活字中毒者のなれの果て...と言ってしまってはおこがましい。
真の活字中毒者はほとんどビョーキだからだ。小生はそう断言出来るほど自分に自信がない。しかしながら活字を見るとウットリ涎を垂らしながらつい読んでしまいたくなる。
活字中毒者というより小説中毒者といったほうが正解なのかも。
「1Q84」の村上春樹のことは去年書いた。
ハルキニストの末席に加えてもらえれば本望である。とにかく村上春樹が好きだ。村上春樹については小生なんぞには迂闊に書けないくらい奥深い。
本が溜まりすぎてBOOKOFFに持ち込んだことは何度かあるけど、村上春樹だけは手放せないで持っている。読む本に困窮すると昔買った本を再読するのだけれど、決まって読むのは村上春樹の「国境の南、太陽の西」。再再読読もう何度目だろうか。電車の行き帰り今も読んでいる。「1Q84」の「天吾と青豆」は、とりもなおさず「国境の南、太陽の西」の「僕と島本さん」の延長線にあったのだ。小学校の時に手をつないだ男女の気持ちのゆらぎを、シチュエーションとテーマを変えて筆を執ったもの。
小生も今と昔の自分にオーバーラップして行間に想いを走らせる。
たまらんですね。絶対こんな主人公にはなれないと思えば思うほど、その反動でこんな男になりたいという想いがつのる。
「全てを失ってもいいから今のキミといっしょにいたいと僕は思う」
....。
結婚以来、夫婦の誕生日にはお互いに自分で考えたプレゼントを買って贈るのが恒例だった。(ここ最近はないけどね^^)
以前ある年に配偶者が訊いてきた。「どうせなら欲しいものを言ってよ」
小生は本のブックカバーを所望した。安ものでいいけれど、出来れば布やビニルじゃなく革製品のやつをと。2,000円もあればいい。
配偶者が買ってきたのはブランド物の6,000円の黒革のブックカバー。
今となっては爪のあとが無数にくっきり刻まれた。爪痕の数だけ本を読んだことになる。
前回ブログの「現行ヘルメット」じゃないけど、新品や新しいものだけがいいとは限らない。新しいものには逆立ちしてもかなわないものがひとつある。歴史の重みというものだ。刻まれたひとつひとつのキズの深さに、それぞれの想いがあるに違いない。
すんません、今日は勢いで「本」のことを脈絡もなく書いてしまった(^^)/~
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