2015年6月24日水曜日

求心力

神奈川県大会優勝のあと、周囲も筆者も何しろ慌ただしく時間が過ぎていくんであった。フレンズ関連の仕事だけでも5,6種類のファクターに関わっており....いや、スコアラーとこのブログ執筆も入れれば7,8種類になろうか。その最たるものは来月に開催予定の全国大会へ向けての壮行会プロジェクトである。週末には父母会を開き、チーム一丸で成功させなきゃなんである。先日土曜日は「笠原さんを偲ぶ会」のあとQueensのメンバーと深夜まで語り明かし帰宅はAM2:00だった。連盟の意向を受けて壮行会はフレンズ主催と決定し、急遽その翌日、日曜夜から壮行会プロジェクトチーム(仮メンバー)のキックオフミーティング。その日も深夜遅くになっちゃったんである。フリーランサーの自営業とはいえ、朝はほぼ通常通り起床することを信条としているので、寝坊は出来ない。20年前少年野球に関わる前のサラリーマンだった自分は、休日といえば昼近くまでだらんだらん、布団のぬくもりを愛してやまなかったのに。掃除機のノズルで突つかれて目が覚めるか、幼かった子どもらに「起きろー!」と布団にダイビングされてしぶしぶ起きる週末だった(^-^)

さて今回も「深夜の弁明」シリーズなんである。
偲ぶ会のブログ写真編集はあと少し残して先ほどほぼ終了。本文を書くのは明日にして、このまま就寝といきたかったけれど、考えてみれば明日は夕方から本郷で打合があり、そのまま夜はクライアントと飲む可能性が大なんであった。ならば今日のうちにこれだけアップしてしまおうじゃないのよ。

連盟実行委員で担当した笠原さんの写真パネルだけ一挙公開。
偲ぶ会に仕事や様々な都合で来られなかった方たちのためにも。
おかげさまで多くの皆さんに見てもらい、笠原さんを偲び思いを届けられただろうか。
中でもQueensのMochidaコーチは目頭を抑えながら何度往復し凝視していたことだろう。筆者は会場中をカメラ片手に徘徊していたが、気がつくとパネルの前には必ずと言っていいほど、Mochidaさんが佇んでいた。
パネル本体には笠原さんの写真を。そのフレームには笠原氏以外の周囲の人たちが集うようにわざとはみ出させて貼り込んだ。氏の求心力を象徴したつもりだった。いつも彼の周りには人が集まっていたように....。
写真提供は筆者のストックの他、Ichika母、Daiki、Natsuki、Hatano、Mochida、Ozawa、Nishimura、Kitamatsu、Nemoto各位(順不同・敬称略)
おかげさまでSpecial Thanks!
一気呵成、縦横無尽、千載一遇、一期一会の写真掲載なんである。





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2015年6月23日火曜日

深夜の弁明PART...?

やっと仕事にケリがつき、さあてメシ食ってブログ写真を編集するかと思ったのが19時頃なんであった。それと前後してMac横に置いたiPhoneのフレンズLINEがひっきりなしにピコピコピン♪なんである。未読があっという間に数十通。はっはあ〜、誰かのコメントに皆で食いついたんだなと想像する。これとは別に有馬フレンズ新HPに関するパソコンメールのやり取り。更にあるタウン紙から全国大会出場の取材申し込みの電話があった。旧知の記者さんで「晴耕雨読」を読んでいただいたそうだ。フレンズのみならず町ぐるみ、川崎宮前区ぐるみの少年野球への関心が広まればとの思いから、これは全面協力したいんである。先ほどまで記者さんとメールの応酬をしていたのだが、記事の鮮度を保つためと守秘義務的な自己規制からここではまだ詳細は書けない。

ブログ倉庫フォルダにはまたいつの間にか在庫の山が山積。
「山が山積」とは日本語として正しくない。「頭痛が痛い」の誤用と通底する。中学生は真似しないように。期末試験でバツをもらっても筆者は責任を負わないぞ、なんである。

Bチーム北部大会初戦のネタ、県大会祝勝会の話、フレンズ体験会実施の様子、更に土曜に開催された「笠原さんを偲ぶ会」のこと....。最新の「偲ぶ会」を真っ先に書こうと思ったのだけれど、気がつけば時計の短針は悠に1時を回っているではないか。こんな多忙につき今日はご勘弁願いたい。本日月曜もアクセスが100越えなのに、申し訳なしなんである。

またいずれ諸々ブログアップしちゃうわけで、今晩は寝るぞ〜!
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2015年6月20日土曜日

終わった

参ったの次は終わった、なのだった。本日朝から素っ裸になり滝に打たれて禊(みそぎ)をし、粛々とAmazonから配送される「プリンタヘッド」を待ち、ヤマト便で届くや否や速攻プリンターに装着し、ヤツが正常に稼働する印のランプを眼を細めながら確認した時は、ひとり快哉を叫んだのであった。本体の故障ではなくやはりヘッドの寿命だったのか。これで心置きなくぎゅんぎゅん出力出来るのであった。頭上近くまで重くどんよりと垂れ込めた雨雲を、夏の朝顔にてんとう虫を発見した時のような清々しい気分が払拭してくれたかのような面持ちなんである。(※意味わかりますか?こんな時、村上春樹ならどんな比喩を用いるのだろうか)

明日は宮前少年野球連盟の重鎮、中心的存在、宮前Queensの代表であり、人望の厚かった笠原氏の「偲ぶ会」である。特別な人だった。プリンター君の蘇生とともに写真パネル6枚が完成した。
パネル制作中は1枚1枚写真を見ながらずっと彼に語りかけていた。こんなことあったなあ、あんなこともあったよねえ....。

明日本番なのでここで多くはまだ書けない。
ただ、この場に来れなかった人たちのためにも、また連盟広報担当の職責からもいずれここで会式の模様をお伝えしたいと思う次第なんである。

ただし。
天から聞こえてくるのだった、笠原さんの声が。
「テッシーさあ、俺に断り無く勝手にやってくれんなよなあ」
「俺の写真全部カッコいいのじゃなきゃ、絶対やだやだ」
と。
子どものようにダダをこねる彼をちょっぴりいじめるためにも、カッコわるい写真も数葉入れておいた。
でもほとんどはカッコイイ写真で構成してあげた。自分もあの世に行ってから、再会した彼に責められてはかなわないからね(^-^)
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2015年6月17日水曜日

参った

参った....。
今年トイレが壊れて階下へ漏水した時くらいに参ったなんである。
まだこれからやることいっぱいあるので、簡潔に書くんである。

今週末土曜、連盟主催のあるセレモニーがある。
(※読者で知っている人は知っているが、知らない人は知らないので、内容はあえて知らない方が良いと思うので知らせないのが得策と知りつつも、ほんの少しサワリだけは知ってしまっても構わないだろうという、虫の知らせがあったので書いてしまうけれど、これが不評をかっても筆者は知らんぷりなのだ)
実行委員の一人である筆者のポジションは写真パネル制作。ある人物の膨大な数の写真を編集してA2サイズのパネル数個に貼り込むんである。仕事もそこそこ忙しいので夜間しか出来ない。既に4枚分のMac編集は終わっている。あと2枚分を今晩やって、明日木曜はプリントアウト、個々にカットしてパネルに貼り込むのが金曜中、の予定だった。

材料その他、インクも写真画質用紙も確保してある。印刷トラブルは思わぬタイミングでやってくるのは過去の経験から分かっている。本番前日で焦るのは嫌だから、今日一度テストプリントしてみっか。
「ヤバイッ」またやってくれた、このプリンターの野郎....。
以前から若干調子が悪いと感じていたが、Canonのサイトでエラーコードを確認すると、とうとう心臓部のプリントヘッドが壊れてしまったんである。何度も蘇生を試みたが警告ランプは筆者をあざ笑うかのように無情にも点滅を繰り返すのみ。さんざん頑張ったけれど諦めた。

Amazonで新品のプリンターは¥24,000。プリントヘッドだけは¥9,000もする。うぐぐ....。本体ごと買い替えるか、ヘッドのみ交換するか。
悩んだ末にプリントヘッドにした。Amazonプライム会員なので今注文すれば速攻で明日には届く。ところがなんである。これだけは最速で金曜の午前中着なんであった。金曜から出力するとなると、翌日アップまで時間がなさ過ぎ。しかもプリントヘッドが原因でなくもし本体に起因していたら...アウトだ。金曜は仕事返上でキンコーズとかに走らねばなるまいか。

参った、なんである。

いや、参ってる場合ではなかった。残りの写真編集しなきゃ....。
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2015年6月14日日曜日

20年前の涙の味は

「テッシー。スコア俺やろうか?」

いよいよ決勝戦に臨む前にベンチへと急ぐ私に向かって、顧問のKanedaさんから声をかけられた。スコアラーをやれば決勝ブログの写真が撮れないだろうから、気を遣っていただいたのだった。
「いや、大丈夫です。むしろ、やりたいんで」
にっかりと笑ってグランドに一礼しベンチに腰を下ろした。
素晴らしい天気だった。第35回高円宮賜杯全日本学童軟式野球大会神奈川県大会の決勝がいよいよ始まる。ふっと、抜けるような青空を見上げていると。
..............
「カキーーーーン」
低めのインコースをすくいあげるようなスィングで叩き返すと、白球は高々と舞い上がり大師球場のレフトフェンスを越え、その向こうで大きくバウンドした。1塁側応援スタンドは耳をつんざくほどの絶叫の嵐。7番Junnosukeがこの日3番Tatsuyaとともにアベックホームランを放ったのだった。
.............
決勝は白熱の大接戦だった。回も押し迫ったフレンズの守備。2アウト走者3塁。ライト線に大きなファウルフライが飛ぶ。ライトJunnosukeはファウルグランドで必至に追いつき、左手のグラブを余裕で差し出した。誰もがチェンジと思ったその時、彼はグラブを引っ込めてボールに触れずに敢えてファウルにした。唖然とするベンチ。アウトカウントを1アウトと間違え、タッチアップされて相手チームに得点されることが頭によぎったらしい。魔が差すとはこのことだ。

全学童全国大会まであと1勝の神奈川決勝戦はシーソーゲームの同点のまま7回を終え、そのまま特別延長に入る。試合は9回までもつれ込んだ。その結果....。
藤沢のチームに涙涙の惜敗。全国の水戸への切符は目の前でちぎれて消えて、準優勝で終わったのだった。
...............
2015年の話ではない。約20年近く前の遠い昔の記憶。Junnosukeとは私の息子で、5年生の冬にフレンズへ入部、ほぼ1年しか在籍していなかったことになる。何年もやってきた他の選手に比べれば決して野球がうまいほうではなかったけれど、この年の記憶は親子ともども今でも鮮烈である。当時のチームメイトには現フレンズコーチとなったShinyaがいる。監督は現代表のYanagisawaさん。「子どもたちはよく頑張った。あの決勝は俺の采配ミスで負けた」と今でも語り草である。
................
ベンチで空を見ていたらそんな記憶が瞬時に脳裏に浮かんだのだった。

今日はあの日の悔しい思いをした自分自身へのリベンジなのだ。苦い記憶を払拭せんがため、あの日まだ30代だった俺に向けてのリベンジである。
絶対勝って全国行くぞ。人知れずベンチで念じたのだった。応援席やカメラを構えているよりも、グランドの土の匂いのする現場で、その瞬間を迎えたかったから敢えてスコアラーを決勝に志願したのだった。

「テメエの感慨なんかどうでもええわい。序章が長過ぎる!いい加減今年の決勝はどーなんだ?おい」と、お怒りの貴兄、お待たせなんである。ここからは「晴耕雨読」的文体「...なんである体」に戻り「私」ではなく「筆者」になってさらりと行くんである。もちろん写真はない。

先のブログでも推察出来るように先発はエースではなくKyouh。規定により5回までは投げられる。体の線は細いが制球力が持ち味の選手だ。決勝の相手は座間フェニックス。19年ぶりに不死鳥のごとく蘇りたいのは筆者のほうだ。座間Fの先発はImaiくんだ。
初回Kyohの真価が発揮され全て内野ゴロに打ち取り三者で切ってとる。
その裏有馬Fは主将でエースのRuiが峻烈なセンターオーバーのヒットで出るとすかさずスチール、2番Shohgoが送りバント、Yuiのセカンドゴロの間に1点先制。長距離打線がとかく目立ちがちだが、地味に手堅く行く時は行くんである。幸先よいスタートだった。

二番手である普段大人しいKyohは素晴らしい出来だった。飄々と投げているように見えて実はその心の内側はどうだったのだろう。決勝先発の重責はもちろんあったはずだ。しかし、3回まで相手打線を三者凡退、最少9人で4回を迎えるナイスピッチなんであった。

2回裏有馬Fは相手失策から犠打、2本の内野安打、右中間のクリーンタイムリーヒット、犠牲フライなどで3点加点す。4:0。

4回表にKyohが捕まった。二死まで難なく打者を打ち取ったが、座間Fのクリーンナップの3連続安打で1失点。4:1。今の有馬Fなら全く問題ない数字である。

その裏にはShohgoが大舞台でめざましい成長を証明するようにセンターオーバーの適時打で1点加点。5:1。

終盤の6回二死後有馬Fは2塁に走者を置き、打席に立つは3番Yui。
筆者はココロの中でつぶやいた「ダメ押し、行っちゃうてか?」
ワンスリーからの4球目を叩いたバットが火を噴いた。筆者の眼にはその瞬間確かに炎がみえたんである。思わずスコアラー用のテーブルを蹴飛ばし身を乗り出しライト方向へ眼をやった。
白球は猛烈な球速でライトスタンドへ叩き込まれた。勝利に花を添える弾丸ライナー的ツーランホームランであった。

最終回、勝利の瞬間、自分が何を叫んだかは覚えていない。真っ先に監督Satohと握手しハグし、ベンチスタッフと固い握手をしたのは覚えている。
ドラえもんに頼んで天からカメラを手に入れる。整列を横から撮った瞬間筆者は熱いものが胸を駆け上がり、否応無く瞼の奥からほとばしる。
ファインダーから肉眼に切り替えると、そこでは監督Satohも号泣していたのだった。
20年前には苦い涙を飲んだが、あの時の涙の味とは全く違う味がした。

ここからはスコアラーの鎧を脱ぎ捨て、硝煙立ちのぼる現場での戦場カメラマンが勇躍するんである。
あとは写真でご想像されたし。特筆はMVPに選出されたYui。決勝に至るまでの4試合連続ホームランを記録したのだから当然の帰結。のちに発刊された東京中日では「神奈川随一のスラッガー」と称賛された。因に筆者独自に調査したところによれば、県大会全5戦中、フレンズの得点は48。1試合平均9.6点。対する相手チームの累計は10点。1試合平均2失点なんである。驚異的な数字と自分でも驚いた。打に対して守も堅いところが優勝の勝因のひとつであることは間違いない。

......................
※この少年野球「晴耕雨読」BLOGは筆者独自の心の「内規」に基づいて記述している。相手チームや子どもを揶揄したり傷つけることのないように注意を払いながらキーボードに向かっている。しかして筆者も気がつかぬまま相手チームにとっては不愉快な思いを、もし、されているとしたら申し訳なし。そうならぬよう心していることはご理解いただきたい。
※更に決勝戦では大人の応援席からあまりにも熱い思いから、興奮のあまりつい少年野球らしからぬ声援があった。さほど常軌を逸したとまでは言えないものの、はやり相手チームや打席に立った子どもの心情を鑑みると少年野球には違和感を感じるものだった。ご指摘された匿名さんに感謝しつつ、これを真摯に受け止め、全国の神宮の舞台では更なる熱い応援を、母ダンスを交えて楽しく、かつ襟を正して敢行したい。
神奈川代表になったのは子どもだけではなく、我々指導陣・父母たちも神奈川代表なのだから。
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