宮少連的には連合再結成の市長杯と新人戦に向けて、今はちょっと小休止である。Queensでは選手用の新しいTシャツを作り配布も済んだが、続いて大人用応援Tシャツのデザインを終えて、ただいま全世界に向けて絶賛応募中なんでる。いずれここでも披露したいと思う。Qの母がデザインして普通のTシャツと違ってべースボールTを選択した。
さてそんな中今回は筆者の個人的東北紀行を。兄弟(姉)は6名いるが、長兄は故人となり、姉は施設に入っているので、4名と兄の奥さん一人の5名での、山形・青森の旅に出かけたんである。長兄が亡くなったのは2020年12月のコロナ真っ盛りだった。コロナゆえの東京での少人数での葬儀をおえて、山形の墓地へ納骨。その墓参であった。青森の温泉まで足を伸ばしたのは、全員高齢ゆえいつまた集まれるかわからないから、動ける今のうちに行こうと言う次兄の提案によるものだった。ちなみに次兄は82歳、それ以外は70代で、筆者だけが60代。幸い誰も腰が曲がっている者はいない。
集合場所は山形の墓地にて。新潟から、マレーシア帰りの栃木から、フランスパリから、そして神奈川の筆者である。行きの新幹線では東京駅で購入した昼メシ「崎陽軒のシウマイ」弁当。シウマイもさることながら、あの筍の煮付けが大好きである。白飯がバクバク進んじゃう。インスタにも書いたけれど、インスタビギナーなので食す前に写真を撮る習慣がない。食べた後フタをして撮った次第である。食べた後の空の容器は絶対アップしてはいけない。他人は見るとゲンナリするから、食べる前に撮るのが鉄則だ。
墓参を終えて一行は蔵王温泉の宿へ。何度も来ているがいつ来ても硫黄の匂いが強烈なんである。湯の温度もかなり高い。子供が小さい頃訪れた時は、うっかりシルバーのネックレスをしていて、キラキラだったのが硫黄で真っ黒クロスケになったのを覚えている。川には源泉が流れ込み常に盛大に湯気を立てている。部屋では兄弟で酒盛り大会。オヤジは酒好きだったがそれを受け継いだのは筆者だけで、あとの皆は酒量は控えめだった。それでも久々の顔ぶれで話が尽きることはない。
翌日は仙山線で仙台経由して東北新幹線で青森へ。山形39同級生LINEには、今回は時間がなく同級生の飲み会はできないことは伝えてあった。駅前の喫煙所から再度39LINEへ「次回は絶対飲もうね」と発信。
仙山(せんざん)線は大昔の子供の頃はまだ機関車で煙を吐いて走っていた。家族で仙台の塩釜へ海水浴に行った時は、トンネルにさしかかると、乗客は皆して窓を閉めるわけで。なぜならトンネルに煙が充満してうっかり窓を開けていると、車内に煙が入ってくるからである。芭蕉の句で有名な山寺を通過する。これもまた子どもの頃険しい階段を登った記憶が蘇る。崖にいくつもの寺を建築した当時の職人の苦労は、想像するにはあまりにも大きい。季節は夏ではないので「岩に染み入る蝉の声」はなく、冷気が北から南下してもうすぐ紅葉になるのを待つ山肌だった。
仙台から青森への車中の人となった。山形の駅弁といえば、常に全国人気駅弁上位に君臨する「牛肉ど真ん中」。久しぶりのこの駅弁、マジ美味かった。一口食べてから「おっといけねえ」と一人ゴチて慌てて写真を撮った。インスタビギナーから一段階上に行った気がした。東京で980円コーヒー付きのランチを食べることを思えば高価なのだが、旅に出ると財布の紐が緩み大盤振る舞いになっちゃうのは、皆さんも同じだろう。
青森の温泉宿は「酸ヶ湯温泉」酸ヶ湯と書いて「すかゆ」と読む。写真は公式HPから。全国初の公衆温泉宿1号の歴史深い宿だった。いわゆる「八甲田山」のずっと前に温泉が発見されている。
うーむ、実によろしい。HPでは昼間の光景だが、夜は天井の照明は一切なく、壁のわずかなブラケット照明のみで、薄暗く目を細めないと隣人の顔の判別すらできない。実に幽玄な雰囲気漂うのであった。ラフカディオ・ハーン(NHK朝ドラで話題の小泉八雲)の世界に迷い込んだような。混浴なので女性は湯衣(水着的な)を着て端の方で静かにお淑やかに入浴していた。インバウンドの欧米人のカップルは平気で男性エリアに来ていたが、一線を超えるようなイチャツキはなく、小声で会話していた。日本の文化にリスペクトしているようで実によろしいではないか。むしろマナー違反なのは日本人のほうで、昨今の外国人観光客の傍若無人ぶりは、日本人のそれを黙視しているように思う。日本人だって悪事を働くことは少なからずあるんである。日本文化にリスペクトしている外国人だって多いわけで。
例によって部屋では兄弟同士、酒盛り大会である。筆者以外の兄たちは皆糖尿病を患っており、終始糖尿病のスキル披露でああった。注射器やらを取り出しては、対処法には2種類あるそうで、筆者に言う「お前も5年後はこうなるよ」と。筆者も自覚がない訳ではないので、ヤバイのだった。思わずビール腹をさすったわけで。
夕食前に付近を散策。宿から見上げる遠景は紅葉には未だ至らず。ところが上の大駐車場に登ってみると、壮大な紅葉が広がっており、圧巻の光景だった。八甲田山の歴史に触れることもできた。
何かのTV番組で見た覚えがあるが、諸外国でも山々の紅葉はあるものの、日本の紅葉のように色とりどりのカラフルな紅葉はないのだそうだ。確かにそれは言えるかも。八甲田山登山道入り口から20mほど進んだが、熊出没注意なので断念。映画の高倉健にはなれなかった訳で。温泉宿の遠景に垣間見える八甲田山は、眼前に凛として立ちはだかっていた。
翌日は兄弟三々午後解散となった。筆者は青森駅前限定で散策開始。港の津軽海峡連絡船ミュージアムにある、八甲田丸に行ってみた。いやはや素晴らしかった。当時は列車を船底につぎ込み運んだそうだ。どんだけの重量に耐えたのだろうか。館内には台風沈没で有名な洞爺丸の模型もあった。若い頃に読んだ小説、水上勉の「飢餓海峡」のモデルになった歴史的大惨事の事故である。
船首から船底へ。この日最も感銘を受けたのはこの機関室、圧巻のエンジンルームだった。これが当時全部のエンジンが一生懸命稼働して、青函を往復していることを夢想すると、石川さゆり「津軽海峡冬景色」のメロディーが自然と湧いて出るのだった。仮に世界遺産に「工業製造部門」があるならばイチオシである。
館内を出て潮風に吹かれながら電子タバコを吸う、禁煙エリアを気にしながら。八甲田丸の勇姿、当時はどんなにか活躍したのだろうか。
すぐ近くにある青森ねぶた祭りの「ワラッセ」ミュージアムへ。こちらも圧巻のスケール感で圧倒された。ねぶたの造形物は毎年一年かけて制作し、終われば廃棄する運命なのだそう。ここではその儚い命の一部分を保存展示している。建築デザインは海外の女性建築デザイナーによるもの。バーチカルブラインドをモチーフにした軽快でかつ重厚な外観は秀逸だった。
筆者はあさりラーメンが好きである。滅多にないけれど、あれば必ず注文する。普段は味噌ラーメンが大好きではあるけれど。青森名物はカレーラーメンなんだそう。これを楽しみにきた訳だが散々駅前を探索したが、「これだ」という店に巡り会えず、列車の時間も迫ってきたので、駅ビルのラーメン店へ。ここは煮干しダシ系の店だそう。カレーラーメンはなかったので「しじみラーメン」を食したのだった。これが実に旨し。煮干しダシにしじみの絶妙なコラボレーション。旨くないわけがないではないか。インスタ初心者から第三ステージへステップアップし、食う前にしっかり写真を撮った。
帰路新幹線の車窓から垣間見えた風景。靄(もや)と言うより、雲が低く垂れ込めて、地平の市街地にゆったりと降りてきたのに気づいた。これもまた幽玄な光景だった。改めて旅はいいものだなと思ったのだった。

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