2013年8月28日水曜日

「飴と無知」

「彼の実力が本物かどうかを問う、今回のプロジェクトが重要な試金石となる」
...なんてね。
「試金石」とは本来、金の純度を見極めるために、緻密で硬い黒い石をこすりつけその条痕で判断するための、その黒石を言う。読んで字のごとし金を試す石のことである。日本では「那智黒石」がその筆頭格である。それらが転じてモノの本当の価値や人物の力量を推し量る際に使ったりする言葉なわけだ。

那智黒石はこれ。誰でも一度は見たことがあるはず。手に取るとツヤツヤとしてなんだか舐めてみたくなる気がする。実際この名前を冠したのど飴もあるくらいだ。
若かりし頃。どんだけ若かったかと言えば、車に自動車電話が出始めたころ、現場にショルダーバッグになった箱を担いで、ごっつい弁当箱のような携帯電話を初めて見たくらいに若い頃。亀戸にふぐ料理専門店の店を本格数寄屋普請でデザイン設計したことがある。その店舗の入口までのアプローチには飛び石という様式の鉄平石を配して、周囲には豆砂利を敷き詰めた。数ヶ月後オーナーから半分クレーム+半分泣きの連絡が入ることになる。家族で来店した客などは、大人たちはいつまでも飲んでいても、子どもたちは腹一杯になると飽きてきて、店の外へ出てこの豆砂利を投げつけて遊び出すというのだ。よくあることである。しかし一回や二回じゃないらしい。入口のガラスドアも危ない目に合ったそうだ。これは設計者の瑕疵(かし)でもなんでもなく、子どもの教育の問題でありしつけの話だと当時は思ったが、筆者の勤めていた会社は人が良く会社とオーナー費用折半で改修工事をすることになった。筆者が親ならば子どもを叱り店主に謝罪することはあっても、決して設計者を恨むことはないと思った。今にして思えばちょっと甘いけれど。

飛び石の鉄平の周りを「那智黒のモルタル洗い出し」というものにした。モルタルを塗り込み、乾く前に那智黒石をバランス良く配して固めてしまう工法。本来はモルタルに石を混ぜて乾燥して固まる前に水でモルタルの表面を洗い流し、石の頭半分くらいを現(あらわ)して仕上げるのが従来工法である。京の町家の三和土(たたき)などのイメージ。これなら悪ガキどもも手が出せまいて、ムフフ。

この時に那智黒の深い黒さに魅かれた覚えがある。今日Yahoo!を見ていたらこんな記事があった。
「広辞苑、「那智黒」で誤った記述」....思わず当時の記憶が蘇る。
那智黒石は三重県産であるにもかかわらず、「和歌山県の那智地方の産出」と誤記していたというのだ。三重県熊野市が1997年に調査したらかなりの出版社での誤りがあり、熊野市の申し入れに対しミスを認めその後改訂したのだが、あの広辞苑だけは誤記したまま今日に至っているのだった。
和歌山県の那智で「那智黒」という黒飴がお土産として有名だ。それこそ那智黒石のような飴。でも本物の石のほうは和歌山県では産出されない、あくまで三重県熊野市の特産である。ニュースではこれらを混同したのが原因ではと報じていたが、それにしても日本辞書界の代名詞広辞苑が何年も改訂しなかったのはいかがなものか。誤りは認めているのにだ。

子どもには叱るばかりではなく、時に褒めてやることも大事だ。
いわゆる「飴と鞭」
少年野球に関わってそれが良くわかる。褒めてばかりいて甘やかし温室育ちの天狗にならせてもいけない。ミスしても怒鳴らずに、普段努力している姿を思えば言葉をかけてやる選択肢はいくらでもある。
日本辞書界の金字塔、広辞苑(岩波)が慢心し天狗になっているとは思わないが、己の襟を正して欲しいとは思う。信頼のおける情報源の根幹を揺るがす事態ではないか。ネット情報はやみくもに信用してはいけないのは常識である昨今、アナログで正当派の広辞苑がこうでは何を信じればよいのかの命題にたどり着いてしまう。
知らなかった、では済まない「飴と鞭」ならぬ「飴と無知」
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2013年8月25日日曜日

甲子園の忘れもの

鹿児島桜島の大噴火、イチローの日米通算4000本安打、連日のゲリラ豪雨と雷、うちの愛犬りんのナルニア国物語、じゃなかったヘルニア奮闘記、田中マーくんの偉業達成、奥田英朗の「東京物語」の書評、マーゴ・ヘミングウェイとMinamiのこと、Queensと宮崎台バーズがらみの心温まる素敵なお話.....。

野球のみならず「日々雑感的」なブログネタが満載の一週間。これらをネタに個々に一本のブログが書けそうだった。しかしてやはり時間的に厳しく更新もままならない「日々雑多的」毎日。

昨日はやっと一息ついたので、今日こそ這いつくばってでも「緑陰読書」に出かけようとしたとたんにゲリラ豪雨。それでも土日は久々にフレンズへ出撃し、終日ずぶりと野球浸けになる予定だった。更にあにはからんやのオーマイガーッ。夕方にかつての会社の後輩から電話があり、急ぎで火曜までの仕事が舞い込んだ。一瞬断ろうかとも思ったが懐かしいアイツに会いたい気分もあって、つい受けて(請けて)しまう。

今日土曜になり、ヤツにはわざわざ打合に地元まで出向いてもらい、近所のガストでドリンクバーだけで2時間打合。これで明日の日曜がまた潰れることが確定した。火曜からはまた別件でお台場で打合。これも一週間で仕上げなきゃの仕事。その途中31日土曜には横浜DeNAベイスターズガールズのNPB交流大会開幕がある。代表Kasaharaさんからも電話があった。「テッシーさあ〜、31日大丈夫〜?」なんて。きわめてグレーゾーンだけれど一応気持ちだけは行くつもりだ。

そんなこんなでナンテコッタのパンナコッタ。
これにまた嬉しい話が昨日舞い込んだ。このブログでもたまに書いているけれど、野球スタメンボードの制作依頼である。仙台のスポ少「愛子(あやし)スポーツ少年団」さんには毎年作って送っているアレである。商品名は「BBB」ベースボールボード。マグネットのスグレ物のあれだ。
依頼主は奈良県のとある社会人軟式野球の強豪A級クラブチーム。了承をもらえればいずれブログでも詳しく紹介したい。
少年野球用に作ったBBBなんであるが、目からウロコの社会人野球。まずDHというものがあるわけで。フォーマットの変更を余儀なくされて大きく変えねば。その他いろいろクリエイター魂に火をつけてくれる注文多数。仕事が暇ならすぐにでも速攻で取りかかりたいのだったが。

その社会人チームをネット検索して、あるサイトにたどり着く。その中の主将Oさんのコメントがふるっている。
「甲子園での忘れ物を取りに来ました」
かつて高校時代、甲子園で涙をのんだ球児が今はひげ面のオトナになっても尚、ココロは野球小僧のままで、社会人リーグ大会の甲子園での優勝をものにした瞬間の言葉である。
依頼主のMさんがメールに書いていた。
「社会人野球でもTさんが指導されているような少年野球が全ての原点です」と。

いつまでも野球小僧なオヤジ、大好きである(^-^)/
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2013年8月22日木曜日

緑陰読書

朝日の天声人語をほぼ毎朝読む。仕事前の脳を呼び覚ますカフェイン的な効果もさることながら、文章の達人の字面を見ているだけでうっとりしちゃうのであった。その反動で執筆者に畏怖(いふ)の念を抱くと同時に、小生の文章はいかに稚拙で子どもじみているのかを思い知らされる朝の毎日なんである。

時折聞いたことも見たこともない難しい言葉がでてくるわけだが、オトナならば前後の文脈からおおよその意味合いは想像がつくというものだ。むしろ全く想像すら出来ない言葉なら使わないようにしているに違いないわけで。四字熟語は大好きなので、知らない語句が出て来ると、Googleでググるか、傍らの「四字熟語辞典」を引く。たった4個の文字の羅列の奥には広大な宇宙が顔をのぞかせていることもある。

先日天声人語に素敵な四字熟語が載っていた。初めて聞いた。
「緑陰読書」(りょくいんどくしょ)
これをどう読み解くか。主に夏休みのこの時季、外の涼しい木陰で読書を楽しむ、というほどの意味合いなのだそうだ。おお〜なんという素敵な言葉なんだろう。「晴耕雨読」を標榜(ひょうぼう)し理想の人生の終わり方と思っている筆者には、ココロに染み入る四時熟語なんであった。もっとも、記録的な猛暑のこの夏は、木陰はあっても涼しげな木陰などありもせず、むしろ熱風吹き荒れて読書どころではないはずだ。それでも筆者は時折この「緑陰読書」をやっちゃう。バターが10秒で溶けるくらい暑くても、鼻水が3秒で凍りつく寒さでも、近隣の公園へ行って木陰のベンチに座り小説を読むのが好きだ。もちろんド暇こいてる時にしか出来ない最高の贅沢だから、一年を通して数度あるかないかだけれど。今の季節ならば途中コンビニで冷たく冷えた缶ビールを購入後に行くのがよろしい。ビールは発泡酒ではいけない、ちゃんとしたビールだ。スーパードライはもってのほか、せめてキリンラガー、あわよくばエビスあたりが理想である。真冬ならばヤケドするくらい熱い缶コーヒーを持参で。甘いポッカコーヒーは論外で出来ればUCCのブラックコーヒーが良い。

この「緑陰読書」を近日絶対やろうと思っていたら、今日また仕事の電話が鳴った。自分の思い通りにいかないのが世の常と分っていてもやるせない気持ちに落ち込むのであった。
ところで最近の新聞に今どきの図書館事情なるものが載っていた。更にご周知のように小学校の図書館で広島の原爆をテーマにした「はだしのゲン」の閲覧制限を要請したとのニュース。そんなこんなで「緑陰読書」と「図書館」とのキーワードが渾然一体となって筆者の頭をかき回しはじめたんである。

筆者が図書館建築のデザインをするなら...構想夢想妄想が相まって収拾がつかないわけで。
あらま、こんな時間。
収拾がつかないまま筆を進めると、大抵結果が良くないことを経験上知っている。
いつかこの続きを書いてみようと思う。
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2013年8月21日水曜日

もっとこの仲間で野球がしたかった

5月11日
「はあ〜、頑張ったんだけどなあ〜」
横浜DeNAベイスターズガールズのセレクションの選に漏れたIchikaはため息をもらした。
同じQueensの女の子と一緒にベイスターズで野球をやりたかったのに。がっかり...。
そんなIchikaのもとにもう一度別のチャンスが巡ってきたんである。同じ日本野球機構主催のNPBガールズトーナメント。全国の学童野球女子が一堂に会する一大イベント。いきなりの全国大会である。
「ようし、頑張るぞっ!」

6月9日
神奈川県下から70名の選手がセレクションに挑んだ。選抜は20名の狭き門。
緊張した。でも大好きな野球だもん、一生懸命に頑張った。全力でベースを駆け巡った。思い切りバットを振った。疲れたけれどあっという間の一日だった。
後日彼女の元に朗報が届く。父も母も自分のことのように笑顔がはじけている。
こうして向丘サンダース(=宮前Queens)のIchikaは晴れて神奈川県女子代表チームの一員となったんである。

チーム名は神奈川「Yamayuri」
楽しい仲間がいっぱい、すぐに友達になった。「良い仲間や指導者にも恵まれて...」とお母さんが言っていたけれど、「恵まれて...」?意味がよくわからないなりに、なんとなくこれは凄くいいことなんだと勝手に思うIchikaであった。
境川遊水池での練習は9回にも及ぶ。Queensも楽しいけれど新しい仲間と一緒に野球をやるのも新鮮で、毎回練習に行くのが楽しかった。

8月10日
神奈川代表としてまずはガスワンカップという大会に臨んだ。埼玉を本拠とするガス燃焼、いや、年商544億円の大手ガス会社が主催の関東圏の大会だ。
初戦は地元埼玉代表チーム。でもIchikaはベンチスタート。試合は乱打戦の模様を呈し、最終回にチャンスの場面で監督から代打を指名された。とたんに心臓がばくばくする。打席に立ち思い切りバットを振った。打球が遠くに飛んで行くのが見えた。やみくもにとにかく二つベースを蹴った。タイムリー3塁打!1打点!
結果は12-10の僅差で神奈川Yamayuriが勝った。

二回戦は栃木代表との試合。1番ショートで先発するも結果は8:16で負けちゃった。
でもすごく楽しかったに違いないIchikaであった。

8月17日
一週間が経ちいよいよNPBガールズトーナメントの全国大会である。夜に行われた開会式は東京ドーム。プロ野球真っ盛りの間隙を縫ってこんな民間の開会式や試合でドームはスケジュール目白押しなのである。名物看板の長嶋さんが「Secomしてますか?」と語りかけてきたけれど、筆者はSecomするほどの財産がないし、そもそもSecomの料金すら払えないので丁重にお断りした。そうだ、ならば今度セレブなKasaharaさんか連盟の資産家Sasakiさんを紹介してあげようか。

8月18日
初戦は宮崎県代表の延岡ガールズ。今、甲子園でも旋風を巻き起こしているあの延岡だった。筆者も一度仕事で行ったことがある。
Ichikaはまたベンチだったけれど仲間がばんばん打って9得点。自分も先発メンバーも一緒になって湧きに湧いた圧勝だった。9:2で勝ったぞ。また明日がある。

8月19日
今日は2回戦。相手は群馬代表だ。7番サードで使ってもらった。カリナかナナオかと思われるほどモデル並みのスタイルのIchikaは、宮前Queens仕込みの守備体勢で三塁を守る。
しかしチームは打撃で競り負けた。結果は8:12の惜敗...。

記録的な暑さの中で戦い抜いた4試合。
終わった瞬間、「もっとこの仲間で野球がしたかったよお」とおいおい泣く子。
「でもまたどこかの大会でみんなと出会えるよね」と白い歯を見せて笑う子。
悲喜こもごもの中、全員で帽子に名前を寄せ書きした。
最後はYamayuriの代表をみんなで胴上げした。

コラーゲンもヒアルロン酸も関係ない。だってアタシたち野球が好きで仲間が大好きで、顔が真っ黒に日焼けしちゃっても平気だもん。
最高の想い出を心に刻んだのは、Ichikaたち子どもだけじゃない。その保護者、父母たちも同じ想いだ。
「ありがとう!みんな」

Ichikaはこのひと夏の経験を胸に、またQueensに戻って気持ちも新たに頑張るぞと思うのであった。女子野球はこれから秋、冬にかけて本番の大会が待っている。
そうだ、横浜ベイのみんなはこれからが大会だ。Himari、Hinata、Noeri、の3人も頑張ってね。それに、惜しくもセレクションに入れなかったQの仲間の分も含めて、頑張って!

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Queens広報の筆者Tから一言ふたことの言い訳。
Qの子らが二つのセレクションに受かっていたのは知っていて、大会が気になってはいたんであった。会場が遠いのと仕事が忙しいのとフレンズの試合予定とのカラミで、たぶん観戦には行けないだろうなと思っていた。せめて31日の横浜ベイスターズガールズは行きたいと考えているけれど。

先日Ichika母から突然メールがあった。QのKasaharaさん経由で写真を送りたい....と。
ぴんと来たんである。例によってQueens代表Kasaharaさんが暗躍して筆者に写真を送りなさいと言われたのではないか?
すぐにメールを返した。全然OKですよと。出来ればほんの少しコメントも添えて送ってもらえればありがたし。写真だけではブログは書けないからだった。「少し状況が分ればあとは私がうんと膨らまして書きますから」と。

今日約束どおり、写真を添えて簡潔で試合状況の分る文章と、ほんの少しの感想を書いてメールが来たんである。
今日は仕事が一段落して気持ちに余裕があったせいもあり、シャワーを浴びながらどんな構成で文章を書こうかと思案。待てよ、Ichikaとは話したこともなければ性格も分らないぞ。うん、でもいいや。彼女目線と筆者目線の二つの視点を混在させて書いてみようと決断。また、同じ6年生で実力がありながらも惜しくもセレクションの選に漏れたQの姫たちもいるがどう配慮しようか?...でも甲子園でベンチに入れなかった3年部員がスタンドで声を涸らして共に仲間を応援する姿が脳裏に浮かび、きっと姫やその親も分ってくれるに違いないと無理矢理自分を納得させて執筆を開始したのだった。

というわけで、筆者は全然試合を観ていない。Ichika母の確かな文章だけは曲げずに心境面を10倍くらい膨らませて書いた。よって、多少の誇張と間違いはあるやも知れず。ご承知おきのほどを。
しかし、最後の試合のあとの胴上げ前の女子の言葉は事実をほぼそのまま引用した。
このブログの一番のハイライトは、彼女たちのその言葉だったから。
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2013年8月20日火曜日

真壁、部活やめるってよ。

県立山形南高等学校に入学した真壁は、一も二もなくサッカー部へ入部した。

小学生の時分から夕方になると、家から歩いて3分のこの高校へ当たり前のように通い、高校生が部活をやっている所へ行き、近所の友人とあちこち探検しては遊んだものだった。レスリング部のマットの下に空気を送り込んで巨大なテントを作り、もぐり込んだはいいが程なくしてしぼみ始めあわや窒息しそうになったり、水泳部のプールに行った時は遊び半分で高校生にプールに投げ込まれて、足が底に付かないことに気づき、半ズボンを着たまま溺れそうになったり、野球部の外野の球拾いを手伝ったり、サッカー部ではゴールキーパーを立たせてのシュート練習に、「おまえもやっていいぞ」とお兄さんに言われて嬉々としてボールを蹴ったはいいが、あまりのボールの重さに足首が折れたんじゃないかと思えるほど痛い経験をしたり....。少年真壁のお気に入りは、高校生と一緒にボールリフティングをやることだった。またゴールをはずれたシュートが隣りのテニスコートへ飛んで行けば友人と競ってサッカーボールを拾いに行き、それを高校生のところへ返しに行くと「おうっ、ありがとな」と言われるのがなんとも嬉しかった。

そんな真壁は中学をサッカー浸けで過ごし、受験は公立南高校一本、通称ナンコーに入ってサッカー部に入るのが当たり前だと思っていたし当たり前のように合格したのだけれど、南高が県内ベスト5に入る難関進学校だと知ったのは、入学したあとだった。

当時の運動部は全国どこでもそうだったと思うのだが、うさぎ跳びでグランドを何回も周回したり、どんなに炎天下でも何時間でも水を飲んではいけないのが部活の不文律だった。それでも不思議と誰も倒れたりはしなかった。水を飲んだら最後、自分が自分に負けるような気がして。

南高は公立男子校、文武両道、質実剛健の学校であった。サッカー部は野球部ほど厳しくはなかったものの、逃げ出したくなるくらいの毎日辛い練習があった。でもそれをどこかで楽しんでいる自分もいた。成長期男子の汗と革と保革油の渾然一体となった部室の強烈なあの匂いも今は懐かしい。

グランドはサッカーと野球部が共有で同時に部活をやっていた。野球部に背を向ける格好でゴールに向かって黙々とシュート練習していれば、背後から野球部の硬球ががんがん飛んできていた。野球部の連中から「行ったぞー!」と声がかかると、サッカー部は皆首をすくめて身を守る体勢になった。亀が甲羅に頭を引っ込めるように。或いはナメクジが塩をかけられた瞬間のように。逆にサッカーボールが野球部の内野に転がっていき、球を拾いに行く時は命がけだった。銃弾を避けて進む戦場カメラマンみたいに、あの硬い硬球がびんびん飛び交う中をかいくぐって、拾いに行くのだった。今となっては恐ろしい話だが、小学生が高校のグランドで部活に混じって遊んでいたり、現代では考えられないのどかな、かつ安全管理面では信じられない時代だった。

1年の夏、合宿で学食の2階に泊まり込むことになった。
この合宿話を書いたらまた長くなるので割愛。
その時期の前後だっただろうか、南高野球部が初の甲子園出場が決定したのだった。当時の真壁は野球に毛ほどの興味もないサッカー小憎だったけれど、さすがにこの一報には驚いた。甲子園出場がどれほど凄いことなのかを知るのはずっとあとの大人になってからだけれど。奇しくもその年、サッカー部は県大会決勝で敗れ、高校サッカー選手権全国大会への夢は破れたのだった。

当時山形県で甲子園に行くのは日大山形と相場が決まっていた。毎年夏の決まった日に町内盆踊り大会がある恒例行事のように、日大が甲子園に行くのが当たり前だった。公立校のひがみ根性もあって巷間まことしやかに囁かれた話。「日大山形は誰でも入れるとこだべよ」「野球部は毎日授業もしねえで、朝から晩までナイター設備もあって、一日中野球やってんだとよ」なるほど毎年強いわけだと得心。そんな不毛の時代だから公立の文武両道の学校が甲子園を決めたのは意味深いものがあったのだった。

思春期の真壁は勉強とサッカーは1年生まで。2年からはワルいことを覚えて甘美な退廃の奈落の底へ落ちてゆく、大袈裟に言えばだが。
顧問のKanemura先生に退部届けを出した。K先生は激怒し、やがて真壁の親友を通じて説得を試みるも結果は変わらず....。
(因に後年Jリーグが発足した際、かのK先生はモンテディオ山形の初代GMになった人物。更に偶然であるが、中学時代サッカー部の一個先輩であるNakaigawaさんが現在のGMに就任している)

あのとき、本当に、マジで、サッカーを続けていればよかったと、大人になってから何度も悔い入り思い返すことになった。半面、部活を脱線したからこそ得られた貴重な経験もいい想い出となっているのだけれど。

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2013年今日、夏の甲子園で山形県勢初の4強に入った日大山形。対明徳義塾戦は見応えのある試合だった。日大三、作新、明徳と全て歴代優勝校を撃破しての快進撃。周りからはまた「一勝して来いよ」と言われたそうだが、その悔しさをバネに目標の4強入りを果たした。どうせなら、史上初の東北勢同士の岩手との決勝戦が観てみたい。以前決勝で宮城東北高校が敗れて東北に初の優勝旗をもたらすことが出来なかった年を思い出す。その東北高校3年には有馬フレンズOBのMiyataがいたのだった。そして一年後輩にはダルビッシュがいた。
郷里に想いを馳せれば、若き日の確執はすでにない。山形と言えばほぼ初戦敗退、良くて2回戦進出であった。正直者で朴訥な県民性、悪く言えば優柔不断。華々しいスター選手もいなければマスコミが好きそうな爆発的な打力があるわけでもない。でも、やっぱり郷里の高校が甲子園で活躍する姿には目を細めてしまう。真壁が1年坊主のころ聞いた前言は白紙撤回、頑張れ日大山形。

継続は力なり。
勝っても負けても辛くても苦しくても、大好きな野球を最後まで続けた全国の野球小僧の高校生のキミ。
志半ばで挫折したオジサンは、真摯に頭(こうべ)を垂れてキミたちにエールを送りたい。
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