昨晩は代々木にある筆者が昔勤務していた会社で仕事の打合、クライアントの担当はかつての後輩というより、戦友と言うべきか、小説に出て来る「月地」のモデルとなった男だった。歳は離れていても筆者が逆立ちしても太刀打ち出来ないほどアグレッシブに仕事の出来るヤツなんである。
当時私は鷺沼駅の電車を待っているホームで電車がやってきた瞬間、ぼうっとしながら「今すぐ誰か俺の背中を押してくれないかな」と思ったほど精神的に追いつめられていた。東京駅の大型物件のチーフをやっている時で、神経も肉体もズタズタの状態だった。当時はフレンズ連絡網は母マネージャー発信で私は毎回「了解」の返信をしていたが、その時期の数ヶ月間は一切返信もせずグランドにも行かなかった。いや行けなかった。残業休日出勤で軽く月150時間超えでは行けるわけがない。のちにその母マネから「Teshimaさん、死んだかと思ったよ」とメールをもらったほどだった。
そんな時途中から彼がプロジェクトに参入し、彼と会社で何度も徹夜しながら設計を終えた。あの時は彼が私を救ってくれたと思っている。その後ほどなくして心の中に闇を抱えながら辞職し、古巣の恵比寿に戻り、更に自宅に事務所を移転し今に至っている。
20歳近く歳の違うその彼とキックオフMTGのあと、当然飲みに行ったんであった。
この12月に彼は四十路前にしてようやく結婚、ささやかながら夫婦茶碗ならぬイタリア製のペアのワイングラスを贈った。奥さんの話や映画、小説の話題で盛り上がり、そんなわけで昨晩は午前様、ブログも御愁傷様、筆者もお疲れ様なんである。
ブログ読者さんから筆者はよくこんな質問をされる。
「Teshimaさんてどんな仕事をしているのか」と。先日もタバコ休憩時にフレンズオヤジYasudaさんから訊かれたんであった。簡単に言うと「商業施設の設計」である。といっても業界を知らない一般の人にはピンと来ないだろうて。ブログには滅多に仕事の内容については書かないのだけれど、それにはワケがある。現在進行中の仕事を公開するのは設計者には「守秘義務」があるので出来ないんである。それでも数年前にやったものならば公開しても良いだろうか。クライアントと店名が特定されないようにすれば。
昔は違ったけれど、今は例えばこんな図面を描いているんである。小説「月に雨降る」の中の「月地」ことツッキーTsukiokaと数年前にやった赤坂の飲食店のバーカウンターの一部断面図。
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という訳で日曜に執り行われたフレンズ送る会はまだアップ出来ないわけで。今日やっと200数十枚の中からブログ用に44枚選択だけは終了。最初は60枚ほどの塊を断腸の思いで削除作業。まるでケバブの肉の塊を大きなナイフで削ぎ落とすように...。
明日はまた茅ヶ崎の物件で夕方から世田谷区内の建築設計事務所で打合。よって明日もブログアップの可能性が低いことは容易に予想されるのだった。フリーランサーとしては年末年始ヒマよりは忙しいほうが良いに決まっているけれど、あわよくば正月くらいはのんびり過ごしたいと思うのは歳のせいか。ちょっとお疲れぎみなんであった。
年末仕事にケリをつけたならば、休筆状態だった小説の続きを書いていく所存なんである。
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