コロナが猛威を振るっている。巨大な大ナタを振るい、まるで玉ねぎを切り刻むように地球を微塵切り。先日来から日々衝撃的なニュースの連続。あえてここでは一旦目をつむり、ここ1,2週間の写真にて。
去年秋から通院している医者に行ったついでに、東急フレルでパスタランチ。
鷺沼駅前、桜がほぼ満開。閉塞感漂う中、しばし目の保養。この時はまだ良かったのだった。
良い天気だったので帰宅途中スーパーカブで小台公園へ。桜は八分咲きと言ったところか。何度か書いているように母子(ははこ)たちが満載だった。この時点ではまだこれが許されていた。電動ママチャリが鈴なりだった。
後日。散歩ライフワークの中心、近くの有馬神明社へ。それ以前に過日ここの巨大ケヤキを前に数名のオジサンたちが、何やら密談していたのを目撃していたんである。嫌な予感は当たった。樹齢何百年かは知る由も無いが、公的に認定された川崎の保存樹だったはず。おそらく内部が腐敗して倒壊の恐れが危惧されたのだろうか。バッサリ切断の現場に遭遇。有馬地方を何百年も見守ってきたであろう老齢の先達が逝ったような、哀しい気分になった。彼は筆者のようなちっぽけな人生とは比較にならないくらいの長きにわたり、この地に生きて有馬を見守ってきたに違いないのだ。しばらく呆然と切断工事を見ていたのだった。
後日かの地をもう一度訪れた。年老いた象の足のような姿に、感慨ひとしおだった。年輪を指でなぞると、心なしかまだ温かいような気がしたのだった。
更に後日。山形39グループLINEでは、連日コロナの話題でコメントが満載。お互い気をつようねとか、山形でのマスクの入手状況など。この日は少しでも元気になってもらおうと、横浜方面の公園へ行って桜を活写し山形LINEへ送る。全国でもコロナ未感染県はわずか数県となった、頑張れ山形のエールを込めて。(※この後ほどなくして、山形も神奈川からの感染者によって、全国ベスト4で敗退した。未感染の他3県、頑張れ〜)
また後日。
38年ぶり(?)となるこの時期の「雪」だった。コロナ閉塞感の中、大自然に翻弄されているような、蔓延の猛威に水を差しひと息ついたような、妙な一日だった。煮えたぎる鍋にチョイ水を差し、しばしシュンと沈静化したみたいな。しかしこの後、今(4/1)はもっと吹きこぼれそうになることになる。
.....
以前から世界で日本で、政治家や俳優やプロスポーツ選手などの著名人が、相次いでコロナ感染を公表している。もう珍しくなくなった。今日は(4/1)梨田氏も。
そしてつい先週、入院していた志村けんさんの衝撃的な訃報が日本中を駆け巡った。筆者は高校生の頃からこの人を見てきた。お笑い三大御所と言えば「タモリ・たけし・さんま」と言われて久しいが、腹の底から無条件で、手放しで笑えるのはこの志村けんだった。三大御所に加えてお笑い四天王と言っても過言では無い。一時代を築いた日本の代表的コメディアン。この人の笑いには昭和のオッサンを代弁するような、実に素晴らしい笑いのエキスが詰まっていたと思う。
今日仕事が終わってフジTVの特別追悼番組を観た。懐かしさと共に笑いがこみ上げる。笑いがこみ上げると同時に、胸の奥から涙もこみ上げる。笑いの後にふと現実に立ち返り、何度も目頭を押さえてしまった。私も「けんロス」に陥った一人です。
合掌。志村けんさん、ありがとう、安らかにお休み下さい。
.......
宮前連盟も日々更新するコロナ状況に若干翻弄されている。連日状況を危惧するメールが飛び交う。みなさん周知のように、詳細は省くけれど、休校、新学期、校庭開放、部活、少年野球活動自粛期間延長、川少連大会危惧、万一大会が叶ったとしても数々の制約ありき、関係者全員の検温、時間差集合、大声応援禁止、etc...。
まだまだトンネルの先に光明は見えない。
でも暗鬱となるだけでは何も進歩がない。嘘っぱちのカラ元気でもいいじゃないか。事の重大さを己に言い聞かせ、かつ、この未曾有の状況に立ち向かうしかない。
みなさんも、この国難を乗り切っていつか、青空のもと元気に少年野球に臨めるように頑張ろう。
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2020年4月1日水曜日
2020年3月29日日曜日
大脱走
いやはや、とんでもない局面になった。予想通りの或いは想定外のコロナ情勢を鑑みるに、言いたいことはいっぱいあるし、猫の目のように日々コロコロ変わる日本と世界の状況には、毎日新聞TVネットで注視するも、その情報量と質にいささか疲れてもいる。
記念誌が完成し肩の力が抜けたものの、読み手の手元に届くまでが制作者の最後の責務、必死で早めに配付の手配を画策するも、コロナ情勢に押されて忸怩たる思いを抱え断念、やはり当時予想出来た現在の状況を思えば、計画通り「3密」のないあの日に強行配付すれば良かったと後悔するも、今となってはアフターフェスティバルあとの祭り、おまけに仕事受注も激減、全てがコロナウィルス禍(か)のせいばかりとも言えず、日々粛々と自分の中を時間だけが通り過ぎてゆくんである。
そんな日々、今日はコロナで書きたいことはあれど、あえてコロナは封印したい。
記念誌完成以来、失われた時間を取り戻すように溜まっていた映画を観た。TSUTAYAのDVDはもちろんのこと、これに飽き足らずAmazonプライムで無料の映画も数本。無料ではない199円する「ダブルジョパディー」も。筆者の好きなトミー・リー・ジョーンズ主演。「逃亡者」に対応する「追跡者」まで。
そんなある日読みたい本があって近所のブックオフへ。目当ての本は見つからず、帰りがけ中古映画コーナーを流していると、キラリと目に止まるDVDがあった。そーなんである。スティーブ・マックィーンの映画史に残る名作「大脱走」であった。これはQueens(ヤング)のWatanabeさんと以前映画談義をしたことがある。マックィーンファンだと言うWatanabeさんに対し筆者は「大脱走」ファンであった。当時話は大いに盛り上がったわけで。しかもである。筆者は小学生か中学の頃、この映画は繰り返しTVで何度も観ていたんである。汗臭い男たちの緊張感溢れる脱走劇。バイクで疾走するマックィーンのなんとカッコよかったことか。子供の頃のおぼろな記憶では、チャールズ・ブロンソンの穴掘り、アメリカとイギリスの皮肉溢れる自家製焼酎を飲むシーン、失明寸前の役者、最後に脱走に成功するジェームズ・コバーンやデビッド・マッカラム。デビッド・マッカラムは0011ナポレオンソロのイリヤ・クリヤキン役で名を知っていた。そしてこの映画の圧巻のシーンはもちろんマックィーンのバイクの大ジャンプ、鉄条網を突破出来ず血だらけになって脱走失敗の場面であった。
記憶が溢れるように湧き出て思わず棚に手が伸び、DVDを衝動買いしたんである。その晩じっくりと鑑賞したのは言うまでもない。
3時間一気見しちゃったわけで。子供の頃は気がつかなかった男たちの葛藤や個性、生き様などに改めて気づかされるのが、昔観た映画を大人になってから観ることの一つの楽しみではある。それはいっぱいあった。
翌日はDVDセットになったいわゆる「撮影秘話」や「映像特典」「メイキング」をじっくり観てみる。知らなかったことがいっぱい詰まっていたんである。史実に基づいた映画であったこと。てっきりハリウッドエンタテイメント映画かと子供の頃は思っていたが、第二次大戦下のドイツ軍捕虜収容所での実話だった。多少の演出はあるものの脱走方法や手順などは事実に基づき忠実に再現したらしい。驚いたのは、フランス、イギリス、ロシア、アメリカの捕虜の脱走劇だったが、実際はアメリカ軍の捕虜は途中他の収容所に移送されて、この脱走劇にはいなかったと言う事実。つまり米兵役のマックィーンは脱走していないんである。当時のハリウッドでは興行的に売り上げを上げねばならず、米国で成功するには米兵マックィーンのヒーロー活躍は欠かせないとのことで、物語を作り変えたのだそうだ。これは捏造とかではなく娯楽映画としての「演出」と言うものである。
更にまた、ラストシーンでのあのマックィーンのバイクジャンプシーン。子どもながらマックィーン本人が演じていると信じていたが、あれはスタントマンであった。鉄条網はゴムで出来ており、そのスタントマンやスタッフが撮影現場で一生懸命作ったのだそうだ。筆者、今より若かったならば興ざめしたかもしれないが、今となっては事実を知り得てむしろ楽しく嬉しかったのだった。
これらの映像特典は衝撃だった。当時の本物のドイツのモデルとなったルフト第3空軍捕虜収容所のモノクロ画像がたくさん収蔵されていて、実在の人物画像も満載であった。実際掘られたトンネルの写真もあったのは驚きであった。
いやあ、映画っていいもんですね。(by 水野晴郎)...子供の頃観た映画を大人になってから再見する楽しみは尽きないのである。
....
現実に戻る。コロナで閉塞感漂う日本、いっそここから「大脱走」したいと思えど、世界中がこれではじっと留まるしかない。どう立ち向かうのか、人類が試練に立たされている。おそらく後世、世界史にも残るであろうか。
今日土曜、やっと仕事のオファーが来た。新潟の食物販物件。粛々とこなしたい。記念誌は最後に印刷品質にケチがついたり色々あって早期の配付は諦めた。
東京、関東ではとうとう、半ば予想通りの「非常事態」「感染爆発」寸前の今日。折りしも華やかなりし桜も満開を迎える寸前。マイナスとプラスの要素がせめぎ合う、桜に浮かれる気分ではないけれど、心して立ち向かわねばならない。
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記念誌が完成し肩の力が抜けたものの、読み手の手元に届くまでが制作者の最後の責務、必死で早めに配付の手配を画策するも、コロナ情勢に押されて忸怩たる思いを抱え断念、やはり当時予想出来た現在の状況を思えば、計画通り「3密」のないあの日に強行配付すれば良かったと後悔するも、今となってはアフターフェスティバルあとの祭り、おまけに仕事受注も激減、全てがコロナウィルス禍(か)のせいばかりとも言えず、日々粛々と自分の中を時間だけが通り過ぎてゆくんである。
そんな日々、今日はコロナで書きたいことはあれど、あえてコロナは封印したい。
記念誌完成以来、失われた時間を取り戻すように溜まっていた映画を観た。TSUTAYAのDVDはもちろんのこと、これに飽き足らずAmazonプライムで無料の映画も数本。無料ではない199円する「ダブルジョパディー」も。筆者の好きなトミー・リー・ジョーンズ主演。「逃亡者」に対応する「追跡者」まで。
そんなある日読みたい本があって近所のブックオフへ。目当ての本は見つからず、帰りがけ中古映画コーナーを流していると、キラリと目に止まるDVDがあった。そーなんである。スティーブ・マックィーンの映画史に残る名作「大脱走」であった。これはQueens(ヤング)のWatanabeさんと以前映画談義をしたことがある。マックィーンファンだと言うWatanabeさんに対し筆者は「大脱走」ファンであった。当時話は大いに盛り上がったわけで。しかもである。筆者は小学生か中学の頃、この映画は繰り返しTVで何度も観ていたんである。汗臭い男たちの緊張感溢れる脱走劇。バイクで疾走するマックィーンのなんとカッコよかったことか。子供の頃のおぼろな記憶では、チャールズ・ブロンソンの穴掘り、アメリカとイギリスの皮肉溢れる自家製焼酎を飲むシーン、失明寸前の役者、最後に脱走に成功するジェームズ・コバーンやデビッド・マッカラム。デビッド・マッカラムは0011ナポレオンソロのイリヤ・クリヤキン役で名を知っていた。そしてこの映画の圧巻のシーンはもちろんマックィーンのバイクの大ジャンプ、鉄条網を突破出来ず血だらけになって脱走失敗の場面であった。
記憶が溢れるように湧き出て思わず棚に手が伸び、DVDを衝動買いしたんである。その晩じっくりと鑑賞したのは言うまでもない。
3時間一気見しちゃったわけで。子供の頃は気がつかなかった男たちの葛藤や個性、生き様などに改めて気づかされるのが、昔観た映画を大人になってから観ることの一つの楽しみではある。それはいっぱいあった。
翌日はDVDセットになったいわゆる「撮影秘話」や「映像特典」「メイキング」をじっくり観てみる。知らなかったことがいっぱい詰まっていたんである。史実に基づいた映画であったこと。てっきりハリウッドエンタテイメント映画かと子供の頃は思っていたが、第二次大戦下のドイツ軍捕虜収容所での実話だった。多少の演出はあるものの脱走方法や手順などは事実に基づき忠実に再現したらしい。驚いたのは、フランス、イギリス、ロシア、アメリカの捕虜の脱走劇だったが、実際はアメリカ軍の捕虜は途中他の収容所に移送されて、この脱走劇にはいなかったと言う事実。つまり米兵役のマックィーンは脱走していないんである。当時のハリウッドでは興行的に売り上げを上げねばならず、米国で成功するには米兵マックィーンのヒーロー活躍は欠かせないとのことで、物語を作り変えたのだそうだ。これは捏造とかではなく娯楽映画としての「演出」と言うものである。
更にまた、ラストシーンでのあのマックィーンのバイクジャンプシーン。子どもながらマックィーン本人が演じていると信じていたが、あれはスタントマンであった。鉄条網はゴムで出来ており、そのスタントマンやスタッフが撮影現場で一生懸命作ったのだそうだ。筆者、今より若かったならば興ざめしたかもしれないが、今となっては事実を知り得てむしろ楽しく嬉しかったのだった。
これらの映像特典は衝撃だった。当時の本物のドイツのモデルとなったルフト第3空軍捕虜収容所のモノクロ画像がたくさん収蔵されていて、実在の人物画像も満載であった。実際掘られたトンネルの写真もあったのは驚きであった。
いやあ、映画っていいもんですね。(by 水野晴郎)...子供の頃観た映画を大人になってから再見する楽しみは尽きないのである。
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現実に戻る。コロナで閉塞感漂う日本、いっそここから「大脱走」したいと思えど、世界中がこれではじっと留まるしかない。どう立ち向かうのか、人類が試練に立たされている。おそらく後世、世界史にも残るであろうか。
今日土曜、やっと仕事のオファーが来た。新潟の食物販物件。粛々とこなしたい。記念誌は最後に印刷品質にケチがついたり色々あって早期の配付は諦めた。
東京、関東ではとうとう、半ば予想通りの「非常事態」「感染爆発」寸前の今日。折りしも華やかなりし桜も満開を迎える寸前。マイナスとプラスの要素がせめぎ合う、桜に浮かれる気分ではないけれど、心して立ち向かわねばならない。
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2020年3月25日水曜日
ニャンコも人も、それぞれの
日毎に刻々と変わるコロナ情勢とその世界の対応。朝令暮改と言っては例えは妙だけれど、昨日の話は今日になって変わる、変わらざるを得ない、そんな数日である。「猫の目のように」ここにきて大きな動きはTOKYO2020開催の是非。今日やっと一年をメドに延期に踏み切ることに大きく舵を切ることになった。様々な要因と利害とが輻輳(ふくそう)して、やっとそーなったかの感が否めない。これには日本が経済的にも大きな痛みを伴うことになるけれど、総合的に判断して致し方ないことだと思う。中止となれば7回裏コロナ戦に負けたことになり、延期であれば特別ルール適用でコロナに勝つことを意味すると思う。
自粛。東日本大震災での自粛は鎮魂歌として、失われた人命に対する思いを表現するために自主的に行われた。日本人のモラルとして不謹慎にならぬようにと。しかし今回のコロナ自粛は意味が違う。確かに同じくコロナで亡くなった多くの方への精神論もあるけれど、それよりも世界の人の命を守る、自衛のための自粛である。同じ自粛でも意味が違うと思うわけで。
さて、毎日コロナ疲れでは身がもたない。せめて不謹慎にならぬ程度にこのブログは続けたいと思うわけで。連盟、Queens、フレンズ広報担当としての野球ネタはまだしばらくは書けない。
先日の三連休初日に息子家族の元へ遊びに行ってきた。南町田である。息子の住むマンションの外廊下、遠くの山並みからヒョッコリ富士山が頭だけのぞかせていた。疫病が世界中に蔓延してる中、富士山を見ただけでウィルスが払拭され、心が浄化されたような気分になる。
息子はフレンズの前監督Itohくんと同期である。某IT企業でとんでもない仕事をしている。ブラック企業となってしまうのでここでは企業内容は詳しくは書けないが、夜中の1時に帰宅して自宅で仕事の続きをやり、少し仮眠して朝早くまた出社の繰り返し。筆者が10年前の50代前半の頃勤務していた会社では、1ヶ月の時間外労働が250時間を超えたことがあったが、話を聞けばそれを超えているらしい。しかも会社始まって以来の最年少管理職への飛び級の昇進で、全社的に一目置かれる存在になるも、周囲から妬み嫉みもあって心身ともに疲れているようだ。しかし、息子はどこかそれを楽しんでいるように日々仕事をしているようだった。単純に30代だから体力的に出来るというのではなく、おそらく彼の性格なのだろう。筆者も若い頃はそんな精神的気概はあったものの、バイタリティーの面では彼に及ばない。親としては頼もしく思える反面、身体には気をつけてもらいたいものである。
夕刻になって息子宅を辞去。がしかし、この日は息子の嫁さんの誕生日でもあり、南町田駅へ戻って皆で晩飯にしようとなって、息子家族と一緒にアウトレット施設、新生グランベリーパークへ。かなりの人出だったが、コロナがなければもっと混雑していたに違いない。偶然ではあるが筆者は昨年某社の依頼でこの一角のキッズゾーンの一部を実施設計したんである。クライアントとの打合に訪れた当時は、鉄骨が林立しクレーン車と仮設事務所のプレハブだらけだったが、今は駅舎も含めて全面リニュアルとなってすっかり生まれ変わった。全てゼロから建て替えたと言っていい。富士山はすでに闇に消えかかっていた。
娘には女の子が二人いる。上の子は昔ブログに書いたMinamiである。2才になる直前に重度の白血病にかかったがなんとか紆余曲折を経て今はとても元気にしている。20才になるまでは再発の可能性が否定できないとのことで、今でも年に数回検査通院。事もあろうになんという因果だろうか、つい先日下の妹のMiuが入院した。別の大病であった。この4月には小学入学を控えた矢先である。無事退院しても毎日インスリン注射を欠かさず、一生付き合っていかねばならないもの。母親(娘)の苦労はいかばかりか。個人的にはコロナなんて吹き飛んでしまう家庭事情。
そんな中で娘は病院へ、息子家族に遊びに行くことを楽しみにしていた、娘孫のMinamiだけが一緒にここへ来たのだった。
焼肉屋で晩飯をとり、ついでに「猫カフェ」に行った。筆者もしチャンスがあったら一度猫カフェに行きたかったんである。たまたま近くにあったので千載一遇のチャンス。今は家にミニチュアダックスのRinがいるが、かつてはニャンコ二匹と同居したことがある。20代の頃恵比寿のアパートで「ももこ」と、40代今のマンションで「ぴあの」。もしもう一度ニャンコを、となれば数種類候補がいる。そのうちの一種がアメショーだった。ここにもアメショー他、いろんなニャンコたちがマイペースであちこちのんびり徘徊していた。犬と違って唯我独尊マイペースなのは、ニャンコの愛すべき最大の特性だ。
下の写真のニャンコはここのボスらしい。いつもこの箱の上が定位置で、横になってガムシロやミルクなどの残量を監視しているようだった。
アメショーと一緒に撮ったMinamiとYuuga。いわゆる、いとこ同士になる。
前述のように南町田はグランベリーパークの新規建て替えに伴い、駅舎も全面新築となった。駅名も「南町田グランベリーパーク」駅と改称。階段から俯瞰するホームはまるでミニチュアのジオラマを見るような光景だった。ホームの向こうに滝が流れている。近未来映画のCG画像みたいであった。コロナがなければもっと混雑していたに違いない。
2020年代後半には筆者の地元鷺沼駅も新築される。規模はこれほどではないが、いったいどんなデザインになるのだろうか。設計事務所はどこが請け負うのだろうか、なんて今から楽しみである。
------
付録。余談。蛇足。
娘の家では昨年ニャンコを飼った。それがアメショー、アメリカンショートヘアである。名前は「コチョ」と言う。昨年夏娘たちが家族旅行へ行くと言うので、2日だけウチでこの子を預かることになった。実に可愛い。Macで仕事をしていると目の前の図面資料にズデンと居座り、なんか文句あるか?と言わんばかりの泰然自若の、人間界の規範や習慣の空気を全く読まない立ち居振る舞いが、逆にまた可笑しくて可愛いんである。以前同居していたニャンコ「ぴあの」と同じである。なかなかのイケメンであった。
桜も咲き始め、陽気もよく、反して閉塞感漂うコロナショック、これを払拭(ちょっとダジャレ)する1日だった。しかし相変わらずウィルスとともに暗いムードが蔓延しているこの地球。人それぞれの立ち位置で考え方も千差万別、人それぞれが抱えている悩みも千差万別。世界中の人々が一刻も早く、この暗渠(あんきょ)からの脱却を希(ねが)うのは筆者だけではないと思う。
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自粛。東日本大震災での自粛は鎮魂歌として、失われた人命に対する思いを表現するために自主的に行われた。日本人のモラルとして不謹慎にならぬようにと。しかし今回のコロナ自粛は意味が違う。確かに同じくコロナで亡くなった多くの方への精神論もあるけれど、それよりも世界の人の命を守る、自衛のための自粛である。同じ自粛でも意味が違うと思うわけで。
さて、毎日コロナ疲れでは身がもたない。せめて不謹慎にならぬ程度にこのブログは続けたいと思うわけで。連盟、Queens、フレンズ広報担当としての野球ネタはまだしばらくは書けない。
先日の三連休初日に息子家族の元へ遊びに行ってきた。南町田である。息子の住むマンションの外廊下、遠くの山並みからヒョッコリ富士山が頭だけのぞかせていた。疫病が世界中に蔓延してる中、富士山を見ただけでウィルスが払拭され、心が浄化されたような気分になる。
息子はフレンズの前監督Itohくんと同期である。某IT企業でとんでもない仕事をしている。ブラック企業となってしまうのでここでは企業内容は詳しくは書けないが、夜中の1時に帰宅して自宅で仕事の続きをやり、少し仮眠して朝早くまた出社の繰り返し。筆者が10年前の50代前半の頃勤務していた会社では、1ヶ月の時間外労働が250時間を超えたことがあったが、話を聞けばそれを超えているらしい。しかも会社始まって以来の最年少管理職への飛び級の昇進で、全社的に一目置かれる存在になるも、周囲から妬み嫉みもあって心身ともに疲れているようだ。しかし、息子はどこかそれを楽しんでいるように日々仕事をしているようだった。単純に30代だから体力的に出来るというのではなく、おそらく彼の性格なのだろう。筆者も若い頃はそんな精神的気概はあったものの、バイタリティーの面では彼に及ばない。親としては頼もしく思える反面、身体には気をつけてもらいたいものである。
夕刻になって息子宅を辞去。がしかし、この日は息子の嫁さんの誕生日でもあり、南町田駅へ戻って皆で晩飯にしようとなって、息子家族と一緒にアウトレット施設、新生グランベリーパークへ。かなりの人出だったが、コロナがなければもっと混雑していたに違いない。偶然ではあるが筆者は昨年某社の依頼でこの一角のキッズゾーンの一部を実施設計したんである。クライアントとの打合に訪れた当時は、鉄骨が林立しクレーン車と仮設事務所のプレハブだらけだったが、今は駅舎も含めて全面リニュアルとなってすっかり生まれ変わった。全てゼロから建て替えたと言っていい。富士山はすでに闇に消えかかっていた。
娘には女の子が二人いる。上の子は昔ブログに書いたMinamiである。2才になる直前に重度の白血病にかかったがなんとか紆余曲折を経て今はとても元気にしている。20才になるまでは再発の可能性が否定できないとのことで、今でも年に数回検査通院。事もあろうになんという因果だろうか、つい先日下の妹のMiuが入院した。別の大病であった。この4月には小学入学を控えた矢先である。無事退院しても毎日インスリン注射を欠かさず、一生付き合っていかねばならないもの。母親(娘)の苦労はいかばかりか。個人的にはコロナなんて吹き飛んでしまう家庭事情。
そんな中で娘は病院へ、息子家族に遊びに行くことを楽しみにしていた、娘孫のMinamiだけが一緒にここへ来たのだった。
焼肉屋で晩飯をとり、ついでに「猫カフェ」に行った。筆者もしチャンスがあったら一度猫カフェに行きたかったんである。たまたま近くにあったので千載一遇のチャンス。今は家にミニチュアダックスのRinがいるが、かつてはニャンコ二匹と同居したことがある。20代の頃恵比寿のアパートで「ももこ」と、40代今のマンションで「ぴあの」。もしもう一度ニャンコを、となれば数種類候補がいる。そのうちの一種がアメショーだった。ここにもアメショー他、いろんなニャンコたちがマイペースであちこちのんびり徘徊していた。犬と違って唯我独尊マイペースなのは、ニャンコの愛すべき最大の特性だ。
下の写真のニャンコはここのボスらしい。いつもこの箱の上が定位置で、横になってガムシロやミルクなどの残量を監視しているようだった。
アメショーと一緒に撮ったMinamiとYuuga。いわゆる、いとこ同士になる。
前述のように南町田はグランベリーパークの新規建て替えに伴い、駅舎も全面新築となった。駅名も「南町田グランベリーパーク」駅と改称。階段から俯瞰するホームはまるでミニチュアのジオラマを見るような光景だった。ホームの向こうに滝が流れている。近未来映画のCG画像みたいであった。コロナがなければもっと混雑していたに違いない。
2020年代後半には筆者の地元鷺沼駅も新築される。規模はこれほどではないが、いったいどんなデザインになるのだろうか。設計事務所はどこが請け負うのだろうか、なんて今から楽しみである。
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付録。余談。蛇足。
娘の家では昨年ニャンコを飼った。それがアメショー、アメリカンショートヘアである。名前は「コチョ」と言う。昨年夏娘たちが家族旅行へ行くと言うので、2日だけウチでこの子を預かることになった。実に可愛い。Macで仕事をしていると目の前の図面資料にズデンと居座り、なんか文句あるか?と言わんばかりの泰然自若の、人間界の規範や習慣の空気を全く読まない立ち居振る舞いが、逆にまた可笑しくて可愛いんである。以前同居していたニャンコ「ぴあの」と同じである。なかなかのイケメンであった。
桜も咲き始め、陽気もよく、反して閉塞感漂うコロナショック、これを払拭(ちょっとダジャレ)する1日だった。しかし相変わらずウィルスとともに暗いムードが蔓延しているこの地球。人それぞれの立ち位置で考え方も千差万別、人それぞれが抱えている悩みも千差万別。世界中の人々が一刻も早く、この暗渠(あんきょ)からの脱却を希(ねが)うのは筆者だけではないと思う。
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2020年3月22日日曜日
冬の閉塞感と春の開放感
まずは連盟広報からの速報である。宮前少年野球にとっての。
本日連盟役員の会議があり、コロナによる今後の大会予定や30th記念事業に関する協議が行われた。筆者は記念誌委員と言えど正式役員ではないので出席は思い止まり辞退。会議終了後、速攻で連絡網メール配信された。ここでは詳細は書けないが、各チーム事務局へ配信された内容をコピペする。
事務局員各位
お疲れ様ですSatohです。
本日連盟役員会を開催し、下記の決定を行いましたのでチーム内へ周知をお願い致します。
記
・自粛期間は3/27(金)までとする
・春季大会は4/12(日)から開始として、ジュニアの部は実施しない
・今後の予定説明を4/5(日)9時から代表者会議を実施する(第一公園のバックネット前)
以上
「今後の予定説明」は各チーム必ず出席をされたし。詳細の説明があるはずである。また、老婆心ながら広報から補足するなら、最初の「・自粛期間は3/27(金)までとする」に続き「但し今後の新型コロナの状況によっては、この限りではない」または「但し今後の新型コロナの状況によっては、変更の可能性もあります」を追記したい。「緊急事態宣言」にまでは至らず、条件付きで各種イベントなどは解禁となった経緯を鑑みたのであろう。今の日本の状況は国民の命を守ることと、経済の停滞を緩和させることのせめぎ合いの中で苦しい選択を迫られている訳で。さらに大局的に言えば少年野球のみならず全国の閉塞的環境の子どもたちの、心のケアにも配慮したことだろう。
※追記:川崎市教育委員会から。施設開放禁止は3/31まで延期となった。28日から活動再開出来ても、グランドは相変わらず確保が出来ないことになる。
政府の休校要請以来、近所や遠方の公園をバイクまたは徒歩で通過する機会が多くあったけれど、ほとんどの公園では普段では考えられないほどの、多くの親子が伸びやかに運動を楽しんでいた。ある公園では電動ママチャリが10台ほど整然と並んで、子と一緒にワイワイやっていた公園もあった。テレワーク父だろうかお父さんの姿も散見される。休校宣言直後のニュースでは「公園で子供の声がうるさい」などの苦情があったり、学校の先生が公園をパトロールして、子供たちに帰宅を促したりという、妙な違和感を覚える報道があった。数日後やっと政府からは「健康維持のため公園などでの子どもの活動は決して否定はしない」みたいな声明がなされたわけで。筆者が広報官ならば、事前に十分予期できたことだから、公園で遊ぶことは規制しないと一言添えたに違いないのだが。スピード重視の現状では致し方なかったのかもしれない。今となってはこの筆者の慧眼?(けいがん)はコロンブスの卵と言われてもしょうがないけれど。ちょっと考えれば分かることである。
筆者は公園で遊ぶ子らを見るのが大好きだ。あくまでも親も含めて自己責任ではあるけれど、子供は屋外で楽しく遊ぶのが仕事である。赤ん坊は大声で泣くのが仕事だと、大昔から言われているように。大人が仕事で金を稼ぐのと同義語かもしれない。諸外国のように非常事態宣言がなされて、外出禁止令でも出ていれば話は違うが、現段階での公園の賑わいは良いことだと思う。但し日本はコロナ大爆発直前との専門家の意見もある中、そーなる可能性もあることは頭の隅に置いておこう。
公園事情に関して個人的に唯一困ったこともある。筆者は公園のベンチでコーヒーとアイコスで一服するのが日常の至福の楽しみであるが、近くに子どもがいた場合は副流煙を考慮して吸わないことにしている。万一、一服している間に子どもが近寄ってきたら、自らベンチを立って隅っこの方でそそくさとタバコを終えて早々に退散する。今回の「公園子ども満載現象」で、筆者の密かな楽しみを奪われてしまったけれど、公園の元気な子らの声がこだまする光景を見れただけで、ベンチまで行かずに退散するも、これはこれで喜ばしいことだと思う今日この頃なんであった。
.....
さてと、写真ブログが少年野球「晴耕雨読」の真真骨頂。ここからは写真を交えて鬼才が記載するわけで。
やっと記念誌が納品された。すぐに納品先の母宅へ自分の分を取りに行く。これは制作者としての当然の責務である。作品の検証をしなければならない。過去にQueens記念誌の時はグラデーション印刷に問題があって、印刷会社にクレームをつけた経緯があるから今回も予断は許さないのである。
記念誌はフレンズ内部関係者で「配付会」を3/22に開催予定だった。これは配付リストを管理する母の負担を軽減するためでもある。週末たまたまそこにいる親たちに、だらだらとあっちこっち配付し、毎回いちいちチェックしていたのではストレスが溜まるわけで、一気に整然と配付した方が良いと判断したんである。しかしながらコロナ情勢を鑑みて止む無く延期となった。
記念誌を手にとって印刷会社の重大な瑕疵が発見された。ガックシなんである。Qに続きまたかよ。俺のフレンズでの最後の集大成が台無しになった。簡単に言うと本来黒一色であるべきテキスト部分が、青が混じった青黒いフォントになり、なおかつ文字が正常よりかなり太く印刷されているのだった。全体ならばまだ看過出来るも、ページによって変化するからもう手に負えないわけで。正常と異常が混在する現象が散見され、実に参った。本日、印刷会社へ正当なクレームを少し強めの文章で抗議、対応を求めたんである。
記念誌内で使用した写真を数枚アップ。ネタバレになるので記念誌が公式に配付されるまではまだ具体的な紹介は避けたい。編集後記ページでハーフトーンで配置した写真2枚。シャーペンは長年愛用しているドイツのステッドラー社製。もちろんPCは愛機Mac。
「フレンズ活動地域の小さなページ」で使用した、近隣のセンター北駅前の写真。有馬地方の写真と同じく、2月の晴天の日にバイクで出かけて撮った写真である。もやはフレンズは有馬村のみならずオシャレな横浜までその範疇に入っている。川崎有馬小から数歩歩けばそこは横浜なんであるからして。
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筆者は13冊を確保した。息子と娘に各一冊、そのほか娘時代のOBオヤジと今でも交流があるので彼らに配付のため数冊。筆者の今後のための数冊。少しでも早くYanagusawa代表に届けたいとの思いからイレギュラーで更に2冊を今日届けたんである。Kanedaさんには遠方なので次回配付会にて。更にこれとは別個に連盟記念誌委員会へ参考資料として十数冊確保している。もしこれをかつての宮前連盟の至宝、事務局Nishumuraさんが見ていて、住所を個人的にお知らせいただけたら、速攻郵送したい。連盟20周年記念誌の完成度と精度の高さは氏の活躍と尽力を無くしては語れない。
愛車赤カブをシャリシャリ、ガックンガックン言わして疾走、まずは同じマンションのOBオヤジSugiyamaさんを皮切りに、Matsuda、Hatakeyama、最後の代表Yanagisawa宅のポストへお届け。晴天のうららかな空の下、カブは快調にひた走る。ふと思った。この彼らの名前の一文字めを順番に列記すれば、「杉〜松〜畠〜柳」...皆日本の原風景を彷彿とさせる樹々の数々ではないか。
コロナで閉塞感の漂う中、先の公園の子らの光景と言い、なんかちょっぴり楽しい1日であった。
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この下のニャンコ写真については、次回ブログにて。
「明けない夜はない」
「春の来ない冬はない」
日本だけではなく世界に目を転じて最悪の状況を考慮しつつも、桜の春の訪れと共にほんの少しトンネルの先に光明が見えてきたと思うのは、私の甘い考えだろうか。筆者にもまだ分からないけれど。
日本はオーバーシュート(爆発的感染)の危険も孕んでいるので、ゆめゆめ気を緩めてはいけない。
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本日連盟役員の会議があり、コロナによる今後の大会予定や30th記念事業に関する協議が行われた。筆者は記念誌委員と言えど正式役員ではないので出席は思い止まり辞退。会議終了後、速攻で連絡網メール配信された。ここでは詳細は書けないが、各チーム事務局へ配信された内容をコピペする。
事務局員各位
お疲れ様ですSatohです。
本日連盟役員会を開催し、下記の決定を行いましたのでチーム内へ周知をお願い致します。
記
・自粛期間は3/27(金)までとする
・春季大会は4/12(日)から開始として、ジュニアの部は実施しない
・今後の予定説明を4/5(日)9時から代表者会議を実施する(第一公園のバックネット前)
以上
「今後の予定説明」は各チーム必ず出席をされたし。詳細の説明があるはずである。また、老婆心ながら広報から補足するなら、最初の「・自粛期間は3/27(金)までとする」に続き「但し今後の新型コロナの状況によっては、この限りではない」または「但し今後の新型コロナの状況によっては、変更の可能性もあります」を追記したい。「緊急事態宣言」にまでは至らず、条件付きで各種イベントなどは解禁となった経緯を鑑みたのであろう。今の日本の状況は国民の命を守ることと、経済の停滞を緩和させることのせめぎ合いの中で苦しい選択を迫られている訳で。さらに大局的に言えば少年野球のみならず全国の閉塞的環境の子どもたちの、心のケアにも配慮したことだろう。
※追記:川崎市教育委員会から。施設開放禁止は3/31まで延期となった。28日から活動再開出来ても、グランドは相変わらず確保が出来ないことになる。
政府の休校要請以来、近所や遠方の公園をバイクまたは徒歩で通過する機会が多くあったけれど、ほとんどの公園では普段では考えられないほどの、多くの親子が伸びやかに運動を楽しんでいた。ある公園では電動ママチャリが10台ほど整然と並んで、子と一緒にワイワイやっていた公園もあった。テレワーク父だろうかお父さんの姿も散見される。休校宣言直後のニュースでは「公園で子供の声がうるさい」などの苦情があったり、学校の先生が公園をパトロールして、子供たちに帰宅を促したりという、妙な違和感を覚える報道があった。数日後やっと政府からは「健康維持のため公園などでの子どもの活動は決して否定はしない」みたいな声明がなされたわけで。筆者が広報官ならば、事前に十分予期できたことだから、公園で遊ぶことは規制しないと一言添えたに違いないのだが。スピード重視の現状では致し方なかったのかもしれない。今となってはこの筆者の慧眼?(けいがん)はコロンブスの卵と言われてもしょうがないけれど。ちょっと考えれば分かることである。
筆者は公園で遊ぶ子らを見るのが大好きだ。あくまでも親も含めて自己責任ではあるけれど、子供は屋外で楽しく遊ぶのが仕事である。赤ん坊は大声で泣くのが仕事だと、大昔から言われているように。大人が仕事で金を稼ぐのと同義語かもしれない。諸外国のように非常事態宣言がなされて、外出禁止令でも出ていれば話は違うが、現段階での公園の賑わいは良いことだと思う。但し日本はコロナ大爆発直前との専門家の意見もある中、そーなる可能性もあることは頭の隅に置いておこう。
公園事情に関して個人的に唯一困ったこともある。筆者は公園のベンチでコーヒーとアイコスで一服するのが日常の至福の楽しみであるが、近くに子どもがいた場合は副流煙を考慮して吸わないことにしている。万一、一服している間に子どもが近寄ってきたら、自らベンチを立って隅っこの方でそそくさとタバコを終えて早々に退散する。今回の「公園子ども満載現象」で、筆者の密かな楽しみを奪われてしまったけれど、公園の元気な子らの声がこだまする光景を見れただけで、ベンチまで行かずに退散するも、これはこれで喜ばしいことだと思う今日この頃なんであった。
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さてと、写真ブログが少年野球「晴耕雨読」の真真骨頂。ここからは写真を交えて鬼才が記載するわけで。
やっと記念誌が納品された。すぐに納品先の母宅へ自分の分を取りに行く。これは制作者としての当然の責務である。作品の検証をしなければならない。過去にQueens記念誌の時はグラデーション印刷に問題があって、印刷会社にクレームをつけた経緯があるから今回も予断は許さないのである。
記念誌はフレンズ内部関係者で「配付会」を3/22に開催予定だった。これは配付リストを管理する母の負担を軽減するためでもある。週末たまたまそこにいる親たちに、だらだらとあっちこっち配付し、毎回いちいちチェックしていたのではストレスが溜まるわけで、一気に整然と配付した方が良いと判断したんである。しかしながらコロナ情勢を鑑みて止む無く延期となった。
記念誌を手にとって印刷会社の重大な瑕疵が発見された。ガックシなんである。Qに続きまたかよ。俺のフレンズでの最後の集大成が台無しになった。簡単に言うと本来黒一色であるべきテキスト部分が、青が混じった青黒いフォントになり、なおかつ文字が正常よりかなり太く印刷されているのだった。全体ならばまだ看過出来るも、ページによって変化するからもう手に負えないわけで。正常と異常が混在する現象が散見され、実に参った。本日、印刷会社へ正当なクレームを少し強めの文章で抗議、対応を求めたんである。
記念誌内で使用した写真を数枚アップ。ネタバレになるので記念誌が公式に配付されるまではまだ具体的な紹介は避けたい。編集後記ページでハーフトーンで配置した写真2枚。シャーペンは長年愛用しているドイツのステッドラー社製。もちろんPCは愛機Mac。
「フレンズ活動地域の小さなページ」で使用した、近隣のセンター北駅前の写真。有馬地方の写真と同じく、2月の晴天の日にバイクで出かけて撮った写真である。もやはフレンズは有馬村のみならずオシャレな横浜までその範疇に入っている。川崎有馬小から数歩歩けばそこは横浜なんであるからして。
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筆者は13冊を確保した。息子と娘に各一冊、そのほか娘時代のOBオヤジと今でも交流があるので彼らに配付のため数冊。筆者の今後のための数冊。少しでも早くYanagusawa代表に届けたいとの思いからイレギュラーで更に2冊を今日届けたんである。Kanedaさんには遠方なので次回配付会にて。更にこれとは別個に連盟記念誌委員会へ参考資料として十数冊確保している。もしこれをかつての宮前連盟の至宝、事務局Nishumuraさんが見ていて、住所を個人的にお知らせいただけたら、速攻郵送したい。連盟20周年記念誌の完成度と精度の高さは氏の活躍と尽力を無くしては語れない。
愛車赤カブをシャリシャリ、ガックンガックン言わして疾走、まずは同じマンションのOBオヤジSugiyamaさんを皮切りに、Matsuda、Hatakeyama、最後の代表Yanagisawa宅のポストへお届け。晴天のうららかな空の下、カブは快調にひた走る。ふと思った。この彼らの名前の一文字めを順番に列記すれば、「杉〜松〜畠〜柳」...皆日本の原風景を彷彿とさせる樹々の数々ではないか。
コロナで閉塞感の漂う中、先の公園の子らの光景と言い、なんかちょっぴり楽しい1日であった。
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この下のニャンコ写真については、次回ブログにて。
「明けない夜はない」
「春の来ない冬はない」
日本だけではなく世界に目を転じて最悪の状況を考慮しつつも、桜の春の訪れと共にほんの少しトンネルの先に光明が見えてきたと思うのは、私の甘い考えだろうか。筆者にもまだ分からないけれど。
日本はオーバーシュート(爆発的感染)の危険も孕んでいるので、ゆめゆめ気を緩めてはいけない。
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有馬フレンズOB、宮前Queens、宮前区少年野球連盟のブログを通じた広報担当です。写真と文章のブログ、たまには個人的日々雑感も。
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