「医者の不養生」という言葉はほとんどの方がご存知だろう。
実はこれに続く言葉がある。「医者の不養生、教師の不勉強、大工の掘建て小屋」
その道のプロに限って案外と自分のことは無頓着なものだ、というほどの意味合いだろうか。筆者はこの業界で店舗デザインや商業施設の設計を生業とする身だ。時にグラフィックデザインやイラストの仕事もやっちゃう、悪く言えば器用貧乏。事務所兼自宅は先の言葉どおりボロいもので、リフォームしたのは遥か彼方の昔である。仕事部屋も実に雑然としたものだ。あわよくば小説家に転身し、文字通り「晴耕雨読」の夢の印税生活を送り、ボルサリーノと革のトランクケースを片手に船旅で世界一周といきたいけれど、100万光年かかっても無理だろう。
ん?、いけない、光年は距離を表す単位だからして、これは日本語が間違っていたぞ(^-^)
そんなワタクシでもこだわりたいモノはいくつかある。例えば革製品である。筆者ブランドには興味はなく、無名のノーブランドでも安くて良いモノが好きだ。ヴィトンやプラダもどうでもいい。但し店頭で見て良いと思ったモノがたまたまブランド物だったということは良くある話で。
40を目前にして会社を辞め独立、恵比寿に事務所を構えて最初に購入したのは携帯電話。次にボロくなった鞄を買い替えた。いろいろ探しまわった挙げ句に出逢ったのがTK、TakeoKikuchiであった。自分の感性にビビビッと来ちゃったわけで。そのバッグは十数年未だに現役で使っている。革の色、艶、鞣し方、どれをとっても筆者の好みに合致しちゃう。相当くたびれてきたが全然手放す気はない。TKは30代だった若造が持つにはいささか背伸びしているかと思えたけれど、惚れてしまったものはいたしかたない。英国伝統のダンディズムをベースに遊び心のモダニズムをアレンジしたデザインが大好きだ。TKのスーツにボルサリーノをかぶり、船長主催の船内パーティーに行ってみたいぞ。
さて先日財布を紛失した話は恥を忍んで自虐的に書いてしまった。「きっと見つかりますよ、有馬に悪い人はいないと信じて」と高知のコーチ・フレンズNishinakaオヤジに励ましのメールをもらったけれど、未だ警察からの電話でiPhoneの着信音が鳴ったためしはない。先日生きてゆくためのガソリン(=酒)を買おうとレジ前で懐から金を引っぱりだしたのは、銀行備え付けの紙封筒であった。恥ずかしいものだ。
そーだ、金はないけれど財布はいるのだった。米を買えないくらい貧乏でも茶碗は持っているではないか。
良い革製品は一生ものである。一生使うならば良いモノを選びたい。ネットでクリクリ上下スクロール、、ギャンギャン飛び回り検索する。
「おっ!これは」というのがあった。感性にビビビというやつだ。あっ、俺これ買っちゃうんだろうなとすぐに直感した。ヴィトンのように数万円はしないが、中学生のびりびりのマジックテープ財布のように数千円では買えない。「マジか、うぬぬ、ちょっと高え〜よ〜」奇しくも紛失した財布に入っていた現金とほぼ同額であった。
やおらブランドを見てみると......
TK。TakeoKikuchiであった。
50代になってやっとおまえもこれを持ってもいいぞと、TKが囁いているような気がした。
速攻、清水の舞台から全裸で飛び降りるくらいの気分で購入した。
もう死んでもなくさないぞ(^-^)/
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