2011年10月14日金曜日

人間悠々浮遊!

最近若干仕事多忙、全世界的通信網日記、更新回数減少。
先日仕事終了後深夜、少年野球軍団「有馬友達」卒業生贈進物、応援旗制作。
図案思案後、地球的画像使用発想。
即、全世界的通信網利用、亜米利加合衆国航空宇宙局(奈左)家庭頁、閲覧。
驚愕的美的画像発見。
一例目、此画像閲覧要望。

二例目、再度、此画像閲覧要望。

嗚呼、地球上空宇宙内、人間悠々浮遊!
我地球上人間、感動的生物也。
個人的電子計算機付属、鼠的機器、一押、即拡大画像出現。

※凡例列記。読解要望。
「全世界的通信網日記」=ぶろぐ
「有馬友達」=有馬ふれんず
「全世界的通信網」=いんたーねっと
「奈左」=なさ
「個人的電子計算機」=ぱそこん
「鼠的機器、一押」=まうす、わんくりっく
「我地球上人間、感動的生物也」=にんげんってすばらしい(^^)/
(from USA.NASA.HP)
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2011年10月12日水曜日

どうと思うですか?

そんな話はさておき、とりあえずまずは、サッカーなんである。
いくらなんでも格下相手のタジキスタン相手とはいえ、点の取り過ぎちゃうか、とイワンの馬鹿...じゃない、いわんばかりにゴールドラッシュ....じゃないゴールラッシュであった。試合開始11分でのマイクのドンピシャヘッド。この時、盛者必衰の理(ことわり)あり...じゃない、筆者浄水を断り、ビールを飲みながら確信を持ち得たのだった。
サッカー小憎だった私の予想は、この試合3:0の圧勝だな、ムフフ....と。
終わってみればとんでもない結果。8:0。サッカーにおけるこんな点差は、プロ野球でいえば365:0みたいなもんである。バスケットカウントどころじゃない。私、国際Aマッチでこんな点差は記憶にない。しかしながらタジキスタンのラフプレーがなかったことは、大いに賞賛すべきことだ。4点あたりからちょっと可哀想になってしまったタジキスタンだった。
スコアはともかく、内容もワンツータッチのパス廻しや、スピーディーに前がかりに裏を取る姿勢も良かった。これ、野球に身を捧げサッカーなんぞわしゃ知らん的なご仁には何言ってるか分らないでしょうけれど。更に、独特の語り口のサレジオ越後...じゃない、TOYOTAセルシオ越後....じゃない、セルジオ越後さんの言葉が印象に残った。
「ゴールキーパーは10本のシュートを弾き返して当たり前。1本でもミスったら非難囂々と思うですよ。それに比べてフォワードが10本のシュートをミスっても誰からも非難されないですから。どうと思うですか、マツキさん?」

とりもなおさず、現在は少年野球コーチの筆者、瞬時に野球モードに切り替えて考えてみた。
「ピッチャーは10人の打者を0点に押さえて当たり前。1球でもミスったら非難囂々と思うですよ。それに比べてバッターが10打席ノーヒットでも誰からも非難されないですから。どうと思うですか、エガワさん?」
何をかイワンの馬鹿...じゃない、何をか言わんや、てんやわんやなんである。
ワカリマスネ?野手のみんな、投手に感謝する心を忘れてはいまいか。

急転直下、話が変わるんである。
どんだけ急転直下するかというと、大空から子羊を狙い定めた大鷲が一気に地表の獲物に急降下するがごとくなのだ。これでぇ〜いいのだぁ♪お日様は西から昇って東に沈むのだ。

有馬神明社の秋祭り。いつ見ても神輿の屋根の漆黒のウルシ塗りのテカリ具合には、うっとりしちゃう。ちいさな子ども神輿も健気(けなげ)で可愛い。
毎年このブログで神輿写真をアップしてるけれども、先日仕事していたら遠雷のごとく風に乗ってぴ〜ひゃらら〜の便りが耳に届いたわけで。今年も神輿担ぎを家の高みから激写。有馬子ども会のKawakoshi部長は写ってなかったけれど。


ついでにNikonP100のカメラでの動画撮影もしてみた。
アップで撮ってみたら結構迫力あるイケてる映像をモノすることが出来た。
良かったらクリックしてご覧あれなんですってば。
但し、会社のパソコンで見ておられる分別ある貴兄には、事前に音声ボリュームを絞ることを密かにお勧めしたい(^^)
出来れば家に帰ってから自宅パソコンで、または会社の昼休みに社員が出払ったころを見計らい、大音量で観ていただけたらかなりの迫力あるはず。



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2011年10月10日月曜日

200名の少年野球オヤジ軍団

「すべて国民は、法律の定めるところにより、10月10日の体育の日には何がしかの運動をする義務を負ふ。」という日本国憲法第26条を遵守すべく、先ほど愛犬「りん」の散歩から帰って来た筆者であった。
3連休なのにナンデ野球がないの?と、訝(いぶか)しがる向きもあろうけれど、全国的に学童野球の活動中心はやはり小学校の校庭なわけで、この日は全国的に町内運動会の活動中心も小学校の校庭なわけだからして、学校が使えない理由はおのずと氷解されうることだろう。
うちの本拠地有馬小学校は、土曜は地元幼稚園の運動会、今日月曜は東有馬町会の運動会、日曜はその準備のため、3連休グランドが使えないこととなった。遠征の話も俎上(そじょう)にのぼったが諸般の事情により没。幼稚園児や日頃お世話になっている町民の方たちに運動していただくのだから、文句のあろうはずもない。日本国憲法第26条は万人に平等に、あまねくゆき渡らねばならないのだ。


というわけで3連休は仕事とスコアブックの集計に費やしたのであったけれど、昨日の日曜は秋季大会兼20周年記念大会の懇親会と功労者表彰式を兼ねた集まりがあった。連盟の毎大会後、懇親会は開催されるのだけれど今回はちょっと空気感が違っていた。それで携帯カメラで数枚撮った写真を掲載。(携帯なのでかなり写りが良くないけれど)


連盟20周年功労者表彰式では、QueensのMちゃんが花束贈呈の大役を引き受けることに。もしかしてこの時が一番華やいで盛り上がったかも。Mちゃんお疲れさまだったね(^^)/~


各チーム自己紹介も毎回盛り上がる場面ではある。
部員数が減少しており来年は合併話も出ているチーム紹介、マンモス人数の常勝チーム紹介、悲喜こもごもではあるけれど、みんな笑顔でマイクを持っていた。
記念誌のNishimura編集長、Nemoto師匠も陰になり記念誌のための撮影に奔走。
喫煙所では久しぶりの野川台フォルコンズFukumotoさんと談笑す。聞くも涙、語るも涙の子どもの入部感動秘話を聞かせていただいた。
臨席したのは地元の有馬子ども会野球部。うちの配偶者とも地元町会で交流のある「アリコの顔」部長Kawakoshiさん、監督Yakabeさん、コーチHaradaさんとも談笑。
こんなオヤジどもの交流が宮前区全チームの横の繋がり、チームワークの一助を担っているのかもしれない。お母さんたちはダンナが懇親会に行ってもどんな雰囲気でやってるのかわからない人が多いだろう。こんな雰囲気なんである。約200名の宮前少年野球オヤジ軍団。


最後はQueensのチームスタッフ紹介。
代表Kasaharaさんはどっかのテーブルで呑んでいて壇上には上がらず。
マネージャーYamaguchiさん、監督Koshimizuさん、29Murataさん、28Mochidaさん(Mちゃんパパ)、他、Sasakiさんをはじめ指導陣の面々が登壇しスピーチ。


途中、中座してQueensのテーブルへご挨拶。
先日筆者が作らせてもらった携帯待ち受け画面は、オヤジスタッフ皆が選手名が入っているピンクバージョンを採用していると嬉しげに教えてくれた。オトナの赤バージョンはどうやら筆者だけらしい。とんでもなく嬉しい誤算であった。
更にとんでもないオヤジがいたんである。ちょいワルオヤジ系監督のKoshimizuさんは携帯のみならず愛用のZippoにも、ステッカーが貼ってあったんである。脱毛...じゃない脱帽である。負けじと筆者も自分のZippoに貼っちゃおうかと一瞬思ったりして。


会が終了後、フレンズオヤジ軍団は地元へ帰り居酒屋その1へ。
たぶん後多分に漏れず、各チームそれぞれ地元へ帰り分科会で盛り上がったことだろう。
Aragane、Nishihara&父たちと懇親会Part2。気持ちのいい面々ばかりで、来年のチームの実力は別として、なんか将来に希望の持てる飲み会であった。
昼間の野球指導だけでオトナのチームワークが成り立つものではない。こんな連盟がらみの交流もあって俺たちは明日も頑張ろうと思うのであった。


Aragane、Nishiharaの両オヤジは、でらでら笑いながらノックでは俺がうまいだとか、カラオケでは俺が負けないだとかの、相も変わらずの低レベルの不毛の議論に決着をつけるため、3次会のスナックへ向かったのであった(^^)
少なくともこの二人よりはノックはうまいと自認してる筆者ではあるけれど...。
待てよ、それじゃあ俺も同じオヤジレベルじゃん(^^)
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2011年10月8日土曜日

哀悼Mr.スティーブ・ジョブズ

みなさんのパソコンにはマウスがありますね?スイスイくりくり。
デスクトップにはアイコンといういろんなデザインのシンボルが浮かんでいて、これをダブルクリックすれば、瞬時に目的のファイルにアクセス出来る。もしこの二つがなかったら...。
そもそもこのブログなどはネットの世界ではサハラ砂漠の砂のひと粒だけれど、今やパソコンがなければ仕事にならない、生活そのものが成り立たないという方もおられるだろう。筆者もその一人。
スーパーコンピュータやオフィスコンピュータが一般人にとって別世界の話だったころ、パーソナルコンピュータがやっと家庭に普及してきた。筆者が初めて買ったパソコンはAppleのMacintoshG3ボンダイブルーのスケルトンマシン。ハマりました。なんて凄いのだろうと思った。人間て素晴らしいものを造る生き物だと改めて認識させられた。ずっとMacを愛用してきて、たまにWindowsマシンをさわってみると、いつもそのクオリティーの落差の大きさに唖然。日本のパソコンはWindows90%、Macが10%という説があるけれど、10%の一人であったことに感謝。仮にこの世にMacがなくてMSのWindowsだけだったら人生の半分は損した気分になったであろう。

二人の学生が起業し、その会社名を決めるとき。
彼はビートルズが好きだった。クルマでたまたま通りかかったビートルズのアップルレコード本社(当時)。その看板をみて社名を「Apple」に決めたという。
世の中にパソコンを普及させる波を作ったのがApple社。
その後の独創的なアイディアとクールでスタイリッシュなデザイン、Macの高いテクノロジーの数々のジェネレーションラインナップ。世の中の趨勢はWindowsのマイクロソフトが世界標準となったけれども、常に少数派のAppleのデザインと技術を後追いする形。みなさんのほとんどが使っているWinマシンの良い所はAppleのDNAが脈々と生きているのです。他社がMacにもう少しで追いつくという頃にはAppleはすでに次のサプライズを用意している。一般的にはMacよりもiPodやiTunes、iPadそしてiPhoneがなじみ深いだろう。Macのことは触った人でないと分らないだろうから、このへんで勘弁しちゃおう。

「デザイン」のカテゴリーを超えたAppleのそれは、グラフィック、アーキテクト、インテリア、インダストリアル、ファッション、映像...世の中の全てのデザイナーと名のつく人たちに与えたのは「共感と羨望」

その創始者である天才スティーブ・ジョブズさんが若くして亡くなった。
一企業の経営トップの逝去でこんなに世界に波紋と衝撃を投げかける人もいないであろう。

遅ればせながら慎んで哀悼の意を表します。
ありがとうございました。
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2011年10月4日火曜日

「サスケ」

昨日に引き続きTVネタで申し訳なし。
TBSの人気番組「サスケ」を仕事しながら久しぶりに観た。おかげで1時間で終わる仕事が3時間かかってしまった。
サスケのヒーロー「世界中で一番有名な漁師」長野誠さんを見ていたら、むっくり昔の記憶が頭をもたげてきちゃったからもう止まらないわけで。

5年ほど前、筆者は千駄ヶ谷のとある店舗設計施工のS社に勤務していた。ヴィトンやシャネルなどのスーパーブランドの店舗を請け負う大変優秀な会社である。ある日飲食店舗設計のエキスパートとして筆者の出番となったんである。

宮崎県のある漁業会社からオファーがあった。鹿児島のビル一棟まるごと飲食店舗とビジネスホテルに新装したいとの依頼。
自分にとってもこれほど大きな仕事は初めて。1フロア700平米×7フロアのチーフデザイナー兼、2階の和食店舗の設計者として参画。
朝6時まで自宅へ持ち帰ったプレゼンの仕事をし、そのまま羽田へ直行、昼前に鹿児島入り、午後からクライアントへのプレゼン、打合は深夜にまで及び、お客さんのベンツ(※Ishizakiさん所有。お客さんはみな自分のクルマに名前をつけていて、そのベンツはジェニファーという名だった)でホテルへ送ってもらい、荷物をベッドに放り投げるやいなや、そのままきびすを返し、S社企画室の若きホープT君と夜の鹿児島へ飲みに繰り出し、ホテルへ戻ったのはAM3:00、翌朝リムジンに飛び乗り、飛行機にもギリで飛び乗り羽田へ、午後からは東京の会社で夜まで図面を描き、帰宅はメーターを気にしながら深夜タクシー....。これはピークの時の想い出だけれど、実際こんなのが半年以上続いたのである。週イチでの鹿児島出張だった。
しかし面白かった。
クライアントの宮崎のTakasu社長が年下ではあったけれども、メチャクチャ素晴らしい人物であった。少年のような遊び心と芯がブレない経営者としての資質を兼ね備え、一刀両断で歯に衣着せぬ物言いと、非常に細やかな気配りと思いやりも持った傑出した人であった。打ち合わせの席上で社長と筆者のダジャレ合戦で打合にならず、仕事そっちのけで爆笑2時間の会議をやったりとか。筆者の「もう一度逢いたい人ベスト3」にランクインする人物である。

ある日の鹿児島出張打合。
打合が終わったのは確か夕方。そのまま日帰りで東京へ帰る予定だった。台風が来ていたように思う。21時ころ空港へ行ってみたら我々の便から欠航。メンバー一同5,6名は市内へ戻り雨が降りそぼる鹿児島の街を、ホテル探しに奔走。「コンコンコン、部屋ありますか?」うなだれてズブ濡れで舗道へ戻ること数回。T君が決断。「メシ喰ってから、Takasu社長に電話して泊めてもらいましょう!」

現場へ戻る。T社長以下、深夜急遽招集されたIshizakiさんはじめ数名のスタッフとともにみんな、柔和な笑顔で迎えてくれた。
「なんば、やっとうね。最初からここへ泊っちょけばヨカね」(九州弁が正確かどうかは定かではない)
またまた現場で酒盛り、深夜まで。
そうこうしてるうちに社長の携帯に連絡が入る。こんぴら丸の船長「長野誠」さんがここへ来るらしい。すでにサスケで有名人になっていた彼。ほどなく漁船組員数名とやって来た。実際に見る長野さんはやはりイイ男だった。社長がふざけて筆者の似顔絵を描いたのがプロはだしの出来映えで、これを見た長野さん、「すげえ〜Teshimaさんにそっくり、似てますね!」と笑う顔にこぼれた白い歯。非常に謙虚で誠実な印象だった。
社長から聞かされた「長野誠武勇伝」はここでは書けない。放送コードにひっかかる話が多いから(^^)コンプライアンス的に控えよう。
ただひとつ、これだけ。
その当時、長野さんはその肉体の実績と持ち前のキャラと甘いマスクで、東京へ来て「マッスルミュージアム」に入らないかとスカウトされたのだそうだ。
彼は悩んだ。ガキの頃から可愛がってもらっていたT社長に相談した。
「おまえは宮崎を全部捨てて東京に行ってごらん。タレントに転身したら絶対失敗するから。今の「漁師」という肩書きがあるからそのギャップがいいんだよ。それを忘れるな」
今日のTVを観ていたら、いまだに「漁師」をやってるみたいだ。
なんだかホッとした。
こうして「世界で一番有名で最強の漁師」が今もなお、中年の星として幸せな暮らしをしているんである。(奥さんキレイだったなあ)

鹿児島でのエピソードを語ったら枚挙にいとまがない。
100個くらいあるだろうか。でもやっぱり、このブログで書けるのはその10%くらいなんである。気が向いたらまた書きたいと思う(^^)
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2011年10月3日月曜日

「道」

EXILEの「道」と「ただ...逢いたくて」が私のEXILEのベスト2の曲である。
携帯の「着うたフル」にも入っている。「道」はその詩の内容とメロディーラインの融合が絶妙で何度聴いても飽きない。特に春が近づく頃には...。

今晩(10/2)のEXILEの震災復興特番は、宮城県の南三陸町でのライブの模様を中心に放映されていた。ご覧になった方も多くいることだろうけれど、3.11の夜、志津川中学校に避難しとじこめられた卒業生たちが、明日の卒業式で歌うはずだったEXILEの「道」を、恐怖のどん底であったであろう、ろうそく1本の真っ暗な闇の中で、誰からともなく歌い始め、やがて伝搬し最後はみんなでの合唱になったそうだ。
後日この新聞記事に目を留めたHIROが企画、この志津川中でのライブ実現となった。涙腺がただでさえ弱体化している私は、幾度かTシャツの裾で目頭を押さえるはめになる。

TVを観ながらふと、志津川中はどんなところにあるのだろうと思い立ち、Googleマップで検索。川崎から一気に宮城県南三陸町へと飛んだ。
..........................。

唖然とした。
Googleマップが最近新しくなったのは知っていたが、デスクトップに表示された東北のその小さな町の衛星画像は、震災後に撮影されたものに変わっていたのだ。
拡大すれば海岸べりの土地はまさに何も見る影もなく、影を投ずるのは積み上げられたガレキの山のもの。建物が何もない茶色の平地。すぐに他の太平洋海岸寄りの町へマウスを操作。どの町も同じだった。ガレキの処理がだいぶ進んでいるように見受けられるから本当に最近の画像なのであろう。マスコミ報道などではよく目にする衛星画像だけれど、こうしてGoogleで点と点が線でつながり海岸沿いに延々と続く同じ光景を見ると、TV報道とは別の圧倒的な現実感を伴って胸に迫って来る。大きな町も小さな漁村もおしなべて人家が消えてしまっていた。
GoogleMap

茶色い虚無のベタ塗りにわずかに白く見える幾筋もの線がある。
「道」である。
道だけはそのまま残っていた。
卒業をテーマにしたEXILEの「道」ではあるけれど、あらためて「震災」というキーワードで歌詞を振り返れば、偶然にもそこかしこに被災地へ光を投ずる「道」でもあったのは、私の思い入れによる穿った見方だろうか....。

『思い出が 時間を止めた』
今日の日を忘れるなと
見慣れた景色 二度と並べない
思い出の道
..........
道、君と歩いた今日まで
かすかに 動くくちびる
特別な時間をありがとう
「心」「勇気」「友」「笑顔」
嬉しすぎて
溢れ出した
涙が とまらない

ゆっくりと歩き出そう
この道 未来へと続く
............................
(※EXILE  Words:Shogo Kashida  Music:miwa furuse)
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2011年10月1日土曜日

ココロはひとつ

「携帯待ち受け?あぁ〜いいですよ、一発作りましょうか」

元来こういう「作る」作業は嫌いじゃないんである。だから今の職業についてるわけでもある。小学校の卒業文集で「将来なりたいもの欄」には、マンガ家か青年実業家か、または(ウケ狙いで)風呂屋の番台のオヤジ、と書いた小生。ナニカ描いたり作ったりするのが好きなのだ。自分で画を描きデザインし、図面を引き、それが実際職人の手によって店舗建築として立ち上がった時の喜びはひとしおである。クライアントに喜ばれたり、感謝されたりしたら、もっと嬉しいわけで。

先日宮前の少女野球チームQueensのBBQ大会にお招きいただいた時のこと。
Kasaharaさんいわく、父母や指導陣の何人かは携帯の待ち受け画面に、Queensのロゴを入れてるよと。Yさんのを見せてもらった。小生のブログに載っていた写真を加工し苦労して作ったものらしい。携帯画面縦長の白地に対して中央に小さくQueensのロゴ。これを見た瞬間、クリエイター魂に火がついちゃったんである。それで冒頭の言葉。
翌日Kaさんに子どもたちの下の名前をカタカナで教えて下されと、メール。速攻その晩にはYさん母から来た、きた、どっさり女の子の名前が。
ところが仕事が立て込んでいて、安請け合いをしてしまったことを後悔する日々が続き悶々と。一日一回は「アレ、実際どーゆーデザインにすっかなあ」と頭をよぎるものの、さっぱり具体的なアイディアが浮かばない...というか考えてる余裕がない。
ある日、夜仕事が終わり、ブログを書くかスコアブックの集計をやるか、この待ち受けをやるかと、考えあぐねていたら突然天から降りてきちゃったんである。雲の合間から天使がヒラメキという名の風呂敷かついでパタパタと。急いでグラフィックソフトを起動し、中央にQのロゴを配して、その上下のスペースに子どもたちの名前を英文で書き込む。キッチリバランス良く埋まるように、名前を上下左右シャッフル。するとナニカある法則が見えてきた...。名前が「i」で終わる子が多いのだった。これを全部右寄せにしたらピッタシ決まった。思いっきり女の子っぽくベースをピンクにし、一人ひとりの文字をカラフルに。「i」=「愛」のあるチームに育って欲しい、なんて(^^)
これは女子受けするかもだけど、オヤジ的にはいかがなものか。というわけで急遽もう一発作ってみる。帽子のMのマークが欲しくて、Macの中をひっくり返して探すものの、あるわけない。あるのはフレンズのFマークばかり。すぐに記念誌のNishimura編集長にメール、Queensの帽子の写真ちょうだいと。これまた速攻で写真添付返信あり。

MiyamaeのMを切り抜き赤ベースのトップに持って行きバックに白い拡散光をつけ、下にはメーカーWebサイトから引っ張って来たC球のボールの写真を配置。設立、創立、創設はSince〜がいいのか、Established〜がいいのか、Yahoo!辞書で検索検証し、Est.2007に決定。早速Yさんにメールし、Queensのみなさんに配信してもらった。「カワイイ〜!」との反応ありとのこと。

あにはからんや母のみならず、男の指導陣もピンクバージョンを待ち受けに設定したとのことだ。Koshimizu監督やYamamotoコーチからはていねいにお礼のメールまで頂き、喜んでもらえて作って良かったと実感。
何が良いのかって?
これは応援横断幕やおそろいのTシャツやチームのステッカーなどと同じく、みんなのココロがひとつになるシンボルの役目を果たすことがあるからだ。とりもなおさず、「がんばれ東北 心のチカラ」のデザインの、最大の意図もそこにあるわけで。
一応デザインを生業としている小生も、デザインに出来ることの付加価値を、今回改めて認識させてもらった次第である。
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2011年9月29日木曜日

タッチアップ

タッチアップの話。
Wikiより引用。(http://ja.wikipedia.org/wiki/タッグアップ)

打者が飛球(フェアボールファウルボールを問わない)を打ち、この飛球が野手により捕球された場合、走者はリタッチを行う必要がある[2]。一旦リタッチを果たした後は次塁への進塁を試みることができる。飛球の方向や距離、走者の走力や相手の守備力といった条件が揃えば、この捕球後の再離塁によって次塁に到達できる。
離塁した走者は次塁へ達する前に触球されるとアウトになるので、極力早くスタートできるよう、塁(ベースバッグ)を陸上競技短距離走のスターティングブロックに見立てて、これに足を掛け、同時に野手の捕球が自身の視野に入るような体勢をとる。離塁の際には捕球より先に上体のみを動かし、その勢いを利用してスタートを切ることがセオリーとなっている。(※米国ではタッグアップ)

野球関係者ならば当たり前のタッチアップの意味も、こうやってツマビラカに改めて文章化されちゃうと、フムフムなるほどと思ってしまう。
話はそれるけれど、走者が3塁からタッチアップで本塁を踏んで得点した場合、打者に記録上「犠打」がつくのは人類創世記以来の常識だけれど、2塁からのタッチアップで3塁へ進塁させたケースには犠打はつかないのである。これはたぶん、前者は「俺は自分を犠牲にしてまで得点に絡んだんだかんな!」というので「犠打」。しかし後者の場合は単に走者を進塁させただけで、自分はアウト。本来ならば安打で進塁させ自分も生きることが理想とされるので「犠打」の栄誉に浴することは出来ないというのが筆者の解釈である。
話は更にそれるけれど、この犠打を打たれた投手は単なる「失点」か或いは「自責点」になっちゃうのか。外野フライで打ち取っているのにもかかわらず「自責点」になるんである。なぜか。この場面は極力得点を与えてはならないので、三振かゴロに仕留めるのが投手の責任だからだ。だからたとえ外野フライでアウトカウントを稼いでも、失点は投手の責任となるわけだ。いやはや、ピッチャーというのは大変なポジションである。

さて、やっと24日の高津ドジャース杯ブログである。同じ宮前のチーム向丘サンダース戦。昔フレンズで筆者が言った名作ダジャレを想い出す。
「ねえねえ、サンダースって選手が36人もいるって知ってた?」
「えっ、そうなんですか」
「サンダースだけに3ダース...な〜んちって」

結果から言えばとうとう負けちまった。10:4。
ここでは先に書いたタッチアップが二つあったお話。
1回表フレンズの攻撃。Teruが三遊間を破る安打で先制点を挙げると、二つの盗塁で3塁へ到達。4番打者Taguchiがレフトへの犠飛を放ち、Teruがタッチアップから本塁を陥れ2点目。幸先のいいスタートではあった。(写真左上)

5回表。ナンダカンダで神田の古本屋。またしてもTeruが3塁へ。3番Otoがライトフライ。なんとまたしてもTeruがタッチアップ。少年野球で一試合で同じ選手がタッチアップというのはかなり珍しいのではないだろうか。
タイミングは誰がどう見てもセーフだった。(写真右上)
しかし審判のコールは「アウトッ!」
試合後審判の方と談笑の機会。審判いわく、完全にセーフだったけれど、スライディングした足が本塁ベースに届いてなかったとのこと。Teruはあと0.5秒遅くスライディングしていればセーフだったかもしれない。こういうことってあるものだ。しかしTeruには果敢な走塁と打点1でBP賞をあげよう。

試合後夕方久しぶりにベーランで締めた。Otsuboさんがタイムも計りつつ。
いよいよ週末は10月に突入。12月は先生(師)が走るまわるほど忙しいというのは、弥生時代からの我が国の常識であるけれど、10月は生徒が走りまわる忙しさなんである。走れ!子どもたち!
次回ブログはQueensの携帯待ち受け画面の話。
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2011年9月26日月曜日

来年の胎動

仕事が死ぬほど忙しいのは、死ぬほど嬉しいことだけれど、3連休が2周連続つづけばブログネタもそれなりに堆積しちゃって、パソコンのデスクトップにいくつものフォルダが並ぶ今日この頃なんである。前回のQueensBBQ大会の話は、先週18日日曜のこと。ブログアップしたのは水曜深夜。
更にこの時期は年末に向けてスコアの集計が頭を悩ます。今から2速から3速へシフトしていき10月にはトップスピードで走らないと、11月には2,3日徹夜を覚悟しなきゃいけない。しかもその他に野球関連でやることがいっぱいなんである。

そんなわけで、今日のブログは先週の19日月曜の練習試合にやっと追いついた。新チーム体制(5年生以下)での鷺沼ヤングホークス戦。
そんな季節になってきた。来年を見据える胎動が聞こえる時季。6年生にとってはちょっぴり哀愁ただよい始める時でもある。
相手はAチーム予備軍としてすでに試合経験豊富、今年はジュニアの部での優勝も果たしている強豪。対するこちらは試合経験もほとんどない、三遊間やタッチアップやホースアウトなどの野球用語を理解してないのは言うに及ばず、攻守交代の時にヘルメをかぶったまま守備位置に走るような下級生が多いのだから、スコア結果は試合前から火を見るよりも明らかなんであった。にしても、ちょっと白タオルを投げたくなるような点差ではあったけれど。ふう〜。

ヤングさんもベテラン審判員Katsuさん指導のもと、新人研修を兼ねたお父さん主審でプレイボール。昔からヤングは父スタッフの層が厚い。羨ましい限り。

うちは少ない人数の中、来年の投手候補を試験的に3人をリレーさせる。I.Takumi、Kouta、Sueki。野球の守備オーダーはまず投手を誰にするか?で始まるが、次に捕手は誰が出来るか?になりそこで様々な葛藤が生まれる。Aは肩が強いけれど捕球がイマイチとか、Bは体は小さいが声でチームを引っ張れるキャラを持っているだとか....。監督指導陣の悩みどころである。

ちょっと一服。カメレオンのようなカラスであった。

この試合はスコアラーをサブのI.Mitsuyo女史に全面お任せ。筆者は広報班カメラマンに徹したおかげでいろんな角度からカメラを構えた。中でもスライディングとタッチプレーの写真は撮っていて楽しいものである。本人たちは真剣勝負だけれどね(^^)
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2011年9月22日木曜日

キミたちの笑顔をありがとう

全国にどれだけあるのか小学生の女子野球。我が川崎宮前にも数年前に結成されたチームがある。「宮前Queens」
うちの娘は小学生のころはフレンズであったけれど、当時Queensがあったならば、ここにも入っていたかもしれない。もっともクルマを持たないペーパードライバーのオヤジ(筆者)には無理だったかもしれないけれど。近年うちのチームからもHarukaが入部してお世話になった。彼女にもとてもいい想い出になったに違いない。

連盟記念誌プロジェクトチームが縁で、今年はいろんな人とお近づきになれたのは私の今年の特筆項目である。編集長Nishimuraさんはじめ諸々。その一人、Queens代表Kasaharaさんに、BBQ大会にご招待いただいたんである。震災復興支援ステッカーやQueensロゴのデジタルデータを作ったりなどの縁もあり。「首相官邸だろうが、皇居だろうがどこへでも迎えに行くよ」と言っていたKさん、昼過ぎにYaさんママの運転でやってきたのは、TOYOTAセルシオ。差し入れに発泡酒を買わなくて正解だったことに得心す。
(BBQとQueens。ふたつ合わせてBBQueens。確か、ちびまる子ちゃんのテーマソングを歌っていたのはBB・Queensだったかな)

2,3缶ビールを空にしたところで少女選手、コーチたちも集合。Kさんやっと乾杯の音頭のタイミング。部外者の小生を紹介もしてくれた。小生、ご挨拶の言葉をこの1ヶ月寝ないで考えていたのだ。
「え〜、コホン、有馬フレンズのTです。常々Kさんから「うちのQのママたちは美人ぞろいだよ」と聞いていたのですが、Kさんは嘘つきだと思いました。なぜなら、「美人ぞろい」ではなく「超美人ぞろい」だったからです」なんて(^^) いやはやコレ本当なんである。実際はこの1ヶ月寝ないで考えた挨拶の言葉は、小生に振られることなく終わったので胸の内にしまっておくことになったのだが(^^)
時の経過とともにいろんな人と会った。
男から見てもカッコイイ、チョイワルオヤジ系のKoshimizu監督始め、下戸のYoコーチとその伴侶酒豪ママのYoさん、、Yaコーチ、花火師のNiさん、審判副部長のHaさん、長身でユニフォームが似合うJAお勤めMuさん、官公庁お勤めの事務局長Saさん....。過去このブログで触れたこともあるエースで4番のMちゃんのご両親Moさんや、最近うちの地域から入部したSoさんetc....。Mちゃん所属のヤングのKurosu監督もノシノシやってきて、しばしチーム運営談義。相変わらずの毒舌の中に一本スジの通った人間的な包容力を感じさせる宮前名物監督である。
Queensには男子にはない女子独特の柔らかい可愛らしい空気感というものがある。それでも試合になれば男子顔負けの活躍を見せてくれたりして。そのギャップがいい。「箸が転んでも可笑しい年頃」というには少々早すぎるかもだけど、しかし女子たちは屈託なくみんなよく笑う。この笑顔が親やオヤジコーチ、スタッフの明日への原動力になっちゃうのだ。
ささやかなQueensのステッカーをプレゼントしただけなのに、Koshimizu監督が小生に「Tさん、ちょっとコッチへいいですか」と耳打ちし、ずらり一列に並んだ選手たちの前へ拉致、連行される。
Mちゃんの号令で女子選手たちが「シールありがとうございます〜っ。礼っ!」
ヤバイ。.....ちょっと感動してしまった。
ただでさえ若い女性と妙齢の女性と魅力的な女性に弱い小生は、気の利いた返答も出来ずにいた、晩夏の夕まぐれ午後4時30分。

こちらこそ、キミたちの笑顔をありがとう。
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2011年9月21日水曜日

Queensステッカー

18日の日曜なんである。この日は昼からQueensのBBQ大会に行き、ほどなく自チームのこれまたBBQ大会に合流する予定であった。ところがこともあろうに、初対面の方が多いにもかかわらずQueensが居心地が良く、つい長居をしてしまって、有馬フレンズに合流したのは夕方からの居酒屋その1の2次会であった。

このQueensの話はまた引っ張って次回なのだ。順番からいうと今日はQueensのステッカーを作ったことの話。
先の台風上陸で当初予定されていたBBQは延期になったけれど、その前にナニカお土産を持っていかねばと思った。発泡酒では失礼だし、ハーゲンダッツのセレブなチームなので奮発してYEBISUビールにしようかとも、結局コンビニにはロング缶パックはドライしかなくて、やむなくそれにしちゃったけれど。
ビールなら誰でもお金を出せば買える。ゾウアリクイが蟻をのみ込むのにビールが欲しくなって、コンビニに買いに来たらきっと店員は快く売ってくれるはずだ。小生が閃いたのは、自分にしか出来ないお土産。ステッカーであった。大きなものは無理があるので、携帯に貼る専用で小さいものを制作。親は携帯に貼り、子どもがペンケースに貼ったりもするだろうし、チームスタッフや連盟役員はバッグやおでこに貼って出勤するはずだし、何枚必要か。Kaさんにメールで打診。...全部で37人分!A4フィルム2枚に一人4点ならいける計算。
以前制作したロゴをそのままステッカーサイズにコピーペースト。
試しに普通紙に印刷。あやや!小さいとロゴが潰れてしまうではないか。確かに震災復興支援ステッカーの時も白の部分が潰れてちょっと失敗。白部分だけ太くするため一から修正にかかる。最後の積み木を乗せたとたんに崩れてしまい、またイチから積み直す気分ではあったけれど、失敗作と分っていて制作するほど厚顔無恥ではないわけで。
なんとか出来た。早速携帯に貼ってみる。フムム、良いではないか。
良いではないか、良いではないか、もう小娘ではあるまいに、というセリフは舟の中で密談する越後屋と役人の場面であった。
以前もジョークでやったけれど、今回も画面にベッタリ貼ってみた。(飽くまでパソコンのグラフィック上の写真合成ですよ)
これでは携帯は何も機能しないことが分る。画面がないと携帯ってただのプラスチックの塊なんだという事に気づかされる。パソコンもそうだ。モニターがなくて、キーボードと本体だけなら全くのガラクタである。レアメタル的価値くらいはありそうだけれど。
BBQの写真とその話はまたいずれ....。
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2011年9月19日月曜日

おもいっきり走れ、打て!

世の中一般的には3連休であった。野球もイベントも盛りだくさん。自営業の筆者は半日仕事、そのあと試合へ行きスコアラーをやったりの日々。この週末もまた3連休だけど、仕事がガッツリ。どんだけ図面を描かなきゃいけないかと言うと、ミルフィーユの薄皮を一枚一枚ピンセットではがして食べるがごとくなんである。
土曜日も朝からA,B2試合のスコアラー。
午後家に帰りMacをジャ〜ンと起ち上げる。
図面修正依頼のメールがド〜ンと来ている。
なかなかこのブログを書いてる余裕がなくて、ネタは溜まる一方。一週間に3冊読むのが限度なのに、一週間に10冊本を買ってしまう北上次郎(文芸評論家)のようだ。
でもって、今日は順番に土曜の多摩川での練習試合をば...。
昨年対戦した橋場ジャガースさん。多摩川のグランドを提供してくれてAチームと来年の新チームの2試合を敢行。新チームでは5年生以下になるため、今までサードを守っていたInoueがピッチャーに。センターのKoutaがキャッチャーで。かつての英国首相鉄の女と呼ばれたのはサッチャーだ。
この一年練習は積んできたものの、Bチーム結成までには至らず、従ってほとんど試合経験がない子が多い。まずはなるべく多くの子に守備と打席に立たせることだ。試合独特の緊張感を少しでも多くの子に感じてもらい、思い切り走って思い切りスイングすることだ。他のマンモスチームではB1+B2チームがあったり、Cチームまであるところもあるわけで、そんな子たちがAになればすでに試合慣れしており、何よりも野球を知っている。この時期でとっくに1歩リードされてるどころか、うちよりも10歩も20歩も先を行ってるわけで。うちは全てがこれからなんである。小さい子はインフィールドフライやタッチアップやホースアウトの理論を理解するよりも、まずは「思いっきり!」
今年Bを無理してでも作ろうという気運が盛り上がったこともあったけれど、いかんせんAの運営だけで精一杯。設営・審判・車出しなどの父協力が足りないとまでは言わないまでも、決して十分とは言えない。マネージャーや事務局や配車係が陰で思いっきり苦労しているんである。みんなオトナだから顔には出さないけれどね。

試合はBが3:6で負け。BPは2塁打のTakuto&単打のYuusuke。
次のAの試合は先週の多摩川でのドジャース杯11:10で勝ったのに反して、今日は真逆の最終回4点差を返されて10:11でサヨナラ負け。またしても5本の本塁打が飛び出したが、相手のランニングホームラン4本に対してうちの1本は文句無しの、多摩川を超えて東京世田谷区へ今まさに届かんとス、というくらいの2ランホームラン。そのNabeにBP賞をあげよう。

さてさて、次の日曜はQueensのBBQ大会。
Kasahara代表にお招きにあずかったんである。順番なのでこの話はまた後日。
そこで配った特製Queensステッカーの一部拡大写真だけUPしちゃおうってか。
このブログをアップしようとしたとたんに、Qのお母さんからメール、チーマネからフレンズの今週末予定案のメール、娘の夫から電話とメール、
いやはや皆さん、夜更かしさんですなあ。
ん?
オメエが一番夜更かしだろうって?
ハイ...。(^^)
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2011年9月16日金曜日

未来の記憶ノート

ヤバイっす。マジ、ヤバイっす。
記念誌の最後の難関、「詩歌」のページ。
数日前に天から降臨。
シャーペンで殴り書き、書き直すこと3度。
今日初めてMacに入力。
キーボードを叩くうちに、いきなりもうひとつ降りてきた。
短編小説と詩のカップリング。
このブログで紹介できるのは、刊行後のたぶん12月。
せめてタイトルだけでも.....

「未来の記憶ノート」

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2011年9月14日水曜日

遠い記憶

「エ〜〜〜ッ、サッサア〜、エッサッサ〜!」
川崎市有馬中学校体育祭での男子生徒の名物演技「エッサッサ」である。
その昔日体大の大学生から伝授された伝統の演技である。

先日の土曜仕事を早めに終え、練習のグランドへ行く前に歩いて3分の有馬中学体育祭に寄ってみた。この一週間ほど体育祭の練習を盛んにやっていた模様。フレンズを卒業した子たちの何人かをちょっと見てやろうと思ったわけで。昔と違い入場者名簿に記入し、持参のカメラの申請も済まし校庭へ。子どもって体操着を着るとなんでこうも皆同じに見えてしまうのか。視力の悪さも手伝って誰が誰だかさっぱりわからんちゅうに。20年ほど前、幼稚園の運動会の徒競走の時に我が子をビデオに撮ろうとしても、遠くからだと他の子と全く判別がつかず、直感で我が子をレンズで追いかけ撮ったはいいものの、だんだん近づいてきた子は全くの他人だった...なんて記憶が蘇る。

運動会と侮るなかれ、筆者は男子の騎馬戦とリレーを見るのが大好きだ。単純に興奮するんである。自分の中学高校時代を想い出すせいもあるのか、アドレナリンが胸のあたりからふつふつと沸き上っちゃうのだ。逆に今もし、やれと言われてやりたくないのは「パン喰い競争」1位になるには日頃の仮面を脱ぎ捨てて、もの凄い形相で大口を開けパンに喰らいつかねばならぬ。逆に不幸にも最後までパンを喰いちぎれずに、後ろ手に紐で拘束された挙げ句、喰いたくもないアンパン相手にオタオタすれば、周りの失笑とも嘲笑ともつかないビミョーな笑いに囲まれながら、あろうことか係員にパンをくわえさせてもらい、無人のトラックを熱の冷めたゴール目指してヨロヨロ走らねばならぬ。こんな屈辱はないわけで。(故意に極端な論理を展開させましたでありまする(^^))

さて、中学校体育祭である。
男子組み体操も見応えあったけれど、昔と比べてどこか「真摯な気概」とでも言うべきものが感じられないと思ったのは、筆者が歳をくったせいだろうか。先の半ば伝統芸能保存的な「エッサッサ」も然り。筆者の息子の時代には男子全員のかけ声だけでも鳥肌立つような感動を覚えた記憶があるけれど。


遠い記憶。
息子が3年の時の体育祭。「エッサッサ」で朝礼台に登り指揮をとるのは全校男子生徒のリーダーたる証でもあり名誉でもある。その年のリーダーは、当時シニアで活躍していた鷺沼ヤングホークス出身の高井雄平くん。のちにヤクルト指名でプロ入りを果たした子である。一糸乱れぬ演技と中学生男子独特の大人になりかけオトコの大音声(だいおんじょう)が校庭に響き渡る。

雨だった。最後の男子リレーが始まった。
息子のJunnosukeは野球部でアンカーを務める。スタートの号砲。ぬかるみに足を取られながらも白熱の展開。Jの前の走者が不幸にも転倒。前のランナーとの距離がどんどん開く一方だ。やっとJにバトンタッチ。すでに勝負は終わっている。残り半周で誰もいない無人のトラックをそぼ降る雨と泥にまみれてひとり独走する。静かな衆人環視のもと自然と温かいがんばれの拍手がわき起こる。
最後の直線コース。息子Jは勝負を捨ててそれまでゆっくり走っていたのだが、ゴール間近で突然猛ダッシュにシフトチェンジ。
最後は泥のゴールにヘッドスライディングを敢行。すぐにすっくと立上がり、両手を天にかかげ、ヤツはあろうことかグリコのポーズを取りやがった。
会場は爆笑と拍手の嵐。
パン喰い競争のような屈辱を自分の胸の内で反転させ、逆に周りを味方につけるスキルというよりセンス。
大バカ野郎の息子だったが、父親としてちょっぴり誇らしげな気分であった。
今日は「遠い記憶」の話でした。
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2011年9月12日月曜日

母は楽しい洗濯

高津クラブドジャース杯。毎年この時期参加している大会である。試合会場は多摩川河川敷、諏訪第二球場。近くの河原ではニコタマ名物BBQ大会の群れ。駐車場がすし詰め状態パンパンである。満車表示の看板を尻目に監督号と筆者のTaguchi号は、近隣のコインパークへ。Satoh監督、子どもらと談笑しながら駐車場からトコトコ歩き土手へと上がった。
ふむむ?...なんか違うぞ。かの有名な都内最後の大規模再開発と言われるプロジェクトのひとつ、二子玉川サンライズの超高層超高級マンション棟。去年ここの小さなショップの仕事をしたことがある。確か3棟建ったと思うが、えっ!?1棟消えてしまっているじゃあありませんか!?去年このブログで多摩川に松井ゴジラを登場させたので、ヤツの仕業か?

偶然四角い物体の死角に隠れて視覚トリックが形成されたんである。
こういう日常のオモシロフシギ大好きな筆者なんである(^^)

試合会場のグランドの隣りは川崎北リトルシニアのホームグランド。
近年うちの卒業生が多数お世話になっているシニアである。その通称「川北」の試合が開催されていた。正式なユニフォームを着てないから練習試合かなと思いきや、母たちがマイクでウグイス嬢(?)のアナウンスをしてたりして。(※母たちを「嬢」と表現して良いかどうかは筆者の文章責任の範疇を超えているのであしからず。)ヘルメには高校野球のステッカーやオールジャパンのシール。先週違うチームに訊いたところによると、例の大雨台風で河川氾濫、グランドは冠水したとのこと。そのせいかいつもより内野の土部分がいつもよりすり鉢状に陥没状態になってるみたいだ。この境目に打球がバウンドしたら異常なイレギュラーバウンドになるだろうな...。

2回戦対戦相手は「下小田中第一武蔵野球部」というフレンズ対戦史上最も漢字の画数の多いチームである。これだけでも侮れないわけで。試合後の円陣で相手へエールを送る際に「フレフレ、しもおだなかっ!」にするか「フレフレ、だいいちむさしっ!」にするか、早速悩んでしまった。しかし少なくとも「フレフレ、しもおだなかだいいちむさしやきゅうぶっ、フレフレ、しもおだなかだいいちむさしやきゅうぶっ...」だけはあり得ないなと得心した筆者ではある。

前置きが長くなるのは最近のこの小ブログの悪いところ。
本題にイク前にすでに体力消耗しちゃうから、初志貫徹出来ずに後半はサックリアッサリ、イッてしまうのである。(※「題」を「番」に読み替えればニンマリ心当たりのある諸兄も多いのでは?...良い子のみんなと良妻賢母を自認の方はこの文章、頬を赤らめながら読み飛ばすようにお願いします)

試合の総括は11:10の勝ち。失点も多いけれどナイスゲームと言っても過言ではないだろう。この時季ではあるし。
全国の河川敷球場の常で本塁打が出やすいのは仕方ない。条件はお互い同じであるし。この試合ナント両チーム合わせて5本のホームランが記録された。本塁打の価値が下がるけれど、記録は記録。
3失点ビハインドの1回裏、うちの攻撃。先頭打者の副将Teruがいきなり3塁線を強襲安打のランニングホームラン。すかさず監督に相談「今の打撃どーする?3塁手失策か、あるいはもし安打にするならイコール本塁打になっちゃうけど」
「...3塁手触ってないから...安打でホームランにしちゃいましょう」
代表はじめ監督、コーチ皆の最近のTeruへの「眠れる獅子」を起こしたくて仕方がない思いが本塁打の記録となった。
その彼、3回の二死走者3塁の場面で初回グレーゾーンのホームラン記録を完璧に払拭するツーランホームランを放った。今度は文句なしの左中間オーバー。1試合で同選手の2本塁打もたぶんフレンズ史上初かな。


1-6-3のTeru,Oto,OnoのゲッツーWプレーあり、優位で迎えた最終回11:7の場面、先頭打者がヒットで出塁するも、3塁線ファウルフライをI.Takumiがダッシュ、ギリでダイビングキャッチなど、随所に好守も見られナイスゲーム。後日泥だらけの息子のユニフォームを洗う母たちは、きっといつになく楽しい洗濯になるはずだ。
ベストプレイヤーはTeru、Oto、Inoueの3選手。待てよ、Taguchiの3打数3安打、全て右中間の全く同じ地点へ放った打撃も素晴らしかった。車中Taguchi母が息子に「見逃し三振だけは勘弁してよっ!」との言葉を跳ね返す活躍。結果年末のアメ横の大盤振る舞いよろしく、4名も選出。

試合終了後、円陣を組み主将のNabeが笑顔で訊いてきた。
「Tコーチ、相手チーム名はなんて言えばいいっすか?」
「おお、うむむ、...シモオダナカで!」
一拍置いて...
「フレフレ、しもおだ⌘⁂♥♨☀◒あ〜!」
「フレフレ、しも♤※♬〠♣㎡≅あ〜!」
「フレフレ、しĂΦ㈱ⓥ〓☃♨〒〜〜....」
試合内容とは真逆にカミカミのグダグダで終わったエール交換であった。
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