2020年6月10日水曜日

老兵は死なず

コロナ解禁からだいぶ時が流れた。昨日神奈川県での感染者は3月以来やっと0人を達成したものの、神奈川は東京と一蓮托生、筆者的には神奈川よりも東京の数字しか眼中にない。筆者もかつては仕事で1日の大半を東京渋谷区で過ごしたクチである。神奈川の自宅にはほとんど寝に帰るだけの生活をしていた時期もあった。少年野球的には宮前の第一第四公園は開放されたものの、各小学校の施設開放はいまだに様子見で不透明。筆者はほぼ毎日川崎市教育委員会のHPをチェックしているが、5月下旬から更新されていない。遠くない将来には解禁がなされるだろう。ただ第二波の波が押し寄せてきたら、それもヌカ喜びとなってしまう可能性もなきにしもあらずではあるが、希望的観測ではそろそろかなと思う今日この頃ではある。解禁後の第一第四公園使用にあたり、使用チームとそれ以外のチームとの不公平感を緩和するために、連盟はこのところ調整に奔走していることを一言添えておきたい。近い将来各チームがグランドで笑顔で会える日を渇望しているのは、連盟のみならず各チーム関係者、保護者、とりわけ一番は野球大好き小僧、野球少年少女たちの希いであろう。

さて筆者のコロナ禍の最近のブログでは、仕事の合間や休日の公園巡りの記述が多く、また映画などの話も多々アップしてきた。先日は以前から行きたかった「ワークマンプラス」に行ってきた。周知のようにワークマンの商品がバカ売れしているのである。中でも超撥水ジーンズなんかが代表格である。筆者の近くにあるワークマンプラスは横浜茅ヶ崎方面である。おっと、潮の香りがするサザン的茅ヶ崎ではなく、センター南方面の森林の香りのする茅ヶ崎だ。お目当ての商品を購入後カブで帰宅しようと再度iPhoneのGoogleMapで帰路を検索すると、すぐ近くに茅ヶ崎公園があった。公園大好き筆者は迷うことなくハンドルをその公園へ向けアクセルをふかした。

横浜都筑区の公園は実に素晴らしい。GoogleMapで検索すると宮前第一公園の何倍もの大きな自然公園が、小川の流れる細い緑道というか遊歩道で連結されているのが実に多い。先日も書いたけれど、山崎公園=牛久保西公園=牛久保公園=徳生公園。先日来の鴨母子のブログを参照。そこから遊歩道が伸びて更には神無公園、山田富士公園、横浜国際プールまで繋がっているのは最近知った。横浜の公園行政と都市計画に感服である。想像してみて欲しい。宮前で例えるなら、第一公園から第四公園までクルマの通らない小川の流れる緑の遊歩道で繋がっているようなもの。

この茅ヶ崎公園も実に魅力的な公園だった。自然を活かしつつ市民がゆったりと遊歩道を歩き、子どもたちが広場で遊び、父と息子が川や池で熱心に虫取りをし...。小さな池が二つあり市民プールも設置されている。

「生きている」という実感をカラダ中に吸い込むことができるのが公園散策の最大の愉しみである。
「生きている」と言えば...。
このハイビスカスの鉢植えは今はなきスーパー丸正で購入してもう十年くらいになるだろうか。冬の間はこれでもかと言わんばかりに枯れてしまってカランカランに干からびるのに、夏になると別人のような姿に変貌を遂げ、ベランダのハイビスカスが今年も咲いた。人間界がコロナで右往左往している間に、植物にとってはコロナウィルスなんてどこ吹く風、圧倒的な赤を誇示するように咲いてくれたのだった。

「生きている」と言えば...。
ほぼ毎日のように近所の神明神社を通る。大きな樹の下でストレッチをして階段をダッシュで駆け登り近くの公園までランニングしちゃうのが最近のルーティンワーク。ここの欅(ケヤキ)の大木が伐採されたことは以前書いた。その樹齢何百年の欅の切り株に鬱蒼とした新緑の枝葉がギュンギュン伸びていた。「敗戦の将多くを語らず」でありなおかつそれでも「老兵は死なず」。筆者のようなちっぽけな人間よりも何百年もこの地で有馬の風景をじっと見つめてきた老木である。それがどうだろう、胴体をバッサリ切られてもなおこの生命力と蘇生力。この樹々の姿を見ているとなんだか老境を迎えた自分もチカラを与えられたような気がするのであった。

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2020年5月31日日曜日

広報から速報

連盟広報およびフレンズ広報、Queens広報として速報です。
そろそろかとは思っていたけれど、ついに宮前第一・第四公園の連盟の活動が川崎市から解禁されたようである。
以下、連盟Satoh事務局長から各チームへ送付されたメールを公開。

チーム各位
お疲れ様です事務局Satohです。

先日下記連絡をしておりましたが、明日から学校も段階的ではありますが再開しますので、チームの活動につきましても条件付きではありますが、再開を認めます。

条件とは活動を再開するにあたりチーム内(特に父兄)の同意を得たうえで、先日送付済みの全軟連・日本スポーツ協会の感染予防ガイドラインの履行となります。
これによりチームの責任において活動を再開出来るものと致します。

活動を再開した際は、くれぐれも地域でトラブルとならないようお願い致します。


※続く別メール。


連盟各位
6/6(土)より第一・第四公園の利用が可能となりますが、再度感染の拡大により利用が制限された際はそちらが優先されます。


学校のグランドが利用出来ないチームへの配慮とし、記載チームの割り当ての変更がある事を前提に、活動を再開するにあたり十分な感染予防を心掛け、トラブルが発生しないよう公園利用をお願い致します。

今は昔、コロナ自粛に伴い学校の施設開放も利用不可とされたのはいつの頃だったろうか。当時学校グランドは使えない状況でもまだ第一・第四公園利用は容認されたいた。しかし、第一・第四公園利用チームは練習ができて、他の多くのチームは活動ができないという事情を鑑み、不公平性を排除するために連盟の英断により、全てのチーム活動を自粛要請したのだった。おそらくこれを読んでいるチーム関係者の多くは知らない事かもしれない。そんな中でもあるチームはとある公園で平気で活動を...なんて個人的に耳に入って来たこともあった。フレンズやQueensではいち早く状況を厳粛に受け止めすぐに活動を休止していた。

6/6(土)から公園利用は再開、しかしながら、宮前各グランドの施設開放はいまだにアナウンスがない。筆者すぐに川崎市教育委員会HPで確認したがまだ更新はされておらず、現段階では(これを書いている5/31夜)施設開放はまだ容認されていない。「学校再開後も当面の間利用は禁止」のままである。しかし、昨日今日の状況変化を考慮し、おそらく近日中に解禁されるものと思われる。

ところが実に気になるニュースが先ほど飛び込んで来た。
耳目(じもく)を集めている北九州市の感染状況である。若年齢の子らはほぼ感染しない、または感染しても軽傷だというのは皆周知の通り。しかし北九州市の小学校でクラスターが発生したとのこと。
ゆめゆめ、一気に以前のような活動を再開してはいけないのだろう。再開には連盟連絡にもあるように、慎重に公的ガイドラインを遵守しつつ活動再開していただきたい。この「公的ガイドライン」とは、過日このブログでアップしたガイドラインである。参考にしていただきたい。
各チーム殿、先の連盟連絡に添付されたPDF、「全軟連・日本スポーツ協会の感染予防ガイドラインの履行」を遵守して、よろしくお願い致します。

全ては宮前・川崎、ひいては全国の子どもたちのために。
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2020年5月30日土曜日

マチネの終わりに

TSUTAYAディスカスで借りた映画2本。
「天気の子」は「君の名は」より更なる圧倒的なリアリティーで素敵な映画だった。

昨日観たのは「マチネの終わりに」
劇中スペインからパリへ石田ゆり子に会いに来た福山。彼が彼女に結婚を申し込む。こんなセリフがある。
石田ゆり子が、
「私たちまだ3回しか会ってないのよ。それに私、近く結婚するのよ!」
これに対して福山雅治が言う。
「だからそれを止めに来たんだ」
...くうぅぅ〜、そう来たか〜、なんである。

以前は石田ゆり子って筆者的には全然だったけれど、数年前何かのCMを見て突然めちゃくちゃ素敵に見え始めたんである。彼女は年齢を重ねてからの存在感が素晴らしい。中年以降になって輝く男優はあれど、女優はそれほど多くはない。それに気づいたのは多分筆者も年を経たからに違いない。笑顔の端っこのどこかに憂いを含んだ控えめな寂しさのある表情は、彼女が持って生まれた天性のもので、演技では出せないのではと思っちゃう。
ほんの少しだけ、おこがましいけれど拙著小説「月に雨降る」に通底するような、大人の恋愛ドラマであった。神島龍一と希伊みたいな...。
石田ゆり子さま、10年若かったらプロポーズしていたに違いない。
ただし、筆者は福山のようなイケメンではないし、世界を股に活躍する高名な音楽家の大金持ちでもないし、フサフサの黒髪を搔き上げるほどの毛髪もない。如何ともし難い現実がそこの横たわっているのでった。

好きな小説が映画化されたら大抵は観るけれど、ほとんど小説に勝る映画はない、と言うのが筆者の持論ではあるが、逆輸入的に今度原作の平野啓一郎の小説を読んでみようと思う。しかしその際に問題となるのが、小説を読む際、頭の中ではすでに観た映画の映像化されたイメージが渦巻くわけで、純粋に活字から自分の想像力でイメージする障壁となっちゃうことだ。それでも、まいっか。

さて話変わって。コロナ全面解除とはいえ現実的には段階的解除の今日この頃、赤カブで買い物ついでに第一公園へ。宮前少年野球連盟の一員としては実に懐かしいと言えるほどだった。たったの3ヶ月なのに。一時期は第一と第四が閉鎖されたと聞き及んだけれど、今日はお天気も良く中学生と思しき元気な愛すべき野郎どもが野球をやっていた。彼らも多分、小学生の頃はここで汗を流した宮前の子だったに違いない。

丘の上の愛煙家の通称「峠の茶屋」に行ってみると、如何ともし難い荒れた侘しい光景が...と書けば大げさだけれど、連盟主催の野球が自粛で数ヶ月使われなかっただけで、落ち葉や枯れ枝が散乱し、少し悲しい気分であった。まるで自粛で閉鎖された錆だらけの町工場みたいに。
筆者、自称公園大好きオジサン。以前からコロナ公園閉鎖について思うところがあった。仮に大きな公園利用者が10とする。近隣の小さな公園のそれが5とする。大きな公園を閉鎖して密を避けた時、代わりに小さな公園にはその10の人たちが流入し一気に5から15にまで膨らむ危険性はないのかと。全てを解決することは実に難しいものである。

...
さて最後にお茶濁し。
過日ここで「リモートワーク」のダジャレを書いた。面白かったかどうかの真偽は審議しないとわからない。
もう一発浮かんじゃったので、書いてしまう。

リモート飲み会が流行っている。会社同僚の男二人が試しにこれをやろうとする。TV電話で連絡する。
A「おう、元気?」
B「ん、元気だよ」
「あのさあ、リモート飲み会って流行ってんじゃん?俺らもやってみたくね?」
「おお、いいねえ、やろうよ」
「でさ、俺ら男二人じゃつまんないからさ、お互いに女子を誘ってやろうよ」
「リモート合コンってか?いいけど俺、女子の知り合いあんましいねえんだよなあ」
数時間後。
A「みんな準備できたかな?じゃ紹介します。こちら俺の知り合いの女子C子さんとD子さんとE子さんでぇーす」
B「あ、ども。Bです」
A「んで、Bの女子は?」
B「はあ、あの、こちら俺の妹です。妹しかいなかった」
A「リモート飲み会、妹のみかい?」
....
じゃんじゃん。
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一日の終わりに

今0:40、土曜の深夜。
映画三昧の私は、ちょうど福山雅治と石田ゆり子の「マチネの終わりに」を観終わったばかり。
この映画は極私的に素晴らしい内容で、壮年の域に達した今の自分にとっても、
実に感慨深いものであった。

そんな素人の「映画感想文」はともかく、
本日やっと「アベノマスク」が到着。

どれどれ、ちょっとつけてみた。
おやおや、サイズ感はぴったりではないか。
安倍さんの映像では顎がマルッと露出する感じがなんとも、
昭和的なダサイ感じ満載と思ったのだけれど、
私が装着したら案外ピタリフィットしちゃったんであった。でもやはりちょっと小さめ。
普段からマスク依存症ではない私にとって、布製マスクなんて何十年ぶりだろうか。
ちょっと懐かしい香りがしたのだった。

「マチネの終わりに」の素人の「映画感想文」はまたいつか。
自粛要請でネット販売などの日本の物流量は激増、日夜大量のこのマスクなどを郵政赤カブを駆って、配達してもらっている郵便局員さんにも感謝。
医療従事者のみならず、彼らにも今日のブルーインパルスの爽快な、感謝の意を表した姿を届けたい。

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2020年5月28日木曜日

猫と鴨とオヤジ

以前も書いたように今の自粛期間もそれ以前の昔からも、公園大好きオヤジは週末には横浜の公園へ行くのであった。エコノミークラス症候群予防のためと、運動不足解消と、精神的ストレス発散と、肉体が太陽光線を浴びてココロの光合成を促すためである。新緑の木漏れ日と吹き渡る柔らかな風を胸いっぱいに吸い込んだのち静かに息を吐き出せば、それは二酸化炭素ではなく、キレイな酸素を生成しているような錯覚さえ覚えるのであった。

公園に行くとコロナ自粛によるマスコミ報道の影響を目の当たりにするわけで、日本人は実に正直で素直で真面目である。公園の「密」の危惧報道があれば公園での人々の往来は少なくなり、緩和の方向へ動いていると報じられれば、すぐに人が増える。しかしどちらにしても行き交う人たちは皆、言葉少なに穏やかな表情と素敵な所作で、散歩なりジョギングなりを満喫しているんである。新婚と思われる若いカップルが仲良くジョギングしたり、老夫婦が静かに穏やかに散歩したり、息子の手を繋いだ若いお父さんが一心不乱に池の中の魚を探す姿、中年太りの男が孤独にランニングする様子...。

以前書いたけれど、散歩からスロージョギングにシフトアップしようと画策した筆者は、Amazonでランニングスタイルの上下を購入し、パッツンパッツンのスパッツのようなちょっと恥ずかしいモノをはき短パンでジョギングに挑んだのだった。なぜかと言うと、少し前地元の近辺を散歩途中に思い切ってしばらく走ったら、当然息切れしてゼイゼイしちゃったのだが、立ち止まり息が整うと今度は体が軽くなったような快感が身を包んできたんである。さらに神社の急な石段を一気に駆け上ると当然もっと息切れしてもっとゼイゼイしちゃったのだが、軽い疲労感ののちにまた少し体が軽くなったような不思議な感覚に囚われたのだった。体の中のコレステロールや脂肪分や、邪鬼や悪鬼や妖気や毒気、昨日食べた餃子臭や加齢臭などが、瞬時に身体から蒸発して浄化して行くみたいな。無理せず少しづつ距離を伸ばせば、もしやジョギングも出来ないと諦めるのは早いのではと思うようになったんである。最初に走った時は足首と腰に100kgのハンマーを打ち付けられたような衝撃を感じたので、やっぱ無理かと思ったのだが、無理せず諦めないことが肝心であった。

さて横浜の牛久保公園から徳生公園へ。ほんの少し走ってのち木漏れ日の美しい草むらでブルーシートを広げる。家から持ってきた冷たいブラックコーヒーをグビリ。冷たいビールなら至極の時間なのだが、バイクなので仕方ない。周りでは老若男女問わず10組くらいの様々なグループがシートを広げ、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、談笑や食事をしていた。シートに寝転びリュックから老眼鏡、カッコよく書けばローガンキョー、オシャレに言えばシニアグラス、を取り出し、村上春樹の新作エッセー「猫を棄(す)てる」を読む。

これは村上春樹氏が小学生だった頃の父親についての随筆である。氏と筆者は10歳くらい離れているが、彼の父の記憶の太平洋戦争の時代背景は、ギリギリ筆者のオヤジともダブってくるわけで。読み進むうちに小説の文章と並走しながら筆者の昔の記憶がどんどん溢れてくる。筆者が結婚した年の暮れにオヤジは他界しており、自分とオヤジの付き合いは20数年しかないのだが、今にして思えば当時のオヤジにもう一度会ってみたいと思うのであった。ちなみに式を挙げたあと池袋で小さな披露パーティーをやったのだが、山形から中学同級生のNaotoが駆けつけてくれたことも想い出した。当時22歳で結婚したので、中学同級生男子では結婚一番乗りだったはずである。

村上春樹が幼かった頃、家で飼っていた猫を父と一緒に海岸へ棄てに行ったところから話は始まる。大の猫好きだった村上少年がなぜ猫を棄てることを父親に抗議しなかったのかは記憶にないらしい。二人は家に帰り玄関を開けると、そこには先ほど棄てたはずの猫が先回りして戻り待っていたのだった。二人を出迎えて猫が言った。「にゃあ」...さだまさしもびっくりのTVCMを地で行く「にゃん白宣言」なのだった。

読みながら同時に溢れ出た筆者の小学低学年の頃の想い出。オヤジの自転車の後ろに乗って親戚の家に行きオヤジは酒を飲み、僕はかしこまって店でお菓子の端切れをご馳走になる。親戚の家は大國堂というお菓子屋だった。ロールケーキなどは両端をカットするとそれは廃棄処分されるもので、大量に余っていた。帰りはパチンコに寄って、酔ったオヤジがフラフラ自転車を漕ぎながら家路につく想い出だった。今にもコケそうな自転車の荷台にしがみついていた記憶がある。恐る恐る「とーちゃん大丈夫?」と背中に声をかければ「大丈夫だ!」...ちなみに当時のパチンコ屋は全て手動で左利き専用台もあり、椅子はなく客は立って球を打っていた。子どもだった僕は床に転がったパチンコ球を拾って、見よう見まねで球を弾いていた記憶がある。すっかりなくなるとオヤジがすかさず球を補充してくれて、また夢中になって一個一個ゆっくり打って遊んでいたのだった。
そんな昔の記憶を辿りながらもうすぐ62歳になる、ちょっと恥ずかしいスパッツを履いたオッサンは、本を閉じて目も閉じて、しばし穏やかな公園の喧騒を耳にしつつ横になる。

さて、この公園へ来る楽しみがもう一つ増えた。
先述のように鴨の親子が可愛くて仕方がないんである。以前からブログで書いたように鴨の母子がいつも公園を訪れる人たちの「癒し」になっていた。事あるごとに山形39LINEにも写真をアップ。1週間前は11羽だったが今回見てみると9羽になっていた。その理由といきさつはあまり想像したくないわけで。鴨の親子のイメージは母鴨が先頭に立ち子鴨がヨチヨチついて行くというものだが、この家族は反対で、子鴨たちが勝手にあちこち歩き回るのを母鴨が「おいおい、どこまで行くの」と慌てて子鴨のあとをついて行くのだった。一羽のやんちゃ坊主が斜面の上を登ると皆それについて行き、母鴨が慌てて後ろから見守るようについて行く。やんちゃ兄貴がいきなりターンして今度は川に入り母も後からついて行く。子どもたちが二手に分けれた。やんちゃ兄貴グループの半分はスタコラサッサ左方向へ、残り半分は気づかずに母の庇護のもとで右方向へ。ほどなくして異変に気付いた母鴨は慌てて左方向へ舵を切り、やんちゃ兄貴グループへ合流。そんな慌ただしくも微笑ましい光景は、ずっと見ていて実に飽きないのだった。下の動画はその時のもの。

頭をよぎったことがある。過日のブログでこの鴨たちを「横浜どーなるどダックス」と野球チームになぞらえて命名したけれど、鴨は英語で「ダック」であるが、ディズニーに出て来るドナルドダックは真っ白で、あれは「アヒル」ではないか?と。はて?アヒルは漢字で書くと「家鴨」となることは知っていたけれど、鴨、ダック、アヒル、家鴨...と頭が混乱しちゃったのだった。

家に帰り早速調べて見た。
結論。鴨はダックで正解。アヒルは鴨を家畜用に改良して羽が退化し小さくなり飛べなくして家に居着くようにしたものだそうだ。なのでアヒルは家鴨。同じ鴨の「ダック仲間」であった。犬や猫と同じく中世ヨーロッパで人間の都合で危険な交配を続けて、人工的に作られた愛玩動物と同じ経緯を辿ったのが、アヒル=家鴨だったのか。うちにいるミニチュアダックスのワンコの「りん」も人間が交配で作ったワンコである。足が短く鼻が長いのは狩猟犬に適しているからである。野原の穴に潜むネズミやモグラを仕留めるために、鼻が長くなったという説がある。そのほかのワンコも純血種以外はニンゲンの勝手で作られたという説を聞いた。それらは純血種に比べて寿命が短いことも知っている。

まあそれはともかく、カモ=ダック=アヒルであった。
最後にほっこりする話を。

ディズニーキャラではドナルドダックだけが「しゃべらない」キャラであるのをみなさん意識したことがあるだろうか。ミッキーはじめ他のキャラはちゃんと言葉を話すのに、ドナルドダックだけは「グエっグエっ、ぐわっぐわっ」とアヒル語でしかしゃべらないんである。しかもいつも文句ばっかり言っている。それでもちゃんと彼の意思や感情がストレートに伝わって、ミッキーたちと会話になっているのは、ウオルト・ディズニーの素晴らしいアニメーターとしての手腕であろう。小学生の頃夢中になってディズニーアニメをTVで観ていた。ちなみに筆者はディズニーよりもトムとジェリーが一番好きだった。特に悪役で間抜けで憎めないトムが大好きだった。これも一緒に観ていたオヤジの横で腹を抱えて笑っていたことを思い出す。

ではなぜドナルドダックだけ言葉を話せないのか?
世界中の子どもは健常者だけではない。中には先天的あるいは後天的に言葉を話せない子どもももいる。そんな障害を抱えた子でもちゃんとみんなと仲間になれる事を表現したかったのだそうだ。ウオルト・ディズニーおじさんの優しさである。以上はネット検索情報なので真偽は確認しようがないが、筆者はこれを信じたい。

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