2021年8月11日水曜日

夏の日々雑感5題

 真夏の日々雑感5題なんである。

その1....

過日仕事の手を止めてふと窓外を見ると異常にキレイな夕焼けだった。これはもしやと思い、急ぎ南側のベランダへ行き、西の空を見ればとんでもない真っ赤っかなんであった。赤というより紅(くれない)か。「暮れているのに紅」ってこれいかに。このダジャレ誰も分かってくれない、なんちゃって。これだけ紅色(べにいろ)に染まる夕焼けも珍しい。お猿のケツよりも、東北の可愛い女の子のほっぺたよりも、縁日のホオズキよりも、ちょっとビックリしちゃうくらい深く濃く壮大な紅色が広がっていた。

その2......

数日前いつもの有馬中央公園のベンチに座っていると、目の前の素敵な風景に気づいた。風にそよぐ木々の緑、湧き上がる入道雲の白、遠く広い空の紺碧。なにげにiPhoneで撮った。おや?木々の緑のフチと、その向こうの白い雲のアウトラインがぴったし同じ曲線を描いていたのだった。まるで緑のラインに合わせて白い雲が形成されているみたいに。アップで撮ってみる。こんな偶然は珍しいのか、日常茶飯なのか筆者には分からないけれど。

その3........

前回ブログにも書いたけれど、9日は連盟記念誌の1ページのために第一公園へ赴いた。ネタバレしないようにここでは書かないつもりであったが、こーなればバラしちゃう。記念誌の1ページに第一公園と第四公園の歴史を振り返る企画を打ち出したのだった。もう数ヶ月前のプランであった。これは例えば高校球児のメッカと言えば甲子園球場な訳で、高校野球と甲子園は切っても見切れない関係性がある。転じて宮前少年野球のメッカといえば第一・第四公園球場である。野球の世界では必ずグランドに脱帽して挨拶するではないか。ならばその宮前聖地の生い立ちや歴史を掘り下げるページを作りたかったのである。どこかに創建造成当時の白黒写真などがあればさらに良い。この企画を記念誌制作委員会で提案したは良いものの、担当のSatohさん、Sasakiさんの尽力虚しく、大した成果が得られないで今に至る。公園事務所や宮前図書館へ交渉してもらったのであったが。

でもって筆者自ら第一へ出撃したんである。まずは子ども文化センター館長に取材を申し入れ名刺交換し話を聞くも、そもそも古い資料がないそうで手ぶらで建物を出る。打ち気満々で打席に立ったものの空振り三振だった。次に1塁側の公園入り口の石碑を当たってみた。

なんと大昔、筆者が中学生の頃の造成だった。竣工昭和47年とある。8年間かけて当時の金額で12億円で造ったのだった。8年もかかるのは今では理解できないが、当時は困難が色々あったのだろうと想像を逞しくしちゃう。時代を鑑みれば東急田園都市線開発の一環だったことは想像に難くない。東急電鉄のHPを検索すると興味深い画像がたくさん掲載されていた。宮前では野川地区が最初に開発着手されたとか、面白い記述がたくさんあった。タウンニュースでも昔の宮前風景記事をシリーズ化しており、今度Jinushiさんに声をかけてみようと思う。

その辺の当時の古い写真があればベスト。この「晴耕雨読」をご覧の読者様。特に第一公園に関係の深いメイツや花フラやモンタ、バーズ...etcのチームの大御所さんやOBさんの、当時を知る方の話が聞ければ幸いである。真偽の程は定かでないが、連盟顧問Sohmaさんなどの伝聞によれば昔は牧場だったなんて話も漏れ聞いているんである。(当社調べ)素人記者魂が高ぶるのであった。

その4.....

第一の丘の公園へ登ってみた。家族連れから極力離れて風下の端っこでiQOSで一服。蝉の大合唱が樹々の緑から筆者の頭に降り注ぐ。7月のセミは小心者で疑心暗鬼で警戒心旺盛ですぐに飛んで逃げてしまうが、8月のそれは仲間が大勢いるせいか、気が緩みみんなで渡れば怖くないみたいに、iPhoneで近寄っても平然と逃げずに、夏を謳歌していると思うのは筆者だけだろうか。コロナ緊急事態宣言下でも、気が緩んでいるのはニンゲンだけではないようだ。アブラゼミなどはソーシャルディスタンスを守らず、3,4匹固まって鳴いている者もいるのだった。

その5....

今日は仕事の打合で品川の某社へ。下北沢の現場へは急遽中止になり、品川本社で京都の家具製作会社との合同打合となった。この時期勇気を振るい上京してきた京都の担当者と名刺交換。ガラス張りの打合室は扉を開けて、テーブルはアクリル板で仕切られ、会議前にはビルに入ってから3回目となる手指のアルコール消毒。マスク着用でモゴモゴと2時間ほど打合せした。渋谷ロフトに寄ってペンケースを購入し帰宅。午前中は山形39LINEがわんわん鳴っていた。今日の甲子園初戦は山形代表、日大山形だったからだ。昼飯を品川のプロントの「塩レモンカルボナーラ」で済ますと、iPhoneでネットの試合結果検索。ちょうど最終回の表、相手の攻撃だった。最終回は痺れる展開だったようだが、1失点後なおも無死満塁で4:1、しかしその後3者三振に切ってとったらしい。すぐに山形39LINEにスクショ画像をアップ。無難なスタートなのか多難な船出なのか分からないけれど、まずは初戦突破の山形であった。それにしてもプロントの「塩レモンカルボナーラ」は激ウマだったことは特記するに値するのだった。

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