2018年11月9日金曜日

苦悩のアングル

筆者は写真やカメラは全くのアマチュアである。しかし写真は絵画やデザインに通底する「創造」的なところがあって大好きだ。思えば小学生の頃、町内会のキャンプへ行った時、友だちから借りたカメラで白黒の写真を撮ったり、中学の時はオヤジのカメラを持って屋根に上がり、沈みゆく真っ赤な夕陽を撮った時などの感動が忘れられない。20代桜新町に住んでいた頃は、真夜中に天体望遠鏡を持ってタクシーで駒沢公園へ行き、夜通しでハレー彗星を追っていた。写真も撮ったのだが上手く写らなかった。その代わり夜中にハレー見物に来た近所の高校生数人に望遠鏡を覗かせてやったり、水筒のコーヒーを分けてやったりした覚えがある。その時生まれて初めてブラックコーヒーを飲んだと言う男子高生が言った言葉。
「コーヒーってこんなに美味いもんだとは知らなかったス」
夜の底が白み始めて、明け方になり、彼らは「ありがとうございました」と言って個々の家へ帰って行った。
なんだか、こっちの方が嬉しくなっちゃったのだった。

写真には苦い想い出もある。30歳の頃当時勤めていた会社のインテリアデザイン研修でニューヨークへ行った。会社経費でポジフィルムを何本も買い込み、NYをバシバシ撮って来たんである。ティファニーや全身金づくめのトランプタワーの五番街や、エンパイヤステートビルから見下ろした幻想的な夜景も、今はなきワールドトレードセンターも。帰国後分厚いアルバムにして会社に全部保管していたんである。約10年後筆者は独立し恵比寿に設計事務所を構えた。ところが独立して一年後にその会社は倒産。あのNYの写真は全て紛失し、記憶の中にしか存在しないのだった。あの時アルバムも持ってくれば良かったと思っても、アフターフェスティバル、あとの祭りなんであった。

おっと、もとい。
写真のアングルについてなんである。少年野球の写真を何年も撮っていると、素人ながら場面場面で自己流ではあるが独自の技を習得するようになる。写真撮ってる人なら理解できるはず。例えば打撃のボールを打つ瞬間をモノにしたい場合は、打者が打つ瞬間シャッターを切ったのでは全然間に合わない。テイクバックに入って「今まさに振り降ろさんとす」あたりの動作を読み取り、すかさずシャッターを押すのだ。そーすると実際には打つ瞬間あたりが撮れるわけで。しかしこれが意外と難しい。打つと思いきや見逃したり、空振りだったりもする。でも長年やっていると「見逃すのか?打ちに行くか?」の瞬間が判断できるようになる。それは投球を見つめる表情と目ヂカラと、上半身の微妙なチカラの入り具合を総合的に瞬時に判断すると分かるんである。それでも頭が横になって表情が写ってないこともあり、ボツにする写真は山のようにあるのだった。まるで前方後円墳の古墳の小山くらいに。

前回新人戦の行進を掲載。もう何年も主だった宮前の大会の行進をアップしている。ホームとバックネットの微妙な場所に位置どりして撮るんである。これも簡単なようでいて結構厳しい制約があるのだった。カメラマンは目立ってはいけないという自意識からなるべく望遠で中心部に近づかないように撮る。連盟役員の列の後方にて、なおかつ筆者の後方にいる司会の視界を遮ってはならぬ。「広報は後方で、司会の視界」なんちゃって、高尚なダジャレの連発である。因みに開会式司会はこの道ウン十年のベテラン、連盟事務局Yanagiさんである。娘さんはかつてQueens姫であった。余談ではあるがついでにネットで「日本の名司会者」と検索すると児玉清、久米宏、玉置宏、関口宏などとある。おお、なんと偶然「宏」の多いことか。現代の上位にはタケシやタモリ、さんま、中居正広、ダウンタウン浜田なんかがランクインするが、これは「名司会者」ではなく「人気司会者」だろうと思う。ただし上田晋也は名司会者の仲間入りをしても良いかもしれない。上田宏と改名してくれたら「晴耕雨読」的にはもっと良いのだが。

おっと、もとい。
開会式の行進風景アングルであった。前述の「カメラの位置どり」を仕事用のスケッチブックにサラサラ図式化してみた。平面図を描くのは筆者の本業である。
パターン:Aのアングルは広角。選手の顔が平均的に撮れるけれど、全体的に散漫になりがち。
パターン:Bのアングルは鋭角。先頭の主将がアップで撮れるが後方の選手は顔が隠れがちになる。
毎回その都度、連盟役員と司会者の隙間の位置どりをして撮るのである。
今年の新人戦入場行進はパターン:Bであった。

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