今日、日曜は図らずも義兄の葬儀で山形へ。仕事の関係で日帰りの強行軍。帰りの新幹線でブログアップと思いきや、中学同級のグループLINEに投稿しているうちに、チョー爆睡し初志貫徹ならず。今、帰宅してから書いている次第。
往路の福島までは車内は蒸し暑いくらいで全く雪がなかったけれど、福島米沢間では景色は一変、白と青の白銀世界。
昼食後山形駅前からタクシーに乗り込む。セレモニーホールの名を運転手に告げる。発車後ほどなくして70代と思しき運転手さんがおもむろに言った。
「お客さん、大変失礼ですけど、故人とはどのようなご関係で」
親族であることを告げた。聞けばその方は、義兄のゴルフ仲間だったのだそうだ。タクシーの仕事で葬儀には行けないとのこと。斎場に着くまでずっと義兄の思い出話を語ってくれたのだった。心筋梗塞の突然死だったので、義兄と同年代の運転手さんに降車間際に言った。
「運転手さんも、どうぞお体には気をつけて。お世話様でした、ありがとうございます」
たいそう立派な葬儀だった。詳細は省くけれど、昔義兄がいた会社社長が弔辞を読み上げる。その社長は実に筆者の中学の同窓生S君だった。(同級生ではない)驚きであった。
このところ筆者の周囲では友人知人の訃報が相次ぐ。中学同級生グループLINEではほぼ同時期に3名の訃報。往路の新幹線車中では、宮前少年野球連盟会長のご尊父が逝去、その訃報メールに接する。更に義兄の亡くなる二日前は義兄の実の兄が亡くなっている。義兄方の身内にとっては三日間で兄弟二人が鬼籍に入ったわけで、その衝撃度は想像を絶するものであろう。
とりもなおさず、それは、自分もそういう年代に突入したことを意味するのであった。
行きの新幹線ではそれと相前後してQueensSatoko母会長からLINE。女子選手募集チラシの画像が来た。筆者なりのアドバイスをリプライ。春季開幕ではQの募集チラシをどーぞご覧あれ、野球にちょっとでも興味のある少女諸君、ぜひQueensへ来ていただきたいとの思いを新たにするわけで。
.....
さてここからは一転し、いつもの「晴耕雨読」調で。
トンボ帰りとは言え、中学同級生LINEには内緒でサプライズを謀略、葬儀後、復路の車中の人となる前の僅かな時間に同級生の経営する洋菓子店へ寄ったんである。昔懐かしバタークリームケーキを目当てに。店主は昨年の同窓会幹事を務めた「じ君」である。中学生当時、名前がコージ君だったのであだ名が略して「じ君」なんである。イケメンでバスケットの花形選手だった。サッカー部で攻撃的ミッドフィールダーをやっていた筆者とは、女子にモテる男子の双璧であった。(ハイ、ごめんなさい、見栄を張ってしまいました)
雪道にタクシーを待たせて店内を覗くと、びっくりした彼のキョトン顔が見えた。その後破顔一笑、握手して旧交を温めたのだった。モデル級の美人妻がいるのは噂に聞いていたが、その奥さんに写真を撮ってもらった。モデル級どころかスーパーモデル級の可愛い奥様であった。
山形は思いのほか雪は多くなかったけれど、大通りから一本道を入るとまだまだ雪道の住宅街があった。雪の山形帰郷は何十年ぶりだろうか。
笹かまをツマミに復路の新幹線で缶ビールを、ぷしゅり、かしゃり。窓外ではモノトーンの雪景色が、私のココロの中をびゅんびゅん通り過ぎて行く。
ふと目覚めると福島郡山だった。駅名表示を見てニンマリ。
「こおりゃま」
「や」が微妙に小さい「ゃ」になっちゃっているではないか。
瞬時に思い浮かんだ。
「こおりゃまあ、どーしたことか、郡山」
ダジャレの宝庫、「晴耕雨読」ブログなんであった。
再び泥のように、或いはボロ雑巾のようにシートに沈み込み惰眠を貪る。
やっと渋谷まで帰った。駅前は日曜夜とあっていつもより静かで穏やかなシブヤだった。
10代、20代の頃、山形へ帰郷した時は「ああ、田舎へ帰って来た」という感慨があったものだが、今はむしろこの渋谷の夜景を見て「ああ、東京へ帰って来た」という思いになっちゃう。それだけ郷里で過ごした18年の時間よりも、こちらで生きてることの時間の蓄積が圧倒的に大きいからだろう。
でもまたいつか、「ただいま〜山形」と言って郷里へ帰りたい。
なぜならそこには「お帰り〜、山形へ」と、言ってくれる中学の友人たちがいるからだ。
明日からまた仕事の激務が待っている。この1週間、連休明けまでがピークで勝負どころなんである。
もう寝なきゃ。
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