2014年3月2日日曜日

リトグリとエブリト

昨日はまた雨の悪天候の中グリーンカップ2回戦、相手はリトルグリーンズ戦であった。
他のチームは略して「リトグリ」と言う。エブリー・リトル・シングを略して「エブリト」というのに似ている....。って似てないか(^-^)しかし、リトグリさんは自軍のことは決してそう呼ばず「グリーンズ」という。話はそれちゃうのだが、巨人の一般的な呼称は「巨人」または「ジャイアンツ」である。しかし、巨人の幹部や重鎮たちはしばしば「巨人軍」という名称を口にする。これはたぶん正式名称に「読売巨人軍」が含まれるためと、格式と伝統を重んじるプライドに底通するものではないかと類推。「我が読売巨人軍は永久に不滅です」と言ってもさまになるけれど、「ワシらの広島カープ軍だって永久に不滅じゃけんのう」と言ってもなんだか絵にならないわけで。

おっといけねえ、閑話休題。今日は日曜、15:00までにブログを書いてしまわねばだ。
「しまわねばだ」...「シェラネバダ山脈」...どーよ、って似てないか(^-^)

というわけでグリーンズMikawaくん、フレンズYuutaの先発投げ合いでプレーボール。Mikawaくんはこれは実質もう中学生じゃないかと思わせるような素晴らしい投手。圧倒的なスピード、コントロールは共に宮前の今年のトップクラス間違いない。この時季にここまで仕上がっているとは驚きなんである。対してYuutaは学年のわりに実戦経験があるといえど、実質まだ3年生、春から4年の選手である。言わばもう中学生とまだ3年生の対決なんである。(負け惜しみに聞こえてしまうかな?)

そのMikawaくんの投球を見て「こりゃ打てん!雨天だけに」なんて独りごちる筆者を尻目に、凄い球をこともなげにぎゅんぎゅん投げてくる。しかしRuiがセンターオーバーの安打を放ちほっとしたのも束の間、裏のGの攻撃ではYuutaが2,3,4番を三者連続三振に切ってとったものの、WPで1点を献上してしまう。
2回裏には安打1本ながら四球と失策がらみで3点も献上。4:0に差は広がる。

Mikawaくんはマジ凄い。同じ速球でも微妙にスピードを変えて低めにビシビシ決めてくる。1,2,3回には7者をひとつの遊撃ゴロを挟んで6三振。しかし4回のFの攻撃ではまた4年Ruiがクレバーなバッティングで2本目の安打。それを5番これまた4年(新5年)のYuiがセンターオーバーのタイムリーでやっと1点をもぎとる。

結果はそのまま4:1で敗戦。
しかし相手打線を2安打に抑えたYuuta。Fはそれを上回る3安打。新6年、しっかりしてくれよ。ベストプレイヤーはYuuta、Rui、Yui、Taitiだ。

グリーンズにはQueensのJuriが在籍している。
試合中に3塁コーチャーに走ってきた時にベンチから筆者が「おっJuri、頑張れよ」と声をかけたらにっこり、にっこりコクンと頷いてくれた。彼女も今年新6年生になる。Queensでの活躍にも期待したい。

試合後グリーンズOB、QのYamaguchi元母スコアラーとJuri母とがやってきた。
「Mikawaくん、あんな子がいるなんて、ありゃあ反則だよ〜」なんてジョークから始まりしばし談笑。
バブル絶頂の頃伝説となったのは「ジュリアナ東京」ジュリアナトウキョウ。
今日のグリーンカップは「Juriママと今日」ジュリママトキョウ。
今度はどーよ(^-^)/

さてフレンズはインフルエンザでついに「学級閉鎖」。校内暴力による「学級崩壊」よりはまだマシとしなきゃだが、春季が迫っているだけに今日のグランド使用厳禁の学校通達は手痛い。
けれど筆者はこれを書きあげたら晴海方面へ出撃するんである。勝ちどき「輿」。Queens監督Koshimizuさんの店で、昨年の6年生をご招待しての祝勝会なんである。全員呼びたかったけれど店のスペースの関係で6年のみとなったそうだ。
そのへんの模様は、来週仕事と確定申告データ作成の間隙を縫って、また次回なんである。
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2014年2月27日木曜日

雪解けの日

グリーンカップで宮崎台バーズとの接戦をものにした。お互いに内容は悪くないものだったけれど、フレンズは薄氷を踏む思いでの逃げ切りだった。
試合後は鷺沼小スタジアムへ移動して、鷺沼ヤングホークスBとの試合なんである。
いるいる、Queensのちっちゃい姫たちが。Ayaka、Yuri、Kurenaの3人である。それに第一公園ドームに行っているヤングAには今年6年生のSunaoもいる。ヤングホークスは毎年宮前きってのQ戦士を輩出している、姫たちの宝庫なんである。歴代主将のMeikaやHimariもヤングなんであった。(Q戦士といっても決して「愛の戦士Qティーハニー」のことではない)

フレンズBvsヤングBといっても、主力ヤングAチームはごっそりグリーンカップに参戦しており不在だ。ゆえにヤングBはむしろ低学年チームといったほうが良いだろう。対してウチは新6年3人を外した純正新5年生以下のBなんである。勝ち負けは二の次でいい、大雪で何も出来なかったこの3週間を吹き飛ばすような、元気なプレーを互いに見せて欲しいものだ。

先発はY、Takadaくん、FはRuiをショートに外しKyouでプレーボール。

結果は火を見るよりも明らかである。18:3。とかくこういった試合では相手チームの失策や四死球で芋ずる的、ごっつあんゴール的、棚ぼた的、ねずみ算的得点が多かったりする。昨年まではうちがこれでいくつも悔しい思いをした。しかし今日は18得点に対して8本の安打を記録。圧倒的に強いチームならばこれでも物足りない数字だろうが、ウチにとってはなかなかの数字なんである。
途中から名門ヤングのAチームKurosu、Ishikura、Takahashi3氏の指導陣と煙草談義。
グリーンカップでは古豪花フラに敗れたらしい。バーズvsフレンズ戦と同じく3:2の接戦だったとのこと。
そうともつゆ知らずヤングBのちびっこ選手たちは頑張っていたぞ。

かつてQueensの草創期に我がフレンズからもQ戦士を輩出したことがある。チームでは紅一点だったHarukaだ。「記録よりも記憶に残る」子だったらしい。...らしい、と言うのは当時筆者はQには全く関わりがなく、知らなかったんである。Q監督Koshimizuさんと話していて言われた言葉だった。もし当時からQueensに関わっていたら、或いは自分の娘が現役の頃にQueensがあって関わっていたなら、今頃は広報部長ではなく、常務取締役くらいになっていたかもだ。
フレンズコーチとしてではなく、Queensのいちスタッフとして、当時のQのHarukaを見たかった。これは今でも悔やまれるんである。

さて、そんな状況でフレンズからもQ戦士を輩出しちゃうかもしれないんである。
熱血野球オヤジのTomiokaさんの愛娘Kurumiである。Tomiokaさんはプロを目指して3球団のプロテストを受けたくらいの、真性野球バカのオヤジだ。一方破顔一笑のジョークも飛ばせるユーモアセンスの持ち主。そのKurumi本人がQueensに行きたがっているんである。春になったら第四公園スタジアムへ遊びに行こうと話している。話しかけても、こくん、と頷くだけの口数の少なさは筆者の娘を思いださせて、余計に可愛いのである。
PHで打席に立ち四球で出塁しWPで3塁へ。三本間に挟まれて右往左往する姿は微笑ましい。おそらく彼女にとっては人生初の衆目を浴びた場面であったろうと思う。
試合後SunaママことQのKitamatsu母がフレンズベンチへ疾風怒濤のごとくやってきてこう言った。
「Tさん、あの女の子ぜひQueensに!」
スコアラー兼母会代表兼新人スカウト本部長なんである(^-^)

今年もやっと少年野球シーズンが始まったと思える2月のある日曜であった。
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2014年2月25日火曜日

天からの観戦

グリーンカップ開幕である。開幕といってもどちらかと言えば、プロ野球でいえばオープン戦に近い感覚と筆者は思っている。参加チームには11チームの制限枠があり、宮前全チームが参戦出来るわけではない。春季の日程に影響してしまうからだった。村山杯同様、昨年の優勝チームが幹事を務める。開会式の模様を撮っていて、フト気づいてしまったんである。

この瞬間って、知らない人が見たら「優勝旗返還」なのか「優勝旗授与」なのかいったいどっちなのって思ってしまうはずだ。偶然優勝旗をGスポーツ主催者と有馬子供会主将とが握っている写真。これを閉会式の「優勝旗授与」と言えば誰も疑わないだろうて。
しかしこれが開会式の「優勝旗返還」である証拠が2ヶ所ある。
1=白線が乱れていないこと。
2=背景に監督コーチが並んでいること。
(Kasahara副会長ならすぐに分ったであろう(^-^))

オフシーズンが終わり、久々に第一公園ドームへ行ったら驚いた。
あの3塁側から丘の上アルプススタンドへ至る狭い坂道が見違えるほどのリニュアルを果たしていたんである。雨上がりに初めてこの獣(けもの)道を通る「初心者」は子ども大人問わず、すってんころりの洗礼を受けた人も多いはず。市会議員のOdaさんが連盟の陳情を速攻で実行に移したものらしい。感謝である。

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今年初めての試合である。
昨年試合を6試合も組んだ宮崎台バーズとの対戦。奇しくも春季大会も初戦は同じカードになった。まるでTakahashiさんが引き合わせたかのように。
今月はじめにバーズTakahashiさんが亡くなられたことは、以前のブログで書いた。今日は氏の追悼試合でもある。両チーム共にユニフォーム左袖に喪章をつけて臨む。相手チームに対しての礼儀であり、また子どもたちにも親への感謝の気持ちや、好きな野球が出来ることの意義を少しでも感じてほしかった。フレンズ母軍団は母ネットワークを駆使して2,3日でこの喪章を全員のユニフォームに縫い付ける。大人全員の分も用意してくれた。
試合前に今年からKobayashiさんに代わり、バーズ新代表となったKawataさんと長く話し込んだ。Takahashiさんにまつわる話は尽きない。亡くなる前日はTakahashi親子がKawataさん宅へ来て、夜遅くまでバーズの将来の展望について酒を酌み交わしたそうだ。

試合前にはTakaiさんの声掛けにより黙祷。
その光景にカメラを向けるのは不謹慎のような気もしたが、Takahashiさんにこのブログを見てもらおうと心を鬼にして写真を撮った。撮影後すぐに慌てて筆者も黙祷した。

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試合開始。主審の右手が挙がる....「プレイッ!」
追悼とは別に試合は試合、勝負は勝負。
いよいよ今年最初の試合開始である。

Fの先発Ruiが初回を凡退に抑えると、その裏の攻撃では四球・補逸がらみで1得点。
しかし2回表すかさずBはFの失策に乗じ、安打とスクイズで2得点の逆転に成功。
4回裏Fの攻撃。簡単に2死に倒れて走者なし。しかし四球で出塁のHiroを5番Yuiが3塁線をぎりぎりに破る3塁打の適時打で帰し、続くRuiの内野安打で一気に逆転3:2。
最終回ではこれも2死走者なしから、Bは1番Takaiくん、2番Inoueくんが連続四球を選び、盗塁をからめて2死2,3塁。ワンヒットで同点、長打が出れば逆転の緊迫した場面を迎えた。
しかし、結果は途中からリリーフのHiroがなんとか抑えきり、ゲームセット。

久々に痺れる展開にF軍ギャラリーもベンチも盛り上がった。
今までのフレンズならあそこであっけなく逆転を喫して下を向いてしまう試合がいくつもあった。


昨年Takahashiさんとの交流から、いくつもの試合をバーズとやってきたけれどフレンズは全敗であった。なんとしてでも勝ちたかった。そしてそんな話をしながら楽しく彼と酒が呑みたかった。今日やっと、天にいるTakahashiさんと旨い酒が呑めそうな気がした。
敗れたバーズにはどこか申し訳ない気持ちがあったけれど、勝負は勝負。
Takahashiさんやバーズ指導陣、父母たちにも分ってもらえるはずだ。もう一度春季ではお互い頑張ろう。
試合後の夜、バーズTakaiさん、Kawataさんからメールを頂いた。真摯な文面に逆に感謝。一歩間違えば結果は逆だったはずの接戦。薄氷の勝利であるFは今度は受けて立つ立場に。心を新たに臨みたい。

試合途中ふと見上げた空は曇天。
でもそこには夫婦仲良く、笑顔でこの試合を見下ろしているTakahashi夫妻がいたような気がした。
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2014年2月22日土曜日

俺の「晴耕雨読」

チャーチルズ・マティーニというのをご存知だろうか。

そもそもマティーニというカクテルは超シンプルなれどカクテルの王様なんである。しかもドライになればなるほど通好みなのだ。ざっくりとしたレシピはこんな感じ。筆者二十歳そこそこの若い頃銀座と赤坂のバーでバーテンダーのバイトもやっていたんである。

1●マティーニ=ジンに少々のドライベルモット(例えばチンザノドライ)を加えステアーし、カクテルグラスに注いだあと、おもむろにスティックに刺したスタッフドオリーブを落し、最後にレモンピールをぴゅるっと振って出来上がり。
これをステアーではなくシェーカーでシェイクして作ってはいけない。水っぽくなって呑めた代物ではなくなるからだ。昔シェイクして出してきた店に猛抗議して作り直させたことがある。

2●ドライマティーニ=上記ジンに加えるベルモットを少なくし、一層ジンの辛さを際立たせる。普通はこれが主流。

3●エキストラドライマティーニ=ほとんどジンオンリーである。ほんの僅かなベルモットを1,2滴垂らすだけにとどまる。

4●ベリーエキストラドライマティーニ=ベルモットのコルク栓をぺろり舐めてからストレートのジンを呑む。

筆者は3番目の「エキストラドライマティーニ」が好きだ。自分をいわゆる「通」だとは思わないが辛さと甘さのバランスが程よいのである。
ところがこの上を行く究極の「スーパーエキストラドライマティーニ」があるんである。
昔から喧伝されているいわゆる「チャーチルズ・マティーニ」
英国歴代首相の中でもひときわ記憶に残るあの、ブルドッグのような人相と歯に衣着せぬ物言いで有名だった第二次大戦時代のあの人である。彼が好んだマティーニとは....。

●チャーチルズ・マティーニ=ベルモットの瓶を眺めながらストレートのジンを呑む。

真偽のほどは別として楽しい話ではある。

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さて今日、ある友人家族からとんでもなく素敵な贈り物をいただいた。
薩摩焼酎で「晴耕雨読」なるものがあるとは以前から知っていた。機会があれば一度呑んで、いやお目にかかりたいと思っていたんである。友人のおかげで今日、「晴耕雨読」にお目もじ叶うことになった。

「晴耕雨読」とは中国の故事や四字熟語ではなく、れっきとした日本の書物のタイトルなんである。筆者読んだことはない。主客転倒も甚だしいものだ。
簡単に言えば「晴耕雨読」とは「晴れの日は額に汗して働き、雨の日は読書に勤しむ」
ボトルの裏のラベルを見たらこんな文章が引用されてあった。
「....人生最高の楽しみは贅沢栄達にあらず、...中略....歴史の英雄豪傑を罵倒する、酒と楽しむ読書にこそあり」

友人に感謝したい。
今晩はこの「晴耕雨読」のボトルを眺めながら、これを酒の肴にして安いウィスキーをあおる筆者なんである。チャーチルズマティーニならぬ、俺の「晴耕雨読」なんである。

もったいなくて当分呑めない酒がまた一本増えた。
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2014年2月18日火曜日

世界は誰かの仕事でできている

昨日の日曜はご存知大雪の影響で、世の中が文字通り「フリーズ」しちゃったかのようにあらゆる動作が止まってしまったみたいだった。しかし、小売業や運送業関連などに従事する人たちは、早朝から雪道を踏みしめて職場へ急ぐのであった。頭の下がる思い。最近の缶コーヒーのTVコマーシャルの超秀逸なコピーライトを想起する。

「世界は誰かの仕事でできている」(筆者、超お気に入りのフレーズである)

仕事のメールを送り、午後は原チャリで近くのニトリへ出撃。ちょっと雪道が怖かったけれどなんとか乾いたところだけを選んで走行。そうこうしてると、有馬フレンズの本拠地のひとつ西有馬スタジアムが見えてきた。バイクを降りてiPhoneでグランドを撮影。

なんだか見てはいけないおぞましい光景を見てしまったような気がした。ただでさえ先週も記録的大雪で練習が中止、今週もこれだ。しかもシーズン開幕は間近である。マジか?
雪と氷とシャーベット状の曼荼羅模様を呈していた。晴れの日が続けば今週後半からはなんとかなるだろうか?

ついでにお隣り有馬中学校のグランドも視察。
思わず羽生くん金メダル大活躍のソチ五輪のスケートリンクを連想。更にここでわかさぎ釣りにでも興じようかと思ったほどだった。


野球マグネットボード=BaseBallBoard=略して「BBB」
夕方からはこれの制作。有馬フレンズのモノはすでに制作済み。今回はとんでもなくグレードアップしちゃったんである。今までは原価の低い材料で作っていたが、そのホワイトボードが市販されなくなり廃番、入荷の予定もないとのこと。数ヶ月かけてやっと探し当てた材料はA4サイズのポスターパネルと鉄板の組合せ。言わば自作でホワイトボードを作ったんである。手間暇も材料代も10倍以上に跳ね上がったけれど、どうしてもこれじゃないと自分を納得させられないのだった。そのかわりもの凄いグレードアップしちゃったんである。耐久性も大幅アップ。ちょっと見には手作り製品ではなく、市販されているメーカー既製品と見まごう出来である。実際、古いバージョンでさえ、去年Toyoda父から「えっ!これTさん作ったんですか?店で売ってるのを購入してきたのかと思ってました」と言われたくらいだ。むふふ、デザイナー冥利に尽きるってもんだぜ(^-^)
数年使ってくたびれた古いバージョンと、今回の新バージョン。フレンズはこれで3代目のボードとなった。

宮前Queensのも刷新しようと昨年から思っていた。フレンズよりも数万倍も多岐に渡り有効利用してくれており、相当使い込んで古くなっていたからだった。代表やベンチスタッフにメールし了解をもらう。するとKoshimizu監督から内容の変更要請あり。子どもたちに内外野の連携プレーを教えるために、若干のレイアウトの修正をお願い出来ないかと。嬉しい限りである。それだけ有効利用してもらってる証拠だからだ。こうなると制作者魂に火がつく。更に小さい子のために守備位置の英文に読みがなをカタカナ表記で追加。これはKitamatsuスコアラーのアイディアを盛り込んだ。Queensに入ると英語まで学習出来ちゃうのだ。しかも正統派の英語である。なぜなら.....「Queens English」なんてね。昨年提供した奈良の社会人野球チーム「マスダ」さんのボードから外野の芝のテクスチャーや内野の砂地の雰囲気もリアルに変更。守備位置の○もQueensレッドに....。


あとはフレンズ、Queens共に個々の選手のマグネットプレートの制作が待っている。
こっちのほうがこれまた数倍も厄介な作業なんであった。しかし、シーズン開幕まで時間がない。練習試合もある。頑張らねば.....。
ちっぽけなモノだけれど、これも「世界は誰かの仕事でできている」

余談ではある。
これらのボードや印刷用特殊フィルムはAmazonからネットで取り寄せた。
宅配当日、自宅のチャイムが鳴る。
「ピンポーン」
おっ、Amazonだな、インターホンを取り「はいっ」
「宅急便でぇ〜す」

ハンコ片手に玄関ドアを開けると、なにやらスラリ的長身のスレンダー美人のお姉さんが、ヤマトの制服を着て段ボール片手に立っている。ふと顔を見たらどこかで見たような.....。
「あっ!あれれ〜」

フレンズのAyuto、Kurumiの母なんであった。
筆者仕事中のぼっさぼさの頭でヨレヨレのスエット姿で出てしまったんであった。
前もって言ってくれればちゃんとお化粧してから出たのに....(^-^)/
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2014年2月14日金曜日

白雪姫とQueens姫

先週の東京は縄文時代以来の記録的大雪の日であったと書いたけれど、この大雪大会が2週連続となるとはいったい誰が予想したであろうか。2週連続となると、あのマンモスを絶滅に追いやった氷河期以来の大記録達成になっちゃうかもしれぬ。

大記録達成といえば、Queens2013年三連覇の大記録達成のご褒美、東京ディズニーランド大会の話なんであった。前回も書いたようにQueensに特派員を指名して写真とコメントを寄せてもらった。筆者デスクの感想も含めて展開したい。

およそディズニーランドへと言うよりは、スキーツアーに行くような気分。
合宿のないQにとっては貸し切りバスに乗るなんて大変珍しい。
スポンサーでもある会長は「Queensバッグ」を手に無邪気にご満悦。
開門後、Qは大挙して押し掛けた数の優位性をいかんなく発揮し、絶好の記念撮影ポイントを占拠、「ハイ、チーズ」

ところで会長にはこの日ワケがあり、このブログは全世界の少年少女野球ファンが見ているので、顔写真掲載は御法度と思っていた。顔写真にモザイクを掛けたのでは興ざめだし、黒い目線を入れたら何やらますます怪しいことになる。それで筆者一計を案じ、こんな風に顔をアレンジするつもりでいたんである(^-^)
巨大なミッキーと記念撮影(^-^)

失礼があってはならぬと思い、会長にその旨メールすると、速攻で電話があり「全然大丈夫だよ」とのお言葉。さすが見た目どおり太っ腹である。おっとこれも失礼か?
QのOGもご招待してくれた。Himariの姉、Meikaは早朝になって女子硬式野球の練習中止の連絡があり、なんとかギリでセーフ、参加が叶った。会長とMurataコーチとこんな感じで「ハイ、ピース」
しかしこれはハロウィンかコスプレ大会か変装 パーティーか。
彼女たちはこれからの人生、このミッキーの帽子をかぶることはあるのだろうか(^-^)

特派員の中でも最年少の女性記者からの写真を掲載したい。
お気に入りの写真が何枚もあっようだが、かなり悩んだ末にトゥータウンで撮った4枚をチョイス。6年だけでグループを作り行動したようだ。
はたと気づいた。なんとこの大雪の中、Akariは足首のところが生足ではないか。さすがパワーヒッターQueens不動の4番打者ではある。
「白雪姫」に負けず劣らず雪の中でも元気で楽しそうな、文字通り白雪にまみれる「Queens姫」なんである。


さて今度は違った目線でラブラブ(?)ツーショット特集なんである。
Queens年少の姫KurenaとDaikiコーチのツーショット。父も公認の仲なんである。
筆者はこの写真を電送してもらった時、一瞬、道に迷った可愛い少女に手を差し伸べる石原裕次郎かと思ったんであった。
右は正真正銘のラブラブツーショット。Hinataの父母、若い頃に返って.....(^-^)
フライデーに転売しようかと思った。

こちらはイイ女二人のツーショット。回転木馬に乗るなんて、いくつになっても女は乙女なんであった。
右は今度は正真正銘の若いイケメンコーチ二人。蜂蜜の壷に乗るなんて、いくつになっても男は少年なんであった。

男性特派員からも届いた。
OG三人の写真。後ろのShimizu父、Kitamatsu父がもし外国人であったなら、まるでクリスマスイブのニューヨーク・ロックフェラーセンター前で撮った写真と見間違うほどの一枚。さすがはCanon EOS Kissである。
6年生と5年生以下で分かれての写真。吹雪の中でも綺麗に撮れているのは、さすがはOzawa特派員、カメラに精通しているわけで。ちゃんとバックのシンデレラ城も画角に収めている。

そろそろ「星に願いを」が聴こえてくる。
夕刻になりおとぎの国ともお別れだ。ディズニーシーと併せて16のアトラクションが中止になったほどの大雪だったけれど、Queensご一行様はこの雪のおかげで逆に一生忘れない想い出になったことであろう。
普段ならば晴天のねずみの王国はこんな感じ。

最後に撮った風雪に煙るシンデレラ城はちょっと幻想的でさえあった。
子どもや父母たちには寒くて辛かったけれど、同時に素敵な贈り物になったに違いない。
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暴風雪のねずみの国

※いつもの少年野球「晴耕雨読」Blog風文体に戻るんである。

昨年宮前Queensは4大大会中破竹の三連覇を成し遂げた。その時のお約束が「全大会優勝したら子どもたちをディズニーランドへ招待しちゃう」という破天荒なサプライズご褒美の話があった。惜しくも4連覇はならなかったが、3個の優勝でも十分頑張った、ま、いっか的に会長・Murataヘッドの2大スポンサーのご招待となったんである。

おりしも当日の関東は縄文時代以来の記録的な大雪だったことは、みなさんの記憶にも新しいはずだ。筆者は延期するだろうと思っていたが、あにはからんや、雨天決行、小雨決行、大吹雪なお結構、というわけでQueens軍団は大挙して「ねずみの国」へ突入したんであった。

筆者は行っていない。
しかしQ広報部長としてこの一大イベントを黙って看過することは出来ないんである。ゆえに数人Qの部下を特派員として派遣し、写真をコメントとともに電送してもらった。今日はそのサワリの写真だけ掲載。次回は写真と本編の記事をアップ予定。すでに写真班によって写真の編集作業は校了している。

入場後最初に集合写真を撮った。雪が真横にすっ飛ぶ天候にもかかわらずみんな良い笑顔である。「ねずみの国」には至る所に「隠れミッキー」なるものが存在するのはみなさんご存知だろう。この写真でもどこかにミッキーが隠れている。
........................。
全然隠れてないじゃん(^-^)左上に巨大なミッキーマウス。
次回もこんな調子で特派員報告(^-^)/
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2014年2月10日月曜日

別れを告ぐ

その日は前日の天気予報が的中し、朝目覚めると全く車の通行音が聞こえず、窓ガラスは真っ白に曇っていた。窓を開けるとそこは一面の銀世界。これからもっと降り積もるとの予報。よりによってこんな日に....。
今日はTakahashiさんとの最後のお別れの日だった。

14歳も年下の友人の急逝。本当の親友の方たちからしてみれば、付き合いも浅くメールでの交友が主だった私なぞは一蹴されて当然だけれど、しかし私にとっては間違いなく友人であった。「Tさん是非呑みましょう。お声をかけてくれたら鷺沼でもどこでも駆けつけますから」いいですねえ、こちらこそ是非....。その約束を私は果たすことができなかった。あんなに慕っていただいたのに、申し訳ない気持ちで今は胸が張り裂けそうになる。

大勢の参会者が葬儀場を埋め尽くしていた。某大手食品メーカー勤務だった氏の会社からの多くの参列者に混じり、宮崎台バーズの子どもたちがユニフォームに喪章をつけてあらわれた。Ogawa監督はじめ29,28コーチも正装であるユニフォーム姿で。そのほか大勢の父兄も駆けつけた。

私は会場の中央後方に立ちTakahashiさんの遺影と正面から対峙することになった。粛々とご焼香の列が進む。私は列のうしろからずっとYuutaくんと弟の姿を見ていた。弟は時おりハンカチを目にもっていっていた。Yuuta君は背筋を伸ばし焼香客のお辞儀に、気丈にもちゃんと目をみて頭を下げていた。お父さんそっくりの風貌に一瞬彼がそこに座っているかと思った。

会社の上司と大学時代からの親友である先輩からの弔辞。まさにTakahashiさんのお人柄を如実に物語るものだった。仕事が出来て人望が厚く部下に慕われて。まさにその通りの人だったのだろうと今更ながら思う。

故人との最後の対面の儀。棺の中に白い花を手向ける。
自分の番がやってきた。足元には「MIYAMAE2013」の文字があった。連合チーム宮前クラブのブルーのTシャツだった。迷わずそこに花を一輪添えた。次にTakahashiさんの温和な顔を見た瞬間にゆるりと視界が狭まり手を合わせることしかできなかった。

喪主であるお母様が挨拶。たいへん気丈に朗々と語っておられた。
そこで初めて知った。亡くなる一週間前に6年前にガンで亡くされた奥様の7回忌を終えたばかりだったのだそうだ。こんなことってあるのだろうか。子どもたちには母の法事を終えたその一週間後に今度は父を.....。やりきれなさに絶句した。
奥さんにひと目惚れしたTakahashiさんは、何度もふられてそれでも何度もプロポーズして、大恋愛の末にゴールインしたとのこと。それはそれは仲睦まじい夫婦だったそうだ。

「Takahashiさん、なかなかやるじゃんか!」そんな話や音楽や映画や本の話も酒を呑んであなたから聞きたかった。

宮崎台バーズ代表Kobayashiさんはじめ、スタッフ父兄たちもみなハンカチで目頭をおさえていた。棺が最後のお別れで目の前をゆっくり進んでゆく。私は溢れる涙をどうすることもなく成すがままにしていた。
バーズの子どもたちが整列し、主将の号令が会場に響き渡る。

「高橋コーチに礼!」....「ありがとうございました!」

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告別式の模様を個人ブログなんかに書き綴っては不遜の極みと思っていた。
しかし、どうしてもTakahashiさんの追悼の意味を込めて、そのお人柄をせめて私小説ふうに変えて伝えたかった。

休筆することが本当にTakahashiさんの意に沿うことなのだろうか。今までの書簡のやりとりや人柄を想った時にあの人なら天から絶対こう言うだろう。
「Teshimaさんそんな「晴耕雨読」書かないなんて絶対やめて下さい。今は恋女房とこっちで再会できて、これからは天国からカミさんと一緒に「晴耕雨読」を見るのを楽しみにしてますから。いつものTeshimaワールド全開でお願いします」...と。

私の穿った見方かもしれないけれど、彼に背中を押されたような気がして今日ブログ再開を決意。ブログを休筆宣言し2,3週間くらい喪に服すつもりでいたが、私自身の胸の中でひとつの区切りをつけたかった。これからはいつもの文面で書くことが逆に氏の意に沿うような気がして。

ちょっとずつ日常に戻ることにしたい。


2014年2月4日火曜日

さよなら夏の日

一夜明けて私は自戒の念にさいなまれていた。

故人とはいえ、明解な承諾もないまま勢いで高橋さんの人物像をみんなに伝えたくて、数通の私的なメールをブログなんぞで公表してしまった自分を責めた。
けれどたぶん.....、たぶんだけれど、少年野球「晴耕雨読」Blogを愛読して下さった高橋さんなら大らかな笑顔で、天国から「全然いいですよ。むしろ本望です。私を気にすることなく、ガンガン書いちゃって下さい」と言っているようで....私の独りよがりだろうか。

今日は代々木で仕事の打合があり、電車内では高橋さんの大好きだった山下達郎一本でiPhoneで聴いて過ごそうと思った。

「夏もそろそろ過ぎようとしてますね。今度のオヤジバンドライブではタツローの「さよなら夏の日」を歌おうかと思ってます」
「私もあの楽曲、タツローの好きな曲ベスト3に入ります。ベスト1は自分的には「ターナーの機関車」だけどね。是非やって下さい。いつか機会があれば高橋さんのライブに行ってみたいですよ」

そんなメールのやり取りが胸に去来した。電車内ではiPhoneの設定をタツローのアルバムをエンドレスリピートに設定して目を閉じ電車の揺れに身をまかせた。

昨日のブログであえて触れないでおこうと思ったことがあった。
小学一年で母を亡くし、今度は自分に寄り添ってくれたその父を亡くして....。
たった12歳の兄と低学年の弟、二人取り残された兄弟のその子たちの心情と行く末を慮ると、涙でこれ以上書き連ねることは無理だと思い、あえて書かなかった、いや書けなかった。
どうしてあんないい子に、神はよりによって母を失っただけにあきたらず、今度は父までをも奪ってしまうのか....。不公平すぎやしなか。

仕事がらみで代々木で呑んで終電近い帰りの山手線の車中で、今日はタツローだけ聴いていこうと再びiPhoneを操作していたら、Queensの輿水監督からのメールに気づいた。引用させていだだく。

『こんばんは、輿水です。
「晴耕雨読」を見て、びっくりしました。
バーズ高橋さん、お亡くなりになられたんですね。
高橋さんとは直接話した事もないのですが、イチカのメールを豊島さんから頂いた時は、涙がでそうでした。
最後の三多摩大会前にヒマリが怪我をしてしまい、どうしようか?と思っていた矢先に、豊島さんからバーズ高橋さんのメールを転送してもらいました。
私達が考えている以上に選手達も、Queensの事を考えて必死になっているんだと、つくづく考えさせられました。
こんなチームなら多少の事では大丈夫だと思えたのも、あのメールのお陰です。いつか直接会ってお礼がてら話をしたかったのですが、残念でなりません。
心よりご冥福をお祈りいたします』
 鷺沼駅に降り立った私は途中コンビニに寄り、普段は安い煙草と発泡酒を買い求めるのだが、今日はなぜか最高級の煙草と最上級のビールを買って、自宅でささやかな弔い酒をしようと歩いていた。

深夜の寒い路傍を歩きながらヘッドフォンから流れてきたのは、はからずも「さよなら夏の日」だった。私の胸の中にいきなり高橋さんの姿が、すっくと立ち上がって来た。
心の中の彼に問いかけた。
「小さい子を残し、なんでいなくなっちまったんだよ高橋さん。ちくしょう、ふざけんなよ、馬鹿野郎!」
心の中の高橋さんは大きな体でにっこり微笑むだけで何も答えてくれなかった。

深夜帰宅後、ビールのプルトップを開けながらMacを起ち上げメールチェックすると、連盟事務局の西村さんからのメールがきていた。引用したい。

『少年野球に関わるようになって、今日より悲しい日は訪れないと思います。
「晴耕雨読」を読んで愕然となりました。

何故、あの高橋さんが亡くならなければならないですか。
普段あまり飲まない酒を、胃に流し込んでいます。

昨年まで、「連盟連絡メール」を高橋さんにも送っていました。
グランドで会った時は、必ず挨拶しあい、
短い言葉ですが、会話を楽しんでいました。

そんな高橋さんが、今年初めてメールくれました。
そして、それに返信しました。

高橋さんとの初めてで、そして最後のメール会話となってしまいました。

もう言葉が見つかりません。
あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです』

「あの大きな身体とそれ以上に広い心を持った高橋さんと、
高橋さんと話しがしたいです」

私も叶うならば一緒に酒を酌み交わし、話がしたい。

今、深夜AM3:00近く。筆を置こうとしていた矢先、こんな偶然てあるんだろうか。
今ヘッドフォンから聴こえてきたのは、

「さよなら夏の日」

(※しばらくのあいだ少年野球「晴耕雨読」Blogは休筆いたします)