2018年2月10日土曜日

震災と球春

グランドコンディションが思いのほか良くないわけで。今日、ちょいと西有馬小を見に行った。良い天気の中数人の小学生が赤白帽をかぶって元気に遊んでいた。全体の1/3ほどの日陰になっているスペースにコーンが置かれており、そこはまだグズグズなんであった。今度の連休ではフレンズで体験会を予定している。うーむ、微妙な感じ。でも残りの2/3は全く問題なく使えそうだった。iPhoneで写真を撮ってフレンズLINEにアップしちゃうか、と思いポケットをまさぐっていたんである。そんな風情で校門の外からグランドを眺めていたら用務員さんらしき人がやって来た。
※(用務員という用語は差別用語だとずいぶん昔に聞いたことがあるけれど、当方には子どものころからこの言葉に慣れ親しんでおり、全く差別用語とは思わないのでこのまま使わせていただく。現代では「技能技師」というらしい)
用務員さん「こんにちは」
筆者「こんにちは」
用務員さん「........」
筆者「........」
ビミョウな空気が流れた。
ははん、私のことを「不審者」的に警戒しているに違いない。
無理もない。平日の午後オッサンがウロウロしているわけで。これは自営業者あるあるなんである。ひげヅラに黒いキャップを目深にかぶり、黒い米国製の中古ジャンパーに、はき古したジーンズ、靴だけは新品のプーマの真っ赤なスェードスニーカーというジジイが、校庭の子どもがいる風景を写真に撮ろうとしているわけで。
いったん学校へ引き返そうと踵をかえした彼は、思い直したように振り返り、
用務員さん「あの、保護者の方?お迎えですか?」
やっぱり、そーきたか。
筆者「いえいえ、施設開放団体の者で週末のグランドが心配で見に来ました」
とたんに相好(そうごう)を崩して彼が言う。
「いやあ、あそこの日が当たらないとこは、まだ厳しいですねえ。先週の雪で...うんぬん」
やっとココロを開いて親しげに話してくれたんであった。
筆者の見立てでは立ち入り禁止ゾーンを除けば、グランド使用は全然イケルはずだ。どーか、施設開放団体にお恵みを、なんである。シーズン開幕も間近に控えて、このところちゃんとした練習が出来ていない。球場が休場でこの窮状を救って欲しいわけで。思い切り外野ノックやフリーバッティングや試合形式の紅白試合などの練習をやらねばいけない時期なんである。このところ全く出来ていない。「ニワトリは三歩歩けば全部忘れる」というが、子どもたちも一週間練習をやらなかったら、先週やったことをすっかり忘れる体質なんである。

さてこのところの筆者の少年野球的活動はこの時季ならではの仕事満載なんであった。グランド以外での仕事というのは、監督や事務方やマネージャーや配車係やスコア集計なども同様、平日普段皆の目に見えないところでやることなので、なかなか報われないこともあるが、これらのオトナの陰の支えがあってこそのチーム運営なんである。

1=Queensでは送る会に向けて色紙用シールを作った。Q母たちの要望に応えていずれ何年ぶりかでQロゴのステッカーも作成する所存なんである。ひな形はもうアップしている。

2=毎年フレンズでは役員の名刺を作る。それを活用しているかは個人差があって大いに疑問であるが、それでも良いと思っている。手作りなので原価は知れたものだし。筆者が昔、チームの名刺を作ることを着想したポリシーは、チームの一体感を醸成することと、練習試合の申し込みに「初めまして」と名刺を出せば利便性に富むことと、チームの一員、役員としてのプライドと同時に自覚を持って欲しいからなんである。因に母マネージャーは名刺を使うことはほとんどないと思うけれど、ある時期から母マネにも作ってあげることにした。それはなぜか?。女性は会社員を経験した人は自分の名刺を持ったこともあると思うが、結婚し母となり仕事も辞めた人の中には自分の「名刺」を持ったことがない女性もいるに違いないんである。その思いと、母マネの重責に敬意を表し、同時にある意味「ご褒美」として作ることにしたのであった。そんなこんなで母マネ名刺は2010年から作っているフレンズ名刺なんである。

3=これから作らねばならないモノがある。マグネットボードなんである。これはかなり神経と体力を要する大仕事なんである。筆者が名付けた名称は「BBB」...ベースボールボード。今までフレンズ以外で提供したのは仙台の少年野球チームと、奈良の社会人野球チームと、Queensと、富士見台ウルフである。ウルフのものは連盟事務局Nishimuraさんからの「ウルフ愛」からの思いやりのあるオーダーだった。仙台のチームから注文が来たのは東北大震災の翌年だった。東北を応援する意味で特別に材料原価だけで作って差し上げた覚えがある。仙台から子どもたちの写真が送られて来て、一人ひとり見てみれば震災に負けずに実に屈託なく良い笑顔だった。見ているうちにどういうわけか心ならずホロリと涙してしまった。心の傷に負けずに健気にカメラに笑顔を向けていると思った瞬間だった。この子らの中には震災で両親を亡くした子もいると、仙台のチーム担当者からのメールに書いてあった。

これらのパソコンのフォルダに保存しているデスクトップ画像をアップして、筆を置きたい。
「球春」の鼓動が間近に迫ってきた今日この頃であった。

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