2017年10月28日土曜日

小説「月に雨降る」あとがき(後編)

今回のブログも小説「月に降る雨」のネタばらしが多分に含まれます。
興ざめすること必至。閲覧注意。

さてあとがきの後編なんである。
●舞台設定
恵比寿
ヘビーユーザーなら耳にタコが出来るほど聞かされたと思うけれど、筆者の本籍は恵比寿で、若い頃3,4年ほど住んでいた。今のガーデンプレイスから歩いて2,3分のアパートであった。当時はサッポッロビール工場以外何もなく、のんびりした空気感があった。40歳前後に独立して恵比寿に設計事務所を持ち十数年頑張ってきたところでもある。ガーデンプレイスが出来て駅ビルアトレが立ち上がると、恵比寿はあっという間に大変貌を遂げた。今でも大好きな街だ。小説のメインとなるT&Dの会社がある場所は、全く迷わずこの恵比寿にしたんである。T&Dのモデルとなった会社は、前回ブログで書いたTsukioka君のいる会社で実際は千駄ヶ谷にある。筆者はここに2年ほどしか在籍していなかったけれど、楽しくて苦しくて濃密な貴重な時間を過ごした会社だった。

Bar Maki
真壁がマスターを務める恵比寿にある小さなバー。モデルとなった実在する店がある。以前のブログにその実際のビルの写真を掲載しているはず。当時筆者の事務所は西口の恵比寿神社のすぐ横にあった。この神社をはさんで同じくらいの近さにそのバーがあった。当時ほんの数回しか行ったことはなかったが(独り或いは女性と)、こじんまりとした雰囲気のいい空間で、めっちゃ寡黙なマスターがいたんである。眉間に皺を寄せて、必要なこと意外は口をきかない男だった。しかしこちらから話しかけるとにこりと笑い、朴訥に応じて案外心の通じる会話をした記憶がある。微かな地方の訛りがあったように思う。これが真壁のモデルではあるけれど、実はこの真壁という名前は、筆者が20代後半まで名乗っていた本名なんである。機会があればまたあのバーへ行ってみたい。

金沢
筆者が社会人になって間もない頃、当時の会社の出張で行った。大きな展示会の設計監理の仕事で、クルマ好きの先輩がどこかから外車の二人乗りオープンカーを借りて来て、それで東京から金沢まで行ったんである。自分の尻が地面をこすりながら走っているんではと思うくらい車高の低い、かつ、いつ爆発するかわからないような中古の超オンボロ車だった。実際ボンネットから白煙が上がって、途中停車して1時間ほどエンジンを冷やしてから走った。右も左も分からないペーペーの若造だった筆者は、先輩の誘いを断ることは出来ない。今なら絶対やだ。会社からもらった往復の出張経費はまるっと儲かったけれど。
仕事で行ったので金沢のことはほとんど何も覚えていない。兼六園に寄ったことと地下にあるバーでクライアントを含めてみんなで飲んだことくらいしか。小説の中で希伊の出生地をどこにするか考えた時に、極端に北や南ではなく東京から比較的近くで、日本海側の都市のどこかが良いと思ったところ、この金沢がぽんと頭に浮かび即決したんであった。

鹿児島
龍一の日常の描写の中に鹿児島への出張のクダリがある。これは前出Tsukioka君他、当時のメンバー5,6人でプレゼンに行ったんである。小説の中の飛行機が羽田を飛び立ってから、嵐で鹿児島空港到着目前で滑走路スレスレで上昇し、伊丹空港へ避難してから再度鹿児島へ向かう一文があるが、あれは全て天地神明に誓って事実と実体験に基づいた話である。最後に女子大生と思しき女の子が出てくるが、それも本当で筆者の横に座っていた子だった。実体験に基づいて一切の創造もなく架空もなく演出もなく書いたのが鹿児島の出張話である。
また、鹿児島の社長高須麿(Takasuさん=前回ブログ参照)が東京へ来て、月地(Tsukioka君)の友人が経営する代々木の小さな飲み屋に行くが、この店も実在する。店名は小説上は「ごまかし」とした。人物名や固有名詞を考えるのは楽しいものだ。ネタばらしになるがこの「ごまかし」の文字を並べ替えると「かごしま」になるんである。

●方言
前出金沢と鹿児島の方言が出て来る。これもリアリティーを重んじようとしたためである。よく他の小説で地方の年配者が流暢な標準語で会話する場面が散見されるけれど、以前から違和感を感じていたものだった。確かにガチガチのディープな方言満載では読者が意味を理解出来ないわけで、それも仕方ないけれど、極力方言をちゃんと表記したかったんである。意味がなんとか通じる程度に。鹿児島弁は実際出張の現地でさんざん聞いていたのでなんとかなったが、金沢弁はとんと分からない。ネットで検索した。運良く標準語を鹿児島弁や石川県の方言に変換するサイトが見つかり、それで作中のドライバーとの会話を書いたんである。でもかなり怪しい金沢弁ではある。金沢出身者にツッコミが入りそうな。ちなみに野田山墓苑にいた青年は若いので、あえて標準語で話させた。
また、野田山から「赤い屋根の店」を目指すシーンを書く際には、実際iPhoneでSiriを使って探索してみたが、香林坊付近にはなかった。「赤い屋根の店」は有馬小近くにある、昔「タッチ」の実写版映画で使われた実在する喫茶店をイメージしている。そこは実際は赤い屋根ではないけれど。

●女性言葉
最初はかなり気恥ずかしい思いを抱えながら書いた。たぶん、筆者を知る読者さんならば、筆者以上に気恥ずかしい思いをして読んだに違いない。もし筆者の身近な知り合いが「女言葉」を書いて小説を書いてそれを読んだら、自分なら絶対恥ずかしい思いをするに違いないはずだ。でも男だからと言って女言葉をちゃんと書けないでは小説なんか書けないし、女流作家でも男を主人公にした小説では見事に男言葉を駆使して書いている。リアリティーを出すには恥ずかしいなんて言ってらんないわけで。ただ、悩んだのは希伊が自分のことを言うときに作中では「わたし」と表現しているが、実際の日常生活で女性はどうなんだろうか?「わたし」ではなく「あたし」と言う女性もいるわけで。書き終わった今でも「あたし」のほうがリアルだったのかなと、今でも分からない。

●ベッドシーン
前出「女性言葉」以上に恥ずかしい気分で書いたのは言うまでもない。全くこういうシーン抜きでも小説は成り立ったかもしれないが、これもリアリティー追求のためなんである。最後に再会を果たした龍一と希伊がそうならずに話が終わったらむしろ現実的ではない。これでは綺麗事で現実味を欠いた小説になるはずだ。恭子との初めてのシーンでは「終電を逃してタクシー乗り場とは違う、ネオンの点滅するビルへ向かった」とやんわりと示唆するに留めたが、ラストの希伊とのベッドシーンはもっと突っ込んだ描写にしないと完結しないと真面目に考えた。でもエロっぽくなりすぎないように、なるべくドライな比喩的言葉を吟味して書いたつもりである。読者の妄想を膨らませ、あわよくば股間も膨らませられたら本望である(^-^)

●最後に
以前も書いたと思うけれど、小説を書いて少し経った頃、QueensのSatohさんに言われた。「Teshimaさん、最近の小説、村上春樹みたいですね」と。筆者びっくりしちゃったんである。それまで全くそんなつもりはなく書いていたんであるが、瞬時にはっと思ったのだった。確かに似ているかも。模倣したつもりは全くないし、書いている最中は村上の「む」の字も頭をよぎったことはない。しかし比喩的表現や、全体のストーリー展開は確かに似ているかもしれないんであった。特に筆者の好きな村上春樹の「国境の南、太陽の西」にどことなく似ているではないか。今年改めて再読した。すっかり忘れていたが主人公が北陸へ車(こちらはBMWだったかな?)で行くところや、昔小学生の時に出会った少女を探し求める展開などよく似ているシーンがある。驚いた。空気感は全く違うがストーリー展開が似た小説を書いていたことに。それだけ氏に対するリスペクトが大きく、無意識のうちにそうなっていたのだと思う。村上春樹の一部小説はおよそ「少し変わった女、失踪または別離、男が探し求める」という展開が実に多い。これに唯一無二の村上ワールドの世界観に支配されて、他者の追随を許さぬ独自の小説世界が形成されている。

百万年かかっても氏の神の領域には近づけないが、結果的に似てしまったことにちょっと嬉しいやら少し悔しいやら複雑なんであった。
続編とか、連作とか、次の全く別の小説とかは考えていないけれど、筆者の頭の中にいるチャッカマンがまたむっくり起き出して、あちこちに火をつけてまわることがあれば、話は別である。野球少女の女の子(または少年野球)を主人公にして、子ども目線で周囲の大人たちへのクールな視線や仲間との絆を描いた小説が書ければ面白いなと思うものの、筆者にはあまりに荷が重すぎる。重松清ならお手の物なんだろうけれど。
会社を定年退職し退職金と年金で悠々自適の生活を送れたら、日中暇に任せてとっくに次回作にかかっていると思うけれど、筆者は自営業でたぶん死ぬまで働かないと生きていけないんである。因果な商売である。

この小説を添削校正し文章削除追加し終えたら、Web上の投稿サイトに改めて掲載を考えています。その時はまた、ここでご報告したい。

長らく読んでいただいた読者の方に改めて感謝します。

筆者は過去に二匹の猫を飼ったことがある。その経験から「サチコ」の描写が成り立っている。寿命を迎えたサチコが希伊と出会うことで亡くなってしまうことも視野に入れて書いていたが、最後にそれを書いたのではこれも出来過ぎな感じがしてならない。それで金沢へ向かう前、自宅で死を間近に迎えたサチコを書いて暗喩として、その後のことは全く触れないようにした。二匹の猫の最後を看取ったけれど、今想い起こしても悲しくなってしまう。
小説の最初の部分で登場するサチコのイメージはこんな感じ。写真はネットからイメージに近いものを探してみた。(出典サイトは不明。ごめんなさい)

最後に自由が丘の奥沢神社。
鳥居にかかる荒縄で編んだ蛇。不細工な龍のような。
昨年友人の入院見舞いに寄った帰りに何気に撮った写真から、のちに材を得て、これを小説に取り込もうと思い立ったのだった。

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