2019年7月12日金曜日

蘇る一葉の記憶

このところの5,6月はちょいと暇だったのだが、ここにきてまた仕事が忙しくなってきた。フレンズ40th記念誌関係もチーム記念誌の母たちのおかげで、寄稿文仕事は少し前が見えてきたのだが、肝心の本編ページのエスキースはまだサッパリなんである。

同時に記念式典の昔の写真を収集するDVD制作チームがあり、筆者へは娘時代の写真提供依頼があった。棚の奥からごっそり引っ張り出してみると、当時はデジタルではなくプリント時代ゆえ、ましてや一眼レフは持っていなかったので、ぼんやりした写真ばかりであった。しかしこれでも当時はれっきとした写真として、フレンズの親たちに「焼き増し」プリントして配ったのであった。「焼き増し」と言う言葉自体がすでに死語となったのに今気づいた。時代の趨勢おそるべし。

何枚もあったのでこれをスキャンする手間を省いて差し上げようと、データで渡そうと思いカメラに収めてみる。娘が5年生の時の写真が多く、6年になってからはなぜかほとんど撮っていないのだった。あの頃の俺は独立して恵比寿に事務所を構えたばかりで、忙しかったのだろうか。2年前の息子の時はまだ会社員で、ほぼ毎週グランドへ行ったのだったが。
「有馬フレンズ広報部 報道写真課  焼き増し係」
どーやら当時から広報部長をやっていたらしい筆者であった。ほとんど記憶にないのだが。インターネットはすでにかなり広まりつつあったけれど、当時はまさか自分が将来ブログを書くなんて想像もつかない時代であった。

記憶は一枚の写真で一瞬で蘇ることがある。
息子が卒業し娘が5年生の時、フレンズの28番をつけてベンチに入った。当時はスコアブックすら読めないオヤジであった。監督がHohjohさん、29番が現顧問のKanedaさんだった。その後KanedaさんはBの監督となる。
自分がユニフォームを着てベンチ入りした記憶はもちろん鮮明にあるのだが、まさか写真に残ってるとは失念していた。この写真を発見して胸の奥から当時の光景がふわりと浮遊してきたのだった。
右端奥のしかめ面してる40歳過ぎのヒゲ野郎が筆者、左端が当時60過ぎのバリバリなKanedaさん、中央手前のカップを持っているのが筆者の娘Kanakoである。他にも懐かしい面々の顔がそこにあった。

4枚まとめて撮る。子ども会Bの大会だろうか、ほとんど記憶にないがフレンズはウルフに23:6の圧勝だったようだ。今では信じられないだろうが、今は昔、今昔物語。

試合後当時の中田ファミリーと、ウルフのEmiriちゃんとウチの娘と写真に収まる。ウルフの青いユニフォームが懐かしい。EmiriちゃんとはBの試合で娘と女子同士のエース対決で、死闘を演じた間柄であった。
中田さんはみなさんご存知、衆院議員、横浜市長、政治コメンテーターなどを歴任し、今年の参院選に出馬しているあの中田宏さんであった。
※公人をSNSブログに載せていいものかどうか迷ったけれど、反社勢力の忘年会に出た芸能人とはわけが違うので、独断で掲載。

一枚の写真から記憶が鮮明に蘇ることってよくあることだけれど、今日はその想いに囚われた時間が、自分の脳裏を駆け巡って行ったのだった。
にほんブログ村 野球ブログ 少年野球へ
にほんブログ村

少年野球ランキング

0 件のコメント:

コメントを投稿