2016年12月23日金曜日

2016年度「6年生を送る会」

昨晩の東京下馬での打合は夕方5時から始まり、8名で膝を突き合わせて、全くの休憩もなく延々11時までみっちりやったのであった。ポケモンGOをやりながら歩いて三茶までたどり着き、さほど旨くないラーメンとそこそこ美味しい半チャーハンのBセットを食べて帰路につき、鷺沼有馬の自宅に帰還したのは午前様であった。

おっといけねえ、そんなことにかまけているとまた長くなっちゃう「晴耕雨読」的ブログの冬の夜長、長くても良いのはフランスパン、長いと悪いのは結婚式のスピーチと昔から決まっているんである。
先日「有馬フレンズ6年生を送る会」の第何回目なんだろうか?が執り行われたのだった。筆者がフレンズ入った時は近くの団地の集会所でやったものだった。あれはあれで楽しかったものである。今年は例年のオンワード研究所の予約が取れずに、中川(全国のみなさんにはローカルすぎて知らないと思いますが)にある、とあるビルの会場で開催なんであった。


紙面が限られていますので写真枚数的には現役父らは割愛させていただき、滅多に来ないOB父コーチなどに限定しての掲載とさせていただきたい。
乾杯のあと「しばしご歓談を」的な時間帯、写真を撮るためにいつも自分の席にはほとんど座らない筆者、この時しか飯をかっ食らうチャンスはないので必死で食って飲む。この日ビールは2,3杯しか飲んでないだろうか。まあ毎度のことだけれど。余ったつまみとビールをクーラーに入れて持って帰ろうか。
各テーブルを巡回、遊撃。



さて年間成績発表なんである。筆者とYanagisawa代表がステージに上がり約2,30分マイクを持って奮闘するんである。よって写真がないので一挙割愛。
発表の最後の賞は代表特別賞だった。これも恒例である。因に「年間ベストプレイヤー賞」はスコアラーが毎試合「この選手が良かった」というのを書き留めていて、その得票数が最も多い選手に贈られる賞である。いわばMVPなんである。卒業生が必ずしも獲るとは限らないが今年は仲良く6年二人が受賞。その他の賞品は代表のポケットマネーから購入しているのも毎年恒例。
今年の「代表特別賞」は、フレンズ紅一点三年生Anju。意外の選出に会場どっと湧く。当のAnjuもびっくり顔であった。

コーチたちから一言タイムなんである。終わるたびに6年生から色紙を贈るんであった。


そのうち6年生がハグをするように。やんややんやの大喝采。筆者は海外生活が長かったので(もちろん真っ赤な嘘である)ハグは老若男女問わず、最も得意とするところである。マジで男とでもハグは全然平気である。若い頃スコティッシュの夫婦とつき合っていたので、ハグは抵抗がない(これはホント)。但しあわよくば「老若男女」の中でも「にょ」とハグしたいのが本音だが。
スコアラーOhmoriオヤジはチューまでしようとして、子どもが本能的に嫌がり飛び跳ねのけぞった。いわゆる(笑)(爆)なんであった。

YanagisakiOBオヤジが登壇。昔はマイクを持つ小指がピンピンに立っているのが彼の名物だったが、歳を重ねて若干その勢いに陰りが見えたようであった。(男ならワカリマスネ?)
その息子大学生のKazuもスピーチ。来年のコーチングスタッフの名簿にはKazuの名前も載せるよう、筆者から進言しよう。彼の母がなんと言うかワカラナイが同意してくれるだろうて。
最後は代表と監督Itohへ色紙贈呈。これも母らの素敵な演出だろう。


今年のOB招待で来たのはイクティーことKimuraIkutoだった。昨年OB母での参列はWakamiyaさん。

さてDVD上映タイム。初体験で素人ながら長期間この制作に携わって筆者に何度もアドバイスを求めて良いモノを作ろうと、タイムリミットギリギリまで頑張ってくれたKakeno母に拍手を送りたい。

6年Kaito、Tomoki母らに影のように忍び寄りシャッターチャンスを伺う俺。Kaito母はハンカチを何度も顔に当てて、Tomoki母は何度もからから笑っていた。会場照明が点灯し終わってみれば他の何人もの母たちが目頭を赤くしていたのを発見したのだった。


卒業生から親へのメッセージタイム。ノートの紙切れに拙い文字で書いたであろうことは容易に想像出来るだけに、微笑ましいものだ。
ここまで天真爛漫に或いは傍若無人に笑いながらはしゃいでいたKaito。作文を読み上げた瞬間、言葉が詰まり絶句。続いて嗚咽が漏れやがて号泣。あまりに意外な展開に会場は水を打ったように静まり返る。またも父母らがもらい泣き。Ayumuクンなんかも鼻をすすることしきりだった。


※ゴメンナサイなんである。休日の明日もハードワーク、夜も更けてきたので、予定を変更し、ここからは駆け足でブログ執筆とさせて頂きたい。
来期のスタッフ紹介コーナー。今季と全く同じメンバーで来季も臨むのはフレンズ史上初(?)かもしれない。そのぶんチームが一枚岩となることを期待したい。

新チームの背番号授与。これは選手のみならず親、むしろ母たちもドキドキの瞬間。番号が上がったり下がったりは世の常、監督を信頼して我が子を預けた以上は、その番号についてとやかく言わないのが伊集院静的「大人の流儀」というものだ。他のチームでもこの背番号問題は永遠の命題であろうと思うが、我々指導陣を信頼していただきたい。逆に指導陣は(父コーチ含めて)責任を持たねばならない。
2017年度主将はShohma。異論はあるまい。


粛々と背番号発表は進むけれど、先の理由により一気に割愛するんである。
1年生二人がハニカムコアじゃなかった、はにかみながらモジモジしながら番号をもらう。

更にサプライズがあった。まだ幼稚園児の女子二人が来季フレンズ入り決定とのことで、背番号ももらうことに。会場「おお〜」と、ヒートアップしちゃう。
しめしめQueensの畑に種が植えられたぞ。

下のこの写真を撮って筆者連想したんである。
ベランダ格子に頭が挟まり抜けなくなってレスキューに救出される中国の男の子を。中国の子は皆なんであんなに狭いところに頭を突っ込みたがるのだろうか。穴に落ちたり、廃棄された冷蔵庫に入ったりと。毎日のようにトピックニュースに登場するではないか。
このNakamura家の5番目の末っ子は将来フレンズではなく鉄棒の体操選手を目指しているのかも。

最後は代表から挨拶。

んでもって、会場を清掃途中で記念撮影。
まずは子らだけで。

んでもってオトナも加わり全員で。
フレンズ関係者はこのブログから写真をDLしたら良いと思うので撮るのである。筆者、ブログのためだけに写真を撮っているわけではないんである。面倒くせえという顔をされるとボクはとても哀しくなっちゃうのだ。私利私欲のために撮っているのではないのだから。(因にこの時はみな笑顔で参集したんである)
明度と影の深度を調整しトリミング、フレンズロゴを合成してアップ、「晴耕雨読」もこれでブログアップなんである。

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2016年12月21日水曜日

私の仕事のこと

昨晩は代々木にある筆者が昔勤務していた会社で仕事の打合、クライアントの担当はかつての後輩というより、戦友と言うべきか、小説に出て来る「月地」のモデルとなった男だった。歳は離れていても筆者が逆立ちしても太刀打ち出来ないほどアグレッシブに仕事の出来るヤツなんである。
当時私は鷺沼駅の電車を待っているホームで電車がやってきた瞬間、ぼうっとしながら「今すぐ誰か俺の背中を押してくれないかな」と思ったほど精神的に追いつめられていた。東京駅の大型物件のチーフをやっている時で、神経も肉体もズタズタの状態だった。当時はフレンズ連絡網は母マネージャー発信で私は毎回「了解」の返信をしていたが、その時期の数ヶ月間は一切返信もせずグランドにも行かなかった。いや行けなかった。残業休日出勤で軽く月150時間超えでは行けるわけがない。のちにその母マネから「Teshimaさん、死んだかと思ったよ」とメールをもらったほどだった。
そんな時途中から彼がプロジェクトに参入し、彼と会社で何度も徹夜しながら設計を終えた。あの時は彼が私を救ってくれたと思っている。その後ほどなくして心の中に闇を抱えながら辞職し、古巣の恵比寿に戻り、更に自宅に事務所を移転し今に至っている。

20歳近く歳の違うその彼とキックオフMTGのあと、当然飲みに行ったんであった。
この12月に彼は四十路前にしてようやく結婚、ささやかながら夫婦茶碗ならぬイタリア製のペアのワイングラスを贈った。奥さんの話や映画、小説の話題で盛り上がり、そんなわけで昨晩は午前様、ブログも御愁傷様、筆者もお疲れ様なんである。

ブログ読者さんから筆者はよくこんな質問をされる。
「Teshimaさんてどんな仕事をしているのか」と。先日もタバコ休憩時にフレンズオヤジYasudaさんから訊かれたんであった。簡単に言うと「商業施設の設計」である。といっても業界を知らない一般の人にはピンと来ないだろうて。ブログには滅多に仕事の内容については書かないのだけれど、それにはワケがある。現在進行中の仕事を公開するのは設計者には「守秘義務」があるので出来ないんである。それでも数年前にやったものならば公開しても良いだろうか。クライアントと店名が特定されないようにすれば。
昔は違ったけれど、今は例えばこんな図面を描いているんである。小説「月に雨降る」の中の「月地」ことツッキーTsukiokaと数年前にやった赤坂の飲食店のバーカウンターの一部断面図。

.............
という訳で日曜に執り行われたフレンズ送る会はまだアップ出来ないわけで。今日やっと200数十枚の中からブログ用に44枚選択だけは終了。最初は60枚ほどの塊を断腸の思いで削除作業。まるでケバブの肉の塊を大きなナイフで削ぎ落とすように...。

明日はまた茅ヶ崎の物件で夕方から世田谷区内の建築設計事務所で打合。よって明日もブログアップの可能性が低いことは容易に予想されるのだった。フリーランサーとしては年末年始ヒマよりは忙しいほうが良いに決まっているけれど、あわよくば正月くらいはのんびり過ごしたいと思うのは歳のせいか。ちょっとお疲れぎみなんであった。
年末仕事にケリをつけたならば、休筆状態だった小説の続きを書いていく所存なんである。
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2016年12月20日火曜日

師走

小説月に雨降るの舞台ともなっている、実在する会社での打合せを終わり、月地こと、Tsukioka君と飲んだ帰りの電車でiPhoneからブログアップなんである。

渋谷はすっかり師走の様相を呈していて、クリスマスイルミネーションが、冷たい光を放っていた。

2016年12月18日日曜日

紅3:黄7の空

おっと、こんな時間か、明日はいよいよ「フレンズ六年生を送る会」なんであるからして、ゆめゆめ夜更かしは出来ないんであるからして、ブログは疾風怒濤、速やかに書いてしまわねばならないんであるからして、堅守速攻、小池都政のごとくスピード感をもって事に当たらねばなんであるからして...。

明日のための最後のルーティンワークは成績発表コーナーの、A1サイズのフリップ(?)作成なんである。A3サイズの用紙設定で印刷、その4枚を繋ぎあわせてA1に。寒風吹きすさぶ中バイクで身を凍らせて帰宅、五臓六腑に熱燗をグビリながら作成仕上げ完了。

今日土曜日はたぶんこれが今年の試合納めとなるであろう、いやそうせねばならないはずの最後の試合なんであった。川崎市少年野球連盟では12/19から子らの野球肘を守るために対外試合などの禁止令が発令されているんである。2ヶ月間来年の2月まで続くわけで。
ローカル大会「北部大会B」チームの決勝戦なんであった。Bといえども、とりもなおさずこれは、来年のAチームなんである。ブルアロエース投手の奇麗なオーバースローから繰り出される矢のような速球は、この冬に磨きがかかれば来年の宮前の脅威となるに違いないと筆者は見積もった。


塁審はY.KaitoのオヤジYasudaさんと、フレンズOBある時代の主将Kazu。バイトの合間によく練習に来てくれるんである。ますますイイ男になったようだ。

試合終了。僅差でブルアロの優勝。

それぞれの監督から表彰式。

記念撮影はこんな時の定番。YasudaオヤジからはこのあとフレンズグループLINEにアップされた。


試合後は寒空のもとひたすらランニングに勤しむ。足腰を鍛えるのは野球の基本中の基本というのは野球界では自明の理。思えば昨年全国大会まで行ったフレンズは5年生の冬、徹底的に走り込んだ。それが功を奏して年間通じて全国はもとより、酷暑の中他のふたつの神奈川県大会をも制した、いち要因だったのだろうと思うんである。

その間筆者はカメラ持参でグランドをある目的をもって徘徊した。(そのあたりの理由はまたいつかここで)
夕まぐれの冬空を見上げると、校舎が冬の穏やかな陽を浴びて真っ赤に染まっていた。横浜赤煉瓦倉庫のような鈍い赤色だった。
うぬぬ、何か未確認飛行物体が定規で引いたように真っすぐ移動してるではないか。すぐさまズームインしちゃう。空中を浮遊する物体を見ると本能的にレンズを向けてしまうのはカメラ好きの常なんである。

おっと、偶然ジェット旅客機が飛んでるではないか。かの飛行機も校舎同様、紅(あか)く染まっていたんである。
その色味は、紅葉の「紅」3枚と銀杏の「黄」7枚をすり鉢ですりつぶしたのち撹拌(かくはん)し、空に浮かべたような色合いだった。



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2016年12月12日月曜日

冬のルーティンワーク

本日日曜は有馬子ども会と練習試合で、午後は西有馬ドームなんであった。その昔、筆者がフレンズに入った頃は、フレンズのメイングランドは毎週西有馬で、有馬小はほとんど使わずサブグランド。子どもも9割くらいは西有馬小だった。有馬子ども会は有馬小と子ども公園をメインにし、有馬小の子が多かった。今の若い父母らには知らない歴史があるんである。それがかなり前から全く逆転し、フレンズは有馬小、アリコは西有馬といった形勢になったんである。(その要因と経緯についてはいろいろあるのでここでは述べない)するとどうしても部員数に差がでてくるわけで。各学校の小学生の人数がそのままチームの人数に反映されるわけだった。(一概には言えないけれど、飽くまでも一般論)

ちょっとだけ顔を出したので写真を3枚だけアップ。実際は54枚撮ったのだったけれど。
試合中Sakiが日本中の澄んだ冬空にキャンキャン響き渡るような笑い声をあげる。日本中を元気にしてくれるような。冬眠しかかった北海道の熊さんが覚醒しちゃうような元気な笑い声であった。

冬の空、冬の日射し、冬の風。

このあと来週に迫った「6年生を送る会」で贈る写真立てに入れるプリンタ用紙を買いにコーナンへ。筆者、ホームセンターと100均ショップと文房具店と本屋が大好きなんである。行くと目的のモノの他に必ず他のナニかを買ってしまう悪いくせがある。コーナンでは電動ドリルなんか見ていると使わなくても欲しくなってしまうんである。電動ドリルは既に持っているのでもう買わないけれど、先日はロボコップのようなデザインのカッコいいメジャーがあって安かったので衝動買い。(高かったら買わないところがちょっと哀しい)商売柄メジャーは必要なのだが、家にはこれでもう5,6個くらい保管している。日本を測量して回った伊能忠敬に2,3個くらい無償で差し上げたいくらいだ。高級文房具店のガラスケース越しに見る万年筆なんかもう垂涎(すいぜん)ものである。1冊の本を求めて入った本屋にはほぼ30分から1時間以上遊泳することがしょっちゅうある。そのうちなぜかトイレに行きたくなるのは「本屋好き」の昔からの「あるある」なんである。

帰宅後写真立ては無事完成。今年は6年生が二人しかいないので楽だった。昨年は10人いたので10個の写真立てを制作するのにとても難儀したものだったけれど。一年間の彼らのベストショットを何枚か選ぶだけでも非常な労力を要する。何千枚の中から打撃シーン5,6枚に絞って最後に1枚選ぶ。そのあと守備のシーンでまた同じ作業などの繰り返し。...なんとかこれらも本日終了。
あとは当日の成績発表のためのA1サイズの用紙を作らねばなんである。今年はだいぶ前から準備していたので徹夜はしなくて済みそうだ。数年前まではスコアブックの年間集計からExcel入力、編集加工、印刷、製本まで一人でやっていた。当日が迫ると必ず徹夜していた。今思うとあな恐ろしや。近年はスコアラーとスコア集計をチーム内で分業制にしたのでとても楽になった。今またアレを一人で全部やれと言われたら、速攻フレンズを辞職してマスコミ各社に直筆のFAXを送信し、すぐに荷物をまとめて東南アジアへ逃避行するに違いない。「少年野球界でこれ以上耐えられません」と。

毎年「送る会」では母たち手作りの色紙が贈られる。卒業生からコーチたちへ。コーチらから卒業生へ。更に在校生から卒業生への3種類。昔はご多分に漏れずあの四角い色紙に持ち回りで一人ひとり書いていったものだったが、いかんせん時間がかかり過ぎるんである。コーチたちで回して書くと9月くらいからやらないと完成しないのだった。いつも特定のオトナのところで滞ってしまう。
「○○コーチ、色紙書いて持って来た?」
「アッいけねえ、忘れた。来週持って来るわあ」的な。翌週も忘れるのは火を見るよりも明らか。焦るのは当時の母担当なんであった。
しかし時は流れて現代は、一枚の色紙にそれぞれが小さな紙に書いたものを貼り込んでいる。そのちいさな丸い画用紙には母たちの刺繍やら送り主の顔写真が付帯するんである。この顔写真シール制作も筆者の仕事なんであった。このために10月ころからコーチや子どもらの写真を撮るわけで。
そのA4サイズのシールをアップしちゃう。ちなみに筆者は年齢からして、もしや同年代の連盟副会長2480氏やアラガネーゼAragane氏と間違えられるのはとても不本意なので、一応断っておきたい。
下の段の黄色いトレーナーに黒パーカーを着たエロオヤジ、ちゃうちゃうヒゲオヤジが私なんである。

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