夏の夜は賑やかだ。ずいぶん遅くまで外の喧噪が絶えない。ウチの前はセブンだから余計にうるさい。仕事中はあまり気にしないほうだけど。今夜は仕事を20時に強制終了。頭のリセットボタンを自らプッシュ。ちょっと中休みでブログっちゃう。
運動不足解消目的に今日も公園へてくてく、テクテク...テクマクマヤコン。
子どもがまだ野球を始める前の小さかった頃、よくこの公園へ遊びに来た。「蝉とり」や「ブランコ遊び」で結構長い時間を過ごした記憶がある。
私が小学生の頃、田舎の夏休み、カブトムシをとるのが最大の憧れだった。
朝早く起きて山の麓へ向かい、何日も通ったもののメスは見つけられたけど、田舎といえども市街地だったからかな、オスのカブトムシはついに発見できず。やっぱりカブトムシは角(ツノ)のあるオスでなきゃ。そんな挫折感を抱えたままオトナになって、結婚、子どもができて...。
夏休みに入った小学生2,3年生の息子・娘を朝5時ムリクリ起こしてかの公園へ出陣。子どもも喜んでついて来たが、一番ワクワクしたのは私であることは言うまでもない。....ほどなく電灯の下にオスのカブトムシがひっくり返っていたのを発見。年がいもなくドキドキした。子どもはまだ気づいてない。すかさず木の幹にカチャリと這わせてやる。知らんぷりしながら息子にそれとなくその木を見るように誘導。...発見!息子は狂喜乱舞、欣喜雀躍。娘は何が起こったのかよくわからずポカン。こうする事が良かったことかどうかは私にはわからないが、今でもその時の子どもの瞳の輝きは忘れられない。
漠然とした懐古的な話だけれど、私の少年野球に向き合うコーチとしての姿勢に、もしかしたら通底しているのかもしれない。
この公園で携帯カメラで撮った蝉の写真。珍しくもなんともないけど、こいつらなんで一ヶ所に固まって脱皮をするんだろうか?4人並んで仲良く脱皮の絵。こんな状況があっちにもこっちにも。11年かけて地上へ出て来て、みんなで示し合わせたかのように、一ヶ所で集団脱皮。地中にいる幼虫の頃からお互い携帯電話で連絡とりあいながら、「脱皮する時はみんなあそこに集まろうぜ」と約束していたのだろうか?
見事なカメレオン効果。ニイニイゼミだっけ?色も形も環境に溶け込んでいる。
ヒトに捕まらないように、7日間の短い生を謳歌してくれよ。
※UNIQLOカレンダーが夏ヴァージョンになったね。Macのスクリーンセーバーが楽しみだ。制作者のユーモアのセンスが秀逸。
ウチのチームのKanedaコーチ。師匠の田舎の島根県浜田の映像が3カットも入ってますよ。3人の男の子が岩から海へ飛び込むやつとかね。是非スクリーンセーバーをダウンロードどうぞ!(^^)
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また仕事が忙しくなり、最近ブログ更新滞ってますね。昨日もAM3:00まで図面を描いてました。今日も朝からMacと格闘、いい天気の週末、外のグランドでかく汗と仕事場でかく脂汗と冷や汗...同じ汗でも雲泥の差があります。
今日もブログを書くのは見送ろうかと思っていたら、我が家の夏の風物詩、ベランダのドッキリ美女がやって来たから書くしかあるまいに。
去年夏こんなん書きました。
五人の女に囲まれて暮らす男
その後の月下美人
数日前に「オッ今年も来るか?!」と小さな芽を発見。
今日の夕方にはここまで脚を...じゃない、蕾を開きかけてる。
仕事の合間にスコッチのオンザロックを作りに冷蔵庫へ出撃。おお、そうだ彼女はもう来てるかなと思い、台所を通過しベランダへ旋回。
いたいた今年も「月下美人」
一年に一度だけ、しかも一晩だけ咲いて翌朝にはポトリの儚い恋。
このサボテンは恵比寿事務所開設以来だから、もう10数年の付き合いになる。
歳をとってもイイ女はやっぱりイイ女。
いわば女のベテランだ。ベランダのベテランだ。ベースを走るのはベーランだ(^^)
果たして自分はどうか。
仕事上はベテランになったつもりだけど、人としてベテランになったかな?
無駄に歳ばかり喰ってるような気がして焦る日々。焦ること自体がすでにイイ歳のとり方をしてない証拠だろう。なんだかなあ〜。
明日も仕事。でも近くのグランドだから少し顔を出すつもり。
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秋季大会予選リーグ最終戦。対馬絹メイツ。
初回表の守備。二死後、単打・四球・盗塁がからみツーアウト2,3塁で迎えた打者は、長打力のある長身の5番の選手。先発投手Kawaharaはこれを見逃し三振に切ってとる。球速が急速に増してきた。これでイケル!そんな気にさせるピッチングだった。しかもその裏の攻撃ではNabeの1,2塁間を破る1点タイムリーで先取点。
3回に3連打、2点を取られ逆転を許し、ここでトラブルがあり急造のMuroiがマウンドに上がることに。いつになく彼の投球フォームに力がこもっていた。気迫のピッチングで後続をピシャリ。
その後の試合展開は....(中略)...結果は惨敗。しかしMuroiの投球は被安打も多く打ち込まれもしたが、その投球姿勢に拍手を送ろう。BestPlayerはMuroi。
サッカー日本代表のように決勝トーナメントには進めなかったが、オープン戦でまた頑張ろう。
※試合前のベンチ風景。
※試合後のエール...さすがに元気がない。
※西有馬小へ戻り隣の有馬中での中学野球観戦。
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今日は午前百合丘「若葉フレッシュリーブス」と午後は多摩川で「諏訪ウィングス」との練習試合。そのため昨日は、なんとか仕事を終わらすためAM2:30までかかり完成。どんより眠い眼をこすり百合丘方面へ。結果は勝ったものの、超貧打線だった。ベストプレイヤー賞は走者一掃の三塁打Muroi。明日は大丈夫かあ?明日は宮前区の公式戦最後の秋季大会。リーグ突破し決勝トーナメント進出がかかる重要な試合である。
午後多摩川へ。河原でバーベキューの休日レジャー団体を尻目に、早速練習試合開始。スコアは12:7の勝利。前回はボロ負けだったけど今回は打ち勝ったのは収穫。手元にスコアブックがないので正確な数字は曖昧Meマインだけど、BPは2回終了時にすでに5打点のHiroto。それとなんと言っても普段打撃では目立たないが、今日は別人28号のKouOhtake。合宿で開眼したか?単打・二塁打・三塁打のヒットに2打点の活躍。河川敷はランニングホームランが出やすいから、もしやサイクルヒット!?も期待したがさすがに達成ならず。合宿から帰りKawaharaの球速も増したようだ。この調子で明日に臨んでほしい...けど、そうはいかないのが少年野球であり、うちのチームの特徴でもあるんだなあ。でも期待しよう!
さて多摩川での試合では過去のこのブログでいっぱい遊んできた。
(文字クリックでリンクしてます)
高津ドジャース杯
珍百景ミーアキャット現象
疲労感と徒労感
とうとう今日の多摩川には東急田園都市線に新幹線が相互乗り入れし、巨大な新幹線が疾走する姿を捉えた一発。
更に以前はこの河川敷球場にゴジラが現れたのだが、今日は我が有馬フレンズのためにノックの特訓を申し出てくれた巨大ガンダムがノッカーとして登場。直径82.6メートルのC球と574メートルのミズノ特製ノックバットを手にやってきた。
お台場も名古屋も凌駕する勇姿であった。
因に筆者はガンダム世代ではなく、マジンガーZの世代であるけどね。
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ここ2週間ほど「30th○○編」シリーズを中心にして、チームの周年行事を書き散らしてきた。最後の「記念誌編」はさすがにチカラが入る。でもってひとつ忘れていた。式典会場にいらした方には「記念品」を差し上げようと企画されたのが、ありきたりだけど「タオル」。もちろんチームロゴのネーム入り。当初温泉宿のナニナニ旅館だとか、有限会社ナニナニ商店だとかのマイナーイメージがつきまとい、果たしていかがわしいものか?...じゃない、いかがなものか?と思った。ならばいっそ、タオル全体にデカデカとロゴを入れる、いわば「E.YAZAWA」方式の案も浮上。このYAZAWA方式と温泉旅館方式で論議されたけど、結局予算に大きな開きがあり、永ちゃんはあえなく撃沈。
ならばと、小生が記念誌制作の真っただ中にこのタオルの制作までやることに。
一色刷りなので、濃紺地のタオルに白いロゴなら「温泉旅館方式」でもカッコイイはず。ところが印刷の世界に白いインクというのは存在しないのである。家庭用PCのプリンターも4色(いわゆる業界用語でCMYK)で全ての色を表現、白い部分は紙の白地を残すことで白を感じさせている。タオルの場合、上記の案をやろうと思えば白地のタオルをロゴ部分だけ除き、濃紺で染め上げることになる。文字白抜きというヤツですね。もちろん値段もアップするのでこれまた撃沈、海の底。
考えた末に「温泉旅館方式」で4つのデザインを考案、時間がないので各者のPCまたはFAXで送り、投票してもらうことにした。ちょっと遊んでみたくもあり。意外なことにキレイに4つに分かれてしまった。各3票ずつ。私はもうこれしかないじゃん、と思っていたけど解らないものだ。結果的に投票にして良かった。
まあ、その後もちょっと制限がありやっとデザインが決まり、Muroi母委員から発注してもらって納品されたのが、写真のもの。
「湯けむりの里・温泉旅館ナニナニ荘・電話番号ナンタラカンタラ」とはほど遠い、なかなかイイ感じで仕上がったと思う。父母たちにヒラリと初披露した時は拍手と歓声も上がったほど。
記念誌の制作に関しては、以前のブログ...30th「記念誌編」誌上公開に詳しいのでここで繰り返すことは省略。でもこの小誌は本当に以前の20周年記念誌の情報がしっかりしていたので随分と助かった。また、悪い表現になっちゃうけど、20年誌を見てここはこう直そう、このコーナーはこんな風に変えちゃおう、こいつはバッサリ切ろうなどといい意味でのタタキ台になってもらった。個人的には少なくとも20年誌よりはいいものを作ろうという励みにもなったわけである。
更に写真の1999年から2009年までのチーム年間成績表。(家のどこかにもっとあるはず)他の全国のチームはどうしてるのか知らないけれど、うちは年末の卒部式で全員に配るのが恒例。チーム全体の全ての成績を網羅してるのはもちろん、個人打撃成績、投手成績、から失策数、全試合結果のスコアボードまで。卒業生に至ってはその子の入部当初からの年間成績を全部はじき出して載せている。手元にあるこれらは同時に私の財産でもある。去年2009年はひとりで作ったがそれまでは先達の方たちが大変な努力で作っていた。写真左の1999年は私の娘が卒業した年で、またここにはないが、1996年は息子の卒業年。あの時の成績表は卒部式の前日6年の親たちが我が家へ集合し、ワープロで作った冊子を皆で手分けして作ったものだ。もちろん制作終了後は飲み会に突入し一年を振り返り酒を酌み交わす。
そうか!そういう意味では私自身も先達のひとりなわけか。(ニガ笑い)
でもやはり自分以外の方たち、チームを支えて来たその時代、その時代のスタッフ・父母たちに改めて感謝したい。
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