2019年7月8日月曜日

雨の日も仕事の「晴耕雨読」

今日日曜はさすがの梅雨とあって、川崎連盟や宮前連盟主催の大会はことごとく中止となった。フレンズも然りだが、午後はアリーノで野球教室の勉強会となった。大変いいことである。昔はウチのマンションの集会室で野球教室を何度かやったこともあったが、アリーノという公的施設が出来たことは実に喜ばしいことだ。筆者が現役オヤジだった頃、6年生の年は高円宮賜杯の県大会準優勝まで登りつめたのだったが、その年は毎週毎週公式戦が目白押しで、しかもほとんど雨で中止になったという記憶がない。朝の早起きが苦手な筆者、オボロな記憶ながら稀に雨で中止になった朝は、雨音を聴きながら再び惰眠を貪るためにベッドに戻りまどろむのが、最高の至福の時だった。現フレンズ監督Itohくんも息子と同級だったので、あの時の記憶は鮮明だったろうと思う。

再び今日日曜はさすがの梅雨とあって...2。
雨で野球が中止ということは、同時に連盟事務局の臨機応変の仕事が倍増することを意味する。子ども会大会、たまなみ大会、強いては秋季大会スケジュールまで影響が出てくることになった。連盟事務方、各担当から嵐のような連絡網メールが雨空の宮前上空を飛び交うのであった。各チーム事務局ならその片鱗をご理解しておられるとは思うけれど、いつもながら大変な仕事なんである。筆者は先日宮前のスポンサーでもあるRawlingsJAPANのHandaさんと「晴耕雨読」の件でメールのやり取りをした。Handaさんは年間通じ東京神奈川他全国のいろんなところの連盟の大会を見てきていらっしゃるのだけれど、宮前少年野球連盟の仕事ぶりには実に感心して絶賛しておられた。思わず事務局長のSatohさんにメール文を転送したくらいである。

三たび、今日日曜はさすがの梅雨とあって...3。
昼間筆者は雨音のショパン、じゃないQueens、おっと違ったQueenのiTunesをMacで起動しボヘミアンラプソディーのアルバムを大音量で聴きながら(映画もDVDでしっかり観た)、次にエルトン・ジョンを延々と聴きつつ、やっとフレンズ40th記念誌の構想に取り掛かったんである。全体の骨子をメモってみた。アイディアは多いほどいい。それらを後から引き算して贅肉を落とし、ブラッシュアップするんである。思いつくままの殴り書き。
これの前にセブンでフルボディーの安い赤ワインと冷凍ピザとシャウエッセンを購入。このセブンのピザがなかなかの美味なんである。シャウエッセンの輪切りを大量に並べて、さらにスーパーLIFEで購入してある「3種ミックスチーズ」をこれでもかと言わんばかりにバラバラと大量投入し、いわゆるダブルチーズトッピングにてレンジで解凍、その後オーブントースターで焼くこと5分。実にうまし。トドメにミントの葉っぱが一葉添えてあれば尚良かったのだが。
※内容はまだ明かせないので白で塗りつぶし。まるで政府の機密文書の「海苔弁」的塗りつぶしみたいな。

今まで記念誌はフレンズ30th、宮前連盟20th、Queens10thを作ってきた。連盟記念誌は鬼編集長のNishimuraさんが八面六臂の大活躍、さらにプロのグラフィックデザイナーに低価格とは言え有償で全体を依頼したので、相当助けられた経緯がある。当時Nishimuraさんと故Kasaharaさんがいなかったらこの偉業はなし得なかったに違いない。筆者は数ページをオリジナルで作ったのだけれど。白黒印刷が当たり前だった少年野球記念誌。10年近く前の言わば「作品」であるが、今見ても全然色褪せてない自負がある。他にも近年発刊のレッパや花フラの記念誌も入手している。それぞれの特徴が出ていて楽しい。

はて、改めて少年野球の記念誌っていったいどーなんだろうと思い立ち、Googleで検索してみたのであった。
検索ワードは「少年野球 記念誌」
ズラーリずらずらヒットしちゃってるではないか。何千件か何万件かは覚えてない。
はて、どこかで見たような文字が目に飛び込んできた...。
1ページ目の5,6番目にQueens記念誌を紹介した筆者の少年野球「晴耕雨読」BLOGがヒットしている。更に「Google画像検索」でググってみると、画像群の最初のトップ15サイト中、8サイトが筆者のブログ絡みであった。フレンズの表紙やQueensのページ、連盟記念誌の懐かしい画像が浮かんでいたのだった。
※Google画像検索から引用。

更に掘り下げて検索すると約10年前に書いた「晴耕雨読」のブログがヒット。フレンズの30th記念誌当時の苦労話がのっていた。今では「晴耕雨読」的少々偉そうに見える「なんである体」の文章が確立されているけれど、当時はまだ「丁寧体」と「なんである体」の過渡期だったようで、中途半端な稚拙な文体ではあるが実に懐かしい。また今ほど個人情報がうるさくなかったせいか、実名で掲載されているのも時代の成せる業か。今の時代の趨勢を鑑みればおいそれとアップは出来ないかもしれない。
※ページをそのままjpgでアップしているので、他のサイトでも実名満載である。記念誌というある程度公的メディアに載るということはそのままSNSに載っても仕方ないのかもしれない。
今ではフレンズに欠かせない存在となったOhmori父。9年前の記念誌では妻のなっちゃんを通じてまだ会ったこともない彼にメールのやり取りだけとは言え大事な仕事をやってもらった。その後フレンズに来るようになり今の彼がいるのも感慨深い。今となっては現フレンズスコアラー部長である。
晴れの日は外で働いて雨の日は静かに家で読書というのが、「晴耕雨読」の本来の意味である。雨でも、いや雨だからこそ仕事しなきゃなのが宮前の男たちなんである。

40thフレンズ実行委員会と記念誌委員会メンバーの母たちにはぜひクリックして見て欲しい。9年前の記念誌委員会のお話。
※2010年「30th記念誌編誌上公開」ブログ。

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