この写真は以前にもここに掲載したんであるが、今回の連盟創立30th記念誌の表紙用に撮ったものである。各チームからヘルメと帽子を持参してもらい、衆人環視の中で委員会メンバーと審判Tanakaさんなどと、炎天下フラフラになりながら撮ったものだった。右打席(写真では左側のそれ)の 四角を30になぞらえて白線をアレンジするアイディアは、前日か前々日の夜に「天から降りて」来たんであった。20th記念誌の表紙とデザインが似ているんじゃね?...と訝(いぶか)しがる向きもあろうか。いいんですか、いいんです。なぜなら20th表紙も筆者がデザインし、データ制作も行ったわけで、著作権者は同一人物であるからして。因みに所有権は連盟に帰属する。20thでマウンドを囲ったヘルメットは今回はホームベースに参集してもらったわけだ。20周年から10年後の30周年へ同じ空気感のデザインで意味性を持たせようと思った。もちろんそんなことは誰も気が付かないだろうけれど、それでも構わないんである。更にホームベースの下の「夢・未来・宮前」のロゴも筆者が10年前にデザインしたもので、 表紙ではこの矢印から垂線を上に伸ばすとホームベースの真ん中と結ばれる構図になっている。このカットはTanakaさんの力技で奇跡的に1枚だけ成功した写真であった。
編集後記にも書いたが筆者はインテリアデザインが専門で、グラフィックはプロではないけれど、同じクリエイターという意味では多方面に幅広く出来ることがある。20歳の時にインテリアに行くかグラフィックに進むか悩んだことを想い出す。ロックグラスを見て俺ならこんな風に作るけどなあとか、ネクタイを見て俺ならこんなデザインが良いなあとか、とか。ただ筆者のように建築系デザインの住人がグラフィックの世界にも足を踏み入れるのはかなり珍しいはず。イラストやロゴデザインも過去には仕事としてやったこともあるが本職ではない。少年野球関連で記念誌を作ったのはこれで5冊目。連盟20thの時は当時「鬼編集長」の副事務局、プロのNishimuraさんが仕切って素晴らしい冊子を作った。この時筆者は氏に頼まれて表紙やイラストマップやポエムなどのページを数ページデザインし作ったけれど、今回はあの時の苦労の1億倍もの精神的肉体的労苦を要することになった。当時は自分担当のページにだけ責務があったけれど、今回は冊子全ての責任は編集長としての筆者にある。筆者は煉獄さんのように「柱の責務を全うするだけ」なんである。委員会メンバーで血の滲むような推敲と校正を繰り返したけれど、それでもまだ齟齬(そご)、誤字脱字があるかもしれない。その場合は筆者の責任だ。委員会での校正の一部を書けば、例えばTsunodaさんからREDとPOWERSの間に半角スペースを入れるべきかどーかなど検証があり全てのチーム名表記を見直したり、30年間の大会名を全て洗い直し、正式名に統一する作業に時間がかかったり、とかとか、目に見えない校正の労苦が全ページに潜んでいる。また、各チームの紹介ページでは写真のグレードに差があり個別に連絡をとって再提出を求めたりもした。特定のチームだけ質が落ちると冊子全体のバランスが悪いこともあるけれど、そのチームだけが可哀想だからという親心もあったのは否めない。
いけない、長くなっちゃう。これまで関わった少年野球記念誌冊子5冊が手元にある。今回も大いに参考にしたわけで。フレンズ30th、40th、Queens10th、それに連盟20thと今回の30thである。連盟20th記念誌は世界中で一番ページを繰った男としてギネスブックに載っても良いほど、手垢と風化で黄ばんでボロボロである。
12/11に全チームへ配付なので全部はお見せできないけれど、ラフデザインスケッチを数ページだけ。全ページに渡ってこれを作って送付した。写真とテキストデータを渡しこれに基づきDプラス社がデータを作成し、それを委員会で校正を重ね、またCB(チェックバック)し修正の連続である。
そんなやり取りを何度か重ねて最終形にブラッシュアップ。筆者にとってこのキャッチボールの多さが想定外だった。一発で行かずに後から後から修正すべき箇所が出てきたのには閉口しちゃうわけで実に参った。これはD社も同じ思いだったに違いない。筆者が同じ立場ならソコソコ憤慨してたと思うのであった。D社は文句ひとつ言わず最後まで付き合ってくれたのだけれど。最終形のページデータを3枚ほどアップ。あとは12/11以降をお楽しみにしてくだされまし。
最後の編集後記は筆者が書いて、かつデータ制作も自身でやった。そのページに載せたメンバー写真。連盟役員などの四角張った写真ではなく、ざっくばらんなラフな絵柄にしたかったので、撮る前に「みな笑ってよ、ポーズもバラバラで良いし。砕けた感じの和やかな写真にしたいから」と言った。そしたらメンバーのUekiさんが「じゃあ、帽子取って写った方がいいかな」と進言したのですかさず筆者も返した「いいよ、いいよ。ただ俺は帽子取っちゃうと別人28号になるから取らないけどね〜」...(爆)
30th記念誌委員会の苦労を共にした精鋭メンバーである。左端手前のadidasオヤジが筆者、挿入写真右端下は連盟事務局福岡支局長兼、記念誌委員会福岡特別編集委員の「前編集長」のNishimuraさん。リモートで要所要所で助けてもらったんである。中央手前のNishihara委員長は筆者より1個年下なんであるが、なんだか孫と縁側で日向ぼっこする70歳の好々爺みたいである。巷間「校正の鬼」と言われた片鱗は微塵もないけれど、委員会では本領発揮しかなり尽力してもらった。
最後に裏表紙のオリジナル写真。ホームから立って望遠でマウンドのボールを数十枚取ったけれど、なんかしっくり来ない。バックの緑とのボケ感を醸して立体的に撮りたくて、ホームに腹這いになってマウンドの白球にフォーカスした。なかなかの自画自賛的カットが撮れたのだった。活字が苦手で「記念誌なんて興味ねえや」なんて人も多くいることは既に承知である。どーぞ、そうではない方は手にとってじっくりと見てほしい。宮前少年野球の30年間をギュッと凝縮した記念誌になっている。
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記念誌拝見しました!大作ですね!大切に大切にします!
返信削除匿名さん
返信削除コメントありがとうございます。
まだまだ細かい点であーすれば良かった、こーすりゃ良かったと、
ページを捲るたびに思うことはたくさんあります。
自分的には完璧ではないですが、それに近いものができたかなとは、思います。
それにしても疲れた(^-^)