いよいよ準備が整った。会式の3時間半前から準備に入った連盟実行委員とQueensのスタッフ。ここに至るまで綿密な計画と準備を経て来たのだが、あーでもない、こーでもないの末になんとかベストの会場設営が完了。
どういう方向に筆が進むか筆者にもわからないけれど、今回のこのブログは時にしんみりと、時に不謹慎とも言える表現になる予感。野球で言えば「緩急をつけたピッチング」と言えようか。生前の笠原さんは湿っぽいのが大嫌いだったとの意向を汲み、Sohma会長はなるべく明るくやろうとのコンセプトを打ち出したことにも起因している。文中不謹慎な色が浮かんだ時はゴメンナサイなんである。(※公人は実名で表記)
Uchimura副会長、読売巨人軍からは鈴木部長のご挨拶。ジャイアンツジュニアの監督河埜さんもみえた。おごそかに献杯となる。
司会の白羽の矢が立ったのはQの母、Imanishiさん。補佐でYamaguchiマネージャーが脇を固める。連盟主催ではあるがQueensの存在なくして笠原さんは語れまい。Q現役親、コーチはおろかOG親総出で会を支えたんである。
弔問外交という言葉をご存知だろう。故人を偲びつつも酒を酌み交わすうちに、やがて活発な歓談となるわけで。あちこちでしめやかな空気感から一転、笑顔が見えるようになる。各テーブルを回ってみた。9テーブルあったが結果的に130名の予定を大幅に上回りおそらく250名くらいに上ったであろうか。ある程度それを見越して当初の着席から立食にしたのは大正解であった。
フレンズ監督Satohもそうだが、筆者も周りの多くの方達から「フレンズさんおめでとうございます!」と笑顔で挨拶された。嬉しいことこのうえない。宮前から全国へ。この思いを背負って行くのは重責だが、逆に皆さんの純粋な気持ちをバネに神宮へ乗り込もうと思った。県大会での戦いぶりを笠原さんに観てもらいたかった。存命ならばどんな言葉をかけてくれたのだろうか。
場違いではあるけれど、みなさん、本当にありがとう(^-^)
ほどなくして毎年Queens6年生を送る会ではお馴染みサンダースTsudaさん制作のスライドショー。
筆者と写真をシェアしてお互い別々に制作したんであったが、やはり写真選択のコンセプトは同じであった。ここの写真では割愛するが、あちこちからQueens母たちの静かな落涙の音が聞こえてくる。幾人もが目頭を押さえていた。
青空駐車場ならぬ、青空喫煙場では連合監督名将Matsuiさんの元へ、かつての連合OBの子たちが挨拶に。なかなか良い画である。
Qも主将Himariの時代のOGの子らや初代主将など中高大の生徒学生が大勢詰めかけた。さながら同窓会である。中学制服になるとなんか別人のようだ。娘を嫁にやったオヤジのような気分なんである。Himariはばりんばりんの京急ユニフォームで相変わらず女子野球まっしぐら、元気そうだった(^-^)親友Misakiとダンスまで踊ってみたり。
宴もたけなわと言っては不謹慎だが、途中から川崎市長福田さんも参式。スピーチの内容を聞いて笠原さんの人となりを改めて「凄い」と思ったものだった。巨人軍とのパイプしかり、笠原さんの人脈の広さと深さは到底凡人が真似出来るレベルではない。
弔辞。
笠原さんとは縁の深かった連盟副会長でもあるMatsuiさんから。
Qの柱であった氏が亡くなって以来、監督Koshimizuさんは練習の土日になると体調を崩していたのだった。こみ上げる感情を必死に抑えるかのように訥々と語るKoshimizuさん。どうしても信じられない、いまだに信じたくない。それは自分も含めて多くのQueens関係者、特に母たちの共通の想いである。この人ほど人望の厚さがあった人はいないのではないか。
それは妙な言い方をすれば、嫉妬にも似た感情さえ芽生えるほどだった。どうしてこの男は女性のみならず男までも魅了するオーラを持っているのだろうかと。
母代表のTaniさんの弔辞は涙で声も途切れがち、多くの母たちの共感を得たに違いない。
「Queensはファミリーだから」というのが笠原さんの口癖だった。
その思いに応えるように、現役選手とOGたちが参列し主将Miiが子どもらしい文調でお別れの挨拶。写真立ての奥できっと氏もにやにやしながら「ミーッ!ちゃんと読めよー」と言っていた気がする。
ファインダーの向こうにOGのMisakiがいる。二人の父を同時に喪ったような彼女のその悲しみに思いを馳せると、胸が締めつけられ言葉を失うのだった。
最後の挨拶である。閉会の辞は連盟副会長、やはり全国で百戦錬磨の名将Ogasawaraさん。その前に遺族として出席していたDaikiが父への想いを語る。彼はQueensのコーチでもある。Qの子たちにはお兄ちゃん的存在だ。20代半ばの彼は若くして父を喪った悲しみはいかほどだろうか。私のオヤジは自分が22歳の時に他界したのだが、あまりに自分が若すぎて実感が伴わないことを想いだした。
会長Sohmaさんもいつもの流暢な張った声ではなく、何かに戸惑っているような口調だった。
下の写真。
Daikiの右上のもの。彼の後ろの遺影のオヤジが例の甲高い声で「おいっ、Daiki。おまえの背中でテッシーのカメラに俺が写らねえじゃんか」と言って首をかしげてこっちを見てるような気がした。
最後に献花。
粛々と哀悼の意を込めて。
少しずつ皆の想いが白い布の上に降り積もる。
笠原さん。
歯に衣着せぬ物言いで大声で激高することもあれば、
優しく小さい子に気遣う心も持合わせ、
時に赤裸々な下ネタを言い合ったり、
スタッフの失策をおくびにも見せず自分のミスと公言し、
俺はこんな性格だから敵も多いんだよとぼそりと漏らし、
女性には優しく、そして厳しく、
男には楽しく、そして厳しく、
人と真摯に向き合い理路整然と論破することもあれば、
わがままな幼稚園児のようにだだをこね....。
人を引き寄せ、人を巻込み、人を振り回し、人に囲まれて、
そして人の中心にいつもいた、人だった。
不思議な魅力を持ったそんなあなたが、
俺たち皆大好きだった。
合掌。さようなら。
あの世に行ったらまた一緒にみんなで酒を呑もうぜ。
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真心の偲ぶ会でしたね。
返信削除笠原さんが逝ってから、あんなにたくさん泣いたのに…まだ涙が止まりません。
テッシーさん、お疲れ様でした。
匿名さん コメントありがとうございます。
返信削除これでもまだ彼のことは言い足りないんです。
魅力的な男でしたね。
はい!
削除私たちのチームもとてもお世話になりました。
感謝しています。
本当に語り尽くせません…
( ˙-˙°)·๐
テッシーさん、遺影の写真、笠原さんらしいでしょ?
返信削除葬儀を担当してくれた、私の先輩が作ってくれました。
仕事の前だったのに…号泣してしまいました。
テッシーさん、お疲れ様でした。
返信削除笠原さんが、多くの人から愛され、人望があったことを
再確認しました。 私自身も笠原さんの死を受け入れるのには時間がかかりそうです。
生前、笠原さんより、『晴耕雨読』を読んでとすすめられていました。
訃報を聞いた時、在りし日の笠原さんの勇姿を『晴耕雨読』より拝見させて頂きました。
これからも、楽しみに読ませていただきます。
匿名さん コメントありがとうございます。
返信削除生前の笠原さんを表現する言葉はたくさんありすぎて、
かと言って多く並べたら焦点がぼやけてしまうし、
ブログでうまくまだ書けてない気がします。
「晴耕雨読」ご愛読ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します(^-^)/