コロナの毎日である。日本や世界の状況報道が、コロナに負けず劣らず蔓延する毎日である。過日政府からGW終了までの緊急事態宣言があったものの、本当にGW明けまでか?と半信半疑ではあった。楽観すればその通りかもしれないが、悲観もしくは達観すれば、もっと延長になる可能性も大、更にはもっと縛りのキツイ厳戒態勢のロックダウンすら視野に入れなければと、想像を巡らすのであった。
さて転じて、先日ここで披露した「STAY HOME SAVE WORLD」少年野球「晴耕雨読」的キャンペーンなんである。外出を控えて人との接触を避ければ、自ずと収束(終息)すると、各界評論家たちが異口同音に、口角泡を飛ばして唱える毎日。ちょっとその泡、スタジオ内で危険じゃね?なんて疑心暗鬼。
しかし自分だけは大丈夫、天気は良いし公園に行けば大勢が遊んでいるし...と思う気持ちはよーくわかる。正直言えば若干筆者もそうだ。幸い先週も今週も土日はクライアントからの仕事で家にこもってパソコンと蜜月状態。散歩がてら近くの公園へ行けば、相変わらず多くの親子や中高生などが遊んでいたし、それは責められない。政府は子どもや大人のメンタルケアのためにも、公園での運動や散歩やジョギングは否定しないとの見解がある。しかし東京では区によっては公園を立入禁止や遊具を閉鎖したりしている。是か否か見解の分かれるところであろう。いわゆる賛否両論。今日も(4/19日曜)14時まで仕事して、愛車カブで横浜方面の自然公園へ。筆者散歩しないとエコノミー症候群的症候群になりやすく、生きていけないので欠かせない。うららかな春の陽光を浴びつつじっくり散歩して帰宅。この巨大自然公園は好天とストレス発散のためか、大勢の散歩とジョギングで満杯だった。遊具などはないので子どもが少なく、みな無言で静かな散策を楽しんでいた。とは言え、筆者も含めてマスク着用で濃厚接触を避けるようにソーシャルディスタンス。帰宅後iTunesでSuperflyの4楽曲をDL購入し、それを聴きながら夕方まで仕事した。
そして笑点が始まる頃仕事を終えて、意を決してキャンペーンロゴ作成を決行したんである。
「STAY HOME SAVE WORLD」
よほどWORLDをJAPANと置き換えようかと思ったけれど、自分だけ助かれば良いとか、日本だけが回復すれば良いとかではダメなんである、世界が一丸一枚岩とならなければ。
精密な微調整などは行わず、直感だけで短時間に作成したキャンペーンロゴ。しばらくはこのブログの右横に貼り付けておきたい。みなさま、このロゴマークはよろしければどうぞコピペしてSNSで拡散していただきたい。新型コロナウィルスキャンペーンのYouTubeのピコ太郎や星野源やレディー・ガガみたいに。
このご時世でもテレワークなんて無理、恐怖に震えながら職業柄出勤せねばいけない、医療従事者、公務員、流通郵便関係、報道関係、建築現場、サービス業、スーパーコンビニ物販業、介護施設、幼稚園、etc...。日本でも医療従事者へのリスペクトを込めて、夜8時に感謝とその勇気を讃(たた)えて何かできることはないだろうかと思う。「今の日本はあなたたちの仕事でできている」そして何より休んでも収入が保証されテレワークできる大企業ではなく、上記のような出勤しなきゃいけない中小企業社員や個人で頑張っている人たちへの感謝と慰労の気持ちも込めて。
外出を控えれば、それはあなた自身を救うのと同時に、世界を救う。
これを完成したのち、瞬時に思った。筆者の悪いクセと言うべきか職業病と言うべきか、この青い家の五角形、なんか見たことあるなと....。
「家」を上下反転すれば野球のホームベースだった。宮前連盟の公式戦予定は先が見えず崩壊している。高円宮賜杯少年野球の全国大会も今年は中止が決まった。(つい先日神奈川県連盟Uchimuraさんから連盟に連絡あり)。川崎、いや日本、世界の少年野球の子どもたちチーム関係者に届けようと、すぐにリデザインしてみる。野球だけではなく思いは世界のスポーツ関係にも共通する。
子どもたちに早く大好きな野球をやらせてあげたいけれど、それにはまず、目の前の見えない敵に打ち勝つために、「STAY HOME」なんである。いつかは少年少女たちが、晴天のもと思い切り野球やスポーツができることを願って。
家のHOMEとホームベースのHOMEをリンクさせた。
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2020年4月19日日曜日
2020年4月15日水曜日
STAY HOME SAVE WORLD
「Stay at Home、Save the Earth」
ステイアットホーム、セイブジアース。不要不急の外出を避ければ、それが明日の地球を救う。
これは前回ブログ末尾で書いた筆者なりのオリジナルスローガン。東日本大震災時にも、ハートマークをモチーフにデザインしたものを宮前連盟ステッカーにして全チームに配布し、あの当時ヘルメットに貼って連盟一枚岩になって被災地を応援した。
今朝の朝刊を読んでいて目が釘付けに。ニューヨークでのロックダウンの光景と共に掲載されていたスローガンマーク。米国ではこんなキャンペーンロゴが流布されているとのこと。デザイン的には配色と全体のバランスがイマイチだが、そのコンセプトと精神性は賞賛に値する。
※出典:朝日新聞2020/04/15朝刊より
「STAY HOME SAVE LIVES」
家を出ず、命を救おう。
異口同音とはこのことだ。同じ志である。ならばこちらもシンプルに。
「STAY HOME SAVE EARTH」
要はそーゆーことなんである。命と地球は同義語であり、これを世界と言い換えても構わないわけで。ならば。
「STAY HOME SAVE WORLD」
見えない敵に勝つには、日本や諸外国、洋の東西を問わず、言わば人類が一枚岩となって立ち向かわなければいけない。こう言うキャンペーンを国が張っても多分ネットで叩かれるだろうか。何を呑気なことを、こんなことに金をかける余裕があれば、もっと医療関係に使え、などと。ならば新聞社とかあるいは民放連合や民間からこんなキャンペーンが出てきて欲しいものである。小さい民間ブログだけれどこの「晴耕雨読」からこれを発信したい。
「STAY HOME SAVE WORLD」
これに反していつの時代も、どーしても馬鹿な輩が洋の東西を問わず出て来るのには困ったもんだ。ドイツではコロナパーティーと称して若者たちが大勢集まりどんちゃん騒ぎ、世界中から大顰蹙を買ったことは記憶に新しい。日本でも先日、緊急事態宣言が発出される直前だったと思うけれど、閑散とした街頭を歩く若者をつかまえてインタビューした番組があった。当世風のいかにもオツムの弱そうなチャラい感満載の10代か20代の若者。
インタビュアーが訊く。
「不要不急の外出を控えてと要請が出てますが」
若者。
「いやー、やっぱ外、出たいっしょ!」
インタビュアーが更に訊く。
「新型コロナは怖くないんですか」
若者。
「いやー、ポカリ飲んでりゃ大丈夫っス!」
一瞬大笑いしてしまったが、これは若者ではなく馬鹿者であった。オメエが感染しても勝手にしろだが、オメエのせいで無症状のまま他人に感染させてしまうのがダメなんだよ。社会的規範に反して自分一人くらい良いだろうと奢った考えを持つ者が、自分一人だけじゃなく、何人もいると一枚岩になれないのだ。長年の少年野球に携わっていても同じ思いを抱くことがある。
こいつは堂々と顔出しOKでインタビューにニヤついて嬉々として応じていたが、もし筆者がこの子の親ならば、顔から火が出るほど恥ずかしく、こいつが帰ったら畳をはがして縁の下に穴を掘り、コンクリート詰めにして地中深く埋めてしまうだろう。
もう一点。
これもマスコミで言われているのかどーかは知らない。世界的に外出を控える、またはロックダウンで外出禁止となって久しいが、筆者はだいぶ前からこれに関して思うところがあった。車の往来が極端に減ったんである。自宅前の道路を毎日見ているけれど、人の往来と共にクルマも本当に減った。ならばCO2もかなり減っているのではないかと。しかも地球規模で。つまり地球に蔓延している人類の敵である新型コロナが、地球温暖化に歯止めを掛けて人類に貢献しちゃってるわけで。全くもって実に皮肉なことである。
そんな思いを胸にしまっていたのだが、先ほどスマホの「ナショナルジオグラフィック日本版」がLINEで届いた。読んでみたらなるほどである。
「コロナ死亡 大気汚染で悪化」
先の温暖化の話とは論点が違うけれど、この記事の要点はこうだ。
CO2で大気汚染されている国や地域に住む人間は、そうでない地域の人に比べて、コロナによる死亡率がダントツで違うとのこと。つまり恒常的に汚染された空気を吸っている人は肺にダメージがあり、従ってコロナ肺炎になり易く死に至る確率も高い。米国ハーバード大学教授の研究論文である。「汚染された空気を吸ってきた人がコロナにかかったら、ガソリンに火をつけるようなものだ」とのこと。米国内での大気汚染度とコロナ死亡率との関連に目を向けた結果だった。
ヘビースモーカーだった志村けんさんの死に加え、長年の愛煙家の筆者が言うのは説得力にかけるのだが、これを斜め読みして筆者がすぐ想起したのは、スモッグで前が見えないほどの空気汚染された近年の中国。まるで50年前の日本の小学校の職員室か、捜査会議で刑事たちで満員の会議室。そう、昔はタバコの煙が部屋中に蔓延して霞みがかったような光景が当たり前だった。それともう一発。CO2削減のパリ協定から勝手に脱退を表明した米国。自国ファーストの骨頂であるとの誹(そし)りは免れない。
いみじくもその2大国のコロナによる死亡率は突出しているわけで。
もう一度反芻したい。
「STAY HOME SAVE WORLD」
見えない敵に勝つには、日本や諸外国、洋の東西を問わず、言わば人類が一枚岩となって立ち向かわなければいけない。
と、筆者は思う。
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2020年4月14日火曜日
不要不急と扶養不休
それにしても新型コロナである。前回末尾にちょろりと書いたけれど、筆者のすぐ上の兄はパリ在住で、もう渡英渡仏して45年ほどになるんであるが、先日ウチの長兄のことでメールすることがあり、ついでにパリの現況を尋ねたのだった。周知のようにNYやロンドンなどと同じくパリもロックダウン、都市封鎖中である。パン一個買いに行くのでも外出許可証が必要とのこと。ゴーストタウンみたいだと返信があった。筆者は中国や日本が初期のコロナに感染し始めた頃、欧米諸外国は対岸の火事でアジア人に対する偏見も多数あったことを記憶している。当時印象的だったのは欧米ではマスクをするのは医療関係者か病気してる人と相場が決まっていて、予防や人に感染させないためのマスクという観念がない文化だと言うこと。イタリアだったかな?、日本人がマスクをしていると「この国から出て行け日本人め」と罵声を浴びせられたことがあった。ところがどうだろう、今や欧米もマスクを死に物狂いで買い求めている。
その如実な手のひら返しが兄貴のメールに端的に書いてあった。
「パリでは今マスクをしないと怯えた目でよけられる。以前はマスクをすると白い目で避けられたのに」
日本が世界的に見て感染数が圧倒的に少ないのは、検査数が極端に少ないせいであることは間違いない。今でもすぐそこに潜在的感染者が多々存在しているのは否めないわけで。しかし数字が小さいのはそれだけだろうか。日本人の美徳の一つである、真面目で清潔を重んじる国民性にもあるのではないか。我々には手洗いうがいマスク着用は当たり前な文化がある。時に度を越したバカみたいな潔癖症には笑っちゃうくらいに辟易するけれど。現代の子はそーいった親の元で育てられ、温室育ちになったせいで、抵抗力がなくなり抗菌力が低下しすぐに風邪引いちゃうと言われて久しい。昔の子は清濁合わせ飲み、少々のことでは負けなかったはずだと思うのは、筆者のような昭和なオヤジだけだろうか。昨今の少年野球指導にも通底する思いである。もちろん不幸にして持って生まれた特別な体質の方たちは別として。ハイリハイリハイリホー、「たくましく育って欲しい」と思うなら(by丸大ハム)、多少の必要悪も必要。今の時代、これも古い考え方か。もちろん今回のコロナに限っては話は別であるが。
兄貴とのメールのあと、今度はもう一人の兄貴とも同じ件でメールとLINE。こちらはマレーシア在住である。やはり厳戒の中大変な思いで日々を過ごしているようだった。
さてコロナ的暗い話ばかりでは面白くない。東日本大震災後サンドイッチマンが被災地を巡り、笑いを届けた。今俺たちに出来ることはないかと、勇気を持って行動を起こしたことは幼稚園児でも知っている。その前には今はまだ不謹慎ではないかとの逡巡と葛藤があったそうだ。それにあやかるわけではないけれど、死者も多数出ている中、不謹慎の謗(そし)りを免れないことを承知でちょっとコロナ用語で遊んでみることにした。※不快に思った方がいればゴメンなさい。ちょっとでも気晴らしになれたら。
筆者が言葉遊びが大好きなことはみなさんご存知、生後3ヶ月の乳児でも知っている。
コロナ報道以後、マスコミや政府や東京都や専門家会議や医療関係者などから、多くの横文字が横行した。そのほとんどは四字熟語に翻訳される。
「パンデミック」=世界的大流行。パンとは広い地域のことを意味するそうだ。パンドラの箱に由来すると思った筆者は早計だったか。
「クラスター」=集団感染。韓国の新興宗教での感染拡大は誰でも知っている。日本でも院内感染や老人養護施設などのクラスター報道ははもう珍しくない。
「オーバーシュート」=感染爆発。「感染爆発」はオーバーシュートだが、「新幹線大爆破」は高倉健主演の1970年代の映画である。
「ロックダウン」=都市封鎖。首都厳戒である。「戒厳令の夜」は五木寛之の小説である。首都は厳戒だが、生徒は外に出られず厳戒にもう限界。都知事はこのロックダウンを連発して物議を醸し、人心の混乱を招いた。しかしこれをロックダウンと言わずに、都市封鎖と連呼していたらもっとパニックになっただろう。横文字にすることでオブラートに包んだようなソフトな響きを伴う。曖昧なファジーな言葉が日本人は好きである。悪く言えば横文字を連発することで、相手を煙に巻き、あたかも自分が崇高なインテリジェンスを持っていることを誇示する場合にも使用されるのが横文字である。
「ソーシャルディスタンス」=対人距離確保。おやおや四字熟語から6文字に増えた。最近よく目にする用語である。その最たる現象が顕著なのがTV番組での演者の距離やテレワーク出演だ。スタジオでそれぞれ約2m離れて座っている姿は、生まれたばかりの子猫でも知っている。ソーシャルディスタンスは対人距離だが、星のディスタンスと愛のレジスタンスはジ・アルフィーなんである。
さて横文字のみならず、日本語四字熟語でも攻めてみた。
「医療崩壊」...医療従事者には本当に頭がさがる思い。大病院の院長ならばいざ知らず、自分の生活苦を顧みず、人の命を守るために危険を冒して働いている現場の医療関係者に敬意を。医療崩壊は目前、マスクや防護服の不足に対し充分に「衣料解放」して欲しい。
そして今でもよく言われる「不要不急」である。
不織布の使い捨てマスクだが、品不足でこれを洗って再利用する「不要復旧」
更にもう一発。同じくマスク不足で脚光を浴びてるのが布製のマスク。アベノマスクで「布用(ふよう)普及」となるか。
そして「不要不急」の極め付きは。
シングルマザーや一家の大黒柱で、このコロナのご時世でも一生懸命働かねば食べていけない人が多くいる。養うために仕事は休めない「扶養不休」
テレワーク出来る人は限られた業種によるわけで、家族を案じつつ恐怖に怯えながら懸命に現場へ行きで仕事をしなければいけない人が数多くいる。
これ、年末の住友生命主催「創作四字熟語」に応募しようかな。
最後は横文字で「晴耕雨読」的言葉遊び解釈を。
昔タワレコのCMで有名になったコピー。
「No Music、No Life」
直訳すれば「音楽がない、人生がない」だけれど、つまり意訳すれば「音楽のない人生なんてありえない」という意味である。某缶コーヒーCMで「世界は誰かの仕事でできている」に次ぐ、糸井重里を凌駕する名コピーライトであろうか。
これに準じてみた。
不要不休の外出を避ければ、それが明日の地球を救う。
いかがだろうか。
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その如実な手のひら返しが兄貴のメールに端的に書いてあった。
「パリでは今マスクをしないと怯えた目でよけられる。以前はマスクをすると白い目で避けられたのに」
日本が世界的に見て感染数が圧倒的に少ないのは、検査数が極端に少ないせいであることは間違いない。今でもすぐそこに潜在的感染者が多々存在しているのは否めないわけで。しかし数字が小さいのはそれだけだろうか。日本人の美徳の一つである、真面目で清潔を重んじる国民性にもあるのではないか。我々には手洗いうがいマスク着用は当たり前な文化がある。時に度を越したバカみたいな潔癖症には笑っちゃうくらいに辟易するけれど。現代の子はそーいった親の元で育てられ、温室育ちになったせいで、抵抗力がなくなり抗菌力が低下しすぐに風邪引いちゃうと言われて久しい。昔の子は清濁合わせ飲み、少々のことでは負けなかったはずだと思うのは、筆者のような昭和なオヤジだけだろうか。昨今の少年野球指導にも通底する思いである。もちろん不幸にして持って生まれた特別な体質の方たちは別として。ハイリハイリハイリホー、「たくましく育って欲しい」と思うなら(by丸大ハム)、多少の必要悪も必要。今の時代、これも古い考え方か。もちろん今回のコロナに限っては話は別であるが。
兄貴とのメールのあと、今度はもう一人の兄貴とも同じ件でメールとLINE。こちらはマレーシア在住である。やはり厳戒の中大変な思いで日々を過ごしているようだった。
さてコロナ的暗い話ばかりでは面白くない。東日本大震災後サンドイッチマンが被災地を巡り、笑いを届けた。今俺たちに出来ることはないかと、勇気を持って行動を起こしたことは幼稚園児でも知っている。その前には今はまだ不謹慎ではないかとの逡巡と葛藤があったそうだ。それにあやかるわけではないけれど、死者も多数出ている中、不謹慎の謗(そし)りを免れないことを承知でちょっとコロナ用語で遊んでみることにした。※不快に思った方がいればゴメンなさい。ちょっとでも気晴らしになれたら。
筆者が言葉遊びが大好きなことはみなさんご存知、生後3ヶ月の乳児でも知っている。
コロナ報道以後、マスコミや政府や東京都や専門家会議や医療関係者などから、多くの横文字が横行した。そのほとんどは四字熟語に翻訳される。
「パンデミック」=世界的大流行。パンとは広い地域のことを意味するそうだ。パンドラの箱に由来すると思った筆者は早計だったか。
「クラスター」=集団感染。韓国の新興宗教での感染拡大は誰でも知っている。日本でも院内感染や老人養護施設などのクラスター報道ははもう珍しくない。
「オーバーシュート」=感染爆発。「感染爆発」はオーバーシュートだが、「新幹線大爆破」は高倉健主演の1970年代の映画である。
「ロックダウン」=都市封鎖。首都厳戒である。「戒厳令の夜」は五木寛之の小説である。首都は厳戒だが、生徒は外に出られず厳戒にもう限界。都知事はこのロックダウンを連発して物議を醸し、人心の混乱を招いた。しかしこれをロックダウンと言わずに、都市封鎖と連呼していたらもっとパニックになっただろう。横文字にすることでオブラートに包んだようなソフトな響きを伴う。曖昧なファジーな言葉が日本人は好きである。悪く言えば横文字を連発することで、相手を煙に巻き、あたかも自分が崇高なインテリジェンスを持っていることを誇示する場合にも使用されるのが横文字である。
「ソーシャルディスタンス」=対人距離確保。おやおや四字熟語から6文字に増えた。最近よく目にする用語である。その最たる現象が顕著なのがTV番組での演者の距離やテレワーク出演だ。スタジオでそれぞれ約2m離れて座っている姿は、生まれたばかりの子猫でも知っている。ソーシャルディスタンスは対人距離だが、星のディスタンスと愛のレジスタンスはジ・アルフィーなんである。
さて横文字のみならず、日本語四字熟語でも攻めてみた。
「医療崩壊」...医療従事者には本当に頭がさがる思い。大病院の院長ならばいざ知らず、自分の生活苦を顧みず、人の命を守るために危険を冒して働いている現場の医療関係者に敬意を。医療崩壊は目前、マスクや防護服の不足に対し充分に「衣料解放」して欲しい。
そして今でもよく言われる「不要不急」である。
不織布の使い捨てマスクだが、品不足でこれを洗って再利用する「不要復旧」
更にもう一発。同じくマスク不足で脚光を浴びてるのが布製のマスク。アベノマスクで「布用(ふよう)普及」となるか。
そして「不要不急」の極め付きは。
シングルマザーや一家の大黒柱で、このコロナのご時世でも一生懸命働かねば食べていけない人が多くいる。養うために仕事は休めない「扶養不休」
テレワーク出来る人は限られた業種によるわけで、家族を案じつつ恐怖に怯えながら懸命に現場へ行きで仕事をしなければいけない人が数多くいる。
これ、年末の住友生命主催「創作四字熟語」に応募しようかな。
最後は横文字で「晴耕雨読」的言葉遊び解釈を。
昔タワレコのCMで有名になったコピー。
「No Music、No Life」
直訳すれば「音楽がない、人生がない」だけれど、つまり意訳すれば「音楽のない人生なんてありえない」という意味である。某缶コーヒーCMで「世界は誰かの仕事でできている」に次ぐ、糸井重里を凌駕する名コピーライトであろうか。
これに準じてみた。
「Stay at Home、Save the Earth」
ステイアットホーム、セイブジアース。不要不休の外出を避ければ、それが明日の地球を救う。
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2020年4月9日木曜日
「罪の轍」
コロナの影響もあってか2月あたりから暇だっだのだが、しかしおかげで3月中旬までのフレンズ記念誌制作に没頭することができた。その後コロナ報道が熱を帯び始め、クルーズ船、チャーター機、コロナ日本上陸、感染k拡大蔓延、猛威を振るう、etc...そして今とうとう非常事態宣言とまで来たことはみなさん周知の通り。おそらく今後世界史に残る「大事件」である。
記念誌は未だに来賓OBへの郵送はおろか、フレンズ関係者にすら手渡しされていない。情けないを通り越して、もはや絶望的ですらある。3月配付に向けて必死に頑張って作った努力は報われなかった。少年野球の世界で「努力は君を裏切らない」のは正論であるが、オトナの世界では「努力しても報われない」時もある。不条理である。子どもや青年はいつかその不条理に気づかされてオトナになって行くはずだ。しかし君たちは「努力しても報われない」からと言って「努力しても仕方ない」なんて思わないで欲しい。「努力しても報われないかもしれないが、それでも努力しなきゃいけない」時もあるのも「オトナの世界」だ。「男の世界」はチャールズ・ブロンソンで、「青年よ大志を抱け」はクラーク博士、「青年は荒野を目指す」は五木寛之なんである。
さて、本題。3月に記念誌脱稿し下旬には上梓(いや上梓はまだか)有馬の中心で快哉を叫んでからは、その開放感から貪るように映画を観てきた。少年野球ネタがなくなり、ブログ更新が緩くなったせいもある。ネットのTSUTAYAでDVD借りまくり、Amazonプライムで無料有料新旧取り混ぜて観て来ちゃったわけで。更にふと本が読みたくなった。筆者よく人に言われるのが「Tさんは普段たくさん本を読んでるんでしょうね」。はい、若い頃は確かに。でも50代になって読書ペースが愕然と落ちて今日に至る。好きな作家だけ、しかも空振りが嫌なのでピンポイントでしか読まなくなった。村上春樹だけは例外だけど。
先日どーゆーきっかけかは失念したが、奥田英朗(ひでお)の「罪の轍(わだち)」を購入。奥田英朗は筆者とほぼ同年代の直木賞作家で、昔一度ハマってからはほとんど読み尽くしたけれど、昨年出た「罪の轍」単行本を買ったんである。普段単行本はまず買わない。文庫本専門である。それでも奥田英朗の単行本を定価で買ったのだった。(ブックオフで中古本を探してもなかったから)
奥田英朗の伊良部三部作は笑える傑作でハマり、その後「最悪」「無理」「邪魔」の、どこにでもあるような地方都市の、日常のリアリティーの中に潜む不条理と恐怖を描いた内容は圧巻で、ハッピーエンドとは真逆の結末を迎える三部作である。「罪の轍」は東京オリンピック前回大会の前年1963年に実際起きた「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」に材を得た小説である。筆者はまだ幼稚園児でもちろん記憶にはないが、大人になってからそれとなくは知っていた。今にして思えば吉展ちゃんと、当時の奥田英朗と筆者もほぼ同い年だったことになる。
久々ドスンと読み応えのある小説であった。刑事が犯人を追うのと同時に、筆者も必死で活字を追う。その度に一字一句、文章の塊が喉元を通過して胸にずどんと落ちてくるあの感覚。これは小説好きや文章が好きな人なら理解できるだろう。分厚いページが残り少なくなって来た時のあの寂寞(せきばく)感、最後に本を閉じた時の耽溺(たんでき)した幸福感と達成感も然り。社会派ミステリを確立したのは松本清張だが、これは犯罪ミステリに当時の日本社会情勢の圧倒的リアリティーを散りばめた傑作である。
結末は悲しいけれど、事実を元に書いた小説ゆえ仕方ない。昨晩やっと読み終えたのだった。カバー表紙も琴線に触れるものがあり、見ると当時の本当の写真を借用したものだそうだ。カラーよりもよほど胸に迫るモノクロ写真だった。
微に入り細に渡って書けばまだあるけど、今日はここまで。
やっぱり映画と本はいいなぁ。
....
オマケ。
非常事態宣言である。今朝4/9ゴミ出しに外へ出たついでに鷺沼へ通じるバス通りの往来を撮った。
通常朝の通勤時はクルマや勤め人や子どもの往来がそこそこあり賑やかだけれど、今日はこの状況である。いつもならバスは満員で下手すると乗れないくらいなのに、5分10分おきくらいで行き来するバスはスッカスカで5,6人しか乗ってない。日中のバスを観察すればゼロ、もぬけの殻、カラッポのままゆっくり通過することも珍しくない毎日となった。
先日パリ在住の兄貴とメールする機会があった。それはまたいずれブログにて。下の写真はまるで、ロックダウンのエッフェル塔やシャンゼリゼを彷彿とさせるような絵である。兄貴は今パリは「ゴーストタウン」だと言っていた。
日本はパリやロンドン、NYのようにならないぞと思う反面、今のパリはTVで喧伝されているように、3週間後の東京だとの可能性も大いにある。いや、むしろその可能性が高いかもしれない。
じっと耐えて気長に頑張るしかない。甘いと言われようが、自分を律する精神を持ち、かつ自分だけではなく人のことも思いやる日本人の気質に期待したい。
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記念誌は未だに来賓OBへの郵送はおろか、フレンズ関係者にすら手渡しされていない。情けないを通り越して、もはや絶望的ですらある。3月配付に向けて必死に頑張って作った努力は報われなかった。少年野球の世界で「努力は君を裏切らない」のは正論であるが、オトナの世界では「努力しても報われない」時もある。不条理である。子どもや青年はいつかその不条理に気づかされてオトナになって行くはずだ。しかし君たちは「努力しても報われない」からと言って「努力しても仕方ない」なんて思わないで欲しい。「努力しても報われないかもしれないが、それでも努力しなきゃいけない」時もあるのも「オトナの世界」だ。「男の世界」はチャールズ・ブロンソンで、「青年よ大志を抱け」はクラーク博士、「青年は荒野を目指す」は五木寛之なんである。
さて、本題。3月に記念誌脱稿し下旬には上梓(いや上梓はまだか)有馬の中心で快哉を叫んでからは、その開放感から貪るように映画を観てきた。少年野球ネタがなくなり、ブログ更新が緩くなったせいもある。ネットのTSUTAYAでDVD借りまくり、Amazonプライムで無料有料新旧取り混ぜて観て来ちゃったわけで。更にふと本が読みたくなった。筆者よく人に言われるのが「Tさんは普段たくさん本を読んでるんでしょうね」。はい、若い頃は確かに。でも50代になって読書ペースが愕然と落ちて今日に至る。好きな作家だけ、しかも空振りが嫌なのでピンポイントでしか読まなくなった。村上春樹だけは例外だけど。
先日どーゆーきっかけかは失念したが、奥田英朗(ひでお)の「罪の轍(わだち)」を購入。奥田英朗は筆者とほぼ同年代の直木賞作家で、昔一度ハマってからはほとんど読み尽くしたけれど、昨年出た「罪の轍」単行本を買ったんである。普段単行本はまず買わない。文庫本専門である。それでも奥田英朗の単行本を定価で買ったのだった。(ブックオフで中古本を探してもなかったから)
奥田英朗の伊良部三部作は笑える傑作でハマり、その後「最悪」「無理」「邪魔」の、どこにでもあるような地方都市の、日常のリアリティーの中に潜む不条理と恐怖を描いた内容は圧巻で、ハッピーエンドとは真逆の結末を迎える三部作である。「罪の轍」は東京オリンピック前回大会の前年1963年に実際起きた「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」に材を得た小説である。筆者はまだ幼稚園児でもちろん記憶にはないが、大人になってからそれとなくは知っていた。今にして思えば吉展ちゃんと、当時の奥田英朗と筆者もほぼ同い年だったことになる。
久々ドスンと読み応えのある小説であった。刑事が犯人を追うのと同時に、筆者も必死で活字を追う。その度に一字一句、文章の塊が喉元を通過して胸にずどんと落ちてくるあの感覚。これは小説好きや文章が好きな人なら理解できるだろう。分厚いページが残り少なくなって来た時のあの寂寞(せきばく)感、最後に本を閉じた時の耽溺(たんでき)した幸福感と達成感も然り。社会派ミステリを確立したのは松本清張だが、これは犯罪ミステリに当時の日本社会情勢の圧倒的リアリティーを散りばめた傑作である。
結末は悲しいけれど、事実を元に書いた小説ゆえ仕方ない。昨晩やっと読み終えたのだった。カバー表紙も琴線に触れるものがあり、見ると当時の本当の写真を借用したものだそうだ。カラーよりもよほど胸に迫るモノクロ写真だった。
微に入り細に渡って書けばまだあるけど、今日はここまで。
やっぱり映画と本はいいなぁ。
....
オマケ。
非常事態宣言である。今朝4/9ゴミ出しに外へ出たついでに鷺沼へ通じるバス通りの往来を撮った。
通常朝の通勤時はクルマや勤め人や子どもの往来がそこそこあり賑やかだけれど、今日はこの状況である。いつもならバスは満員で下手すると乗れないくらいなのに、5分10分おきくらいで行き来するバスはスッカスカで5,6人しか乗ってない。日中のバスを観察すればゼロ、もぬけの殻、カラッポのままゆっくり通過することも珍しくない毎日となった。
先日パリ在住の兄貴とメールする機会があった。それはまたいずれブログにて。下の写真はまるで、ロックダウンのエッフェル塔やシャンゼリゼを彷彿とさせるような絵である。兄貴は今パリは「ゴーストタウン」だと言っていた。
日本はパリやロンドン、NYのようにならないぞと思う反面、今のパリはTVで喧伝されているように、3週間後の東京だとの可能性も大いにある。いや、むしろその可能性が高いかもしれない。
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2020年4月5日日曜日
人生悲喜こもごも
コロナに関しての思いはたくさんあれども、今回もコロナ関連は封印してのブログなんである。なぜならヤツについて書くと、先行き不安の暗い話にしかならないからである。野球ネタは枯渇して久しいけれど、野球で対戦チームに勝つ前に、今は、目の前に迫り来る見えない敵に人類が勝つことが先決である。
過日のブログで「Nishimuraさん、メールもらえたらフレンズ記念誌送っちゃう」と、書いたのをご記憶だろうか。数日後懐かしい文面でNishimuraさんからメールがあったのだった。Nishimuraさんとは連盟関係者、ウルフ関係者なら誰でも知っている、かつての副事務局長であり、連盟20th記念誌での鬼編集長であったたことは言うまでもない。
ある程度もう時効だから明かすけれど(連盟関係は既知)、氏は数年前宮前を離れて、静岡よりも遠くで、ザンビア共和国よりは近い、かの地方へ帰って行ったのだった。
※以下、氏の承諾を得てメール文を転載。ただし一部割愛、編集あるも、ほぼ原文ママ。
まずはNishimuraさんからのメール。
筆者からの返信。
Nishimura様
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過日のブログで「Nishimuraさん、メールもらえたらフレンズ記念誌送っちゃう」と、書いたのをご記憶だろうか。数日後懐かしい文面でNishimuraさんからメールがあったのだった。Nishimuraさんとは連盟関係者、ウルフ関係者なら誰でも知っている、かつての副事務局長であり、連盟20th記念誌での鬼編集長であったたことは言うまでもない。
ある程度もう時効だから明かすけれど(連盟関係は既知)、氏は数年前宮前を離れて、静岡よりも遠くで、ザンビア共和国よりは近い、かの地方へ帰って行ったのだった。
※以下、氏の承諾を得てメール文を転載。ただし一部割愛、編集あるも、ほぼ原文ママ。
まずはNishimuraさんからのメール。
Teshimaさん
ご無沙汰してます。
晴耕雨読、昨日読みました。
フレンズ40周年記念誌、完成したんですね!
Teshimaさんの、苦労を跳ね返す力と、その才能を享受したく是非送っていただけましたらありがたいです。
(中略)私の名前が久々に登場し、とても嬉しかったです^o^
ものすごーく楽しみに、記念誌の到着を待っています‼️
筆者からの返信。
Nishimura様
やっぱり「晴耕雨読」見てもらってたんですね。
ご連絡ありがとうございます。
いつもその後どうされているかと案じてましたが、
メール内容ではやはり大変な毎日のようで、ご苦労お察しします。
コロナ禍で世の中、どーにかなってしまいそうな毎日です。
連盟メール行ってるとは思いますが、今年はもう少年野球スケジュールは崩壊ですね。
式典は11月予定通りですが、記念大会は来年へ持ち越しです。
したがって多分連盟記念誌も来年発行となって、実は少しホッとしてます。
3月時点でまだ記念誌委員会はキックオフもしていないわけで。
メンバーはTsunodaさんリーダーにFujisawaさんらで予定してますが、
Nishimuraさんがいてくれたら、鬼編集長をまたぜひお願いしたいくらいです。
フレンズ記念誌、近日中に「郵送」します。
見てもらえたら分かりますが、ネット印刷のP印刷会社がまたチョンボして、
ページによって黒いフォントが版ズレを起こし、青黒くなったり文字が太くなったりと、
せっかくの苦労が台無しになりました。
多分Nishimuraさんだったら、印刷屋へ怒鳴り込んで、消火器を撒き散らしていると思います。
先方から印刷やり直しも提案されたんですが、フレンズの利益を考えて、ペナルティーで代金3割引で手を打ちました。
今になってやはり再印刷すべきだったと後悔してます。
こちらではコロナのせいで、納品から2週間経ってなお、まだ皆には正式配付してないので。
(中略)
更にまたこのコロナのご時世、くれぐれもご自愛下さい。
記念誌をお楽しみに。
Nishimuraさんから
Teshimaさん
記念誌とビーフジャーキー届きました。
私は酒のツマミ中で一番好きなものはビーフジャーキーです。
記念誌、素晴らしい出来栄えですね‼️
Teshimaさんの才能と苦労の集大成だと感じました。
版ズレの件は不運でしたが、素人さんでそこまで気がつく人は少数でしょう。
クリエイターとしては忸怩たるものがあると思いますが、全体が素晴らしいので良しとしましょう。
それと、「詰め込みすぎ感」と仰っていますが、写真は沢山あった方が載ってる人の数も多くなるので喜んでくれる人の数も多くなります。
デザイナーさんのデザインへのこだわりは良く分かりますが、一般人目線でみると、写真がいっぱい載ってて楽しさが良く伝わってくる作品になっていますよ。
クリエイティブディレクターが、台割・デザイン・コピーのすべてをやった方が、やはりより良い作品が生まれますね。
今回のフレンズ40周年記念誌をみて、つくづくそう感じました。
次は連盟30周年記念誌ですね。
これもまた大変だと思いますが、Teshimaさんの才能を思う存分発揮して下さい。
期待しています‼️
筆者から
Nishimuraさん
無事届いてよかった。
相変わらず褒め上手のNishimuraさん。
でも、
とのコメントには目からウロコがバラバラと100枚くらい落ちてきました。「写真は沢山あった方が載ってる人の数も多くなるので喜んでくれる人の数も多くなります」
まさに、そう言う思いを込めて作った次第です。
(中略)
今回のお互いのメールのやり取り文面をブログに転載してはマズイですか?
(中略)
なんともやるせない気持ちです。
返信、ありがとうございました。
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この後更に今日、Nishimuraさんから返信あり、ブログ転載を快諾の以下のメールで、ここに至ったんである。
Nishimuraさんから今日のメール。
(前略)(中略)
P.S.
広告会社を辞めてから、文章を書いたり読んだりする機会が、極端に減少し、ものすごーく書くのがヘタになったことを実感しています。
私が送った文面は、リライトしていただければ幸いです。
送って頂いたビーフジャーキーをしみじみと味わいながら、一合の酒を飲んでいるところでした。
2460
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コロナ禍が渦巻く昨今、旧交を温めるやり取りで少しほっと温かい気持ちになれたけれど、Nishimuraさんも筆者も、ここでは書けないけれど人生悲喜こもごもの毎日を懸命に過ごしているのだった。
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