2019年11月5日火曜日

再会と再開

何週間ぶりだろうか。ふむ、たった二週間ぶりか、或いは2年ぶりだろうか。まだ立ち直っていないけれど、今日の新人戦を取材した以上は書かねばなんである。
しかしながら今日は夜遅いので、ダイジェスト写真のみで。

新人戦開幕であった。優勝旗返還は新生フレンズ諸君。

今日の目玉はそう、Queens出身のRinaが来年から晴れて女子プロ野球選手になることで、宮前に堂々の凱旋、堂々の挨拶である。
かつての指導者MUrataさんとかつてQ姫だった選手。

こちらは現在の上司Jinushiさんと部下まゆゆことYakadaさん。あるいは先輩と後輩。
今回のRinaの記事は宮前タウンニュースは今週金曜日に掲載予定である。

これこそ間違いなく偉大な先輩と今のQueens後輩姫たち。

記念の始球式。現在の日大野球部でも投手である。シュッとしたスタイルはいかにも俊敏なアスリートを想起させるものであった。

そして今の素敵な父母と娘。Yanagiファミリーである。Yanagiさんは今でも連盟副事務局で、大会のアナウンスでもみなさんお馴染みである。

とりあえず、今日はこれくらいでご勘弁を。
Gジュニアや今回の新人戦初日に触発されて、グランドに立てば気持ち的に少し前向きになれた。やることが一杯ありすぎて、フレンズのグランドにもまともに行ける機会がめっきり減った。私的にはブログ一時休止以前と変わらないし、いやむしろあれから腰痛と坐骨神経痛が併発し、正常な歩行が出来ずに困難が倍増しちゃっている状況なんであるが、このまま「晴耕雨読」から離れていると、怠惰な蜜壺に溺れる快感がある反面、むしろ不健康な空気がまとわりつく自分がいるのに気づいたのだった。

続きの新人戦その他ブログは今週中アップ...できるかな。なんである。
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2019年10月22日火曜日

ちょっとお休み

そんな大袈裟なものではないけれど、しばらく当ブログは休筆としたいのであった。
決してやめちゃうわけではない。このところ仕事量はそこそこながら、記念誌が遅々として進まず、ブログを書く時間の夜になるとゲンナリしちゃって思うに任せず。更にこの時期はフレンズの成績表作成などの大任が待ち受けており、どーにも暗鬱とする毎日なんである。このところ週末グランドへも足が遠のいている。毎週火曜日締め切りの仕事に追われて、勢い土日は仕事になっちゃうわけで。公私ともにアレもコレもやらなきゃいけない項目が、常に頭の中で混沌とした渦を巻いていて、それでいて何ひとつ完遂していないから困ったものである。

来年のフレンズ40th式典、記念誌発刊の暁には、ひとつのケジメとして、ある程度自分を解放することを心で企図してもいる。様々な要因も絡んで、それは今年の早い時期から考えていることであった。

宮前少年野球川崎大会や先日のラグビーW杯など書くネタはあれど、今はモチベーションがついて来ない毎日なんである。
更に昨日広島の身内に不幸があり、そんなこんなも手伝って、しばらく休筆とさせていただきたい。さほど長くない期間であろうけれど、トンネルの先に光明が見えてきたらまたの再開を。

それまでGood Luck!

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2019年10月12日土曜日

台風前夜

今は金曜夜なんである。関東台風上陸史上、最強と喧伝されている19号が明日の午後やって来るのだった。
このところ土日も仕事で記念誌データ作成が滞っており、スケジュール的な懸念に暗鬱とした日々を過ごしているところへ、今回の台風報道なんである。先の千葉に甚大な被害を及ぼした台風に匹敵あるいは上回ると言われている今回の報道に接し、ウチはマンションだから大丈夫と思う反面、ベランダの鉢植えや物干し竿が飛んで、他者に危害を加えてはならぬと、日中南北両サイドのベランダの置物をすっかり室内へしまい込み、ついでに掃除までしちゃったら、まことにベランダが綺麗になってしまった。各方面に影響を及ぼしている今回の台風だけれど、何よりもラグビー日本VSスコットランド開催の行方が気になる。台風一過日曜の横浜だから協会の判断は果たしていかに...。

台風といえば、今日気象庁が発表した談話の中の「狩野川台風」である。筆者が生まれた1958年に発生し死者行方不明1200名を出した台風。生まれた年だからこれを記憶してるわけがない。しかし筆者が小さい子供の頃、オヤジが玄関の扉に漫画のようなバッテン印の木を打ち付けて台風に備えていたことをオボロに記憶している。一家してまんじりともせず暴風の一夜を過ごした映像が今でも脳裏に鮮明にあるのだった。近年大人になってからあれは何だったのだろうかとググったら、1959年の伊勢湾台風か、1961年の室戸台風だったようだ。筆者はそれまで伊勢湾台風や室戸台風なんて、歴史上の遠い過去の有名な台風と思っていたが、幼児ながら体験していたことになる。何とも驚きであった。もちろん今回は狩野川台風に匹敵すると言っても、当時と今では防災の意識や建築的耐久性能が全く異なるので、一概には同じ土俵で語ることは出来ないけれど、用心するに越したことはない。千葉の人たちには本当に気の毒でならない。人として自分がその立場だったならばと、想像力を高めれば心が痛まないはずがない。今回用意周到にしてそれが杞憂に終わればそれでよしとすればいい。
ちなみに筆者の好きな小説の一冊に水上勉の「飢餓海峡」がある。これは1954年の洞爺丸台風に材を得て書き上げた名作であり映画化もされている。

さて、話は180度転換する。
先日仕事の合間を縫ってフレンズ帽子を新調した。グリーンスポーツで予約して購入。古いやつは褪色して汗染みが抜けなくなっていて、メッシュがヨレヨレでもう買い換えねばと思っていたのだった。畳と女房と帽子は新しい方が良い...などとSNSで発言すればこの時代、パワハラだのセクハラだのと糾弾されかねないが、それが何だっちゅうねん、世知辛い世の中、昔ながらの言葉も大事にしたいと切に希(ねが)うわけで。新旧二つのFキャップ。

さらにもう一つ買い換えの理由がある。40th記念誌の1ページにF帽子を使いたいと画策しているからである。筆者のオンボロ帽子では意にそぐわない訳で。後日横浜の近くのある公園へ行っていわゆるロケハンをしてきた。青々とした芝生に帽子を置いて写真を試し撮りしたかったんである。テスト的にその時かぶっていたHONDAのキャップを置いて撮ってみた。

ふむふむ、いい感じだ。ここの公園の芝生は記念誌作成当初から想定していた場所であった。ちなみに筆者の愛馬HONDAスーパーカブを購入の一年前にAmazonで買った帽子がこれ。

仕事部屋には帽子掛けポールがある。以前にもここで紹介したかもしれないけれど。連盟の白い帽子は、タバコ吸っていた頃は黄ばんでしまうことが最大の心配事であったが、今はアイコスに変えて、火は使わず煙が発生せず、タールがゼロなので全く黄変しないのである。一見して煙に見えるアレは実は水蒸気であり、壁のクロスもいまだに綺麗なままである。タバコ時代にはMacやTVをウェットティッシュで拭けば真っ黄色に汚れていたが、今は拍子抜けするほど黄ばみがないんである。

....。
さて最後にもう一つ。Queens広報から。
朗報、いや超朗報、素晴らしい快挙なんである。

本日Queens総監KoshimizuさんからQ連絡網に朗報が入った。
Qの3期生Rinaが今年何度かのプロテストを受けて、ついに合格、来年から晴れて女子プロ野球選手になる快挙との報に接したのである。
実に素敵なことである。
連盟事務局長SatohさんにもQ広報として連絡。すでに昨日本人親と電話で既知とのこと。連盟からもQからも何かお祝いを...。
3期生Rinaと言っても筆者は知らないのだが、宮前連盟大会開会式などでアナウンスを担当している副事務局のYanagiさんの娘さんと言えば他チームの方も得心するかも。
更にはQ第3期生と言えば、フレンズHarukaが在籍していた時代である。Harukaはまさに記録よりも記憶に残るQ姫の先駆者である。この時代にKoshimizuさんがQ監督を続投する決意をしたことでもQ歴史のエポックメイキングと言えようか。

宮前区から甲子園に行った選手は結構いるけれど、プロになった選手と言えば苦労を乗り越えて現ヤクルトで活躍している鷺沼ヤング出身の雄平が有名。フレンズ監督Itohくんや筆者の息子とも同期で、共に連合チームで戦った覚えがある。当時の連合監督はMatsuiさんであったか。Rinaは雄平以来の宮前からのプロ野球選手輩出ではないだろうか。女子プロ野球とは言えども、宮前から二人目のプロ野球選手誕生である。
Koshimizu総監の連絡網の最後には、「みんなで応援していきましょう」と締めてあった。
実にみんなで応援していきたい。少子化の波、少年少女野球人口の減少、様々な要因の中で実に晴れやかで素晴らしい快挙である。
頑張れ、Rina!
次回第一公園でオヤジYanagiさんに会った時、彼の巨体に、祝福のハグをしたいと思うのであった。
ちなみに筆者、明日も明後日も窓外の台風を横目に、図面仕事と記念誌制作に没頭する予定である。
※Queens10th記念誌でのRina3期生の写真を最後にどーぞ。
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2019年10月8日火曜日

昨日よりも明日へ

ネタは一週間以上経ってしまったけれど、世の中には3秒ルールというものがあるように、当ブログにも例外として一週間から1,2日経ってもすぐに拾い上げれば十分食せるものがあるのだった。それどころか、近年流行りの熟成肉というものがあるように、一週間以上寝かせることによって、より一層マイルドで味わい深いネタになったりする。
....か、どーかはかなり怪しいのであるが、なんとか29日の川少連初戦ブログなんである。諸事情により写真中心にて許されたし。

今年の川少連は30th記念大会、総勢1700名の選手が競い合う大会となって多くの球場に分かれたのだけれど、フレンズはAブロックにて(ラグビー風に言えばプールA、なんちゃって。にわかラグビーファンなんである)大師球場であった。川崎少年野球の聖地である。対戦は今年一度対戦した南河原リトルウィングス。

初回、2回と相手に点を取られて2:0。フレンズ慌てることはない、強豪ではあるけれどFが勝てる気がしてならなかったのだった。まだ十分時間はある。

ただ主砲Hideakiのバットからはこのところ快音が聞かれないのが気にかかる。火を噴くバットが彼の代名詞だが火を噴くどころか、梅雨時の風呂場のように湿りがちなバットなんである。杞憂に終われば良いのだが。2015年全国への切符を手にした時以来の、Yuiの目の覚めるようなホームランが脳裏によぎるわけで。

3裏Fは9番Haruyaがレフト線安打で出塁すると、トップバッターTsukasaのレフトオーバータイムリー二塁打で1点返し、さらにもう一点加点し2:2の同点と追いついた。

ところが喜びもつかの間、4回にはMLがすかさずまた一点勝ち越して3:2とされる展開に。いやはや接戦または僅差のゲームは想定していたが、3回に逆転まで行けなかったのが後々悔やまれるパターンか。
途中から雨がそぼ降る中Tsukasaが力投する。望遠で見ているとメガネが雨粒に覆われてかわいそうだった。ピッチャーライナーなどがきたら、視界が狭くて一瞬の判断が遅れて怪我しないだろうかと心配になる。他球場でも雨中戦となっているだろう。

安打数はML5本、Fは4本。1点ビハインドのまま迎えた最終回、Fは同点または逆転サヨナラの熱い思いを胸に攻撃するも安打が出ず。なんとか3塁まで走者を進めたが挟殺されて万事休す。

この結果が今のフレンズの実力かもしれない。「俺たちのチカラはこんなものじゃない。ここで立ち往生なんてしてる暇はない。もっと上を目指すんだ」と、筆者も思っていたのだったが。それはどこか自分を鼓舞するための方便であり、ジャビット優勝や宮前秋季準優勝の強いイメージが先行して、それはそれで誇りに思うけれど、反面、弱い部分に無意識に蓋をし、目を背けていたのかもしれないのだった。

と、思ってもあとの祭り。アフターフェスティバル。これで6年生は宮前公式戦は全て終了である。6年にもまだ若干の大会出場はあるけれど、公式にはこれからは新チームに移行することになるわけで。毎年のことであるが、この時期はどこも同じだけれど、チームの活動がバラバラになる。6年生は手持ち無沙汰になり、連合はもう一度召集され、5年以下は新人戦を控えて、オレンジも開催されている。
チームの過渡期。人心を掌握しひとつにまとめなければいけない、ある意味一番難しい時期なんである。長年少年野球をやっている筆者が言うのだから間違いない。ベテラン指導者なら誰でも理解できると思う。昨日の敗戦よりも明日の光。
....。
さて筆者的には常に頭を悩ませているのは、記念誌なんであった。おかげで頭髪は更に面白いように抜けて行き、帯状疱疹が再発し、喉にポリープが発見され、胃潰瘍で胃に穴があき、ギックリ腰と関節痛と捻挫と骨折が一度にやってきたかのようである。

ため息を吐きつつも自分を鼓舞し、明日になればなんとかなるさ的に、Macの電源を落とすのだった。
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