2015年11月10日火曜日

じょりじょり

よく言われることのひとつに、「男が女の肉体的感覚を一生かかっても理解出来ないこと」の代表格は、「出産の痛み」なんである。筆者の娘が子どもを出産時に深夜の産院の待合室で待っていた時の絶叫や、筆者の息子の嫁さんが出産の時の話をあとで聞いた時の衝撃は今でも憶えている。また、フレンズ母たちの話などからも知識としては知っているつもりだ。だからほんの片鱗ではあるけれど、多少なりとも理解はしているものの、でもやはり、想像を絶するものであるに違いない。
以前のブログにも書いた覚えがあるけれど、女はカラダの痛点が少なく痛みに強いのだそうだ。もし男が出産を経験したのならば、男は痛みに耐えきれず気を失うか、死んじゃうらしい。(ナニかの本で読んだ)また、血を見ることに慣れている女に比べて、慣れていない男が自分の怪我での出血には、からっきし弱腰になるのだそうだ。これもナニかの小説で読んだのけれど、素人相手のケンカでは、ただ闇雲に殴りかかるのではなく、確実に鼻をヒットさせてまずは鼻血を出させるのがコツらしい。すると自分の血を見た相手の男はかなりの確立で戦意を喪失するんである。

反して「女が男の肉体的感覚を一生かかっても理解出来ないこと」はなんだろうか?
筆者は女ではないので分からないけれど、そのひとつとして確実なのは「ヒゲのじょりじょり感覚」ではないだろうか。ほとんどの(経験値によるが)既婚女性はその「じょりじょり感」は男による外的圧力で感じ取るものであろうが、自分の顔にヒゲがじょりじょり生えた感覚は一生理解出来ないであろう。
筆者は18で上京後学生でバイトしていた頃から口ひげをはやし、会社員になって1,2年は剃ったものの、その後はずっと今日までヒゲを絶やしたことがない。今でこそ男のファッションの一部として誰も彼も、猫も杓子もヒゲを伸ばしているけれど、当時はまず若造のヒゲなどは珍しかったんである。「若造のヒゲ」はそのまま「生意気なガキ」の代名詞だった。会社に対する反骨精神と、今にして思えば自分のちっぽけな青臭いダンディズムがそれを持続させたのだろう。

しかし当時は黒々だったそれも今は、頭髪とともに良く言えばロマンスグレー、しかし現実は白髪まじりの「限りなく白色に近いグレー」になっちゃったんであった。「限りなく透明に近いブルー」ならば字面(じづら)もカッコいいのだが。

さて、ここまでは久々の例のブログを更新出来ない「深夜の弁明」の序文なんである。
二週間前深夜の路上で精神的肉体的格闘を演じて、更に先日の土曜はQueens関連で「3区懇親会」のあと、カラオケに流れ帰宅は午前2時過ぎ。翌朝はカラダの中のアルコール分が抜けきらないうちに早朝6時起床し、宮前新人戦スコアラー。午後はQueens10周年記念誌のラフデザインのまとめ。今日月曜は朝から渋谷MODI(旧丸井)のテナント設計現場へ....。

ここ1,2週間もう眠いのなんのって、たまらんのであった。
なのでQueens懇親会ブログはまたの機会を伺いつつ、本日は寝ちゃうのである。

今日のブログはいったい何の話だったんだろうか?(^-^)
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