2020年2月24日月曜日

球春と啓蟄

めっきり春めいた三連休最終日の今日、連盟主催の公式戦ではないとは言えども、グリーンスポーツ主催の公式冠大会が開催された。昔に比べ参加は10チームと縮少したけれど、プロ野球で言えばオープン戦的な位置付けであり、いよいよシーズン始動なんである。啓蟄(けいちつ)で虫たちが蠕動(ぜんどう)を始めるように、宮前の小さい虫たちが冬の地中の穴から春の陽光の元へ這い出てきたのだった。これが秋になればサナギから成虫になって大空へ羽ばたくわけである。
さて初戦はアリコVSフレンズ。これまで幾度となく対戦してきたNYサブウェイシリーズである。

昨年のItoh監督は若くして理事となり、その後を受け継いだ監督はShohta。これまたフレンズカラーとなったOB選手による監督なんである。B監督は歴任したけれどA監督としての公式戦デビューは今日が初日。とは言えまだまだ未熟、総監Satohが29番兼任となってサポートする今季Fなんである。

彼の背番号を見てOhmoriスコアラー本部長が大爆笑。「30番の数字、めっちゃちっちゃくねえか!?」見れば虫メガネでないと認識できないくらい30が小さく見えるのであった。アリコシートノッカー28番は、Qで昨年秋季活躍してくれたMinori父である。

さて前段が長くなったせいで試合はサクッと行きたい。初回表裏はAもFも互いに1得点で始まった。F先発は「眠れる獅子」はたまた「眠れるアジアの巨砲」Kohnoshin。


スコアラー席にはこの春から有馬中学生となる姫Anjuがいた。今のうちにスコアラーを勉強したいと志願して前線基地へ。ちなみにFスコアラー部で長年頑張ってもらっているMitsuyoさん。新監督Shohtaの母である。親子でベンチ入りするのは宮前でも他にあったと思うけれど、監督スコアラーの組み合わせはかなりレアケースなはず。

試合は混戦を極めるか?...というのはジョーダンである。人それぞれの予見は様々。筆者的冷静冷徹冷酷な見地から言えば、悔しいけれどほぼ想定内の内容だった。プロと違って少年野球は一年経てば去年とは別物。この冬Satoh総監を中心に指導陣は頑張ってきたことは間違いない。けれどやはり少年野球。試合経験、練習経験が浅い子も多く、打てない守れないが露呈した内容であった。多難な船出は覚悟の上。それでも中には大いに評価できる場面もあった。当「晴耕雨読」は彼らFを応援していきたい。長身Anjuから0番を受け継いだ小さい姫Satsukiが勇躍していた。試合は9-1でアリコに軍配。

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さて二戦目はヤングVSリトグリ。これに先立つ第一公園での開会式は、昨年グリーンカップで優勝したチームが担当のフレンズであった。筆者開会式には間に合わずのちに母に聞いたエピソード。司会のFのNakamuraオヤジ。開会式で「では昨年準優勝のリトルグリーンズ...」と言うべきところを、なんと「では昨年準優勝のリトルグリーモンスター...」と思わず口走ってしまったらしい。どんだけアイドル好きなんやねん。もっとも筆者ならばリトグリをエブリトと言ってしまいそうではあるが。

ヤングトップバッターは過日のホワイトデーには、女子からどんだけチョコをもらったのだろうかと思わせるほどのイケメンくんである。

Kurosu代表不在ながらIshikura監督率いるいつものヤングベンチメンバー。

リトグリ、いやグリーンズベンチも名物監督の元、ハツラツと躍動するLGナイン。

今季Q姫主将でもあるMeiは健気に控え選手として戦況を見つめる。最終秘密兵器として期待したい。

筆者は序盤で戦場を離脱。午後は40th記念誌のこの「晴耕雨読」ページのテキスト制作で文章をブラッシュアップ。ノートに書き殴った手書きの下書きは3ページ分、これをなんとか規定の範囲まで贅肉を削ぎ落とし1ページに凝縮して完成。あとは「編集後記」と全体の見直し、校正による修正作業、目次と表紙裏表紙のデザインを残すのみとなった。
少年野球は春を迎えたが、筆者にとっては春はまだ来ぬ。まだもう少し頑張ろう。
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2020年2月23日日曜日

Kanedaコーチへ感謝!

40th式典から2週間が経った今日日曜日、好天に恵まれた青い空を仰ぎ見ながら、愛車赤カブのアクセルをふかし路上を走ってみれば、暖かな風がヘルメットの中へ迷い込んでくる。フレンズの数人と記念誌などの打合のため、グランドへ向かったのだった。
そーだ、この時季梅が見ごろなはず、いや待てよ見頃はもう過ぎたかいな...。「梅は咲いたか桜はまだかいな」
筆者の自宅からすぐの所に「有馬梅公園」がある。ちょっと立ち寄ってみた。
少し満開は過ぎたふうであったけれど、目の保養には十分な咲き具合なのだった。

有馬小へ着くと子どもたちの「こんちは〜!」の挨拶が聞こえてくる。卒業生も来れる子は
練習に参加するわけで、今日も数人が元気に挨拶してくれた。Tsukasa父子がニッコリ
「Teshimaコーチこんちはっ」と。
Satoh総監のノックで青空に上がったボールをど真ん中に捉えてみる。遊び半分試しに撮ったのだが、横長長方形の対角線の交点、ほぼど真ん中にボールを捉えていた。

今日は何件かの打合をした後、代表ノックのキーパーを務めたりして久々にちょっとだけ体を動かすことも出来た。坐骨神経痛は式典後の翌月曜日、里村形成外科を無事卒業し、今の所再発はしていないわけで。完治まで4,5ヶ月かかっただろうか。そんな思いもあって春めいた暖かな空気とこの青空が愛おしくてたまらないのだった。
グランドへ来たもうひとつの理由はこれだった。式典ではKaneda顧問が欠席で「功労者表彰」には参加出来なかったんであるが、日を改めて今日グランドにてやるわけで。
ワラワラと全員が集合。この時点ではKanedaさん何のことか理解出来ていないに違いない。「え、何が始まるんだ?」みたいな怪訝な面持ちであった。

筆者のカメラは今日は350mmの望遠しかなかったので、距離を取りながら苦労して撮った。しかしそのドサクサで撮影モードがいつの間にやらエフェクトモードの「ミニチュア効果」のスイッチに切り替わっていた。帰宅して気が付いたんである。以下、偶然にも色合いとボカシが特殊なモードで撮った記念品贈呈の一場面である。

代表と並んで雨の日も風の日もフレンズを支えて来た大功労者Kanedaさん。記念誌の中で「フレンズレジェンド」と題する代表、Kaneda、筆者の座談会のページが4ページ分確保してある。それを読めばKanedaさんをリスペクトする理由が書いてある。このブログをご覧のみなさま、4月以降記念誌がお手元に届いたら、是非ページを繰っていただきたいと思う今日この頃である。

Nkamura父のリードで全員がKanedaさんへ。
「Kanedaコーチ、長年ありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願い致します!」

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2020年2月19日水曜日

「人物風土記」

さてフレンズ40th記念誌であった。式典終了後3月末頃には発送の予定を立てて現在追い込みに余念がない。発送が3末、逆算すれば、1週間前にはフレンズ宅に納品、印刷業者の納期は1週間、つまり発注は3月中旬でなければならぬ。それまでに原稿全アップ、校正、修正、最終微調整をせねばなんである。先日やっと式典特集ページ作成を終えて、現在実行委員長の挨拶ページ、当「晴耕雨読」特設ページ、編集後記、最終ページ、目次、そして最後の表紙と裏表紙のデザインがまだである。校正は母委員会に頼むので(校正とは私本人がやっては意味がないから、他者にやってもらわねばいけないのが大原則)、その分の余裕もみなければいけない。うーむやはり時間がないんであった。更に現在3月15日に向けて確定申告作成にて申告も深刻なんである。

さて先日ここで、式典の様子が記事になった東京新聞とタウンニュースの話を書いた。両記事ともに限られたスペースと字数の中で、その内容を余すところなく世に広めていただいたのである。そして更に文春砲2弾目みたいに、追い討ちをかけるように1週間後つまり先週の金曜には、Satoh実行委員長がなんとあのタウンニュース「人物風土記」に掲載されたんである。筆者のタウンニュース社への逆取材によれば、「人物風土記」は編集会議で人選を図るそうで、今回のSatohくんは式典の流れでの自然な選出だったらしい。宮前少年野球関連ではかつてはMatsui会長、故Kasaharaさん、昨年では女子プロ野球選手Rinaなどが記憶に新しい。(他にもあるかもしれないけれど)
ここに「人物風土記」Satoh実行委員長(フレンズ総監)の記事をアップする。
※出典 タウンニュース宮前版2020年2月14日号から

※文春砲の取材力はおろか、英ガーディアン紙、米ウォールストリートジャーナル紙、中国人民日報の取材網も一目置く当「晴耕雨読」取材陣の総力取材によって一部齟齬(そご)が判明したことがある。上記記事中武相高校時代に「主将」となっていたが、実際は「副将」だったらしい。なんてことはない。これは本日SatohくんとのLINEでの本人からの指摘、自己申告であった。

さて最後に一枚の写真。土曜に第一公園で撮ったQueensの一枚。
練習後Murata代表からの差し入れで幸せそうにMr.ドーナツを頬張るQ姫たちである。まるでピーチクパーチク電線に止まる可愛い冬の雀のように。

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