「あのお、すみません」
道端で突然小学生に声をかけられたのだった。
.....
私はほぼルーティンとなった午後の公園への散歩を終えて帰路に着く途中だった。公園では今の仕事をどう、効率良く仕上げていけるかを頭で検分することでいっぱいで、時には何もリフレッシュにならないこともある。それでも新鮮な空気を胸に30分ほど公園のベンチに佇むのは悪くない。ちょうど西有馬小の下校時間帯で、あちこちの路上で子どもたちが賑やかに帰宅していたのだった。いつもの光景だ。有馬神明社から自宅へ向かう路上で、向こうに楽しげな親子が目に留まった。2,3歳頃の女の子と若い母親だった。内容は何か分からないけれど、立ち止まってとても楽しげに会話している。そこと私との間を歩いていた、小学生低学年らしきの男の子二人がやってきた。真っ直ぐ私に向かって声をかけてきたのだった。
「あのお、すみません」
「ん、どーしたの?」
ちょっと驚いた。多分今何時ですか?的な問いかけかと思った。過去にも何度かそんな体験をしているからだった。しかしこの世の中、物騒なご時世で子どもが他人の大人に声をかけるのは躊躇われることかと思う。善良な大人ばかりではないもの。ところが真面目な顔をした二人のうちの一人の男子が、おもむろにビニール袋から何やら一枚の紙と折り紙を取り出しながら言った。
「あの、僕たち、この街を笑顔でいっぱいにしたくて、これを差し上げますんで、良かったら挨拶してもらえませんか?」
...ん?最初は何を言ってるのか理解できなかった。
「え、どーゆーことかな」
見ると表情が固いではないか。知らないおじさんに声をかけるだけでも小さい子には大冒険なはずだ。ましてや筆者はキャップを目深に被りマスクをし、サングラスを帽子の上に乗せていたわけで、たじろぐかもしれないじゃないか。そう思った私は咄嗟に帽子の鍔(つば)をあげて笑顔を見せてみた。素顔を見せて警戒心を解こうとマスクも取ろうと思ったけれど、無精髭がボーボーだったのでこれでは却って不信感を抱かせるかと思いそれはやめた。
すると少年たちはちょっと表情が緩んで、同じことを繰り返し話しかけてきたのだった。鉛筆で何やら言葉を書いた色画用紙と見事な折り紙を差し出してきた。私の目の端では先の若い母親が、こちらをチラチラみているのを感じた。なんとなく合点がいって腑に落ちた。おそらく学校の課外授業か何か、地域の人たちとコミュニケーションをとるタスクみたいなことがあって、彼らが考案したかどうかは分からないけれど、そんな感じだろうかと理解した。その子はもう一度同じことを訴えた。
「この街を笑顔でいっぱいにしたくて、これを差し上げますんで、良かったら挨拶してもらえませんか?」
「うん、わかった。ボクたちに挨拶すればいいのかな?それともボクたち以外の他の街の人たちにも挨拶すれば良いかね」
少し逡巡したのちその子が言った。
「あ、はい、そんな感じです」
「分かった。こんにちは、ありがとう。これもらって良いのかい?」
「あ、はい、どーぞ」
これを受け取って、立ち去ろうとした子たちがどーにも愛おしくて言った。
「偉いねえ君たち。頑張ってな。そうそう、おじさんの子どもは二人いて、もう40歳近くなるけど、君たちと同じ西有馬小出身だよ」
二人とも同時に言った。
「おお、すげ〜」
思わず三人で笑ったのだった。何が「すげ〜」のか分からないが、可笑しくなって笑った。彼が手にしたビニール袋は空っぽになり、おそらく下校途中で出会った何人かの大人に、同じ手紙と折り紙を渡していたのだろうと想像した。
もう一度「ありがとうね」と言って彼らと別れた。10メートルほど先にいた若い母娘は相変わらず笑顔で何か話していたけれど、お母さんの視線が相変わらず私にチラチラ向けられてきているのを感じていた。個人的想像だけれど、彼女もまた私よりも先に、あの男子から同じ提案を受けて折り紙をもらい笑顔になっていたのではないか。私は彼女と目線を合わすことはできなかったが、何か頬が緩み、今私もあなたと同じ、ほっこりした気分ですよと伝えたくて、笑顔で通り過ぎたのだった。通り過ぎた後で自分にツッコミを入れた。「なんでそこでお母さんに声に出してコンニチハと挨拶しなかったんだよ」と。
嬉しいやら自責の念やら、でもほっこりした春の穏やかな午後だった。世の中捨てたものではないと、こんな子どもたちに私は逆に感謝したい気持ちでいっぱいだった。
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