2020年8月6日木曜日

こちょこちょプニプニ

娘家族にはダンナと二人のマーゴ女子がいる。マーゴに関しては過去に何度かここでも書いているけれど。その娘たちは昨年に続き先日河口湖方面へ夏休みの一泊旅行へ。その間飼い猫のニャンコをウチで預かるのも恒例となった。ニャンコの名前は「こちょ」と言う。

筆者は子供の頃山形ではシマリスがいて、20代で結婚した恵比寿ではキジ猫ニャンコの「ももこ」、その後ここ有馬で黒猫ニャンコの「ぴあの」と同居し、今ではかなり老齢となったワンコのミニチュアダックス「りん」がいる。「ペットを飼う」と言う表現が好きではないので、ここでは「一緒に暮らす」とか「同居人」とか書いているわけで。ペットのことを「家族同然」と言うのはよく言われる文言だけれど、家族同然の存在なのに「飼う」という表現にはどこか人間の驕(おご)りがあるようで、どうしても馴染めない違和感があるんである。「家族を飼う」とはフツー言わないでしょ。筆者はペット=動物たちは飼うのではなく、我々ヒトと同居している同じ生き物として考えている。

なんていう、堅苦しい観念はまあどーでもいいか。
でもって、ニャンコの「こちょ」を二泊三日で預かったのだった。「こちょ」にしてみれば日吉から有馬なのでGoToトラベルの恩恵にもあずかれず、変わった環境で宿泊する三日間は苦痛かと思いきや、ニャンコはワンコよりも柔軟と言うか適応性に優れていると言うか、家中を徘徊すると安心したのか、すっかり寛ぐのである。過去にも何度か預かっているので、「またここに来たんか」との記憶があるのかもしれない。

猫種はアメショーである。手足の長さや尻尾の長さ強さは、家猫と言うより野生の虎を彷彿とさせる佇まいを持っている。筆者がそんな感慨を抱いて見つめても「だからどーした」と言わんばかりに見返してくるのだった。

猫を飼っている(同居している)ヒトなら知っているはず。ニャンコあるあるなんである。仕事しているとデスクにしゅわっちと突然飛び乗ってくるわけで。しかしマウスやキーボードには絶対触れずに目の前をヒタヒタと無音で横切る。しばらく窓の外の人間界の由無し事を眺めて、それに飽きるとそっとデスクの上に戻り目を閉じたりして。実に可愛いのである。時にニンゲンの足元を尻尾を絡ませて八の字を描くようにまとわりついて甘えたり、かと思えばいくら名前を呼んでもピクリとも振り向いてくれなかったり。天上天下唯我独尊。そこがまた楽しいニャンコあるあるなんである。ワンコならばニンゲンに媚びる処世術を身につけているのだけれど、ワンコはワンコでそこもまた可愛い。ちなみにうちのワンコ「りん」はこのニャンコが大の苦手である。痛くもない軽いネコパンチを避けるため、「こちょ」からいつも逃げ回っている「りん」なんである。

猫は冬は家の中で一番暖かいところを探して居座り、夏は一番涼しいところを察知して居場所を決める。以前同居していた「ぴあの」は、冬はよくTVの上で寝ていた。当時はブラウン管の厚みのあるTVで、背面から立ち昇る放熱はかなりなものだったからできたのだが、今ならTVは液晶化で薄くなり、熱もさほど発せず上に乗ることは出来なくなったけれど。

「こちょ」は家中を徘徊したのちこの夏一番涼しいと判断したのは玄関の下駄箱の上だったようだ。愛猫家にとってニャンコの肉球は最高の好物である。そのプニプニ感は何物にも代えがたい感触である。ちなみにワンコの肉球は固くてザラザラしている。それも嫌いではないが。逆に舌はニャンコはザラザラ、ワンコはヌメヌメしている。

すっかり寝ているのをいいことに「こちょ」の肉球をこちょこちょプニプニ触りまくったのだった。
ああ、これこれ、シアワセ。
いつまでもプニプニ触っていると、「ナニ触ってんのよ」と言わんばかりに、軽いネコパンチが飛んで来たのだった。
まるで男が女に拒絶された夜のベッドみたいに。

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