2011年12月23日金曜日

子どもの笑顔は宇宙を救う

ちょっと大上段に構えすぎたタイトルではあります。
「子どもの笑顔は地球を救う」ではなく「子どもの笑顔は宇宙を救う」。

連盟記念誌の「Vol.5序章編」を書こうと思ったけれども、なぜかふと脱力。
仕事部屋の片隅にはTV。ニュース番組の時間帯。画面には3.11以降何度も目にした被災地の子どもをテーマにしたごく普通の取材VTRが流れていた。

その子の笑顔を見たとたんに私は...はからずも....どうしたことか.....目頭が熱くなり。記念誌の文章を書く気が失せてしまった。

今一度、私たちは忘れかけていやしまいか。
記憶の風化の入口に立っていやしまいか。
戦前、戦中、戦後....「戦後は終わった」という過去の有名な言葉があるけれど、
「震災後」はまだ終わってなんかいない。
私たちはとっくの昔に平穏無事な日常を手にしているけれど。

それでも子どもたちの笑顔を、消え失せていない瞳の輝きを見ると心が洗われる気がする。
「子どもの笑顔は宇宙を救う」と書いたけれど、
子どもの笑顔で本当に救われたのは私たち大人なのかもしれない。
Le* Sourire
こども夢花火-10年先の花を咲かそう
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2011年12月20日火曜日

卒業生を送る会2011(2)


昨日に引き続き「送る会」のPART2、後半である。(長文です。今のうちにトイレへ行っておいてね)

毎年6年生保護者からチームへ贈呈品がある。筆者の娘の卒業の時はベースを贈った。当時はスライディングして触塁するとキャンバス地で出来たベースはいとも簡単に、地を這う手裏剣のごとくすっ飛んで行くヤツだったからだ。今でもゴム製のベースをひっくり返すと当時の卒業生の名前が書いてある。十数年前のものである。
今年はバットケースと....横断幕=応援旗である。
2000年に作った応援旗を一新し、新応援ロゴを配したもので筆者がデザイン制作。当初ネットでチョイスした業者で見積をとり生地サンプルを取り寄せ、発注の寸前までこぎつけたのは11月下旬。しかし仕上がり感にどーにも納得がいかない。その業者への最終発注のボタンをクリックする直前で思いとどまった。
「安いけれど本当に悔いはないか?」
完璧を期するスティーブ・ジョブスの声が天から聞こえた(ような気がする)。
再度イチからネットで検索してみる。数社に絞りその中の一社、栃木の「幕壱」さんに決めた。完全データを送り再度印刷生地サンプルを請求確認し今度は納得の上で発注。最初から最後まで製作過程での逐一の丁寧な対応、誠実さに満足である。自宅へ届いた完成品も素晴らしいモノだった。
このお披露目をサプライズ的に演出するために、古い幕の裏にこの新しい幕を仕込み、「幕の除幕式」を密かに計画。古い幕をバッサリ床に落とすと「せ〜の」で新しい応援旗が現われるという寸法。カーネギーホールでのスタンディングオベーション同様...とまではいかないが、「おお〜!」との歓声が上がる。上々であった。

卒業生保護者の挨拶。今年は「涙」を見せてくれたのはOnoちんママ。幼稚園の女児が道に迷って泣いてる姿のようであった。普段の豪快さとは裏腹に可愛らしい一面を垣間見た(^^)
鷺沼ヤングホークスさんや「台風一過」さんみたいにDVDのスライドショーをやれば絶対涙涙の感動ものなのだけれど、未だ実行に至らず。なぜやらないかって?毎年やること目一杯なのに、これにDVD制作の激務を加えたら筆者絶対過労死するのは間違いないからだ。卒業生保護者の涙を見る前に、筆者の家族が涙を流すハメになっちゃう。

佳境である。
実は来年は監督が交代する。
Satoh監督はOB選手の生え抜き監督であった。子どもからの人望も厚い熱血野郎の好青年ではあったけれど、彼もいつの間に来年30歳の大台になる。Satoh君の固い意志により来年の監督は辞退し普通のコーチとしてフレンズを支えることになった。このあとの二次会に来た彼の弁で正式発表。オイオイもしや来年結婚か?との口撃で盛り上がるが、彼の持ち前の曖昧さ加減のノラリクラリ戦法でこの難局は乗り切ったようだ。
新監督は現29番のOtsuboさんが就任。
学校の先生に例えれば、聡明で真面目でいつもニコニコ時に厳しい学年主任が、教務主任に昇格したような好人物。きっと来年の子どもへの監督賞は富士通の最新ノートパソコンに違いないと期待するんである(^^)

最後に集合写真をパチリ。
今年も和やかな雰囲気で会を終了することが出来た。
陰で大変な準備をしてきたInoue母はじめ全員の親たちに感謝したい。

さて余談ではある。
二次会は卒業生保護者主催で有馬の老舗名店「葵扇寿司」にて賑やかに大宴会となり、その後有志というか残党10名ほどがカラオケスナックへなだれ込み勝手に独唱大会。更にあろうことか、その中の落ち武者オヤジ3名はビールとお茶漬けを求めて居酒屋へもぐり込みラストオーダー30分勝負を終えてやっと解散。
しっかし、よくやるよねえ〜...。

落ち武者オヤジの一人が筆者であった(^^)
帰宅し洗面所の鏡をのぞくと、鏡の向こうで、見たことのある顔の落ち武者が俺を見ていた。
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卒業生を送る会2011(1)

夏の合宿と冬の送る会は少年野球チームの2大イベントと言っても過言ではないであろう。

スポーツ少年団ではないから「卒団式」じゃないし。
部活でもないから「卒部式」でもないし。
学校ではないから「卒業式」ではもちろんないわけで。
学童野球に属する場合、なんて言えばいいのだろう?
宮前Queensでは6年生を送るから「六送会」というようだ。
いち団体を旅立つのだから「卒団式」でもいいのかな。
うちのチームでは「卒業生を送る会」と言っている。それが昨日の日曜に開催。

会場は昨年から利用している地元近隣のオンワード研究所内の、おしゃれなレストランを借り切っての開催。Kanedaコーチの乾杯の音頭で始まった。

地元有馬の川崎市会議員織田さんにも駆けつけていただき、ご挨拶をいただく。
六年生と五年生は同じ中央の円形テーブルに着席。カメラを向ければお決まりのピースサインは全国共通である。百貨店の商品券に匹敵するんである。
「それではしばらくご歓談を...」の合図と共に、フレンズ広報部長の筆者は速攻でバイキングの列に並ぶ。もう何年も前から経験値として知っているんである。こういう会では一部の進行役や写真撮影で、ほとんど料理も酒も口にするヒマがないのだ。昨年はビール2,3杯とツマミ2,3品だけであった。だから今年はパスタ2種とピラフの炭水化物強力トリオを速攻で胃に収める。

男性でもグラスやマイクを持つと、必ずといっていいほど小指を立てる人がいるんである。2009年の国民白書によると「あなたはマイクを持つとどうしても小指が立ってしまうほうですか?」という問いに対して、「はい」が「いいえ」を凌駕するまではいかないまでも、以外にも全体の9.3%を占める結果を得られたという。これには内閣府の統計係官も少なからず驚いたようだ。

もちろん嘘である。
我がフレンズコーチきっての愛妻家であり、かつてはT大S模でその豪快左腕を全国に轟かせた....かどうかはわからない、Yanagisakiコーチの左手小指はお約束どおり、お茶目に立っていたのだった。
年間成績表をA1サイズで作った。うちのプリンターは職業上A3出力対応なので、4枚に分割し貼り合わせてA1に。今年の成績で特筆すべきは首位打者の主将Nabeである。6冠を取った。首位打者としての打率4割3分は少年野球では決して珍しくない成績であるが、長打率が凄かった。普通単打が一番多く次に2塁打、3塁打、本塁打とだんだん少なくなっていくのが常であるけれど、Nabeの場合単打よりも2塁打が断然多く、結果長打率は5割6分6厘である。つまりヒット数のうち半分以上は2塁打以上を打っている計算になる。長打率は足の速さも影響するけれど、ちょっと驚いたわけで。
さてさてブログ一気呵成に書こうと思いきやの午前2:30。
この続きは明日の朝刊で...。
嘘である。
TVの通販番組では「ちゃん・軍足」のプレミアムオリジナルグッズが今ならなんと9,800円などと叫んでいる時間なんである。
こっちのブログは閉店ガラガラなのだ。
明日また!
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2011年12月18日日曜日

黄昏(たそがれ)

なぜか黄色が好きだ。小学生の頃から。
特に山吹色。クロームイエロー。
「黄昏」と書いて「たそがれ」と読む。
「黄」は夕まぐれの空の色。「昏」はほの暗いの意。
「誰(た)そ彼(かれ)」
夕暮れの時分、あの人は誰?人の判別がつかなくなる時間帯を表す。

「黄昏」...転じて終わりに近づかんとする短い期間をも意味する。

毎年この時季の銀杏の落ち葉を見るとそう思う。
終わりに近づいていても、しかしその色は光輝く黄金のようだ。
昨年も書いたけれど、エルトン・ジョンの「GoodbyeYellowBrickRoad」
さようなら、黄昏のレンガ路。
「黄昏」
若い頃パリへ向かう機中で観た、
H・フォンダとJ・フォンダ親娘共演の映画「黄昏」をふと想い出す。
黄色い銀杏の映像が印象に残っている。

明日、6年生が別れの時を迎える。「有馬フレンズ卒業生を送る会」
子どもは至って明るく元気だ。
感傷的になるのはいつも親のほうだ......。

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2011年12月17日土曜日

20th記念誌Vol.4目次編

冊子制作は必ずしもオモテから順番どおり、表紙→目次→挨拶ページ→.....と制作するわけではない。実際いずれ掲載する6,7ページの「宮前チームマップ」に最初に手をつけたんである。これを少しずつ形成しながら、他のページをも同時進行で作っていった。その過程で作ったのが目次。そもそも「このページとこのページと....はTeshimaさんにお願いしたい」とNishimura編集長がご指名。ドラフト一位指名されれば頑張るしかないし、俄然意欲もこんこんと湧いてくるというもの。そのうちの1ページの目次だった。編集長というよりキャスティングや予算管理もこなすプロデューサー兼ディレクターでもある。

冊子タイトルは「夢・未来・宮前」
Apple社のMacやiPod、iPhoneなどを持っている方なら見慣れているはずの、ロゴ・フォント(文字)の陰。数年前このスタイルをAppleが公開して以来、透明感のあるデザインは例によって世界中を席巻したわけで。私もいくつかロゴを真似して作ったものだ。Appleの1000分の1にも満たないけれど、ちょっぴり「夢・未来・宮前」にも応用。「スマスマ」とかでスマップの5人が歌うステージはピカピカで、床にうっすら5人の影が映り込むような、アノ感じ。

おお〜、フト気がついちゃったんである。未来の「来」の文字が左右ド真ん中に位置していることに。電光石火で「来」の縦棒の先端に未来へ上昇するイメージで矢印をつけた。タイトルはもうこれでOK。

10周年記念誌を参考にしながら、連盟旗を入れて欲しいというのがN編集長のディレクション。10周年記念誌に載っている写真をスキャナーにかける。
1=しわっしわっであった。シミも散見された。滅多に使わないからなあ。
2=全体が暗いのでPhotoshopで明るく補正。多少わざとシワを残した。
3=ベースを真っ白にし、宮前のシンボルマーク部分の色もベタに塗り替える。
4=下の漢字ロゴ。近似フォント(ピッタリのがあった)を探し入力しなおす。
これらをプロジェクト会議に提出。私は2の旗感が感じられるシワシワバージョンを推したのだけれど、N編集長は毅然と4を主張。のちにこれが正しい選択だったことに気づく。いくらなんでも黄ばんでいるモノじゃあね。「旗」ではなく「連盟マーク」と解釈すればいいわけで。結果4が採用された。マーク部分も私がIllustratorでトレースし新規に作ることにした。

川崎市宮前区のホームページや印刷物や街頭の看板などの資料を集めてわかったこと。以外にもパソコンで拡大すると、稚拙な仕上がりなんであった。曲線がどーにもこーにもバランスが悪いんである。トレースしながら微妙に補正を加える。それにしても著作権などどうなってるんだろう、などと思いつつなるべく考えないようにした。既成事実というヤツだ。
目次のテキストの上に記念誌のマーク。これはプロジェクトチーム発足前にすでに編集長が知り合いに作ってもらっていたものだ。これを配置して完成。
今になってちょっと全体的に頭の文字関係が大きすぎたと反省。
おっと「タモリ倶楽部」が始まっているんで今日はこのへんで。
あさってはいよいよ「六年生を送る会」
こちらの準備も大変なんである。
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2011年12月15日木曜日

20th記念誌Vol.3表紙2

むむ...。昨日のブログはどこまで書いたっけ?昨日の昼メシも思い出すのに苦労する今日この頃であるわけで。
と、見え透いた冒頭文を書いてしまったことに後悔しつつも、決して書き直そうとはしない自分はやはり、面倒くさがり屋なんだなと今更ながら自覚する今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

素晴らしい、企図したとおりの、いやそれ以上の表紙の写真が上がってきたというのに、ナニカが足りないと悶々とする中年オヤジの苦悩の日々....で、終わったのでした。頭の中に薄い靄(もや)がかかったように。山道のドライブで立ち込める霧が前方の視界をさえぎるように。
決して偶然ではあるまいヘルメの配置。鬼...いや大編集長Nishimuraさんのセンスであろう、色が偏らないようにディレクションしたヘルメの配置、色の配分も申し分ない写真なのに。

この写真ではリトルグリーンズさんのロゴが古いのと、ワイルダース、モンスターズさんのロゴが貼ってないのだった。後日東奔西走し3チームのロゴを手に入れ、グラフィックソフトでとりあえずロゴを「合成」した。その時....。

ん、合成?...ごうせい?...こうせい、ああせいと神が囁(ささや)いたのであった。

ヘルメが20個。連盟が20周年。「みやまえ」の文字を入れねばならない。
N編集長から「みやまえ」という言葉を入れてくれとの条件があったのだ。
これにテキストフォントを打ち込み写真に重ねて「20周年みやまえ」なんてやるにはあまりに稚拙である。
神が囁いたではないか、合成、ああせいと。

次の大会で行った第一公園。Kasahara社長とN編集長とマウンドへ歩み寄り、私が棒切れで「20」「みやまえ」と描いた。
NikonP100で切り取る。

この文字の写真の合成はかなりシンドイ。
身長に合わせて新調したスーツに慎重に袖を通すように、写真加工に挑む。
ダジャレを言ってる場合ではない。
文字部分だけ切り取りヘルメの写真に移植、異色の合成写真の出来上がり。
ダジャレを考えてる場合ではない。
タイトルなどのフォントの選択やポイント数、レイアウト、色の調整....etc。
時間をかけて完成。自分の感性に思わず歓声!
ダジャレを連発してる場合ではない。

次回の「20th記念誌Vol.4」はいつになるやも知れずとも、不定期に連載シリーズ化としたい。
ちなみにこの冊子は公式刊行物ゆえ、この個人ブログで公開するにあたっては一応連盟に快諾を得ておりまする。鬼、ではない、仏のN編集長にである。
だってこの「晴耕雨読」は、宮前の或いは日本の少年少女野球全部を応援するブログでもあるのだから。
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2011年12月14日水曜日

20th記念誌Vol.2表紙

昨年の我がチーム30周年記念誌デザインの時の表紙は、ほぼ全ページ出来上がりに近づき、ほとんど最後の段階での制作であった。けれどこの連盟20th記念誌ではかなり早い段階でのデザインを迫られた。鬼編・Nishimura編集長の命(めい)である。逆らうわけにはいかぬ。

私の場合、グラフィックデザインや本業の店舗デザインにも共通して言えるのは、すぐにアイディアが浮かんでサックサクに行けちゃう場合と、いつまでも「降臨」がなく時間ばかりが過ぎていく場合と2分される。この一番重要な表紙デザインは後者のほうであった。そーゆー時はとにかく頭に浮かんだインスピレーションをラフでがしがし描いていく。片っ端から、がしがし...がしがし....。
.....が、しかし。
描いても描いてもダメな時は、酒呑んで寝る。
昨晩は良いと思ったものでも、翌朝ラフスケッチを見てみたらガッカリするものもある。そーゆーのはダメだ。翌朝見ても「やっぱいいじゃん」と思えるものだけを残していくんである。

次の写真はそのラフスケッチ集。
1は大好きな映画「愛と青春の旅立ち」のラストシーンからインスパイアードされたアイディア。(これはのちに裏表紙となる)
4は随分前にこのブログでも紹介したけれど、娘の少年野球時代の5年生の時の写真からのアイディアエスキース。
良かったらクリック→「娘女妻母」
5は描きながら「こいつはダメだな」と思いながら描いたもの。しかし、この絵から次の発想につながることになる。
7の絵がそうだ。
描いてる途中から頭の隅に電気が走る。ストーリーがむくむく勝手に湧き上がる。0.9のシャーペンを持つ手が勝手に走り出す瞬間を感じる。

7を描き終わる前にすでに「これで決まった」との確信を得る。
宮前区少年野球のメッカは第一公園野球場。そのピッチャーマウンドは皆の憧れでもあるわけで。球場の中心でもあり、宮前連盟を象徴する意味もある。更にマウンドは盛り上がっていることから、山の頂上=頂点=本丸=勝利なんて発想にもつながってきた。その頂点を目指して全20チームが攻め上がる絵が浮かぶ。周りに各チームのヘルメットを配置する。当然「円」を形成することになった。この円もチームワークの「輪」=「和」とした。お互いライバルでありながらも、野球を通じて人と人との和を大切にして欲しいとの願いを込める。
「おいおい、それって後づけの理屈じゃねえの?」
とお思いの貴兄、時にそーゆーこともたましばあるけれど、この時は本当に手の動きと頭のストーリーが同時進行していたんである。ラフをスキャンしてMacで色をザックリ彩色。
これらを記念誌メンバーの何度目かの会議にプレゼン。プレゼンには手法と順番と言葉の「キレ」がモノを言う。このアイディアを採用させるために、流れをコントロールするわけだ。思惑どおりにメンバーから賛同を得られた。

このスケッチを元に全チームが集合する大会日程を睨み、後日写真撮影の段取り。Kasahara社長、Nishimura編集長立ち会いのもと。
N編集長、プロ級カメラマンの花の台フラワーズNemoto師匠を中心に、大勢の記念誌メンバーによって撮影する。私は参加出来なかった(Vol?裏表紙編でも書く予定)
その写真がこれ。改めて写真は光と陰がいかに重要かと思い知らされる。
さすがは師匠のレンズと腕の差を思い知らされた。
この段階ではヘルメのリトグリさんのロゴが古いのと、2チームのロゴが貼ってなかった。

この写真を中心に表紙デザインを更に進める。
でも、でも、でも......なんか足りない....。
悪く言えば、マウンドの周りにヘルメを置いてみました的、安易な発想に見えちゃわないだろうか....。
悶々とした夜を過ごす。悶々とした夜は酒を呑んで寝るのだ。
酒を呑むと違う意味で悶々としちゃうこともあるから油断禁物なのだが(^^)

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う〜む、0:00から過去のフォルダをひっくり返し写真加工を始めて軽〜く1時間くらいでブログアップとの算段はもはやご破算、時計をチラ見すればもう泣く子も眠る午前2:30。
この続編は次回ということでご勘弁なんである。
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