2011年4月7日木曜日

青・黄・赤

これはいったい何の画像でしょうか?

よくよく見ればわかるかな?よくよく見てもわからないかも。
昨日友人と呑んで家路につく帰り道。交差点を渡りつつ周りを見れば深夜なので、車も人もいない。信号の真下に来たときにフト真上を見上げたら、なんだか写真に撮りたくなった。こんなアングルで信号機を見ることってなかなかないと思ったから。

日常の中の非日常。
科学的に分析したら簡単な現象なのだろうけど、青信号だけが点灯しているのに何故か黄色信号の光もキャッチ。しかも青とズレながら。青から黄色に移る瞬間撮ったのならば多少は理解出来るけれど。撮影後も青のままだったし。なのになぜ黄色信号の黄色い光が写っているんだろうか?

信号機については想い出がある。
皆さんは信号機の取替作業を見たことがあるだろうか?
数年前から電球による信号をLED照明によるものに替えて来た。明るい日差しでもクッキリ見える、メンテナンスフリーで10年間は球切れがない、イニシャルコストはかかるけど、ランニングコストは安い....などの理由で。
小生が恵比寿に事務所を持っていたころ。
昼メシ後に交差点で信号待ちしていたら、新しいLED信号機に交換する作業に出くわした。小一時間ほどじっと観察しちゃった。
電柱がある。既存のアームがあってその先に信号本体がある。
新しいLED信号機のアームを電柱の既存のその上に取付ける。
つまり一本の電柱に新旧2本の信号のアームが設置されてるわけだ。
いよいよ切り替え。古い信号は赤を点灯し、新しい信号はまだ真っ暗。
古いほうが青になる瞬間、新しい信号を青に点灯。同時に古いそれを真っ暗にOFF。この職人芸を見て感動しちゃったわけである。
真昼に.....

今このブログを書いている途中で、宮城沖でまた余震。震度6強。
ここもかなり揺れたけれど、東北の被災地の人たちのことを思うと胸が締めつけられる。
真昼に.....のあとは急に書く気が失せてしまった。能天気にこんなブログを書いている自分が恥ずかしく、被災地の方たちに申し訳ない気持ち。
でも明日も生きていかなければならない。被災地も、日本も、自分も。
「上を向いて歩こう」

2011年4月6日水曜日

2×4=?

意味深なタイトルではある。2×4(ニィーカケルヨン)とは何ぞや?ってね。少なくともコンパネ・ツーバイフォー建築のことではない。

最近小生のまわりに新旧とりまぜ、「西」のつく名字の人が激増している。
カリスマブロガー仲間の、小生の尊敬する「西」さん。
宮前少年野球連盟の陰の実力者であり功労者「西村」さん。
更に我がチームは子どもの数が20人前後であるにもかかわらず、チーム内の大人には、「西」「西原」「西川」「西中」がひしめき合っているんである。
会社の隣の席は「西沢」、旧知の仕事関係を顧みれば「西岡」もいた。
これは偶然だろうけど、出身地は東京から見ればほとんどが四国や九州の「西」方面の面々。高知・福岡・大分・熊本・鹿児島などだ。
上記の「西」さんを数えてみれば、ちょうど8人。
....
ワカリマスカ?
2×4=8
「ニシガハチ」=「西が8」
ジャンジャン。お後がよろしいようで。
...そうでもないか(^^)

2011年4月5日火曜日

野球小憎に効く特効薬

昨日は不覚にも居眠りこいてしまい、試合のブログは書けなかった。気分を変えて関東団地野球大会。略して関団連。東京神奈川千葉埼玉の少年野球チームがしのぎを削る大会。昔は千葉マリンスタジアムで開会式、試合もやったことがある。地元宮前の隣どうしのチームの対戦なのに、わざわざ藤沢の小学校まで行って試合を組むのはいかがなものか...なんてこともあったりして。

昨日の初戦も藤沢にて相手は善行リトルスターズさんだ。4番サードの子は中学生か?と思うほどの立派な体格。県大会あたりになると、大人の審判より背の高い小学生がゾロゾロいる。フレンズ黄金期に県大会常連だったころはよく目にしたものだ。
結果は12:2の滅多にないコールド勝ち。但し土曜のゲームと同じく相手ミスによる得点も多かった。でも長打もポンポン飛び出してそれなりの試合ではあったように思う。
打者一巡し10人の攻撃。ひとつ目のアウトは4番のNabe。これが内野ゴロで走者生還し打点1。なんと3回まですべて共通して全く同じこのパターン。Nabeはノーヒットで3打点を稼いだわけだ。4番としての最低限の仕事をした...と言えるかどうかは別として(^^)
ベストプレイヤー賞はKatsuとOtoのふたり。Katsuはグランドルールの助けもあったけれど、バットを思い切り振り切ったぶん左中間を破る長打の三塁打を放った。
いつも明るいムードメーカーのエースOto。昨晩からの体調不良、試合直前まで車の中で寝ていた。その横で小生がメンバー表を作成...困ったな。これでは先発で使えないかもだ。
「おい、Oto、大丈夫か?時間ギリまでメンバー表記入しないで、もしダメなら監督に言ってベンチスタートに変えてもらおうか?」
その言葉を聞いたとたん...ガバリと飛び起きて、
「大丈夫です!行きます!」
意外とナーバスな彼はいつもの笑顔を無理に作り、すたこらグランドへ。
結果は相手打線を2点に抑え、打っては二塁打を放つ活躍。
好きな野球ができることが、野球少年にとっては特効薬なのだろう。
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2011年4月4日月曜日

俺たちも元気をだして

今日は関団連大会初戦。毎度のことながら藤沢方面への遠征だ。
有馬へ帰還後、いったんは自宅へ帰ったものの、オヤジどもで飲み会をやろうとなりズブズブと呑んでしまった。それでも家に帰ってから鋭意ブログを書こうとMacの起動ボタンに手をかけ、デスクトップを眺めているうちに不本意ながら睡魔に脳を浸食されズブズブと奈落の底へ沈没。
今やっと蘇生したものの、いまだ半分は奈落から足を引っ張る奴がいる。
初志貫徹できずに試合のほうは別の機会に譲るとして、飲み会の写真を掲載。低学年の若いお父さんたちがたくさん参加してくれたことが嬉しいことこの上なし。
まだまだ世情は自粛ムードであり、こんな飲み会にも眉をひそめる向きもあろうと思う。でもそろそろ我々も明るく元気にならないと、いつまでも活気を取り戻すことも出来まい、と思う。そんなふたつの思いの狭間で揺れながら、あえてオヤジたちの元気な写真を。
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2011年4月3日日曜日

野球ができる喜び

宮前連盟専用募金箱を作ったハナシは書いた。これを然るべき場所、然るべき担当者へ渡したいのだけれど、自分にはアシがない。その時の記念誌連絡網のやりとりを大公開...したいのだけれど、長文だし削除・編集が結構たいへんだ。で、ダイジェスト版。小生が「車を持ってないのでいっそ、ヘリをチャーターし募金箱を空輸しようか」と書けば編集長から「車でとりに行くからそのかわりチャーター代を募金してくれ」と返され、Saitoh本部長からは「明日フレンズのグランドへ我が家の愛車ジープチェロキーでとりに行くよ」....となった。
今日昼頃、颯爽とNishimura編集局長とSaitoh営業本部長おんみずから宮前区の端っこ我が有馬村へ登場。ご自慢のJeepを駆って。車体は純白に塗装されサイズはJeepの半分、ハマーの1/100くらいにコンパクトに改造チューンナップされていた。白地のボディーには「越の寒梅」「八海山」「魔王」などの高級ブランドのロゴが所狭しと描かれとても素敵な車だった。帰りしな、ハマーには絶対出来ないであろうたった5秒間での軽快な切り返しの華麗な運転テクニックを披露し、募金箱二つを胸に抱え二人は去って行った。

午後は一時は震災による中止も検討された「村山杯」初戦。
15:6で勝ったけれど両チームの投手の四球の多いこと多いこと。これを如実に語る記録をひとつ。うちの先発が6者連続フォアボールを出せば、その子の攻撃時の打席の記録は4打席全部四球である。どっちもどっち。大量点のゲームには付きもののエラーがほとんどなかったこともありちょっと不思議な試合であった。
ベストプレイヤー賞はTaguchi選手。4打数3安打3打点。高めの見逃せば明らかにボールの球を打つとドンピシャリの長打になる、荒削りではあるけれど試合ではいいところを見せる6年生。入部当初はジコチュー、勝手な振る舞いで周囲を困らせたが、負けず嫌いで心がピュアの裏返しだったのだろう。今や打席に立つと何かを期待させるバッターの一人になった。

まだ遅くない。みんなも頑張れ。被災地で好きな野球が出来ない子どもたちのぶんまで。
この子たちに、好きな野球が出来ることの幸せをわからしめるのは、自分たち大人の義務・使命ではないだろうか。
何故か?
この子たちがこれからの日本、世界を担っていくことになるからだ。
そんな世代に「人の心の痛みがわかる」ことを教え説くことは、今募金すること以外に、親や大人が出来ることのひとつではないだろうか。
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2011年4月1日金曜日

募金箱

完成!...連盟用設置の募金箱。
中学の頃「技術」の成績は5段階評価で常に5だった。モノ作りは大好きなんである。
さて製作過程深夜の1日目。とりあえず箱に穴を穿(うが)った。

2日目。箱を組み立ててアロンアルファで、ツンドラの永久凍土のごとく接着固定。更に看板を光沢紙に出力する。

3日目。出力紙を塩ビプレートに接着。箱の上と正面に長年連れ添った老夫婦のごとくがっちり接着固定。下面で開閉出来るようにマジックテープでカティングマットを仮固定。取外し可能。倦怠期を迎えた3年目の夫婦のごとく。

完成です。

宮前少年野球のメッカ、第一公園と第四公園にふたつ設置予定。
名実共にまさに公園デビューはもうすぐ。
高校時代の体育の必修は柔道だった。桜木健一の鬼車を日夜特訓し、マスターしようとしていたおバカな筆者です。
因に小学校の頃は、飛雄馬の大リーグ養成ギブスを本気で作ろうとした私です。
更に高校の体育授業でのバレーの試合で、稲妻サーブをかまして見事決めちゃった小生です(^^)サインはV。
「X攻撃」はさすがに出来なかった。
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2011年3月31日木曜日

昔も今も横柄なワカゾウ

大震災からほぼ3週間。当初は世情もTV番組もCMなども軒並み自粛方向であった。このブログも全く他のことを書く気にすらならず、3/11以降ほとんど震災のことばかり。少しずつ他のことも書きたいと思うようになっても、被災地の映像を目の当たりにするたび、いまだ何か呪縛にかかったように筆が進まなかった。でも最近ようやく肩の力を少しだけ抜けるようになってきた。でももちろん「被災地の方たちの気持ちになってみよう」とACの嵐の広告にあるように、これだけは忘れてはならない。本当のサポートはこれからが本番だから。

今日は新宿区役所建築指導課へ直行。店舗設計者にとって、役所・消防・保健所はいわゆる「お上」。いつも対峙しなきゃいけない3大関係官庁なのだ。担当者によって違うけれど、柔軟なアタマの持ち主もいれば、四角四面の堅物もいる。愛すべき頑固オヤジなら、こちらも一丁将棋のひとつでもさしたくなるが、困るのはいわゆる「大学出の若造」で「世間知らず」で「横柄な態度」で「役所仕事」を全うしちゃう奴だ。今日の担当者はそうでもなかったが、会話の端々に初対面の年上に対して「うん、...」という相づちを入れることにはうんざり。これに辟易してるオトナは多いはず。自分がガキの頃は(今でも)、たとえ下請けさんであろうと、道路工夫であろうと、浮浪者であろうと、年上に対してタメ語では話せなかった。付き合いが長くなり気心が知り合える仲になり、親しくなればそれなりに「はい、...」が「うん、...」に変化するけれど。
これはもうかなり昔から思っていることだ。電話での会話でも多いことこの上なし。今のその若い連中を産み育てた親の世代は...現在の我々の世代。おい、うちは大丈夫か?

22歳で結婚した小生。
婚姻届や子どもの出生届けを渋谷区役所へ届け出たことがある。窓口の担当者は正に前述の彼よりももっとひどい横柄な若造だった。自分とさして変わらぬ年代。
「あっそう、この用紙に書いてくれる?」
「ちょっと待ってくれるかな」
「違うよお〜、ここの欄に今日の日付書くんだよ」
.....うぐぐ....ぐぐ。頭の中で血管が沸騰点に達する音が聞こえた。
(一時期マスコミで役所バッシングがあって以来、今ではこんなことは滅多にないけれど。むしろ最近の役所は丁寧すぎるくらい親切で誠意に満ちている)

おもむろに私は彼のネクタイをひっつかんでカウンター越しに引きずり出し、
「この公僕のくせに税金泥棒が何をほざいてんだバカヤロウ!俺とテメエは人として対等なんだぞ!人に対しての口の聞き方を教えてやる!」と叫びながらやつの顔面を137往復ほど殴打し気絶させ、首に縄をして馬車で渋谷区内中引き回してのち、奴の口の中へ「敬語の使い方辞典」を1ページずつ破って喰わせてやった。

....そうしたかった(^^)

新宿アルタ前。「笑っていいとも」ギャラリーの女の子たちの群れ。

20歳前後の我が青春の新宿3丁目。ここでバイトに明け暮れていた。当時の上京したての自分が脳裏に蘇る。
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