者は熱いものが胸を駆け上がり、否応無く瞼の奥からほとばしる。
ファインダーから肉眼に切り替えると、そこでは監督Satohも号泣していたのだった。
20年前には苦い涙を飲んだが、あの時の涙の味とは全く違う味がした。

ここからはスコアラーの鎧を脱ぎ捨て、硝煙立ちのぼる現場での戦場カメラマンが勇躍するんである。
あとは写真でご想像されたし。特筆はMVPに選出されたYui。決勝に至るまでの4試合連続ホームランを記録したのだから当然の帰結。のちに発刊された東京中日では「神奈川随一のスラッガー」と称賛された。因に筆者独自に調査したところによれば、県大会全5戦中、フレンズの得点は48。1試合平均9.6点。対する相手チームの累計は10点。1試合平均2失点なんである。驚異的な数字と自分でも驚いた。打に対して守も堅いところが優勝の勝因のひとつであることは間違いない。

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※この少年野球「晴耕雨読」BLOGは筆者独自の心の「内規」に基づいて記述している。相手チームや子どもを揶揄したり傷つけることのないように注意を払いながらキーボードに向かっている。しかして筆者も気がつかぬまま相手チームにとっては不愉快な思いを、もし、されているとしたら申し訳なし。そうならぬよう心していることはご理解いただきたい。
※更に決勝戦では大人の応援席からあまりにも熱い思いから、興奮のあまりつい少年野球らしからぬ声援があった。さほど常軌を逸したとまでは言えないものの、はやり相手チームや打席に立った子どもの心情を鑑みると少年野球には違和感を感じるものだった。ご指摘された匿名さんに感謝しつつ、これを真摯に受け止め、全国の神宮の舞台では更なる熱い応援を、母ダンスを交えて楽しく、かつ襟を正して敢行したい。
神奈川代表になったのは子どもだけではなく、我々指導陣・父母たちも神奈川代表なのだから。
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5 件のコメント:

  1. 皆さんの笑顔がとても素敵です。感動が伝わってきます(˘ᴗ˘ )

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  2. 匿名さん コメントありがとうございます。

    全国行ってもいい結果が報告出来るよう頑張ります。
    今から祝勝会です(^-^)

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  3. 応援行きます。祝勝会��楽しんで下さい!

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  4. 匿名さん

    翌朝これを書いてます。ちょっと二日酔いです...。

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  5. 幸せな二日酔いはOK〜!
    今日はゆっくり寝てください��

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