2020年5月28日木曜日

猫と鴨とオヤジ

以前も書いたように今の自粛期間もそれ以前の昔からも、公園大好きオヤジは週末には横浜の公園へ行くのであった。エコノミークラス症候群予防のためと、運動不足解消と、精神的ストレス発散と、肉体が太陽光線を浴びてココロの光合成を促すためである。新緑の木漏れ日と吹き渡る柔らかな風を胸いっぱいに吸い込んだのち静かに息を吐き出せば、それは二酸化炭素ではなく、キレイな酸素を生成しているような錯覚さえ覚えるのであった。

公園に行くとコロナ自粛によるマスコミ報道の影響を目の当たりにするわけで、日本人は実に正直で素直で真面目である。公園の「密」の危惧報道があれば公園での人々の往来は少なくなり、緩和の方向へ動いていると報じられれば、すぐに人が増える。しかしどちらにしても行き交う人たちは皆、言葉少なに穏やかな表情と素敵な所作で、散歩なりジョギングなりを満喫しているんである。新婚と思われる若いカップルが仲良くジョギングしたり、老夫婦が静かに穏やかに散歩したり、息子の手を繋いだ若いお父さんが一心不乱に池の中の魚を探す姿、中年太りの男が孤独にランニングする様子...。

以前書いたけれど、散歩からスロージョギングにシフトアップしようと画策した筆者は、Amazonでランニングスタイルの上下を購入し、パッツンパッツンのスパッツのようなちょっと恥ずかしいモノをはき短パンでジョギングに挑んだのだった。なぜかと言うと、少し前地元の近辺を散歩途中に思い切ってしばらく走ったら、当然息切れしてゼイゼイしちゃったのだが、立ち止まり息が整うと今度は体が軽くなったような快感が身を包んできたんである。さらに神社の急な石段を一気に駆け上ると当然もっと息切れしてもっとゼイゼイしちゃったのだが、軽い疲労感ののちにまた少し体が軽くなったような不思議な感覚に囚われたのだった。体の中のコレステロールや脂肪分や、邪鬼や悪鬼や妖気や毒気、昨日食べた餃子臭や加齢臭などが、瞬時に身体から蒸発して浄化して行くみたいな。無理せず少しづつ距離を伸ばせば、もしやジョギングも出来ないと諦めるのは早いのではと思うようになったんである。最初に走った時は足首と腰に100kgのハンマーを打ち付けられたような衝撃を感じたので、やっぱ無理かと思ったのだが、無理せず諦めないことが肝心であった。

さて横浜の牛久保公園から徳生公園へ。ほんの少し走ってのち木漏れ日の美しい草むらでブルーシートを広げる。家から持ってきた冷たいブラックコーヒーをグビリ。冷たいビールなら至極の時間なのだが、バイクなので仕方ない。周りでは老若男女問わず10組くらいの様々なグループがシートを広げ、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、談笑や食事をしていた。シートに寝転びリュックから老眼鏡、カッコよく書けばローガンキョー、オシャレに言えばシニアグラス、を取り出し、村上春樹の新作エッセー「猫を棄(す)てる」を読む。

これは村上春樹氏が小学生だった頃の父親についての随筆である。氏と筆者は10歳くらい離れているが、彼の父の記憶の太平洋戦争の時代背景は、ギリギリ筆者のオヤジともダブってくるわけで。読み進むうちに小説の文章と並走しながら筆者の昔の記憶がどんどん溢れてくる。筆者が結婚した年の暮れにオヤジは他界しており、自分とオヤジの付き合いは20数年しかないのだが、今にして思えば当時のオヤジにもう一度会ってみたいと思うのであった。ちなみに式を挙げたあと池袋で小さな披露パーティーをやったのだが、山形から中学同級生のNaotoが駆けつけてくれたことも想い出した。当時22歳で結婚したので、中学同級生男子では結婚一番乗りだったはずである。

村上春樹が幼かった頃、家で飼っていた猫を父と一緒に海岸へ棄てに行ったところから話は始まる。大の猫好きだった村上少年がなぜ猫を棄てることを父親に抗議しなかったのかは記憶にないらしい。二人は家に帰り玄関を開けると、そこには先ほど棄てたはずの猫が先回りして戻り待っていたのだった。二人を出迎えて猫が言った。「にゃあ」...さだまさしもびっくりのTVCMを地で行く「にゃん白宣言」なのだった。

読みながら同時に溢れ出た筆者の小学低学年の頃の想い出。オヤジの自転車の後ろに乗って親戚の家に行きオヤジは酒を飲み、僕はかしこまって店でお菓子の端切れをご馳走になる。親戚の家は大國堂というお菓子屋だった。ロールケーキなどは両端をカットするとそれは廃棄処分されるもので、大量に余っていた。帰りはパチンコに寄って、酔ったオヤジがフラフラ自転車を漕ぎながら家路につく想い出だった。今にもコケそうな自転車の荷台にしがみついていた記憶がある。恐る恐る「とーちゃん大丈夫?」と背中に声をかければ「大丈夫だ!」...ちなみに当時のパチンコ屋は全て手動で左利き専用台もあり、椅子はなく客は立って球を打っていた。子どもだった僕は床に転がったパチンコ球を拾って、見よう見まねで球を弾いていた記憶がある。すっかりなくなるとオヤジがすかさず球を補充してくれて、また夢中になって一個一個ゆっくり打って遊んでいたのだった。
そんな昔の記憶を辿りながらもうすぐ62歳になる、ちょっと恥ずかしいスパッツを履いたオッサンは、本を閉じて目も閉じて、しばし穏やかな公園の喧騒を耳にしつつ横になる。

さて、この公園へ来る楽しみがもう一つ増えた。
先述のように鴨の親子が可愛くて仕方がないんである。以前からブログで書いたように鴨の母子がいつも公園を訪れる人たちの「癒し」になっていた。事あるごとに山形39LINEにも写真をアップ。1週間前は11羽だったが今回見てみると9羽になっていた。その理由といきさつはあまり想像したくないわけで。鴨の親子のイメージは母鴨が先頭に立ち子鴨がヨチヨチついて行くというものだが、この家族は反対で、子鴨たちが勝手にあちこち歩き回るのを母鴨が「おいおい、どこまで行くの」と慌てて子鴨のあとをついて行くのだった。一羽のやんちゃ坊主が斜面の上を登ると皆それについて行き、母鴨が慌てて後ろから見守るようについて行く。やんちゃ兄貴がいきなりターンして今度は川に入り母も後からついて行く。子どもたちが二手に分けれた。やんちゃ兄貴グループの半分はスタコラサッサ左方向へ、残り半分は気づかずに母の庇護のもとで右方向へ。ほどなくして異変に気付いた母鴨は慌てて左方向へ舵を切り、やんちゃ兄貴グループへ合流。そんな慌ただしくも微笑ましい光景は、ずっと見ていて実に飽きないのだった。下の動画はその時のもの。

頭をよぎったことがある。過日のブログでこの鴨たちを「横浜どーなるどダックス」と野球チームになぞらえて命名したけれど、鴨は英語で「ダック」であるが、ディズニーに出て来るドナルドダックは真っ白で、あれは「アヒル」ではないか?と。はて?アヒルは漢字で書くと「家鴨」となることは知っていたけれど、鴨、ダック、アヒル、家鴨...と頭が混乱しちゃったのだった。

家に帰り早速調べて見た。
結論。鴨はダックで正解。アヒルは鴨を家畜用に改良して羽が退化し小さくなり飛べなくして家に居着くようにしたものだそうだ。なのでアヒルは家鴨。同じ鴨の「ダック仲間」であった。犬や猫と同じく中世ヨーロッパで人間の都合で危険な交配を続けて、人工的に作られた愛玩動物と同じ経緯を辿ったのが、アヒル=家鴨だったのか。うちにいるミニチュアダックスのワンコの「りん」も人間が交配で作ったワンコである。足が短く鼻が長いのは狩猟犬に適しているからである。野原の穴に潜むネズミやモグラを仕留めるために、鼻が長くなったという説がある。そのほかのワンコも純血種以外はニンゲンの勝手で作られたという説を聞いた。それらは純血種に比べて寿命が短いことも知っている。

まあそれはともかく、カモ=ダック=アヒルであった。
最後にほっこりする話を。

ディズニーキャラではドナルドダックだけが「しゃべらない」キャラであるのをみなさん意識したことがあるだろうか。ミッキーはじめ他のキャラはちゃんと言葉を話すのに、ドナルドダックだけは「グエっグエっ、ぐわっぐわっ」とアヒル語でしかしゃべらないんである。しかもいつも文句ばっかり言っている。それでもちゃんと彼の意思や感情がストレートに伝わって、ミッキーたちと会話になっているのは、ウオルト・ディズニーの素晴らしいアニメーターとしての手腕であろう。小学生の頃夢中になってディズニーアニメをTVで観ていた。ちなみに筆者はディズニーよりもトムとジェリーが一番好きだった。特に悪役で間抜けで憎めないトムが大好きだった。これも一緒に観ていたオヤジの横で腹を抱えて笑っていたことを思い出す。

ではなぜドナルドダックだけ言葉を話せないのか?
世界中の子どもは健常者だけではない。中には先天的あるいは後天的に言葉を話せない子どもももいる。そんな障害を抱えた子でもちゃんとみんなと仲間になれる事を表現したかったのだそうだ。ウオルト・ディズニーおじさんの優しさである。以上はネット検索情報なので真偽は確認しようがないが、筆者はこれを信じたい。

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