久々の飛行機の旅、大分別府への出張であった。その時のブログを書こうと思いつつすっかり失念し今日に至るわけで。
宮前区少年野球連盟的には秋季大会ブロックリーグが佳境に入りつつも、第一、第四公園への出撃は目下Queensのみでリーグ戦広報は参戦していない。今日日曜は第四へ行こうかと画策していたが、持病の腰痛が土曜晩にひょっこり顔を出し、AmazonPrimeの映画を観てから立ち上がるのもひと苦労、腰を地球の引力から引き剥がすのは並大抵の努力では無理だ。日曜は断念せざるを得ないのだった。土曜朝に公園の水道で口をゆすごうと腰をかがめた時に、突然腰骨が一本弾けてぶっ飛んだような衝撃を受け、その場に膝から崩れ落ちたんである。「ヤバイ!またか?」ヘルニアと双璧の腰痛の二大双璧、持病の脊柱管狭窄症が再発か...と一瞬思ったけれど、その衝撃とは裏腹にその後は少し腰が重い程度で済んだ。あの衝撃はなんだったのかと、今でも不思議である。その後のQueens練習ではフツーに守備とかできたんである。しかしその晩皇居の周りを腰に古タイヤを引いて走るランナーのように、腰が重くなりしんどくなってしまったのだった。
大分出張ブログの前に一個だけ少年野球的宮少連的話題を。金曜の宮前タウンニュースにヤングの川崎たまなみ大会三位入賞記事が掲載されていた。記事の画像をアップ。
さて本題の紀行文である。東京で筆者を高く買ってくれていたクライアントが今年2月に九州支店(福岡)に異動になった。彼が大分別府の老舗ホテルの改装計画で、筆者に図面仕事を発注、現場での打合現調となったんである。彼は福岡在住だけれど長期案件につき、別府にマンスリーマンションを借りてこれから現場で指揮を執るんである。
羽田から機中の人になると15分ほどで左手に夏の富士山が見えてきた。以前10数年ほど前、鹿児島へ出張が多かった時もこの富士山を機内から見下ろすのが楽しみだった。飛行機のチケットをネット予約する際は左の窓際にしちゃう。九州方面への飛行ルートは富士山の右手上空を通過するからである。逆に帰りの九州から東京へは富士山の左手を通過する。つまり往きは左側帰りは右側の席から見下ろせることになるんである。画像の飛行機エンジンが黄緑色なのはソラシドエアを利用したからだった。ソラシドエアは宮崎に本社がある九州発着中心の会社で、格安LCCと誤解されがちだがANA系列の立派な航空会社である。現場打合の時間を逆算するとこの便がベストだった。
さてちょっとブラックユーモア。東海道新幹線に乗り合わせた赤の他人の男二人が、席が隣同士になり意気投合し会話に興じていた。しばらくすると右手の窓に富士山が見えた。A氏「お、富士山ですねえ」B氏「富士山はいつみても素敵ですねえ」またしばらくしてA氏「ところでこの旅はどちらまでですか。私は大阪へ出張です」B氏「ああ、私は数年ぶり孫に会いに東京へ行くところです」....とんでもない矛盾である。ワカリマスネ?A氏B氏どちらが間違っているかは、先の飛行機の富士山ルートを考えると分かるはずである。飛行機と違って新幹線は常に富士山のどちらか一定方向側を通過するわけで...。
機は大分空港上空で旋回し始めた。滑走路へ進入するかと思えばまた上空へ上がり旋回を繰り返す。滑走路付近にモヤが立ち込めて危険なので、旋回しながら晴れるのを待つのだと機内アナウンス。出張が多い人には当たり前の「飛行機着陸あるある」なんであろうか。上から見れば滑走路は霞がかって半透明に見えており、大したモヤじゃないように思えたのだが。10回ほど旋回したのち意を決したように低空飛行になり滑走路へ。突然視界は真っ白で何も見えない。着陸を逡巡したのはそーゆーことかと思い知る。そしていきなり滑走路が見えたと思った瞬間、キュルキュルと着地し強烈なブレーキがかかることとなった。以前小説「月に雨降る」にも書いたけれど、嵐の鹿児島空港着地を思い出したのだった。羽田発が15分遅れて、さらに着陸で30分遅れ。クライアントにSMSで連絡し打合を1時間ずらしてもらった。
その後現地で綿密に打合をし、現場写真をiPhoneで数十枚撮って数時間。クライアントの彼は40歳前後。若いけれど仕事は細かく完璧で隙がなく、社内でも人望の厚い男である。おまけに185cmくらいの長身、マジで福山雅治似のチョーイケメンだ。一旦現場での仕事が終わってから一緒に晩飯を食うことになった。実に望むところであった。美味い酒と肴で仕事の話から個人的な打ち明け話まで多岐に渡り、いつしか夜は更けていくのだった。仕事関連の現場写真は守秘義務があるので掲載しない。
ほんの少し二日酔い気味ながら、翌朝は別府で1番古い老舗温泉「竹瓦温泉」へ。古建築を見るのは筆者の昔からの趣味である。ジブリ「千と千尋の神隠し」のモデルとなったかもしれない建築は日本と台湾に散在するが、ここはその一つらしい。実際の一番候補は愛媛の道後温泉らしいけれど。古式ゆかしい日本建築の美を現出させた古建築だった。内部は羽目板市松貼りの格(ごう)天井。外部では上下左右の屋根、軒庇(のきびさし)から互いにせめぎ合う垂木(たるき)の小口の白の美しさ。この白塗装は、垂木から雨の浸食を防ぐための塗装である。寺社仏閣の建築ではおなじみである。
飛行機の時間まで回るところは決めてあった。ここと海と別府タワーである。山形の内陸で生まれ育った筆者は海への憧れが常にある。頭を空っぽにして広大な海を眺めるのが好きなんである。近くの海浜公園へ。地球上に建設される建造物の床は常に地軸に対して直角、水平線に対して並行を保つことが絶対条件。その掟を破るのはピサの斜塔と、床が傾いている手抜き工事のマンションくらいである。堤防の手すりと海の水平線とがぴたりと一致する。当たり前だけれど。何をか言わんや、である。
別府タワーである。ご当地の建築を見て回るのは趣味であるが、タワー建築に上るのは初めて。ここは日本のタワー建築博士と言われる学者内藤さんが設計したそうだ。東京タワーや通天閣など日本の名だたるタワーを作ってきた人。この別府タワーは東京タワーの一年前に完成した。1957年、筆者の生まれる1年前であった。ちなみに東京タワーは昭和33年生まれ333メートルである。さらに筆者の誕生日が3月3日だったら面白かっただろーになあ。東京タワーとスーパーカブと筆者は同級生であった。別府タワーは一年先輩になる。そー思うと古びてガタのきたエレベーターや展望台のヒビが入ったガラスをセロテープで補修してあるところなど、昭和の匂いが満載で愛着が感じられた。写真は展望台からの眺め。
さて空港バスエアライナーで一路大分空港へ。帰りはJAL便である。先日偶然だがTV番組である女優(?)が、飛行機から眺める地表って地図や写真で見るものと全く同じで感動する、と言っていた。御意(ぎょい)なんである。空港から愛媛方面へ飛んで間もなく、佐田岬が見えてきた。わかりやすく言うと、愛媛の地図にある左に伸びた一番左端部にある岬である。GoogleMapで見たが全然判然としないのでMacのアプリ「Map」でみたら衛星画像が鮮明に写っていた。実際の飛行機から見た画像と一緒に掲載。
瀬戸内の小島を俯瞰(ふかん)しつつ、いつしか巨大な睡魔に襲われてチョー爆睡することは自明の理。なぜならば前夜の深酒もさることながら、加齢による日中の居眠りなしでは生きていけないカラダになってしまったカラダ。ふと気がつくともう東京だった。左手奥に東京ドームが見えてきた。やがてお台場のフジテレビ上空を通過したかと思えば、もう羽田だった。
クライアントからオファーがあった時、飛行機の手配や遠距離出張が若干面倒で、一旦断ろうとした時があったけれど、もうこの年齢で長距離出張はないだろうと思い大分まで行ったのだったが、今では彼に感謝したい。「彼」と言うのはクライアントに対して失礼な言い回しだけれど、筆者はむしろリスペクトしているんである。歳の離れた男でも逆に尊敬できる人はそう多くない。彼はその中の数少ない一人であった。カラッと晴れた大分から、ジメッと蒸し暑い東京に帰還したのだった。※この大分出張はちょうど1ヶ月前の6月30日である。もう少しでお蔵入りするとこであった。延命措置を講じて今日まで保存しておいて良かった(^-^)
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