2011年9月29日木曜日

タッチアップ

タッチアップの話。
Wikiより引用。(http://ja.wikipedia.org/wiki/タッグアップ)

打者が飛球(フェアボールファウルボールを問わない)を打ち、この飛球が野手により捕球された場合、走者はリタッチを行う必要がある[2]。一旦リタッチを果たした後は次塁への進塁を試みることができる。飛球の方向や距離、走者の走力や相手の守備力といった条件が揃えば、この捕球後の再離塁によって次塁に到達できる。
離塁した走者は次塁へ達する前に触球されるとアウトになるので、極力早くスタートできるよう、塁(ベースバッグ)を陸上競技短距離走のスターティングブロックに見立てて、これに足を掛け、同時に野手の捕球が自身の視野に入るような体勢をとる。離塁の際には捕球より先に上体のみを動かし、その勢いを利用してスタートを切ることがセオリーとなっている。(※米国ではタッグアップ)

野球関係者ならば当たり前のタッチアップの意味も、こうやってツマビラカに改めて文章化されちゃうと、フムフムなるほどと思ってしまう。
話はそれるけれど、走者が3塁からタッチアップで本塁を踏んで得点した場合、打者に記録上「犠打」がつくのは人類創世記以来の常識だけれど、2塁からのタッチアップで3塁へ進塁させたケースには犠打はつかないのである。これはたぶん、前者は「俺は自分を犠牲にしてまで得点に絡んだんだかんな!」というので「犠打」。しかし後者の場合は単に走者を進塁させただけで、自分はアウト。本来ならば安打で進塁させ自分も生きることが理想とされるので「犠打」の栄誉に浴することは出来ないというのが筆者の解釈である。
話は更にそれるけれど、この犠打を打たれた投手は単なる「失点」か或いは「自責点」になっちゃうのか。外野フライで打ち取っているのにもかかわらず「自責点」になるんである。なぜか。この場面は極力得点を与えてはならないので、三振かゴロに仕留めるのが投手の責任だからだ。だからたとえ外野フライでアウトカウントを稼いでも、失点は投手の責任となるわけだ。いやはや、ピッチャーというのは大変なポジションである。

さて、やっと24日の高津ドジャース杯ブログである。同じ宮前のチーム向丘サンダース戦。昔フレンズで筆者が言った名作ダジャレを想い出す。
「ねえねえ、サンダースって選手が36人もいるって知ってた?」
「えっ、そうなんですか」
「サンダースだけに3ダース...な〜んちって」

結果から言えばとうとう負けちまった。10:4。
ここでは先に書いたタッチアップが二つあったお話。
1回表フレンズの攻撃。Teruが三遊間を破る安打で先制点を挙げると、二つの盗塁で3塁へ到達。4番打者Taguchiがレフトへの犠飛を放ち、Teruがタッチアップから本塁を陥れ2点目。幸先のいいスタートではあった。(写真左上)

5回表。ナンダカンダで神田の古本屋。またしてもTeruが3塁へ。3番Otoがライトフライ。なんとまたしてもTeruがタッチアップ。少年野球で一試合で同じ選手がタッチアップというのはかなり珍しいのではないだろうか。
タイミングは誰がどう見てもセーフだった。(写真右上)
しかし審判のコールは「アウトッ!」
試合後審判の方と談笑の機会。審判いわく、完全にセーフだったけれど、スライディングした足が本塁ベースに届いてなかったとのこと。Teruはあと0.5秒遅くスライディングしていればセーフだったかもしれない。こういうことってあるものだ。しかしTeruには果敢な走塁と打点1でBP賞をあげよう。

試合後夕方久しぶりにベーランで締めた。Otsuboさんがタイムも計りつつ。
いよいよ週末は10月に突入。12月は先生(師)が走るまわるほど忙しいというのは、弥生時代からの我が国の常識であるけれど、10月は生徒が走りまわる忙しさなんである。走れ!子どもたち!
次回ブログはQueensの携帯待ち受け画面の話。
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2011年9月26日月曜日

来年の胎動

仕事が死ぬほど忙しいのは、死ぬほど嬉しいことだけれど、3連休が2周連続つづけばブログネタもそれなりに堆積しちゃって、パソコンのデスクトップにいくつものフォルダが並ぶ今日この頃なんである。前回のQueensBBQ大会の話は、先週18日日曜のこと。ブログアップしたのは水曜深夜。
更にこの時期は年末に向けてスコアの集計が頭を悩ます。今から2速から3速へシフトしていき10月にはトップスピードで走らないと、11月には2,3日徹夜を覚悟しなきゃいけない。しかもその他に野球関連でやることがいっぱいなんである。

そんなわけで、今日のブログは先週の19日月曜の練習試合にやっと追いついた。新チーム体制(5年生以下)での鷺沼ヤングホークス戦。
そんな季節になってきた。来年を見据える胎動が聞こえる時季。6年生にとってはちょっぴり哀愁ただよい始める時でもある。
相手はAチーム予備軍としてすでに試合経験豊富、今年はジュニアの部での優勝も果たしている強豪。対するこちらは試合経験もほとんどない、三遊間やタッチアップやホースアウトなどの野球用語を理解してないのは言うに及ばず、攻守交代の時にヘルメをかぶったまま守備位置に走るような下級生が多いのだから、スコア結果は試合前から火を見るよりも明らかなんであった。にしても、ちょっと白タオルを投げたくなるような点差ではあったけれど。ふう〜。

ヤングさんもベテラン審判員Katsuさん指導のもと、新人研修を兼ねたお父さん主審でプレイボール。昔からヤングは父スタッフの層が厚い。羨ましい限り。

うちは少ない人数の中、来年の投手候補を試験的に3人をリレーさせる。I.Takumi、Kouta、Sueki。野球の守備オーダーはまず投手を誰にするか?で始まるが、次に捕手は誰が出来るか?になりそこで様々な葛藤が生まれる。Aは肩が強いけれど捕球がイマイチとか、Bは体は小さいが声でチームを引っ張れるキャラを持っているだとか....。監督指導陣の悩みどころである。

ちょっと一服。カメレオンのようなカラスであった。

この試合はスコアラーをサブのI.Mitsuyo女史に全面お任せ。筆者は広報班カメラマンに徹したおかげでいろんな角度からカメラを構えた。中でもスライディングとタッチプレーの写真は撮っていて楽しいものである。本人たちは真剣勝負だけれどね(^^)
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2011年9月22日木曜日

キミたちの笑顔をありがとう

全国にどれだけあるのか小学生の女子野球。我が川崎宮前にも数年前に結成されたチームがある。「宮前Queens」
うちの娘は小学生のころはフレンズであったけれど、当時Queensがあったならば、ここにも入っていたかもしれない。もっともクルマを持たないペーパードライバーのオヤジ(筆者)には無理だったかもしれないけれど。近年うちのチームからもHarukaが入部してお世話になった。彼女にもとてもいい想い出になったに違いない。

連盟記念誌プロジェクトチームが縁で、今年はいろんな人とお近づきになれたのは私の今年の特筆項目である。編集長Nishimuraさんはじめ諸々。その一人、Queens代表Kasaharaさんに、BBQ大会にご招待いただいたんである。震災復興支援ステッカーやQueensロゴのデジタルデータを作ったりなどの縁もあり。「首相官邸だろうが、皇居だろうがどこへでも迎えに行くよ」と言っていたKさん、昼過ぎにYaさんママの運転でやってきたのは、TOYOTAセルシオ。差し入れに発泡酒を買わなくて正解だったことに得心す。
(BBQとQueens。ふたつ合わせてBBQueens。確か、ちびまる子ちゃんのテーマソングを歌っていたのはBB・Queensだったかな)

2,3缶ビールを空にしたところで少女選手、コーチたちも集合。Kさんやっと乾杯の音頭のタイミング。部外者の小生を紹介もしてくれた。小生、ご挨拶の言葉をこの1ヶ月寝ないで考えていたのだ。
「え〜、コホン、有馬フレンズのTです。常々Kさんから「うちのQのママたちは美人ぞろいだよ」と聞いていたのですが、Kさんは嘘つきだと思いました。なぜなら、「美人ぞろい」ではなく「超美人ぞろい」だったからです」なんて(^^) いやはやコレ本当なんである。実際はこの1ヶ月寝ないで考えた挨拶の言葉は、小生に振られることなく終わったので胸の内にしまっておくことになったのだが(^^)
時の経過とともにいろんな人と会った。
男から見てもカッコイイ、チョイワルオヤジ系のKoshimizu監督始め、下戸のYoコーチとその伴侶酒豪ママのYoさん、、Yaコーチ、花火師のNiさん、審判副部長のHaさん、長身でユニフォームが似合うJAお勤めMuさん、官公庁お勤めの事務局長Saさん....。過去このブログで触れたこともあるエースで4番のMちゃんのご両親Moさんや、最近うちの地域から入部したSoさんetc....。Mちゃん所属のヤングのKurosu監督もノシノシやってきて、しばしチーム運営談義。相変わらずの毒舌の中に一本スジの通った人間的な包容力を感じさせる宮前名物監督である。
Queensには男子にはない女子独特の柔らかい可愛らしい空気感というものがある。それでも試合になれば男子顔負けの活躍を見せてくれたりして。そのギャップがいい。「箸が転んでも可笑しい年頃」というには少々早すぎるかもだけど、しかし女子たちは屈託なくみんなよく笑う。この笑顔が親やオヤジコーチ、スタッフの明日への原動力になっちゃうのだ。
ささやかなQueensのステッカーをプレゼントしただけなのに、Koshimizu監督が小生に「Tさん、ちょっとコッチへいいですか」と耳打ちし、ずらり一列に並んだ選手たちの前へ拉致、連行される。
Mちゃんの号令で女子選手たちが「シールありがとうございます〜っ。礼っ!」
ヤバイ。.....ちょっと感動してしまった。
ただでさえ若い女性と妙齢の女性と魅力的な女性に弱い小生は、気の利いた返答も出来ずにいた、晩夏の夕まぐれ午後4時30分。

こちらこそ、キミたちの笑顔をありがとう。
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2011年9月21日水曜日

Queensステッカー

18日の日曜なんである。この日は昼からQueensのBBQ大会に行き、ほどなく自チームのこれまたBBQ大会に合流する予定であった。ところがこともあろうに、初対面の方が多いにもかかわらずQueensが居心地が良く、つい長居をしてしまって、有馬フレンズに合流したのは夕方からの居酒屋その1の2次会であった。

このQueensの話はまた引っ張って次回なのだ。順番からいうと今日はQueensのステッカーを作ったことの話。
先の台風上陸で当初予定されていたBBQは延期になったけれど、その前にナニカお土産を持っていかねばと思った。発泡酒では失礼だし、ハーゲンダッツのセレブなチームなので奮発してYEBISUビールにしようかとも、結局コンビニにはロング缶パックはドライしかなくて、やむなくそれにしちゃったけれど。
ビールなら誰でもお金を出せば買える。ゾウアリクイが蟻をのみ込むのにビールが欲しくなって、コンビニに買いに来たらきっと店員は快く売ってくれるはずだ。小生が閃いたのは、自分にしか出来ないお土産。ステッカーであった。大きなものは無理があるので、携帯に貼る専用で小さいものを制作。親は携帯に貼り、子どもがペンケースに貼ったりもするだろうし、チームスタッフや連盟役員はバッグやおでこに貼って出勤するはずだし、何枚必要か。Kaさんにメールで打診。...全部で37人分!A4フィルム2枚に一人4点ならいける計算。
以前制作したロゴをそのままステッカーサイズにコピーペースト。
試しに普通紙に印刷。あやや!小さいとロゴが潰れてしまうではないか。確かに震災復興支援ステッカーの時も白の部分が潰れてちょっと失敗。白部分だけ太くするため一から修正にかかる。最後の積み木を乗せたとたんに崩れてしまい、またイチから積み直す気分ではあったけれど、失敗作と分っていて制作するほど厚顔無恥ではないわけで。
なんとか出来た。早速携帯に貼ってみる。フムム、良いではないか。
良いではないか、良いではないか、もう小娘ではあるまいに、というセリフは舟の中で密談する越後屋と役人の場面であった。
以前もジョークでやったけれど、今回も画面にベッタリ貼ってみた。(飽くまでパソコンのグラフィック上の写真合成ですよ)
これでは携帯は何も機能しないことが分る。画面がないと携帯ってただのプラスチックの塊なんだという事に気づかされる。パソコンもそうだ。モニターがなくて、キーボードと本体だけなら全くのガラクタである。レアメタル的価値くらいはありそうだけれど。
BBQの写真とその話はまたいずれ....。
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2011年9月19日月曜日

おもいっきり走れ、打て!

世の中一般的には3連休であった。野球もイベントも盛りだくさん。自営業の筆者は半日仕事、そのあと試合へ行きスコアラーをやったりの日々。この週末もまた3連休だけど、仕事がガッツリ。どんだけ図面を描かなきゃいけないかと言うと、ミルフィーユの薄皮を一枚一枚ピンセットではがして食べるがごとくなんである。
土曜日も朝からA,B2試合のスコアラー。
午後家に帰りMacをジャ〜ンと起ち上げる。
図面修正依頼のメールがド〜ンと来ている。
なかなかこのブログを書いてる余裕がなくて、ネタは溜まる一方。一週間に3冊読むのが限度なのに、一週間に10冊本を買ってしまう北上次郎(文芸評論家)のようだ。
でもって、今日は順番に土曜の多摩川での練習試合をば...。
昨年対戦した橋場ジャガースさん。多摩川のグランドを提供してくれてAチームと来年の新チームの2試合を敢行。新チームでは5年生以下になるため、今までサードを守っていたInoueがピッチャーに。センターのKoutaがキャッチャーで。かつての英国首相鉄の女と呼ばれたのはサッチャーだ。
この一年練習は積んできたものの、Bチーム結成までには至らず、従ってほとんど試合経験がない子が多い。まずはなるべく多くの子に守備と打席に立たせることだ。試合独特の緊張感を少しでも多くの子に感じてもらい、思い切り走って思い切りスイングすることだ。他のマンモスチームではB1+B2チームがあったり、Cチームまであるところもあるわけで、そんな子たちがAになればすでに試合慣れしており、何よりも野球を知っている。この時期でとっくに1歩リードされてるどころか、うちよりも10歩も20歩も先を行ってるわけで。うちは全てがこれからなんである。小さい子はインフィールドフライやタッチアップやホースアウトの理論を理解するよりも、まずは「思いっきり!」
今年Bを無理してでも作ろうという気運が盛り上がったこともあったけれど、いかんせんAの運営だけで精一杯。設営・審判・車出しなどの父協力が足りないとまでは言わないまでも、決して十分とは言えない。マネージャーや事務局や配車係が陰で思いっきり苦労しているんである。みんなオトナだから顔には出さないけれどね。

試合はBが3:6で負け。BPは2塁打のTakuto&単打のYuusuke。
次のAの試合は先週の多摩川でのドジャース杯11:10で勝ったのに反して、今日は真逆の最終回4点差を返されて10:11でサヨナラ負け。またしても5本の本塁打が飛び出したが、相手のランニングホームラン4本に対してうちの1本は文句無しの、多摩川を超えて東京世田谷区へ今まさに届かんとス、というくらいの2ランホームラン。そのNabeにBP賞をあげよう。

さてさて、次の日曜はQueensのBBQ大会。
Kasahara代表にお招きにあずかったんである。順番なのでこの話はまた後日。
そこで配った特製Queensステッカーの一部拡大写真だけUPしちゃおうってか。
このブログをアップしようとしたとたんに、Qのお母さんからメール、チーマネからフレンズの今週末予定案のメール、娘の夫から電話とメール、
いやはや皆さん、夜更かしさんですなあ。
ん?
オメエが一番夜更かしだろうって?
ハイ...。(^^)
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2011年9月16日金曜日

未来の記憶ノート

ヤバイっす。マジ、ヤバイっす。
記念誌の最後の難関、「詩歌」のページ。
数日前に天から降臨。
シャーペンで殴り書き、書き直すこと3度。
今日初めてMacに入力。
キーボードを叩くうちに、いきなりもうひとつ降りてきた。
短編小説と詩のカップリング。
このブログで紹介できるのは、刊行後のたぶん12月。
せめてタイトルだけでも.....

「未来の記憶ノート」

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2011年9月14日水曜日

遠い記憶

「エ〜〜〜ッ、サッサア〜、エッサッサ〜!」
川崎市有馬中学校体育祭での男子生徒の名物演技「エッサッサ」である。
その昔日体大の大学生から伝授された伝統の演技である。

先日の土曜仕事を早めに終え、練習のグランドへ行く前に歩いて3分の有馬中学体育祭に寄ってみた。この一週間ほど体育祭の練習を盛んにやっていた模様。フレンズを卒業した子たちの何人かをちょっと見てやろうと思ったわけで。昔と違い入場者名簿に記入し、持参のカメラの申請も済まし校庭へ。子どもって体操着を着るとなんでこうも皆同じに見えてしまうのか。視力の悪さも手伝って誰が誰だかさっぱりわからんちゅうに。20年ほど前、幼稚園の運動会の徒競走の時に我が子をビデオに撮ろうとしても、遠くからだと他の子と全く判別がつかず、直感で我が子をレンズで追いかけ撮ったはいいものの、だんだん近づいてきた子は全くの他人だった...なんて記憶が蘇る。

運動会と侮るなかれ、筆者は男子の騎馬戦とリレーを見るのが大好きだ。単純に興奮するんである。自分の中学高校時代を想い出すせいもあるのか、アドレナリンが胸のあたりからふつふつと沸き上っちゃうのだ。逆に今もし、やれと言われてやりたくないのは「パン喰い競争」1位になるには日頃の仮面を脱ぎ捨てて、もの凄い形相で大口を開けパンに喰らいつかねばならぬ。逆に不幸にも最後までパンを喰いちぎれずに、後ろ手に紐で拘束された挙げ句、喰いたくもないアンパン相手にオタオタすれば、周りの失笑とも嘲笑ともつかないビミョーな笑いに囲まれながら、あろうことか係員にパンをくわえさせてもらい、無人のトラックを熱の冷めたゴール目指してヨロヨロ走らねばならぬ。こんな屈辱はないわけで。(故意に極端な論理を展開させましたでありまする(^^))

さて、中学校体育祭である。
男子組み体操も見応えあったけれど、昔と比べてどこか「真摯な気概」とでも言うべきものが感じられないと思ったのは、筆者が歳をくったせいだろうか。先の半ば伝統芸能保存的な「エッサッサ」も然り。筆者の息子の時代には男子全員のかけ声だけでも鳥肌立つような感動を覚えた記憶があるけれど。


遠い記憶。
息子が3年の時の体育祭。「エッサッサ」で朝礼台に登り指揮をとるのは全校男子生徒のリーダーたる証でもあり名誉でもある。その年のリーダーは、当時シニアで活躍していた鷺沼ヤングホークス出身の高井雄平くん。のちにヤクルト指名でプロ入りを果たした子である。一糸乱れぬ演技と中学生男子独特の大人になりかけオトコの大音声(だいおんじょう)が校庭に響き渡る。

雨だった。最後の男子リレーが始まった。
息子のJunnosukeは野球部でアンカーを務める。スタートの号砲。ぬかるみに足を取られながらも白熱の展開。Jの前の走者が不幸にも転倒。前のランナーとの距離がどんどん開く一方だ。やっとJにバトンタッチ。すでに勝負は終わっている。残り半周で誰もいない無人のトラックをそぼ降る雨と泥にまみれてひとり独走する。静かな衆人環視のもと自然と温かいがんばれの拍手がわき起こる。
最後の直線コース。息子Jは勝負を捨ててそれまでゆっくり走っていたのだが、ゴール間近で突然猛ダッシュにシフトチェンジ。
最後は泥のゴールにヘッドスライディングを敢行。すぐにすっくと立上がり、両手を天にかかげ、ヤツはあろうことかグリコのポーズを取りやがった。
会場は爆笑と拍手の嵐。
パン喰い競争のような屈辱を自分の胸の内で反転させ、逆に周りを味方につけるスキルというよりセンス。
大バカ野郎の息子だったが、父親としてちょっぴり誇らしげな気分であった。
今日は「遠い記憶」の話でした。
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