コロナ解禁からだいぶ時が流れた。昨日神奈川県での感染者は3月以来やっと0人を達成したものの、神奈川は東京と一蓮托生、筆者的には神奈川よりも東京の数字しか眼中にない。筆者もかつては仕事で1日の大半を東京渋谷区で過ごしたクチである。神奈川の自宅にはほとんど寝に帰るだけの生活をしていた時期もあった。少年野球的には宮前の第一第四公園は開放されたものの、各小学校の施設開放はいまだに様子見で不透明。筆者はほぼ毎日川崎市教育委員会のHPをチェックしているが、5月下旬から更新されていない。遠くない将来には解禁がなされるだろう。ただ第二波の波が押し寄せてきたら、それもヌカ喜びとなってしまう可能性もなきにしもあらずではあるが、希望的観測ではそろそろかなと思う今日この頃ではある。解禁後の第一第四公園使用にあたり、使用チームとそれ以外のチームとの不公平感を緩和するために、連盟はこのところ調整に奔走していることを一言添えておきたい。近い将来各チームがグランドで笑顔で会える日を渇望しているのは、連盟のみならず各チーム関係者、保護者、とりわけ一番は野球大好き小僧、野球少年少女たちの希いであろう。
さて筆者のコロナ禍の最近のブログでは、仕事の合間や休日の公園巡りの記述が多く、また映画などの話も多々アップしてきた。先日は以前から行きたかった「ワークマンプラス」に行ってきた。周知のようにワークマンの商品がバカ売れしているのである。中でも超撥水ジーンズなんかが代表格である。筆者の近くにあるワークマンプラスは横浜茅ヶ崎方面である。おっと、潮の香りがするサザン的茅ヶ崎ではなく、センター南方面の森林の香りのする茅ヶ崎だ。お目当ての商品を購入後カブで帰宅しようと再度iPhoneのGoogleMapで帰路を検索すると、すぐ近くに茅ヶ崎公園があった。公園大好き筆者は迷うことなくハンドルをその公園へ向けアクセルをふかした。
横浜都筑区の公園は実に素晴らしい。GoogleMapで検索すると宮前第一公園の何倍もの大きな自然公園が、小川の流れる細い緑道というか遊歩道で連結されているのが実に多い。先日も書いたけれど、山崎公園=牛久保西公園=牛久保公園=徳生公園。先日来の鴨母子のブログを参照。そこから遊歩道が伸びて更には神無公園、山田富士公園、横浜国際プールまで繋がっているのは最近知った。横浜の公園行政と都市計画に感服である。想像してみて欲しい。宮前で例えるなら、第一公園から第四公園までクルマの通らない小川の流れる緑の遊歩道で繋がっているようなもの。
この茅ヶ崎公園も実に魅力的な公園だった。自然を活かしつつ市民がゆったりと遊歩道を歩き、子どもたちが広場で遊び、父と息子が川や池で熱心に虫取りをし...。小さな池が二つあり市民プールも設置されている。
「生きている」という実感をカラダ中に吸い込むことができるのが公園散策の最大の愉しみである。
「生きている」と言えば...。
このハイビスカスの鉢植えは今はなきスーパー丸正で購入してもう十年くらいになるだろうか。冬の間はこれでもかと言わんばかりに枯れてしまってカランカランに干からびるのに、夏になると別人のような姿に変貌を遂げ、ベランダのハイビスカスが今年も咲いた。人間界がコロナで右往左往している間に、植物にとってはコロナウィルスなんてどこ吹く風、圧倒的な赤を誇示するように咲いてくれたのだった。
「生きている」と言えば...。
ほぼ毎日のように近所の神明神社を通る。大きな樹の下でストレッチをして階段をダッシュで駆け登り近くの公園までランニングしちゃうのが最近のルーティンワーク。ここの欅(ケヤキ)の大木が伐採されたことは以前書いた。その樹齢何百年の欅の切り株に鬱蒼とした新緑の枝葉がギュンギュン伸びていた。「敗戦の将多くを語らず」でありなおかつそれでも「老兵は死なず」。筆者のようなちっぽけな人間よりも何百年もこの地で有馬の風景をじっと見つめてきた老木である。それがどうだろう、胴体をバッサリ切られてもなおこの生命力と蘇生力。この樹々の姿を見ているとなんだか老境を迎えた自分もチカラを与えられたような気がするのであった。
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