2019年12月27日金曜日

2019卒団式

2019年も押し迫った年末の27日、皆さまいかがお過ごしでしょうか、なんである。当ブログは月曜がアクセス数が多くなるんであるが、逆に減っちゃうのが盆暮れ正月なんである。おそらくいつもの日常と違う慌ただしい毎日で、それどころではないのだろうか。筆者は今年の仕事はカタがついたため、記念誌制作モードにシフトチェンジ、ローからセカンドへ日中から記念誌制作でエンジンをブリブリ回しているんである。ニッサンGT-Rゼロヨン加速のようなわけにはいかないのだったが。

さてそれはさておき、2019フレンズ卒団式である。結局写真は60数枚全部載せちゃう。一度は食べてみたい人気ラーメン店の「全部乗せ」¥1,200を、はるかに凌駕する具沢山なんである。最後なので背脂少なめ文章も写真も多め。時に100の言葉よりも1枚の写真が雄弁に語ることもあるわけで。モノは言いようである。

筆者の写真立てを含めて、更に5年以下母たち手作りの色紙を兼ねた密度の濃いアルバム冊子群。素晴らしいフレンズの世界遺産。


序盤の挨拶。来賓には例年の織田市議に更に今年は持田県議もいらした。

カンパーイ!

しばしご歓談を...。
するとどーだろう、「野球選手はご飯をいっぱい食べて大きくならねえとダメだぞう。ご飯を食べねえ悪い子はいねがーーー!」と秋田のナマハゲがドスの効いた低音で、チャーハンを大皿ごと持って子らの各テーブルを回ってきたのだった。おっといけねえ、ナマハゲのお面を被っているかと思いきや、素顔のAdachi父であった。(^-^)

フレンズ美女のツーショットNaoko&Emiko。更に卒団母に囲まれて鼻の下を3cmほど伸ばした代表。

毎年のことであるが、このあと恒例成績発表。これは年間の打率などの数字を讃えて表彰するフレンズ名物なんであるが、筆者は司会のために写真は撮れない。しかし、最後のNakamura母娘だけは撮れた。代表特別賞のSakiは実にサプライズであった。自分の体より大きいバッグをキョトンとして受け取る。OB美人母たちも駆けつけてくれた。


成績表が子らに配られて皆ガン見するわけで。「Teshimaコーチ!」とTsukasaに呼び出しを受けた。「これこれ、三塁打のとこ見てください」面目無い。早速誤植を発見されたのであった。ちなみにチーム戦績は74戦55勝18敗、勝率7割5分3厘。昨年新人戦から優勝4大会、準優勝2大会の久々の好成績であった。実に上出来である。
更にHideakiの個人成績は打率5割3分、83打点、本塁打15本。これだけでも凄いのだが更に長打率は特筆で7割0分3厘である。安打数のうち二塁打以上の長打を打つ確率が7割超えなんだから恐ろしい。

最近新しく入部した母にも挨拶をいただいた。早速このブログも読んでもらっているようで誠に嬉しい限りである。フレンズではKaneda顧問やAdachi父などがいつもブログのことを話題に振ってくれて、これも実に嬉しく楽しいことである。

はいこれまた各チームでも盛り上がりを見せるであろうDVD上映である。卒団の保護者はもとより、もらい泣きする他の母も続出なんであった。Queensは来年2月Fの周年式典前日に卒団式がある。Ueshimaさんの力作が今から楽しみである。暗がりでカメラのシャッターを切ると若干水を差すようで気が引けちゃうのだがご勘弁を。素晴らしいDVD上映であった。

暗転からの明転。更に客電をステージだけの照明に切り替える。
卒団生9名とその家族からの挨拶、一挙掲載。Anjuの女の子らしい号泣する姿にみな目を潤ませ、嗚咽をこらえる姿に会場中がシンとなる。Riku母もほとんどグランドには来れなかったが、この日はファッショナブルな装いで来てくれた。たどたどしい日本語にもRikuやチームへの愛情がこもっていた。





時は過ぎて後半戦。来季のFスタッフを総監Satohくんから紹介。筆者はなっちゃんにカメラを渡して撮ってもらったのだが、ここでも思わぬハプニングがあった。
来季新監督は現Itohに代わってこれまた選手OBのShohtaが就任の挨拶。
ちなみに筆者は来季、フレンズの広報部長(兼スコアラー)となって後進に道を譲る。後方から広報としてフレンズ全体をバックアップする立場になる。

背番号をShohta新監督から授与。10番主将はRairenである。コールされると会場はやんやの喝采。

新旧主将交代のパフォーマンス。会場からコールでハグを通り越して持ち上げるAkiと持ち上げられるRairen。

記念撮影。この後40thの実行委員会と記念誌チームの撮影も。これは前回書いたけれどピントが甘かった。40th記念誌のどこかのページに掲載予定である。

お開きとなった後の二次会では恒例の東有馬の鮨の名店、葵扇寿司へなだれ込むわけで。いつ来てもここの鮨は美味い。ちょっと早いが記念誌の葵扇寿司広告ページ。

ここでもサプライズあり笑いあり、大盛り上がりで夜は更けていくのであった。

それではまた。
今年もあと4日。年内もう一度くらいはブログアップできるかどうか、ビミョーである。
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2019年12月24日火曜日

2019卒団式・序章

今日月曜は昨日開催された6年生を送る会、いわゆる卒団式のブログのための写真選択に夜は忙殺された。約320枚の中から64枚をチョイス。これでもかなり多過ぎなのでブログ本番ではもっと割愛すべきか、あるいはいっそ全写真を掲載しちゃうか、そーこー迷っているうちにすでに日テレ「月曜から夜更かし」の時間が迫ってきた。仕事的には今日クライアントへ締め切りの最後の新潟案件の図面を送って、どーにか今年の先が見えてきたので、明日からは記念誌制作にシフトチェンジ出来そうであるけれど。卒団生母にはまだ式典まで、いや式典後も校正業務を頼まねばならないので、どーかフレンズのためにお願いしますなんである。あっ、ヤッベ、年賀状作成はまだ全く眼中になかった。

年内に卒団式ブログはアップせねばネバダではあるが、今日は64枚の中からほんの数枚だけダイジェスト版的、プロローグ的、プレオープン的、思わせぶり的、放置プレイ的、掴みはOK的、に放出しちゃうんである。

最後は集合写真。施設の人にカメラを渡して撮ってもらったのだが、若干ピントが甘かった。これは筆者のカメラを手渡した際の説明指導力不足である。
来年からはこのオンワード研究所大宴会場は使えないかもしれないんである。ここを同じく卒団式会場としているフォルコンズと共に来年は流浪の民となり、新たな安住の地を求めて来年の5年生母たちは暗中模索、右往左往、東奔西走せねばならないのは火を見るよりも明らかなんである。そーゆー意味でも今年の卒団生および保護者は幸せである。

有馬鮨の名店、葵扇鮨での二次会。
今年も実に充実した卒団式の一日であった。本編ブログはまたいずれ。

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2019年12月21日土曜日

Goodbye Yellow Brick Road

さてここ1ヶ月ほどは卒団式に向けての、様々なフレンズ仕事に忙殺されて、記念誌は記念誌チーム母たちが夜なべして作ってくれた、広告ページを中心に編集する毎日であった。明日は39期生の卒団式。終わればまた記念誌仕事に埋没せねばならない毎日が待っている。後半ページはまだ手付かずで、年末年始はその巨大な壁が目の前に立ちふさがっており、足元には魑魅魍魎の棲む暗渠がぽっかりと口を開けているのだった。

これに加えてブログで何度か書いているけれど、数ヶ月前から皮膚科に通い、更に坐骨神経痛(腰椎狭窄症)で週2で整形外科に通い、更に追い打ちをかけるように一昨日義歯の歯がポロリ欠けて歯科へも行くハメになった。ポロリがあって嬉しいのは芸能人水泳大会であり、ポロリがあって悲しいのは歯が欠けた時と昔から相場が決まっているのである。

話は違うけれど、オリンピックなんである。ネットで応募しようしようと焦りながらも日々の些事にかまけてついに応募すらできなかった。来年店頭販売にかけるしかないんであるが、長蛇の列はイヤである。ああどーしよーか。マラソンを街頭で観ようかと思ったけれど急転直下札幌へ変更だし。
それでもスポーツ、オリンピックを抜きにしても新国立競技場なんである。かつてサッカーの聖地と呼ばれていたこともあり、大いに関心があるわけで。建築業界の端くれとして建造物としての新国立競技場にぜひ行ってみたいんである。無料で散策できる外部の回廊もあるのでスポーツ観戦抜きでも行こうと思うのであった。

さてそんなこんなの多忙の毎日、ブログ更新が以前と比べて極端にスローペース。それでもどーにかこーにか、コニカミノルタ。にっちもさっちもどーにもブルドッグ。晩秋から初冬の日々、周辺を徘徊すれば有馬名物銀杏並木を目にするわけで。事あるごとに銀杏の風景を撮ってみた。ここ1ヶ月ほどの写真である。

家の前の銀杏並木は先日最盛期の見頃を迎えた。春の桜のピンクの圧巻には劣るかもしれないが、このイエローの銀杏も実に素敵な眺めである。

昔話である。(※以前もここで書いたかもしれない)
中学三年生の受験を控えた三学期の冬。音楽の授業では通常の授業を行わず、高橋先生の粋な計らいで、各自受験勉強をして良い自習となった。時計台のある校舎の一番高い階の音楽教室で皆黙々と勉学に励んだのだった。先生は事前に各自好きなレコードを持ち寄ってレコードプレイヤーで流していいぞと提案。その時筆者が学校へ持って行った数少ないレコードはビートルズとエルトン・ジョン。

山形3年9組の冬の記憶の断片。エルトン・ジョンのシングル盤レコードに針を落とす。
「Goodbye Yellow Brick Road」
さよなら黄色いレンガ路。毎年この銀杏の黄色い路を見るたびに、あの頃の郷愁に包まれるのであった。

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2019年12月15日日曜日

神はディテールに宿る

さて、そーなんである。
フレンズ創立40周年記念式典まであと一ヶ月半となった。年末年始を鑑みれば正味一ヶ月だろう。来年2020年2月2日。みなさまどーぞよろしくお願い致しまするなんである。Satoh総監が委員長を務め実行委員会を立ち上げて、あっという間の今年であった。記念誌チームも母たちの艱難辛苦を乗り越え、粉骨砕身の努力、獅子奮迅の活躍で、テキストデータ作成や広告制作などの仕事はやってもらい、あとは筆者がデザイン原稿を作るわけであるが、散々ここで書いて来た通り、様々な理由で遅々として進まない現実が目の前に横たわっているのだった。おっといけねえ、これは編集後記で書く話ではないか、自主規制せねば。記念誌は式典の模様も盛り込むため、式典終了後も編集作業は続き後日発送の計画とはいえ、なるべく早く作成しなきゃわけで連日日中の本業仕事が終わると、夜はムリクリモチベーションを高めてMacと格闘する毎日であった。来年はフレンズではなく宮前連盟広報として連盟30周年記念誌に携わる任命を帯びてもいる。

さて、そーなんである。
今日は今年最後の実行委員会を開催し、午後は40thに関する父母会、フレンズ恒例カレー大会、親子野球大会レクリエーションである。Yanagisawa代表はヤング恒例ゴルフ大会へ。そー言えば筆者がフレンズへ入った23年前のこの時期は、監督・コーチ・父、要するに男たちが毎月千円か二千円を積み立てて、年末には箱根へ野郎だけの一泊温泉旅行へ行ったものだった。当時はSatoh総監は中学生、Itoh監督は現役小学生選手だった頃の話である。
午前はアリーノで式典中心の打合を綿密に行い、午後は有馬小へ。今年は南部リーグAB共にワンツーフィニッシュ、ダブル優勝を飾ることができた。その表彰を簡易的に。Aは過日閉会式で終わっているが、Bの表彰である。カレーを作って来てくれた母やOB母へ感謝の挨拶。
筆者はカレーを堪能し諸方面との様々な打合をしてのち、早めに帰宅。「笑点」を横目で観ながら、卒団式で贈る6年生の写真立てを作成。9名分の原稿は数日間かけて構成し、すでに出力してあるので、今日は最後の額縁へのセッティング作業である。

さて、そーなんである。
記念式典や記念誌の内容はここでは詳らかにはできないけれど、少しでも盛り上げるためには小出しに出してもいいものもある。(※このブログでは繰り返しになるかもしれないけれど)記念誌のために作ったオリジナルロゴがある。昔のフレンズロゴやQueensロゴはイラストレーションというプロ専用アプリで作ったんであるが、これは筆者の本業のCAD設計ソフトで作ったものである。中学幾何学の基本が解っていないと描けない図形である。今年8月に制作。

普段仕事で描いている図面と違って難しいディテールもあるが、作り手にはそれもまた楽しいもの。フレンズブルー(濃紺)と祝福の赤とユニフォームのストライプを組み合わせる。ストライプの線幅とピッチ(間隔)の関係性は、極力本物のユニフォームのイメージに合わせた。「デザインの神様はディテールに宿る」とは、米国の建築家フランク・ロイド・ライトの名言である。「努力は君を裏切らない」に通底するような言葉。

作りながら閃くことってある。有馬とフレンズと周年記念の40th。これら全てを一枚岩になるよう、今風に言えば「ワンチーム」になるように「プラス」(+)を白抜きでプラスしデザインした。記念誌には要所要所に顔をのぞかせる予定である。

....
今年もあと少し。来週は筆者にとっては23回目(?)の6年生を送る会だ。少し骨休みをしたいと思う今日この頃なんであった。フレンズ来季スタッフの話はまたいつか。
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