2021年12月12日日曜日

2021新人戦終幕

 さて今朝はいよいよ記念誌配付と新人戦決勝最終日であった。出発前自宅近くで愛車スーパーカブのエンジンを止めてiPhoneでシャッターを切った。朝日を浴びてキラキラ輝く銀杏が素敵だった。神宮外苑の銀杏並木に勝るとも劣らない(やっぱ劣るか?)、自宅前のバス通りの銀杏並木なんである。

記念誌は子文横の仮設会場にて各チームの来訪を待ち受けていた。委員会の総仕上げである。実際はまだ来週郵送封入作業が残っているけれど、区切りとしては今日が総決算の日であった。防犯大会でお馴染みのローリングスJAPANさんからのご厚意でリキッドタイプのメンテナンスクリーナーのクリスマスプレゼント付きであった。

さて3位決定戦はヤングVSサンダース。3点先制、更に1点加点したS軍優位で試合が進む。

終盤Y軍が猛追し4:3と肉薄するもあと一歩及ばず試合終了、両軍とも来季の更なる活躍を期待したい。

第四公園Queensへ所用でカブを駆る。第一へ戻ってみると決勝戦が始まっており花フラVSレッパ戦はレッパが初回裏先制する展開であった。両軍の従軍記者カメラマン・カメラウーマンのレンズの放列。言わばここは特別記者席である。コロナ禍ゆえここでの大声を出しての応援は控えていただきたい。ただしシャッターを切ったあと思わず「よっしゃー」と小さく唸るのはじぇんじぇん構わない。筆者とてフレンズが逆転した時などは平静を装いながら、心の中で快哉(かいさい)を叫んでいるわけで。

おやおや真ん中でマスクを被るのはお珍しい、審判部長のKosakaさんであった。今季二度目の主審であった。レッパはその後1点追加し0:4とリードを広げる。

今年折りに触れて記念誌のための挿入写真を撮り溜めてきた。いつか撮ってやろうと画策していたけれど、ついに上手く行かずに断念した写真構想があった。攻守交代時にマウンド上の白球を手に取ろうとする投手のカットなんであった。何度かトライするも理想的な絵にならずに記念誌には掲載してない。今日やっと理想に近いカットが撮れた気がする。ロジンをはたき白煙が上がりつつボールに手を伸ばすカットである。

もしこれを記念誌に掲載するならこんな風にトリミングする。これから打者との激闘を迎える投手の意気込みみたいな空気感が欲しかったんである。だけど特定のチームのカラーが出るのは連盟記念誌としては本意ではないのでやはり無理があるか。


さて珍プレー好プレーが飛び出した。よーく映像を想像してほしい。H軍打者がライト前安打するもライトからファーストへ返球、少年野球にありがちなライト前ゴロでアウトの場面であった。ところがライトからのファースト送球が暴投、ボールは大きく一塁ベンチ方向へ。それを判断したH軍バッターランナー、すかさず二塁へターンしダッシュ。ところがである。大きく逸れた送球を懸命にカバーに走ったR軍捕手がダイレクトキャッチしそのまま猛ダッシュしてランナーへ突進。Hランナー慌てて一塁へ戻るのだったが、なんとキャッチャーにタッチアウトされてしまうという貴重なプレーを目にすることができた。一塁を駆け抜けてファウルグランドで止まっていればことなきを得たはずだが、H選手の次の塁を狙う果敢なプレーに拍手、R捕手の素晴らしいカバーにも大拍手なんである。珍プレーではあるが実は好プレーの連続であった。その後笑顔でハイタッチするR軍ナインと、ハグまでしちゃうTsukamoto監督の絵も良かった。(^-^)

試合はこのまま0:4でレッパが完封勝利。敗れたとはいえ快音を残しいくつもの外野への飛球を飛ばした花フラもアッパレであった。最後に思わず悔し泣きするH主将くん。

恒例優勝後の帽子投げ。瞬時にあらかじめカメラを縦位置に構えて上空にアキを作りレンズを向けた。帽子投げ撮影に関しては百戦錬磨の筆者である。本来なら望遠では無く35mm標準レンズで近くで上を見上げて撮ればもっと良い構図になる。

粛々と閉会式。昨年今年とコロナの影響で開会式閉会式は密を避けるため簡素に執り行ってきたけれど、今回はコロナ状況や世情を鑑みてやっと通常の式となった。

次々と選手が呼ばれるため次々と帽子をバケツリレーのように山のようになった帽子を受け渡すレッパ選手たち。実に微笑ましい。たまらず筆者駆け寄って帽子を受け取ろうと思ったが、シャッターチャンスなので黙って静観。やっとレッパコーチが受け取った。今度からは各選手、帽子は尻のポケットに入れたらいいよ(^-^)

優勝カップよりも嬉しそうに受け取る花フラ選手くん。ライオンズクラブサンタから早めのお菓子のプレゼントであった。

今大会連盟的に特筆は、川崎富士見ライオンズクラブ様が主催となりスポンサーとなって頂いたことである。

「ハイみなさん、空を見上げてください....私は今朝空を見ました」から始まる子ども会会長さんのスピーチ。期待を裏切らない大好きなスピーチであった。今季連盟事務局デビューして間もないNishimuraさん。たどたどしくも募金の呼びかけ。

さて今日をもって連盟公式戦、行事的には最終日となる。記念誌委員会的にはまだ少し残業があるけれど。残り少ない年末はフレンズとQueensのスケジュールが二つほど。しかし月曜から恐ろしく多忙な仕事のオファーがふたつあり。沖縄と福岡のホテル案件が同時進行。ちょっとゲンナリしちゃう年の瀬なんである。

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2021年12月9日木曜日

連盟創立30th記念誌 制作裏話

この写真は以前にもここに掲載したんであるが、今回の連盟創立30th記念誌の表紙用に撮ったものである。各チームからヘルメと帽子を持参してもらい、衆人環視の中で委員会メンバーと審判Tanakaさんなどと、炎天下フラフラになりながら撮ったものだった。右打席(写真では左側のそれ)の 四角を30になぞらえて白線をアレンジするアイディアは、前日か前々日の夜に「天から降りて」来たんであった。20th記念誌の表紙とデザインが似ているんじゃね?...と訝(いぶか)しがる向きもあろうか。いいんですか、いいんです。なぜなら20th表紙も筆者がデザインし、データ制作も行ったわけで、著作権者は同一人物であるからして。因みに所有権は連盟に帰属する。20thでマウンドを囲ったヘルメットは今回はホームベースに参集してもらったわけだ。20周年から10年後の30周年へ同じ空気感のデザインで意味性を持たせようと思った。もちろんそんなことは誰も気が付かないだろうけれど、それでも構わないんである。更にホームベースの下の「夢・未来・宮前」のロゴも筆者が10年前にデザインしたもので、 表紙ではこの矢印から垂線を上に伸ばすとホームベースの真ん中と結ばれる構図になっている。このカットはTanakaさんの力技で奇跡的に1枚だけ成功した写真であった。

この写真が表紙になったのが下の印刷原稿PDF。

編集後記にも書いたが筆者はインテリアデザインが専門で、グラフィックはプロではないけれど、同じクリエイターという意味では多方面に幅広く出来ることがある。20歳の時にインテリアに行くかグラフィックに進むか悩んだことを想い出す。ロックグラスを見て俺ならこんな風に作るけどなあとか、ネクタイを見て俺ならこんなデザインが良いなあとか、とか。ただ筆者のように建築系デザインの住人がグラフィックの世界にも足を踏み入れるのはかなり珍しいはず。イラストやロゴデザインも過去には仕事としてやったこともあるが本職ではない。少年野球関連で記念誌を作ったのはこれで5冊目。連盟20thの時は当時「鬼編集長」の副事務局、プロのNishimuraさんが仕切って素晴らしい冊子を作った。この時筆者は氏に頼まれて表紙やイラストマップやポエムなどのページを数ページデザインし作ったけれど、今回はあの時の苦労の1億倍もの精神的肉体的労苦を要することになった。当時は自分担当のページにだけ責務があったけれど、今回は冊子全ての責任は編集長としての筆者にある。筆者は煉獄さんのように「柱の責務を全うするだけ」なんである。委員会メンバーで血の滲むような推敲と校正を繰り返したけれど、それでもまだ齟齬(そご)、誤字脱字があるかもしれない。その場合は筆者の責任だ。委員会での校正の一部を書けば、例えばTsunodaさんからREDとPOWERSの間に半角スペースを入れるべきかどーかなど検証があり全てのチーム名表記を見直したり、30年間の大会名を全て洗い直し、正式名に統一する作業に時間がかかったり、とかとか、目に見えない校正の労苦が全ページに潜んでいる。また、各チームの紹介ページでは写真のグレードに差があり個別に連絡をとって再提出を求めたりもした。特定のチームだけ質が落ちると冊子全体のバランスが悪いこともあるけれど、そのチームだけが可哀想だからという親心もあったのは否めない。

いけない、長くなっちゃう。これまで関わった少年野球記念誌冊子5冊が手元にある。今回も大いに参考にしたわけで。フレンズ30th、40th、Queens10th、それに連盟20thと今回の30thである。連盟20th記念誌は世界中で一番ページを繰った男としてギネスブックに載っても良いほど、手垢と風化で黄ばんでボロボロである。

12/11に全チームへ配付なので全部はお見せできないけれど、ラフデザインスケッチを数ページだけ。全ページに渡ってこれを作って送付した。写真とテキストデータを渡しこれに基づきDプラス社がデータを作成し、それを委員会で校正を重ね、またCB(チェックバック)し修正の連続である。

そんなやり取りを何度か重ねて最終形にブラッシュアップ。筆者にとってこのキャッチボールの多さが想定外だった。一発で行かずに後から後から修正すべき箇所が出てきたのには閉口しちゃうわけで実に参った。これはD社も同じ思いだったに違いない。筆者が同じ立場ならソコソコ憤慨してたと思うのであった。D社は文句ひとつ言わず最後まで付き合ってくれたのだけれど。最終形のページデータを3枚ほどアップ。あとは12/11以降をお楽しみにしてくだされまし。

最後の編集後記は筆者が書いて、かつデータ制作も自身でやった。そのページに載せたメンバー写真。連盟役員などの四角張った写真ではなく、ざっくばらんなラフな絵柄にしたかったので、撮る前に「みな笑ってよ、ポーズもバラバラで良いし。砕けた感じの和やかな写真にしたいから」と言った。そしたらメンバーのUekiさんが「じゃあ、帽子取って写った方がいいかな」と進言したのですかさず筆者も返した「いいよ、いいよ。ただ俺は帽子取っちゃうと別人28号になるから取らないけどね〜」...(爆)

30th記念誌委員会の苦労を共にした精鋭メンバーである。左端手前のadidasオヤジが筆者、挿入写真右端下は連盟事務局福岡支局長兼、記念誌委員会福岡特別編集委員の「前編集長」のNishimuraさん。リモートで要所要所で助けてもらったんである。中央手前のNishihara委員長は筆者より1個年下なんであるが、なんだか孫と縁側で日向ぼっこする70歳の好々爺みたいである。巷間「校正の鬼」と言われた片鱗は微塵もないけれど、委員会では本領発揮しかなり尽力してもらった。

最後に裏表紙のオリジナル写真。ホームから立って望遠でマウンドのボールを数十枚取ったけれど、なんかしっくり来ない。バックの緑とのボケ感を醸して立体的に撮りたくて、ホームに腹這いになってマウンドの白球にフォーカスした。なかなかの自画自賛的カットが撮れたのだった。活字が苦手で「記念誌なんて興味ねえや」なんて人も多くいることは既に承知である。どーぞ、そうではない方は手にとってじっくりと見てほしい。宮前少年野球の30年間をギュッと凝縮した記念誌になっている。

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