2021年8月22日日曜日

緑の熱闘グランド

 本日日曜も秋季決勝トーナメントであった。筆者この後Queensシスタージャビットで小平まで帯同したので、19時近くに帰った時はヘロヘロなんであった。しかし筆者よりもこの炎天下、チームを支える父母たち、更にベンチスタッフや審判の方がもっとヘロヘロだったに違いない。更に言えば、グランドでプレーしている選手たちが一番疲れただろうと思うのであった。小平のグランドでは木陰がなくテントを設営しても、15:00以降の傾いた夕陽の足は長く、全く影が形成されないのだった。疲労困憊ゆえ、ブログは簡単に。

秋季第一試合は今日もジュニアから。花フラVSリトルグリーンズである。QのAinaを中心に。

スクイズバントの3連写。ファインダーの向こうから三塁走者がどんどん迫ってくる。

試合は花フラの勝利。続く本大会のカードはこれもなんと同じ花フラVSリトルグリーンズである。しかも先攻後攻も同じ。第一公園のキャンバスは実に緑の絵の具をぶちまけたように、グリーンにまみれていたのだった。だから写真も2試合ともにグリーン一色だ。昨日に続き筆者のカメラは記念誌掲載のための特定のターゲットを中心に追った。主将の打席と先発投手である。

試合途中でQueens帯同の小平へ。連盟Satohさんと共にジャンボジェットのファーストクラスのようなUeshimaベルファイヤ号へ乗り込み、車中の人となった。途中、試合速報連盟メールにて、これまた凄まじいゲーム内容だったらしいことを知る。7X:6でリトグリがサヨナラ勝利とのこと。今年花フラは何度こんな接戦を演じてきて煮湯を飲まされたことだろうと思う。Queensシスタージャビットは、冒頭の理由にてまた次回なんである。

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2021年8月21日土曜日

ベスポジからの撮影

 今週は溜まりに溜まった○欲を放出...いやいや溜まりに溜まった原稿を発注したんであった。30th記念誌原稿の最終チェックを終えたカテゴリーごとに、デザイナーへ発注すること3種。最後はみなさんから提出いただいた努力の賜物、各チーム紹介ページデータであった。全21チーム42ページ分。チームからもらったデータを記念誌委員会各担当で検証し、更に筆者が最終確認。昨晩全データ700MBをファイヤストレージにアップして、URLをデザイナーへメール送信。他に30thリーグ戦写真集、寄稿文など遅れがちなカテゴリーも発注。これでおよそ記念誌の半分以上は行った。まだまだやるべき仕事は満載ではあるが。

さて金曜のタウンニュースにこの連盟30th記念リーグ戦の結果が掲載された。1位通過はヤング、2位はウルフである。(出典:宮前タウンニュース8/20版)

その決勝トーナメント戦(秋季大会)の火蓋が切って落とされた。しかしここまでが長かった。ご存知のように雨で2週連続の延期という、近年稀に見る大ピンチを迎え、更に3チームが上部大会に行っていることもあり(それらも延期の嵐)、連盟担当NishiharaさんやSatohさんは毎晩寝ずにリスケジュールを組み直す窮地に陥るのだった。更にQueensがシスタージャビットに行くこともあり、母体チームの試合と被らないようにとの配慮もしなければならない。いやいや連盟にとっては大変な数週間だった。

決勝トーナメントの前1試合目はジュニアの部、ヤングVSブルアロ戦、写真枚数は少なく。

本大会の部。筆者、記念誌編集長兼記念誌掲載カメラマンとして、ある基準を胸にこの試合に臨んだ。記念誌にはリーグ戦の後に決勝トーナメント戦の模様もページを割いている。誌面の都合上、詳細は掲載出来ないので、主将と先発投手だけにスポットライトを当てる作戦である。試合前には審判団と両チームに、ファウルグランドで撮影することを事前申告した。「共同写真」か「東京新聞」のプロカメラマンはだしである。いつものようにネットの裏からでは鮮明な絵が撮れないのと、打者の顔をキチンと撮るためには、普段の位置ではなくファウルグランドのベスポジでカメラを構えるのがベストなんである。

以下、この数枚から記念誌にも掲載される予定なんである。サイズは小さいけれど。主将と先発投手だけを中心に撮ったのに300枚も撮った。明日以降、決勝戦まで同じパターンにて、審判団、各チームよろしくお願い致します。

試合はサンダースVSモンスターズ。思いの外大差にてサンダースの勝利であった。敗退して盾をもらったモンスターズ主将くんの、悔し涙が滲みそうな表情が印象的だった。

明日日曜も午前は決勝トーナメントを撮ったのち、昼からQueensのシスタージャビットへ帯同なんである。

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2021年8月15日日曜日

少年の夏と、今の夏

 今日土曜は予想通り、全ての野球の過密スケジュールが雨で崩壊、白紙に戻ったのだった。いや、白紙ならば如何様にも画策できるが、宮前連盟は残り少ないスケジュールの中、手を替え品を替え、錯綜するあらゆる予定を想定しリスケに奔走したのだった。白紙ではなく、真っ黒に汚れたホワイトボードに新しい予定を模索し、なんとか策定しているわけで。連盟担当には頭が下がる思いである。

筆者は、秋季トーナメントとQueensジャビットの雨の中止は87%確信していたので、日中は設計の図面仕事、後半は記念誌データの最終チェックに費やした。ツマミに冷やしトマトサラダにオリジナルタルタルソースを手作りし、レモン缶チューハイをグビリとやりながらだったのは、土曜夕方の当然の帰結である。ちなみに...ステテコ姿で畳に横になり、高校野球を観ながら枝豆を頬張り冷えたビールをグビリとやるのは、ニッポンのオッサンの正しい夏の過ごし方である。できればその横に蚊取り線香と団扇があれば、最高の絵になるわけで。

さて。数週間前ある懐かしい人から連絡があった。フレンズ2015年、高円宮賜杯全国大会へ行った時のメンバー、Yuiの父、Tagamiさんからであった。簡単に言えば、テレビ東京の番組で「スポーツウォッチャー」に出ることになったので、局側から要求されている、小学生当時の写真を提供してもらえないかというものだった。もちろん快諾し2015年フレンズの「晴耕雨読」写真フォルダから選択し、Tagamiさんに送ったのだった。当時の膨大な写真から数枚を送り、後のチョイスはTagamiさんへ委託。あの当時の熱く懐かしい「一瞬の夏」が脳裏に蘇る。当時を知る宮前関係者なら、おお、あのTagamiか!と合点がいくはずだ。当時は宮前随一のスラッガーだった。大球場をものともせず柵越えホームランを量産したYuiだった。真面目で誠実な野球が大好きな少年だった。

今日テレビ東京のその番組を観た。強豪校にも弱小校にも、トップに選ばれた選手もそれに漏れた選手も、人それぞれ悲喜こもごもだ。胸に手を当てれば我々大人の人生にも当てはまるわけで。なんか、ちょっと、目頭が熱くなっちゃう今日この頃なのだった。

以下、一気にTV画面を撮影した画像を掲載。ここに掲載するのは、コロナでとんとご無沙汰になったYanagisawa代表と、Kaneda顧問にも彼の今を観て欲しかったからである。

出典はもちろんテレビ東京「スポーツウォッチャー」(2021年8/14放映)

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2021年8月11日水曜日

夏の日々雑感5題

 真夏の日々雑感5題なんである。

その1....

過日仕事の手を止めてふと窓外を見ると異常にキレイな夕焼けだった。これはもしやと思い、急ぎ南側のベランダへ行き、西の空を見ればとんでもない真っ赤っかなんであった。赤というより紅(くれない)か。「暮れているのに紅」ってこれいかに。このダジャレ誰も分かってくれない、なんちゃって。これだけ紅色(べにいろ)に染まる夕焼けも珍しい。お猿のケツよりも、東北の可愛い女の子のほっぺたよりも、縁日のホオズキよりも、ちょっとビックリしちゃうくらい深く濃く壮大な紅色が広がっていた。

その2......

数日前いつもの有馬中央公園のベンチに座っていると、目の前の素敵な風景に気づいた。風にそよぐ木々の緑、湧き上がる入道雲の白、遠く広い空の紺碧。なにげにiPhoneで撮った。おや?木々の緑のフチと、その向こうの白い雲のアウトラインがぴったし同じ曲線を描いていたのだった。まるで緑のラインに合わせて白い雲が形成されているみたいに。アップで撮ってみる。こんな偶然は珍しいのか、日常茶飯なのか筆者には分からないけれど。

その3........

前回ブログにも書いたけれど、9日は連盟記念誌の1ページのために第一公園へ赴いた。ネタバレしないようにここでは書かないつもりであったが、こーなればバラしちゃう。記念誌の1ページに第一公園と第四公園の歴史を振り返る企画を打ち出したのだった。もう数ヶ月前のプランであった。これは例えば高校球児のメッカと言えば甲子園球場な訳で、高校野球と甲子園は切っても見切れない関係性がある。転じて宮前少年野球のメッカといえば第一・第四公園球場である。野球の世界では必ずグランドに脱帽して挨拶するではないか。ならばその宮前聖地の生い立ちや歴史を掘り下げるページを作りたかったのである。どこかに創建造成当時の白黒写真などがあればさらに良い。この企画を記念誌制作委員会で提案したは良いものの、担当のSatohさん、Sasakiさんの尽力虚しく、大した成果が得られないで今に至る。公園事務所や宮前図書館へ交渉してもらったのであったが。

でもって筆者自ら第一へ出撃したんである。まずは子ども文化センター館長に取材を申し入れ名刺交換し話を聞くも、そもそも古い資料がないそうで手ぶらで建物を出る。打ち気満々で打席に立ったものの空振り三振だった。次に1塁側の公園入り口の石碑を当たってみた。

なんと大昔、筆者が中学生の頃の造成だった。竣工昭和47年とある。8年間かけて当時の金額で12億円で造ったのだった。8年もかかるのは今では理解できないが、当時は困難が色々あったのだろうと想像を逞しくしちゃう。時代を鑑みれば東急田園都市線開発の一環だったことは想像に難くない。東急電鉄のHPを検索すると興味深い画像がたくさん掲載されていた。宮前では野川地区が最初に開発着手されたとか、面白い記述がたくさんあった。タウンニュースでも昔の宮前風景記事をシリーズ化しており、今度Jinushiさんに声をかけてみようと思う。

その辺の当時の古い写真があればベスト。この「晴耕雨読」をご覧の読者様。特に第一公園に関係の深いメイツや花フラやモンタ、バーズ...etcのチームの大御所さんやOBさんの、当時を知る方の話が聞ければ幸いである。真偽の程は定かでないが、連盟顧問Sohmaさんなどの伝聞によれば昔は牧場だったなんて話も漏れ聞いているんである。(当社調べ)素人記者魂が高ぶるのであった。

その4.....

第一の丘の公園へ登ってみた。家族連れから極力離れて風下の端っこでiQOSで一服。蝉の大合唱が樹々の緑から筆者の頭に降り注ぐ。7月のセミは小心者で疑心暗鬼で警戒心旺盛ですぐに飛んで逃げてしまうが、8月のそれは仲間が大勢いるせいか、気が緩みみんなで渡れば怖くないみたいに、iPhoneで近寄っても平然と逃げずに、夏を謳歌していると思うのは筆者だけだろうか。コロナ緊急事態宣言下でも、気が緩んでいるのはニンゲンだけではないようだ。アブラゼミなどはソーシャルディスタンスを守らず、3,4匹固まって鳴いている者もいるのだった。

その5....

今日は仕事の打合で品川の某社へ。下北沢の現場へは急遽中止になり、品川本社で京都の家具製作会社との合同打合となった。この時期勇気を振るい上京してきた京都の担当者と名刺交換。ガラス張りの打合室は扉を開けて、テーブルはアクリル板で仕切られ、会議前にはビルに入ってから3回目となる手指のアルコール消毒。マスク着用でモゴモゴと2時間ほど打合せした。渋谷ロフトに寄ってペンケースを購入し帰宅。午前中は山形39LINEがわんわん鳴っていた。今日の甲子園初戦は山形代表、日大山形だったからだ。昼飯を品川のプロントの「塩レモンカルボナーラ」で済ますと、iPhoneでネットの試合結果検索。ちょうど最終回の表、相手の攻撃だった。最終回は痺れる展開だったようだが、1失点後なおも無死満塁で4:1、しかしその後3者三振に切ってとったらしい。すぐに山形39LINEにスクショ画像をアップ。無難なスタートなのか多難な船出なのか分からないけれど、まずは初戦突破の山形であった。それにしてもプロントの「塩レモンカルボナーラ」は激ウマだったことは特記するに値するのだった。

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