2020年3月22日日曜日

冬の閉塞感と春の開放感

まずは連盟広報からの速報である。宮前少年野球にとっての。
本日連盟役員の会議があり、コロナによる今後の大会予定や30th記念事業に関する協議が行われた。筆者は記念誌委員と言えど正式役員ではないので出席は思い止まり辞退。会議終了後、速攻で連絡網メール配信された。ここでは詳細は書けないが、各チーム事務局へ配信された内容をコピペする。

事務局員各位
お疲れ様ですSatohです。
本日連盟役員会を開催し、下記の決定を行いましたのでチーム内へ周知をお願い致します。
  記
・自粛期間は3/27(金)までとする
・春季大会は4/12(日)から開始として、ジュニアの部は実施しない
・今後の予定説明を4/5(日)9時から代表者会議を実施する(第一公園のバックネット前)
以上


「今後の予定説明」は各チーム必ず出席をされたし。詳細の説明があるはずである。また、老婆心ながら広報から補足するなら、最初の「・自粛期間は3/27(金)までとする」に続き「但し今後の新型コロナの状況によっては、この限りではない」または「但し今後の新型コロナの状況によっては、変更の可能性もあります」を追記したい。「緊急事態宣言」にまでは至らず、条件付きで各種イベントなどは解禁となった経緯を鑑みたのであろう。今の日本の状況は国民の命を守ることと、経済の停滞を緩和させることのせめぎ合いの中で苦しい選択を迫られている訳で。さらに大局的に言えば少年野球のみならず全国の閉塞的環境の子どもたちの、心のケアにも配慮したことだろう。
※追記:川崎市教育委員会から。施設開放禁止は3/31まで延期となった。28日から活動再開出来ても、グランドは相変わらず確保が出来ないことになる。

政府の休校要請以来、近所や遠方の公園をバイクまたは徒歩で通過する機会が多くあったけれど、ほとんどの公園では普段では考えられないほどの、多くの親子が伸びやかに運動を楽しんでいた。ある公園では電動ママチャリが10台ほど整然と並んで、子と一緒にワイワイやっていた公園もあった。テレワーク父だろうかお父さんの姿も散見される。休校宣言直後のニュースでは「公園で子供の声がうるさい」などの苦情があったり、学校の先生が公園をパトロールして、子供たちに帰宅を促したりという、妙な違和感を覚える報道があった。数日後やっと政府からは「健康維持のため公園などでの子どもの活動は決して否定はしない」みたいな声明がなされたわけで。筆者が広報官ならば、事前に十分予期できたことだから、公園で遊ぶことは規制しないと一言添えたに違いないのだが。スピード重視の現状では致し方なかったのかもしれない。今となってはこの筆者の慧眼?(けいがん)はコロンブスの卵と言われてもしょうがないけれど。ちょっと考えれば分かることである。

筆者は公園で遊ぶ子らを見るのが大好きだ。あくまでも親も含めて自己責任ではあるけれど、子供は屋外で楽しく遊ぶのが仕事である。赤ん坊は大声で泣くのが仕事だと、大昔から言われているように。大人が仕事で金を稼ぐのと同義語かもしれない。諸外国のように非常事態宣言がなされて、外出禁止令でも出ていれば話は違うが、現段階での公園の賑わいは良いことだと思う。但し日本はコロナ大爆発直前との専門家の意見もある中、そーなる可能性もあることは頭の隅に置いておこう。

公園事情に関して個人的に唯一困ったこともある。筆者は公園のベンチでコーヒーとアイコスで一服するのが日常の至福の楽しみであるが、近くに子どもがいた場合は副流煙を考慮して吸わないことにしている。万一、一服している間に子どもが近寄ってきたら、自らベンチを立って隅っこの方でそそくさとタバコを終えて早々に退散する。今回の「公園子ども満載現象」で、筆者の密かな楽しみを奪われてしまったけれど、公園の元気な子らの声がこだまする光景を見れただけで、ベンチまで行かずに退散するも、これはこれで喜ばしいことだと思う今日この頃なんであった。
.....
さてと、写真ブログが少年野球「晴耕雨読」の真真骨頂。ここからは写真を交えて鬼才が記載するわけで。
やっと記念誌が納品された。すぐに納品先の母宅へ自分の分を取りに行く。これは制作者としての当然の責務である。作品の検証をしなければならない。過去にQueens記念誌の時はグラデーション印刷に問題があって、印刷会社にクレームをつけた経緯があるから今回も予断は許さないのである。

記念誌はフレンズ内部関係者で「配付会」を3/22に開催予定だった。これは配付リストを管理する母の負担を軽減するためでもある。週末たまたまそこにいる親たちに、だらだらとあっちこっち配付し、毎回いちいちチェックしていたのではストレスが溜まるわけで、一気に整然と配付した方が良いと判断したんである。しかしながらコロナ情勢を鑑みて止む無く延期となった。

記念誌を手にとって印刷会社の重大な瑕疵が発見された。ガックシなんである。Qに続きまたかよ。俺のフレンズでの最後の集大成が台無しになった。簡単に言うと本来黒一色であるべきテキスト部分が、青が混じった青黒いフォントになり、なおかつ文字が正常よりかなり太く印刷されているのだった。全体ならばまだ看過出来るも、ページによって変化するからもう手に負えないわけで。正常と異常が混在する現象が散見され、実に参った。本日、印刷会社へ正当なクレームを少し強めの文章で抗議、対応を求めたんである。

記念誌内で使用した写真を数枚アップ。ネタバレになるので記念誌が公式に配付されるまではまだ具体的な紹介は避けたい。編集後記ページでハーフトーンで配置した写真2枚。シャーペンは長年愛用しているドイツのステッドラー社製。もちろんPCは愛機Mac。

「フレンズ活動地域の小さなページ」で使用した、近隣のセンター北駅前の写真。有馬地方の写真と同じく、2月の晴天の日にバイクで出かけて撮った写真である。もやはフレンズは有馬村のみならずオシャレな横浜までその範疇に入っている。川崎有馬小から数歩歩けばそこは横浜なんであるからして。

....
筆者は13冊を確保した。息子と娘に各一冊、そのほか娘時代のOBオヤジと今でも交流があるので彼らに配付のため数冊。筆者の今後のための数冊。少しでも早くYanagusawa代表に届けたいとの思いからイレギュラーで更に2冊を今日届けたんである。Kanedaさんには遠方なので次回配付会にて。更にこれとは別個に連盟記念誌委員会へ参考資料として十数冊確保している。もしこれをかつての宮前連盟の至宝、事務局Nishumuraさんが見ていて、住所を個人的にお知らせいただけたら、速攻郵送したい。連盟20周年記念誌の完成度と精度の高さは氏の活躍と尽力を無くしては語れない。

愛車赤カブをシャリシャリ、ガックンガックン言わして疾走、まずは同じマンションのOBオヤジSugiyamaさんを皮切りに、Matsuda、Hatakeyama、最後の代表Yanagisawa宅のポストへお届け。晴天のうららかな空の下、カブは快調にひた走る。ふと思った。この彼らの名前の一文字めを順番に列記すれば、「杉〜松〜畠〜柳」...皆日本の原風景を彷彿とさせる樹々の数々ではないか。
コロナで閉塞感の漂う中、先の公園の子らの光景と言い、なんかちょっぴり楽しい1日であった。
...
この下のニャンコ写真については、次回ブログにて。
「明けない夜はない」
「春の来ない冬はない」
日本だけではなく世界に目を転じて最悪の状況を考慮しつつも、桜の春の訪れと共にほんの少しトンネルの先に光明が見えてきたと思うのは、私の甘い考えだろうか。筆者にもまだ分からないけれど。
日本はオーバーシュート(爆発的感染)の危険も孕んでいるので、ゆめゆめ気を緩めてはいけない。

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2020年3月15日日曜日

新型コロナと「222222」

前回ブログではコロナにまつわる由無し事を、暗鬱と、どんよりと、ぐんにょりと、今にも降り出しそうな不穏な雨雲みたいに、暗い話になってしまった。なんだか申し訳なし。TVで「新型コロナ」とだけ聞けば、数十年前ならばトヨタの新車のことだったが、この文言は今年の流行語大賞筆頭になるであろうか。併せて「今年の漢字」一文字は「疫」「災」「病」あたりが候補に上がるだろう。

さて気持ちを一変し記念誌なんである。
先のブログでもお伝えした通り、3/11にプリントパックへWeb入稿し、いわゆる作家で言えば「脱稿」した。前日深夜まで編集後記の書き直しや、目次ページのデザイン変更など慌ただしい時間であったが、なんとか「有馬の中心で快哉を叫ぶ」ことが出来たのだった。記念誌発注を終えた報告がてら、フレンズグループLINEには表紙だけPDFを掲載した。お約束通りこのブログでも表紙だけアップしちゃう。右が表紙で左が裏表紙。真ん中のフレンズストライプは背表紙の一部。冊子厚みは3.3mmと意外とコンパクト。

本文は70ページ。広告ページは全て記念誌委員会母に任せて分担して作ってもらった。ギュギュッと40年のエキスを詰め込んだ一冊である。悪く言えば詰め込み過ぎだったかもしれない。目次を作り終えた段になって、またクリエイターのこだわりが頭をもたげてきた。皆がこれを手にするのは図らずも桜の咲く季節である。急遽思うところあって、一年前小台公園で撮った満開の桜の写真を使おうと閃いた。それまでのレイアウトを全て変更し、さらにフォントのバランス見直しも図る。表紙をめくって目次を開いた時のインパクトはかなりあるはずである。次をまためくってみたいと思ってもらえたら本望。

この表紙のJ号級ボールで40thを表現しようとアイディアが浮かんだのは、昨年の早い段階だった。制作が押し詰まった時に撮ると真冬の芝が茶色く枯れた状態になるので、確か昨年の秋ころまだ緑が青々とした季節に撮影しなきゃと決行した。横浜の某公園で新品のボールを並べて四苦八苦。通り過ぎる通行人は訝しげな目で筆者を見る。露出や撮影モードを変えてパシパシ撮った枚数は50数枚。ふと気がつき数えてみたらボールの数もちょうど偶然40個であった。最後にゼロの中にフレンズ帽子をセッティング。これもまた遊びココロが閃き、近くにあった野花を帽子の穴に差し込んで撮影。帽子はヨレヨレの物をそろそろ買い替えようと思っていたので、グリーンスポーツで買った新品である。

京都の印刷会社からの納品は来週19日頃の予定。22日日曜にコロナを鑑みて大人だけ集まり、グランドで現フレンズ関係者だけに配布会を計画した。詳細は省略するけれど、コロナ状況でそれも延期となった。制作者としては1日でも早く現フレンズに手にとって欲しかったのだが、忸怩たる気分で非常に残念である。時に制作者の熱い思い入れと読み手受け取り手との間には温度差があり、埋めようのない乖離(かいり)があるから、自論だけで強行するわけにも行くまいかと、オトナの判断に至った。式典関係者には基本郵送で進呈するので、フレンズ関係者よりも早く記念誌を手にするかもしれない本末転倒的な事態となった。それは構わない、立場関係なく手にとった方達にはぜひゆっくりページを繰ってほしいものである。記念誌のみならずこの手の世界中の制作物は、作り手がそれを作り終わった時が最後ではなく、一般ユーザーがそれを手にした瞬間が完了なんである。
.....
さて、最後に。
つい先日このブログを開いたら毎日のアクセス数の下の累計アクセス数に目がいった。あらまなんと「222222」ではないか。ページビューPVは100万を超えた。芸能人の内容のないブログに比べたらちっぽけな数字であるが、それでも今までお付き合いして読んでくださった読者の方達に、感謝!

「2」と言えば。過日の式典は2020年02月02日(令和2年)である。記念誌にも多少デザインを誇張してページを割いて制作。日本人はこーゆーゾロ目が大好物である。昨今のコロナ狂想曲に思うのだが、もし式典がもう少し遅れての予定だったら、いったいどうなっていただろうかと。例えば2月下旬や3月の今頃だったなら。イベントや大きな集会、不用意な外出禁止、学校休校などの嵐が吹き荒れている時期だったならば?想像するだにおぞましい。延期または中止に追い込まれただろうか。或いはやっても来賓OBなどの参加者は極端に減少したろうと想像する。コロナは既に日本に忍び寄っていた頃だが、ギリで2/2で開催できたことは実に幸せだったと言う他ない。

連盟からの活動自粛要請は、正式に当初の15日から22日まで延長となった。先日川崎市内で初の感染者が出たけれど、このままじっと待てばほんの少しでも収束に向かうのか。あるいはむしろ拡大し他区や宮前や有馬にも感染者が出る可能性とて大いにある。これまでの経緯を振り返れば後者の可能性が大きいけれど。それでも私たちは過敏にならず何がベストかを考えて、日本の未来を背負う子どもを守り、我々は相手の気持ちになってオトナの行動をしよう。

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2020年3月14日土曜日

新型コロナに思う、いつまで?

ここ1週間余りの連日の新型コロナマスコミ報道、Yahoo!ニュースは上から下までほとんどがソレで埋め尽くされている。世界的にも次々と各国蔓延の知らせが日を追うごとに増加する。中国では沈静化に向かっているとの報道もある中、むしろ政治的な策略で感染者数の数字を操作しているのではとの見方もあり。更にフェイクニュースとかではなく、米国の著名な生物化学者のインタビューでは、中国武漢の生物化学兵器研究所から漏れたと断じる記事もあり。イタリアや米国はじめ欧米では当初、対岸の火事を見る思いが、自分の足元に火がついた途端に右往左往、感染予防に対する文化の違いや、マスクに対する価値観の違いもあり感染拡大に歯止めがきかない。当初の日本の対応を冷やかに見ていた節があるが、あっという間に日本の数字を追い越すことに。偏見に満ちたアジア人への暴行などは記憶に新しい。実は日本だって加害者ではなく被害者なのに。中国発症であるにも関わらず、かの政府は沈静化に向かっていると「どーよ、凄いだろウチは」的に胸を張ることはあっても、決して世界に対して「ウチの国から全世界に迷惑をかけて申し訳ありませんでした。今後気をつけます」的な謝罪の言葉はない。もしこれが日本発症なら、筆者は世界に向けて土下座して謝罪しちゃうに違いない。しかもあろうことか、かの国の政府関係者は、今回のコロナは米国軍人がウィルスを意図的に武漢でばらまいた疑いがあるなどと、なんの証拠もないのに反論コメントしちゃう有様である。隣国韓国に至っては詳細を書くのもゲンナリしちゃうほどの政府対応と日本に対する反発である。一体どーなってんだこの世界は。人種や肌の色の違いを越えて協力しなきゃいけないパンデミックの事態なのに、人命よりも政治的な思惑が渦巻くこの世界。ゼウスが世界中のあらゆる災厄を箱に閉じ込めてパンドラに贈ったものの、彼女は誘惑に負けて箱を開けたら魑魅魍魎が全世界に飛び立ち蔓延する。いわゆるギリシャ神話「パンドラの箱」を想起したのは筆者だけではあるまい。神話では箱の中に残ったのはたった一つの「希望」だったと言うオチがついているが、果たしてその「希望」は今の世界にあるのだろうか。

転じてスポーツ界。春のセンバツが無観客試合になるだろうことは容易に想像できたが、まさか中止になるとは思わなかった。ちょっと衝撃であった。TOKYO2020オリンピックの行方も大いに気になるわけで。世界中の野球やサッカーなどプロスポーツも中止に追い込まれる中、アフリカ某国でも日本人の発症が確認されたらしい。アフリカでは十数国め。アフリカ大陸の医療機関の現状は詳しくないけれど、医療の整っていない国や地域に回ってしまったら手のつけようがないだろう。アフリカと言えば「エボラ出血熱」は遠い昔の話だが、感染拡大となれば急に現実味を帯びて来るわけで。

更に世界から局所的にこの辺の周りへ目線を転じれば、先日ついに川崎市多摩区でも感染者がでた。川崎市内では初。飛沫感染と言う性質を考えれば、どこの市やどこの区と言うのは意味を持たない。海の向こうの対岸の火事の火の粉が、とうとう頭に降りかかってきたわけである。十分予想できることだった。我々一般市民が出来る予防策はマスクや手洗いなど至って簡単明瞭なことを粛々とやるしかない。

先日このブログでフリーランスの立場の不公平を嘆いたら、与野党から疑問の声が上がり数日後には政府から自営業者も補償の対象にすると後追い発表があった。正規非正規約8000円に対して、自営業は一日4時間?日額約4000円?って、おいおい、ないよりはマシってか。但し筆者は小学生の子がいるわけではないし、クライアントからコロナ関連で仕事を失ったと言う証拠を提示できるわけではないので、その恩恵にあずかることはなく、全く関係ないのであるが。フリーランス=自営業で企業と契約を結び定期的な仕事をしている、かつ子供をもつシングルマザーの救済には厳しいに違いない。筆者のようなジジイではなくそんな若い人を救済してほしい。いやはや人の心配している場合ではなく、筆者も目に見えて仕事が激減している。生活の不安はサラリーマンの比ではない。建築内装業界はリーマンショックの時も全く仕事がなく、あの時の恐怖が目の前に横たわる。

もっと局所的。ここ数日の世界と日本のコロナ情勢を見ていれば、おのずと宮前少年野球にも考えが及ぶわけで。現段階では15日までの活動自粛だけれど、ここ1週間の情勢を鑑みれば延長になるのではと半ば予想はしていた。連日連盟連絡網で役員、事務局のメール会話が飛び交う。正式通達はまだなのでここでお知らせすることは出来ないが、自粛期間延長は避けられないだろう。甲子園が中止なのに小学生の身を危険に晒すわけにもいかないし、世間体を慮(おもんぱか)るオトナ的忖度もあるだろう。上部組織川崎連盟と政府の意向を鑑みて様子伺い。日本の少年野球の他のブログをざっと咀嚼(そしゃく)しても、活動自粛延長が大勢を占めているようだった。
ひとつ決定されたのは、本日上部組織からの連絡により毎年恒例の「ライオンズ杯」は延期ではなく中止となったことである。夜、連盟から一報が入った。これは決定事項なのでここで公表してもいいだろう。活動自粛期間の連盟の判断にも拍車がかかるはずである。女子野球Queensはただでさえ年間大会数が少ないのに、残念なことである。

晴れて、子どもたちに思い切り野球をやらせてあげたり、元気に学校に通わせたり出来る日はいつなのだろうか。先が見えないことが1番のストレスな今日この頃なんであった。
※文中、フェイクではないと判断した報道を要約した文章以外に、個人的見解も含まれます。

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2020年3月8日日曜日

有馬の中心で快哉を叫ぶ

ふっ.....
ムフッ....
ムフフフふ.....
んがーーーーーーーー!(笑)

ほぼほぼ、記念誌が完成したんである。この土日で最後の表紙と裏表紙のデザイン制作を終えたのだった。いやはや長かった。フレンズ30th、連盟20th(一部)、Queens10thに続き4冊目だけに、余計に力が入り、過去の二番煎じにしてはならず、新しいデザインを模索しつつのフレンズ40th記念誌。筆者の悪いクセは足し算を一気にしてしまうんである。その後引き算を試み、贅肉を削ぎ落としブラッシュアップして完成形にするわけで。ところが思い入れが強いと、引き算が出来ない時がある。詰め込みすぎは自分自身よーく分かっているのだが、あとからの削除割愛に罪悪感を感じちゃうカラダになってしまったのであった。写真はおろか、文章に至っては書いたのちに不要部分をバッサリ一行削除した後、事もあろうに二行書き加えたりしちゃうんである。「晴耕雨読」の1ページと最後の「編集後記」では5,6回は推敲(すいこう)しただろうか。記念誌は本文70ページにコンパクトにまとめたつもりだが、もし「晴耕雨読」と「編集後記」を際限なく書いていたら、この二つだけで70ページ分書いていたに違いない。
写真は最後の校正のためにA3で出力した全ページの紙データ。

表紙は色校も兼ねて写真用紙で出力した。本番の印刷では光沢アリの分厚い用紙を選んでいる。全体はまだ公開できない。今週印刷会社に発注したのち、フレンズLINEには公表するつもりである。そののちこのブログでも公開予定。

昨年から記念誌をやり始めて、実行委員会資料も含めて記念誌資料がどっさり積み重なった。サイドテーブルは普段は仕事の図面資料が山積みなんであるが、記念誌の資料がそれを凌駕して余りある。過去の手持ちの写真、寄稿文の原文原稿、20数年間の「成績表」と「フレンズ名簿」、印刷の紙サンプル帳、フレンズ30th、連盟、Queens、レッパ、花フラ、川少連の30thたまなみ、練馬の強豪シニアチームなどの参考記念誌群、etc。模倣にならないように気をつけた。

あまりに乱雑になったので途中から過去の「成績表」と「フレンズ名簿」はアクリケースの上に避難させた。他の資料に侵食されそうになったためである。写真の1996年の成績表は当時の父のリーダーだったIigaiさんやスコアラーのOchiaiさんらが中心になって作ったもので、筆者はもらう側だった。Iigai父はもう代表とKumadaさんと筆者しか知る人がいない。当時のフレンズを支えてくれた父であった。息子と一緒に現フレンズのItohくんも表紙に収まっている。まさかこの十数年後自分が作る側になるとはつゆ知らず。Iigaiさんはプロカメラマンで、試合が終わると写真をすぐに現像プリントして皆に配っていた。(当時まだデジカメはなかった)サンダースTakahashiさんもそうだった。Iigaiさんは更に写真を駆使して「フレンズ通信」というA4サイズ一枚の新聞を作って翌週チームに配っていたんである。卒団の時に彼に言われた。「俺はもう卒団しちゃうけど、TeshimaさんはまだKanako(妹)がいるから。だからこの「フレンズ通信」はTeshimaさんに引き継いで欲しいなあ」と。筆者は「ムリムリ」とムリクリ断ったのだけれど、図(はか)らずもこれも十数年後この少年野球「晴耕雨読」BLOGとなって結果的に意志を継承したカタチとなった。実は筆者、小学生の頃は新聞部長でクラスや学校の話題を取り上げて、壁新聞を手作りしていたんである。
Iigaiさんは今回の40th式典では出席がままならず、代わりにご祝儀を頂いたのだった。息子の主将だったTakumiくんは、仕事でタイに渡り今は結婚し、先日お孫さんが生まれたそうである。Iigai父とのショートメールのやり取りで知ったのだった。

さて、まだ記念誌は「ほぼほぼ完成」であって完全な「脱稿」ではない。現在記念誌委員会のTakahashi母を中心に最後の全体校正作業に入っている。編集後記にも書いたけれど、母たちには本当に感謝に耐えない。これを受領したのち、筆者は修正すべきところを修正し、VectorデータをPDFに変換、それを更に別アプリPhoshopで開いて所定の加工をして、文字化けのないように画像処理しもう一度PDFに変換し、やっとネットでWeb入稿となる。今週半ばには入稿が完了し発注となる。その日が脱肛...いや脱稿と言えようか。その後は納品を待つのみ。
ちなみに下に下りてしまい残念なのが「脱肛」であり、上にも昇る気分で爽快なのが「脱稿」である。
もう一丁ちなみに言えばスーパーカブのオーナーが集まってツーリングすることを「カブ主走会」と言う。思い切り走りたければ千葉県へ行く。そのココロは「暴走半島」

脱稿のその時は心の底からセカチュー、いや、有馬の中心で愛と快哉(かいさい)を叫びたい。
「ぬ、ぬ、ぬ、ぬおーーーーーー!!!」
終わったぞ〜〜っと。(^-^)
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2020年3月6日金曜日

新型コロナ「狂想曲」と「協奏曲」

日々雑感的新型コロナなんである。連日TV、新聞、ネットはほとんどこのことで埋め尽くされているわけで。脅威に対する危機感は日毎に募る一方、微かに頭のどこかで自分は大丈夫、と根拠のない自信も正直あったりして。これが宮前で感染者が出たりしたら、一気に戦々恐々の空気感に拍車がかかるのだろうけれど。

マスクをする人は数ヶ月前までは「風邪を引いた人」「ウィルス予防の人」「花粉症の人」「カッコつけてファッションでする人」「芸能人が変装する時」「ヤンキーファッションの必須アイテム」「コンビニ強盗が犯行に及ぶ際の小道具」と相場は決まっていたが、ここにきてプラス「新型ウィルス予防」と「新型ウィルス拡散防止」と「エチケット、マナー」でする人が激増したんである。筆者はマスクは全く興味がなかったけれど、今は外出する際は「エチケット、マナー」でかけるようにしている。マスクはずいぶん前に購入したセットがあったので、これ幸いと同時にしぶしぶ仕方なくかけている。このままマスク信奉が続くといつか将来、外でマスクを取るとあたかもパンツを脱いだような、恥辱感に苛まれるかもしれない。それにしてもあの黒いマスクは如何なものか。まるで映画「東京グール」を連想してしまう。

先日宮前少年野球連盟の通達メール。3/15まで活動自粛「要請」があった。宮前のみならず、全国の少年野球ブログをザックリ検索すると、ほとんどが同じ態勢をとって活動自粛期間に入っているようだ。フレンズも例外ではない。自粛期間中の毎日の自主練メニューがLINEグループに入ったけれど、老婆心ながら内容は高学年と低学年とで分けるべきだろうと思ったのだが、「ジジイのタワゴト」と解釈されかねないので、提言するのはやめた。しかしこの長期間自主練メニューをチームに課すことは、ナイスなアイディアであり素晴らしいことだ。野球抜きにしても、学校休校、ただでさえ閉塞感漂う子どもたちにはエネルギー発散の機会を与えることになると言う、そんな大きく見た付加価値があるわけで。大局的見地ってヤツである。

休校である。筆者のマンションはバス通りに面しており、普段は朝元気にわんわん登校する子どもたちを眼下に見下ろしつつ、仕事の為にMacを起動するのが常である。西有馬小は4日から実施のようだった。前日までは子らが賑やかに行き交っていた舗道も、4日朝はしんと静まり返って実に静かだった。クルマの往来も極端に減ったように思う。
今日(5日朝)いつものように起床し、アイコスを吸いながらぼんやり窓外を睥睨。懸念されている学童保育に行くのであろうか、数人の子がパラパラと西有馬小へ向かっていた。その中で一人の子がマスクをせずにトボトボ歩いていたんである。すると後方から猛ダッシュでママチャリに乗ったお母さんとおぼしき女性が迫ってきたのだった。まるで箱根駅伝の選手に伴走しようと追いついた大学スタッフみたいに。交差点でやっと追いつくと一声かけてその子にマスクを手渡したのだった。窓越しで会話までは聞こえなかったけれど、おそらく彼女はこう言ったに違いない。以下これは筆者の「個人的見解」である。

「ごめ〜ん、マスクを持たせるの忘れちゃった。はいこれ。ちゃんとマスクして学校行くんだよ。ママ、これからお仕事だけどいい子しててね」

....そのあと彼女は更に加速して鷺沼駅方向へ坂道を登って行ったのだった。
仕事を持つ母親(特にシングルマザー)には本当に厳しい今の新コロナの日本である。連日マスコミで喧伝されている通り。どんな家庭環境かどうかは筆者には知る由も無いが、十数秒のこの光景を垣間見て、ナニカ少し俺も頑張ろうと思ったのだった。「勇気をもらった」なんて言えばちょっぴり気恥ずかしいけれど。

転じて。先日安倍首相が政府の責任において「正規、非正規問わずバックアップする」と宣言したことはみなさんご存知。「非正規社員」は昔のパートタイマーと違ってかなり手厚く保護されるようになった。社会保険などや残業代などが代表例である。しかし思った。筆者のようなフリーランサー=自営業は対象外。会社のバックアップがなく個人で国民年金保険料を支払っているから、それに見合う年金支給額もスズメの涙程度。おそらく年配の会社員には信じられないくらいの。社会的弱者と言ってはもちろん論外だけれど、もう少し公平な判断をして欲しいものである。こっちだってちゃんと国民年金も税金も納めているんだから。今日たまたまそんなフリーランサーの苦悩を取材したTV番組があったので、思わず書いてみた次第である。

今日は新型コロナウィルスによる日本列島の「狂想曲」を徒然(つれづれ)なるままに書いた。
日本人皆がココロをひとつにして、昨今報道されているような横浜の醜悪なマスクを巡る傍若無人な蛮行に至らず、そりゃあ自分や家族が一番大事だけれど、同時に隣人にも心優しく、人の立場になって行動し頑張ろう。

「狂想曲」が「協奏曲」になる日を願って。

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