2013年6月6日木曜日

「20秒の勇気」

誰にも言ってほしくない秘密であるが、筆者は多くの読者を欺(あざむ)くかのごとく、ブログを書いてない晩は、秘密裏にTSUTAYA Discasで借りたDVD映画を観ているんである。
ブログアップ出来ない理由はほぼ99%次の7項目のいずれかに該当する。

1=深夜まで、ずるんずるん映画を観ている。
2=深夜まで、ごんごん仕事をしている。
3=深夜まで、でろんでろん酒を飲んでいる。
4=深夜まで、むひむひアメトークを観ている。
5=深夜になっても、ブログネタが思いつかないでいる。
6=深夜を過ぎても、いつのまにかMacの前で居眠りブッこいている。
7=深夜を過ぎてもなお、今までの己の人生の来(こ)し方に答を見いだせないで悶々としている。

昨晩はマット・デイモン主演、スカーレット・ヨハンソン共演のヒューマンドラマ「幸せへのキセキ」を観た。
愛妻を病気で失った男が、問題を抱えた二人の子どもと共に、仕事を捨てて新天地で家族の絆の再生を目指す....という、映画の世界ではいかにも使い古されたありふれたストーリー....と思いきやなんである。
その実、あろうことか郊外に購入を決めたボロ家は、2年前に閉園された動物園が動物と飼育員スタッフまるごとついてきたんであった....。すでにこの映画を観た読者もおられよう。このタイトル画像で不満なのは息子の姿が入ってないことだ。筆者がデザイナーならスカヨハを削除してでも絶対彼を入れていたに違いない。

この映画は昨年あたりだったか、日曜のバラエティー番組の映画紹介コーナーでたまたま垣間見た時から観たいと思っていたんである。すかさず手元のケイタイにメモした覚えがある。当時はスカヨハの存在すら知らなかった。興味を持った理由は実は...「実話」体験に基づいたベンジャミン・ミーの小説が原作だったからだ。事実は小説よりも奇なり、なんである。今でもこの動物園は現存し営業していると、ラストのテロップに書いてあった。
1年に数回しかヒューマンドラマは観ないほうであるが、久々観るとやはりいいものだ。

良い映画や小説には、観賞後または読了したのちに、印象に残るセリフなり文章なりが脳裏に去来するものだ。「幸せへのキセキ」でのそれは「20秒の勇気」であった。
マット・デイモンの父が引きこもりで反抗期の息子に言う。
「いいか。男が女に愛を告白する時は、20秒間我慢しろ。20秒の間に思いのたけをぶつけるんだ。恥ずかしくても苦しくてもたった20秒の勇気を持つんだ。その結果恋が実ろうがフラれようが知ったこっちゃない。男なら冒険してみろ!」
(※実際の映画でのセリフの詳細は忘れた。映画のセリフはこの1/3くらいである。かなり筆者の思いのたけを込めて文章を加筆水増ししている)

歳を重ねてもなお、少年のココロは失いたくないと思う今日この頃なんである。

さて、もうひとつコトバの話。
この「幸せへのキセキ」のカタカナの「キセキ」はいったいどうしたものだろう。
一般的常識的普通的ヒトは「キセキ」はおそらく「奇跡」を想起するに違いない。実際劇中でも「奇跡」というセリフがあった。
しかしそれをなぜ敢えてカタカナの「キセキ」としたのか?それは「奇跡」と同時に家族の再生の「軌跡」をも感じ取って欲しいと思ったからではないのだろうか。
更にコトバを解析するならばだ。「幸せへのキセキ」が「幸せのキセキ」だったらどうだったか?「幸せのキセキ」なら100%「奇跡」だったはずだ。しかし邦題は違う。「幸せへのキセキ」と「へ」が入っているではないか。だから「軌跡」説もあながち間違っているとは言い難いはずだ。
筆者の穿(うが)った見方だろうか。

この映画は親子である親と子、そして親に愛情をもって育ててもらっている全世界の子どもたちにも観てほしい映画だ。
このブログは現役の野球少年少女の小学生も読んでいるらしいと風の便りに聞く。(※ゴメンネ、難しい漢字や言い回しが多くて(^-^)/)

キミたちは、親や保護者の大人の愛情で今そこに存在していることを忘れないでほしい。
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